Category Archive : MUSIC

ポリーニの訃報

今朝、SNSを開くと一番初めに目にしたのが、マウリツィオ・ポリーニの訃報。
知人のYさんの投稿で知る。
Yさんは、ポリーニの初来日から最後の来日公演まで観ているという方。
この方の投稿で知る事が出来たのは、それこそ不幸中の幸い。
中途半端な人が書いた中途半端な追悼コメントなんかで知りたくないので。

その後、タイムラインに流れてきたのがドイツ・グラモフォン(日本版)の投稿。
次に、やはりドイツ・グラモフォン(日本版)の投稿で、ドイツ・グラモフォン社長クレメンス・トラウトマンのコメント。真摯で素敵なコメントでした。

ここまで読んで「ああ、本当に死んだんだなぁ・・・」と、軽い喪失感。
と同時に不思議なやるせなさというか、つらさというか、なんとも言えない気持ちが込み上げてくる。
この感情は今年2度目なのです。

どんな感情か、言葉では伝えづらい変な感情。

なので、現象を伝えると、このブログでポリーニの事を書いたばかりなんです。
1か月近く前の事なので書いたばかりというと、若干語弊があるけど、感覚的にはつい先日書いたような感覚。
それは、2月29日に投稿した、「マウリツィオ・ポリーニ/1996年 ミラノ スカラ座」という文章。
これは「私を形成しているもの」音楽部門、として書いたもの。

そして、今年2度目というのは、先月、小澤征爾氏の訃報に接した時のこと。
やはり、小澤征爾氏のことを、ブログで取り上げたばかりだったのです。
それは、1月25日に投稿した、「小澤征爾『ボクの音楽武者修行』」という文章。
これは「私を形成しているもの」本部門、として書いたもの。

クラシック音楽の事を取り上げる事はあまり多くないこのブログで、2か月つづけてこうゆうことがあるなんて、なんだかやるせない気持ちです。

ブログに取り上げるという事は、その文章を書いている間、その人の事を考え、音楽を聴きながら書いていて、その後も色々音源や映像を、聴き返し観返しているので、その後、訃報に接した時に、ちょっと驚きが大きくなる。
簡単に言うと「あなたの事をつい最近思っていたのです。あなたの音楽をつい最近真剣に聴き込んでいたのです。」という状況。そんな時に接する訃報なので、ちょっと自分でもよくわからないモヤっとしたというかなんというか、とにかく変な感情が込み上げています。今年2度目の。

そして変な感情のままポリーニのCDを聴いていました。

これは、ブログに投稿した1996年 ミラノ スカラ座公演を観て、すぐにBresciaのCDショップで購入した物。ブログに書いたように、苦手だったベートーヴェンの曲を好きになるきっかけになった公演だったので、しっかりその日演奏された曲が入ったCDを探して買いました。思い出深い1枚。

中でも「ワルトシュタイン」は、ポリーニ以外の演奏でも思い出があり、自分にとって特別な思い入れのある曲。(自作曲「Brescia」の歌詞にも登場します)
第2楽章の音の広がりを全身で感じているうちに、ちょっと泣きそうになりました。
さらにこのCDの最後は「Les Adieux」(日本題:告別)なので、さすがに込み上げてくるものがありました。

ポリーニについて語るべき何かがあるわけではありませんが、私なりに思い出のある人、思い出のある音楽なので、今、感んじているままの心を書き記しておきました。
大好きなピアニストでした。

私とは比べものにならない、深い大きな悲しみに包まれている方もいるかも知れません、もし私の文章が不快だったらごめんなさい。


PANTAさんとアイドルの話2

または『忖度するカーステレオの話』

昨日のブログPANTAさんとアイドルの話の中で、欅坂46のデビュー曲~4thシングルまでのカップリング曲含め全曲を、PANTAさんの車のカーステレオHDDに入れた話をしました。

今回は、「アイドルの話」というよりも、この「カーステレオの話」

このカーステレオなのですが、とにかくなんでもかんでもHDDに入れていて、数千曲入っています。
頭脳警察やPANTAさんのレアなLIVEが丸っと入っていたりもします。
ロック系の曲ばかりではなく、PANTAさんが大好きなフランス・ギャルなどのポップス系ヒットソングもたくさん入っています。
その中に、欅坂46の曲、26曲が仲間入りしたわけです。

そして運転中は常にこのHDDからランダムで曲を流しつづけます。
数千曲の中の26曲ですから、なかなか欅坂46の曲がかかる事はありません。

さて、このカーステレオ、いつの頃からか、「忖度するカーステレオ」と呼ばれるようになりました。
呼ばれるようになった、というか私が名付けたんだけど。

どういう事かと言うと、乗っている人や、状況に合わせて、ぴったりの選曲をしてくるのです。
ランダム再生のはずなのに。

例えば、私が運転する時。
PANTAさんの家まで、自分の車で行き、そこでPANTAさんの車に乗り換え、私の運転で2人で出発!というパターンが多いのですが、大体スタートの1曲目にはビートルズがかかる。
しかも「Got to Get You into My Life」とか「Lovely Rita」とか、なかなか渋く、そして高まる選曲。
その後も、けっこうな頻度でビートルズが流れます。

ビートルズも全曲入っているわけじゃないので、かかる確率は、それほど高くないはずなのに、私の運転中にはとにかくよく流れるんです。そして、2人で歌いながらのドライブ。

他にも誰かを乗せている時に、その人の曲がかかったり、その人が好きな曲が流れたり、と言う事が本当に多い。

なので、PANTAさんに「このカーステ、乗っている人に忖度して選曲してますよね?センサーとかマイクとかついててAI的な何かが選曲してるんじゃないですか?」みたいな話をしたら「そういえばそうだな!」みたいに盛り上がって「絶対、忖度してるよな!」(爆笑)
となったわけです。

その後の話
PANTAさんはよく終演後に共演者などを車で送るというパターンが多いのですが(運転は私)、乗っている人が、カーステから流れる曲を聴いて「あ!この曲、大好きなんです~」とか言うと、PANTAさんと私、顔を見合わせ「ほら、忖度始まったぞ!」と目で語り合い笑い合っていました。

乗っている人に忖度するだけじゃなく、その状況に合わせて最高の音楽流してきた!というパターンもあるのですが、中でも忘れらない一件があります。
ちょっと長いけど、以前他のSNSに投稿した文章があるので、一部抜粋して掲載します。

>引用ここから

見慣れた所沢の街中に入った所でPANTAさんが
「もう少し先に鈴木書店って本屋があるんだけど・・・」
(えっもしかして!?)
「17歳の時にそこでヘルマン・ヘッセの・・・」
(て、いつもMCで聞くやつキターーーー!と同時に本屋さんがあったーーーー!!!!)
私と井上さん同時に
「うわーーーーーーー!!!」
ひっくり返りそうになる。

そうPANTAさんが高校生の頃、この本屋で手にしたヘルマンヘッセの詩集、その中に「さようなら世界夫人よ」という詩があったのです。
町の小さな本屋さんが、しっかりとそこに残っている奇跡。

「さようなら世界夫人よ」が生まれるきっかけとなった本屋さんが、目の前に!
頭の中にその日の光景が、セピア色でフラッシュバック!(ってその日見ていたわけでもないのに)
無性に興奮する二人。
車は鈴木書店の前を通り過ぎ所沢駅へ。
駅前で信号待ち。

興奮冷めやらぬ二人に「ちょっと1周して写真でも撮るかい?」とPANTAさんからありがたい提案。
所沢の街をぐるりと周り、再度鈴木書店。
営業時間は終わり、シャッターは下りているけど、しっかりとそこにある。
車を降り、写真を撮りまくる井上さん。
優しい笑みを浮かべながら、車内で見守るPANTAさん。

鈴木書店


しかし
奇跡はまだ終わらなかった。
井上さんが車に戻るタイミングで、カーステレオから流れてきたのは「オリオン頌歌 第2章」

道中ランダムで再生を続けるハードディスクオーディオ。
そこにはジミヘン、フランス・ギャル、欅坂46、etc.etc.etc.etc.・・・とにかく多種多様、数多くの曲が収められている。
その中から、このタイミングで!!
所沢駅へと向かう車中に、高らかに流れる「オリオン頌歌 第2章」

♪これがオレ達の世界
♪隠しきれない世界

景色が彩度を落としてゆっくりと流れる。
これもしかしてエンドロール?
長野ツアーの前夜には、この「オリオン頌歌 第2章」が収められたロック史に残る名作『クリスタルナハト』30周年LIVEを終えたばかりのPANTA。
そんな『クリスタルナハト』LIVEからの長野ツアー。
その最後に流れたのが『クリスタルナハト』ラストに収められている「オリオン頌歌 第2章」
出来過ぎでしょ!?

>引用ここまで

ここに登場する井上さんとは、現在、映画『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』絶賛公開中の井上淳一監督。

これ、すごくないですか?
車運転しながら、ゾクゾクしました。

そんな「忖度するカーステレオ」の超本領発揮事件が、まだあります!
残念ながら、その時、私はいなかったのですけど、PANTAさんが興奮気味に話してくれました。

ある劇団の公演を観に行った時の事。
同行していたのはマネージャーのTさん(と聞いたような気がするけど違ったらごめんなさい)

その劇中に欅坂46の「不協和音」が流れたとの事。
PANTAさんは、その事にけっこう高まっていたみたいで、終演後、車に乗り込み「欅の曲使ってたな!」と同行者に話しかけた瞬間、カーステレオから流れてきたのが、まさにその曲「不協和音」!!

「この曲だよ!!!!」と2人で驚きのけぞったそうな。

その時の事を、興奮しながら楽しそうに(その曲をカーステレオに入れた張本人の)私に話してくれたのです。

凄すぎるでしょ!
PANTAさんの「忖度するカーステレオ」

PANTAさんとアイドルの話

昨日のブログ『昭和歌謡アイドルソングでGO!』報告に書いたように、一昨日は昭和アイドルのイベントで歌いまくってきたわけですが、「アイドルと言えば」的に思い出した事があります。

それはPANTAさんの事。

私の周りで、現役アイドルの話が出来る人ってPANTAさんしかいなかったのです。
昭和のアイドルなら「麻丘めぐみが好きだった」とか「キャンディーズのコンサート行ってた!」とか、そんな話が出来る人もいるのだけど、現役で活動中のアイドルとなると、なかなか。

この歳でしっかりアイドルの歌を聴いている人自体、なかなかの珍種ですからね。
(よくアイドルの事を話していた頃、私50代後半、PANTAさん60代後半)

その頃、私は欅坂46にはまっていて、PANTAさんも多少興味を持っているという感じ。
で、毎回、欅坂46の事を話すたびに聞かれるのが(同じ質問を何度もされた)

「どるたんは誰が好きなの?」「欅は誰が一番かわいいの?」的な事。

会話を再現すると

P「どるたんは誰が好きなの?」
ど「特に誰って事はないんですけど」
P「じゃあ、何がいいんだよ!?」(なぜか若干怒り気味)
ど「楽曲ですかねぇ」

すると

P「かっこつけんな!」(怒)

と怒られる「ふざけるんじゃねえよ!」みたいな感じで。(笑)

本当なんですけどね。

という事を、一昨日のイベントの後に、つくづく思ったのです。

例えば、昭和のアイドルソングでいうと、大好きな曲は色々あるのですが、アグネス・チャンの曲がかなり好き。当時レコードもしっかり買っていた。
特に「美しい朝がきます」が1番好きで、「妖精の詩」や「草原の輝き」も大好き。
しかし、アグネス・チャンの事が好きかと言われると、(当時から)特に好きじゃない。
顔も好みじゃない。本当に楽曲が好き。まあ、声や歌い方も好きなのかな。

それはいいとして。
別に欅坂46の人たちがかわいくないと言いたいわけじゃなくてね。

さらに

P「あえていえば誰が好きなの?」
ど「渡辺梨加と渡邉理佐」

というやりとり。
これ3,4回同じやりとりをしました。
3回目ぐらいから「前、聞いたな。」と

※渡辺梨加と渡邉理佐の事を語り出すと、ちょっと色々長くなりそうなので、いつかちゃんとブログにまとめたいと思っています。

あとは

P「平手ってセンターの子は、たいしてかわいくないよな?」
ど「あの人は、かわいいとかかわいくないとか言う枠を超えた存在ですから。」

みたいな

PANTAさんにとってアイドルグループで一番重要なのは「かわいい」なんですね。
私は、まず楽曲を好きになって、だんだんメンバーを好きになる傾向。

で、本当に、欅坂46の楽曲は素晴らしかったんです。
特に4枚目のシングル「不協和音」あたりまでは、カップリング含めて、全曲素晴らしかった。

最近のアイドル系シングルって、表題曲以外にカップリングを変えて数タイプ出すパターンが多くて、1曲の表題曲に対して5~7曲程度のカップリング曲があります。

それが全曲、素晴らしかった、今でも全曲歌えるレベル。
本当に欅坂46の楽曲が大好きなんですよ、私。

なので「不協和音」までの収録曲全曲をPANTAさんのカーステレオのHDDに入れてあげました。
この件に関しても、すごく面白い話があるので、改めて書きます。たぶん。
(追記、書きました「PANTAさんとアイドルの話2」

まあ、とにかくPANTAさんにとってのアイドルは「かわいいが正義」という話。
というか、結局のところ、PANTAさんはかわいい女の子が大好き!という話でもありますね。
これは多くの人が知っている話。

さて、ここから先の話は(たぶん)私しか知らない情報。
PANTA&頭脳警察研究家の方も(たぶん)知らない話。
知っても「何のことやら」な話。

また会話再現で

P「欅に上村って子いるだろ?」
ど「ああ、上村莉菜ですね」
P「あの子、かわいいよな?」
ど「・・・いや・・・まあ・・・」

という事で、欅坂46で、PANTAさんの推しメンは上村莉菜。


ちなみに乃木坂46は、与田祐希。


2人とも小さくてかわいい小動物系(?)



【追記】
ついでに、私の欅坂46推しメン、渡辺梨加と渡邉理佐を

PANTAさんの趣味とはまったく傾向が違う。
梨加も理佐も、女性にしては背が高い方。(166~167cm)


エリック・カルメンと岸田智史の思い出と、人としての振る舞い

先日のアカデミー賞授賞式でのRDJらの振る舞いが「アジア人差別」だと話題になっているが、その件で、全く逆の事例として思い出していたのが、エリック・カルメンと岸田智史の事。

まず、RDJらの振る舞いは、アジア人差別以前に人として軽視しているのだと感じていて、それはふだんの生活の中でも、人種的な差別行為だけではなく、職種や立場によって人を軽視する行為としてふつうに見られるのだよな、と思う。

そして思い出していたのが18歳~20歳ぐらいの頃の事。
その頃、コンサートスタッフ的なアルバイトをしていたのだけど、当時は今のように役割が細分化されいなくて、大きな会場ではPA搬入搬出だけの時もあるけれど、ホール公演では、ホールスタッフ的な事を手伝ったり、物販要員として駆り出されたり、という感じだった。

裏方作業中には、出演アーティストと直に接する機会も多く、そういう時、目の前であいさつをしても素通りしていくようなアーティストも中にはいた。
アカデミー賞授賞式でのRDJたちの振る舞いはそれとあまり変わらないと思っている。
(ただ前年度の受賞者に対する敬意みたいなものも欠如していて、それはやはりアジア人である事も関係しているのかも知れないけど)

そんな中、ダントツの好感度で今でも思い出すのが、エリック・カルメンと岸田智史(現在は岸田敏志と表記)の2人。

エリック・カルメンは、中野サンプラザホール公演での事。
楽屋口近くでパンフ類などの搬入作業をしていた私。
その時、楽屋口前に車が止まり、降りて来たのがエリック・カルメン。
そこで私はエリック・カルメンに向かって「こっちですよ」という感じで手を挙げ、楽屋口のドアを開けて待っていた。

エリックは、入り待ちをしていた数人のご婦人ににこやかに応対したあと、足早に私の前を通り会場入り。
そのまま素通りされたとしても、特に失礼とも感じなかったと思うのだけど、わざわざ振り返り、しっかり私と目を合わせ、ちょっと片手を挙げ笑顔を浮かべ「Thank you!」と声をかけてくれたのだ。
ただドアを開けて待っていただけの10代のアルバイトを、人として軽視していない事にとても感動した。
その時の事は、鮮やかに印象に残っていて、今でもよく思い出す。


もうひとり、岸田智史さんにも同じような思い出があって、場所はやはり中野サンプラザ。
PA類の搬入が終わり、楽器類の搬入を始めた頃、会場入りした岸田さん。
ステージ裏で作業していたバイト連中にも、ひとりひとりに挨拶。
私とも挨拶を交わした後に「ぼくのギターは届いていますか?」と、丁寧な口調で話しかけて来た。
「ギター類はあちらに並べてあります。」と答えると「どうもありがとうございます。」と。
当時「きみの朝」が大ヒットしたあとで、人気も高かった頃。
10代のアルバイトに対して、本当に丁寧な言葉と態度で接してくれた事、今でもよく思い出す。
その時のコンサートは、ステージ横で全部観ていたのだけど、音楽にも人柄がとてもよく現れていると感じて、心から感動した。



ちなみに、エリック・カルメンも岸田智史も、当時レコードを数枚持っているレベルのファンだったので、感動もさらに割り増し。


こういうのふだんの生活でも、いっぱいあると思う。
RDJらの行為を批判している人たちは、コンビニの店員に横柄な態度をとっていませんか?
駐車場の誘導員に失礼な態度で接していませんか?
人として、そういうところだよ。

特に日本は、売る側買う側で「お金を払う方が偉い」みたいな風潮もあるから、金出す人が横柄な態度をとりがち。
ドイツやイタリアでは、売る側も買う側もお互いに「ダンケ」「グラーツェ」と言葉を交わす場面をふつうの光景として見てきた。日本でも買う側で「ありがとう」「どうも」と言う人もそれなりにいて、やはりそっちの方が気持ち良いと思うのだが。
お金を払って、サービスや物を与えてもらっているのだから、立場は一緒でしょ?

今、私はライヴハウスなどで演奏活動をしているのだけど、スタッフに対して横柄な態度をとるミュージシャン、けっこういる。
特にホールスタッフや共演の若いミュージシャンに挨拶を返さないどころか、時にはあからさまに邪魔扱いするような人もいる。
それがその人なりの「大物感」の出し方なのかも知れないけど、こちらから見るとものすごい小物。

ひとつ思い出した。

あるミュージシャンの追悼イベントでの事、狭い会場に出演者も一般来場者もぎゅう詰め状態になっていた。そこに一部では名の知られたベテランミュージシャンが入って来た。あからさまに、不機嫌な態度で立っている人をかきわけるように。私も、手で押しやられてかなり激しく嫌な気持ちになった。立っている人の事をまったく人としてみていない態度。

その後に入ってきたのが土屋昌巳さん。
ひとりにひとりに頭を下げながら「すみません」「通してください」と歩を進めていった。


私も、基本的にふだんは土屋昌巳さんタイプ。
誰に対しても同じように敬意をもって接するようにしている。
特に色々なアルバイトをしたり、色々な国で仕事をしたり、経験を積むほどにその意識は大きくなっていった。

そういえばPANTAさんも、立場や年齢で人を軽視したりするような事はまったくなかったな。
スタッフにも若いミュージシャンにも、誰に対しても同じ態度で、いつも敬意をもって接していた。


【追記】
このブログをあげたタイミングで、エリック・カルメンの訃報がTLに流れてきた。
昨日からずっと、心の中にあの笑顔が浮かんでいたのは、そういう事だったのか・・・

頭脳警察『頭脳警察3』

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1973

頭脳警察『頭脳警察3』(1972年10月発売)

これは現在の自分を形成する上において、本当に大きな大きな出来事なので、取り上げないわけにはいきません。

以前、ブログにも書いた事がある話なので、一部抜粋した上で若干の加筆修正をしたものを掲載します。

まずは、小学5年生頃からの話。

近所の友達の家には、当時うちには無かったステレオがあり、レコードがたくさんありました。
それは友達のお兄さんの物で、ほとんどが日本のフォークソング。

高田渡、古井戸、加川良などなど

当時は誰が歌っているかなんてことは気にせずに、面白そうだと思うレコードを片っ端から聴かせてもらいました。
ガキですから。

で、ガキでもおぼえやすい歌詞や曲調、ちょっとふざけた感じの歌をおぼえ、田舎道を自転車こぎながら歌っていました。

「自転車に乗って、ベルを鳴らし~♪」(高田渡/自転車にのって)

「大学ノートの裏表紙にさなえちゃんを描いたの♪」(古井戸/さなえちゃん)

「かみしばい、かみしばい、かみしばい屋のあのおやじは♪」(岩井宏/かみしばい)

なんて調子で。

そんなガキが中学生になったある日、友達がレコード棚から取り出した1枚が『頭脳警察3』

「これすげえぞ!」と。

針を落とすと激しいリズム!ギター!そして何より叩きつけられる言葉。

とにかくぶっ飛びました。

なにしろTVから流れる歌謡曲や、TVマンガの主題歌、CMソング、そして上記のフォークソング程度しか聴いた事の無いガキだったので、免疫ゼロ状態。

ステレオから流れてきた「ふざけるんじゃねえよ!」にどれだけの衝撃を受けたことか。

こんな歌詞聴いた事ない!!

「バカに愛想をつかすより ぶん殴るほうが好きさ」って!

とにかくすげえ!!

音にしても、あんな爆発的な音は聴いた事がありません。

ストーンズの「サティスファクション」も、ビートルズの「アイ・フィール・ファイン」も未だ聴いた事の無いガキですから。

いや、聴いた事があったとしても、充分衝撃的。

これが私にとっての、はじめてのロックの衝撃!

さらに「この曲もすげぇよ!」と友達が聴かせてくれたのは『前衛劇団モータープール』

何が何やらよくわからなかったけど、とにかくすげぇ!すげぇ!すげぇ!

それから自転車を漕ぎながら歌う歌はこんな具合になってしまいました。

「ブッシャーブッシャーブッシャー」

「極楽はトワイニング、地獄はモータープール」

「ぜ・ん・え・え・げー・きー・だん・モーーーターーープーーール」



Radiohead – SUMMER SONIC 2003

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


2003

画像はSUMMER SONIC WEB Siteより

Radioheadに関しては、1stインパクトを受けた、1stアルバム『Pablo Honey』(1993)を取り上げようかとも思ったのだけど、その10年後、さらにそれを上回るインパクトを与えてくれた、SUMMER SONIC 2003 でのステージを取り上げる事にしました。



この年のサマソニは、忘れがたい出来事が数多くありましたが、ここではRadioheadのステージにしぼって。

ステージ上手側、かなり前の位置に陣取り、この年のラストを飾るRadioheadの登場を待つ。

オープニングは当時の最新アルバム『Hail to the Thief』からのシングルカット曲「There, There」
何か呪詛的な物でもはじまるかのような太鼓のリズム。
と同時に大歓声。
トム・ヨークの歌が入るとさらに歓声が大きくなる。
トムも、初めから飛ばしている感じで、充実した表情が見て取れる。

実験的な2枚のアルバム『KID A』『Amnesiac』からの曲と、それ以前の比較的ポップな曲、そしてその両方を併せ持ったような最新アルバム『Hail to the Thief』からの曲が何の違和感もなくつぎつぎと演奏される。

トムの何か吹っ切れた表情を見ているだけでも、感動が押し寄せてくる。
前回見た、2001年、武道館公演での思いつめたような顔とは別人のようだ。

中盤に演奏された「No Surprises」で泣きそうになり、「Just」でこの上なく高まり、「Paranoid Android」のイントロに歓声を上げ。

ものすごい盛り上がりの中、『KID A』からの「Everything in Its Right Place」
大きな余韻を残したまま本編終了。

そして、ほどなくアンコール。

「Pyramid Song」「A Wolf at the Door」とつづく
夜風の中、音に身を任せ、体が自然に揺れる。疲れを忘れ、心地良さに酔う。
すると3曲目、きました!大好きな曲。
「KARMA POLICE」
イントロを聴いただけで、涙目に。
この日、ここで、聴く事が出来て本当に良かった。
「This is what you get♪」ジーンとしながら一緒に歌う。
そしてエンディングを迎え曲が終わる。余韻を噛み締め、これでコンサートも終わりか。

と、誰もが思っていたはず。
もちろん私も。

すると、なんと、ななななななんと「Creep」が!!!!

「うぎょわーーーーー!!」とわけのわからない歓声を上げながら隣にいた人と顔を見合わせ、抱き合う。

この曲は、ある時期からライヴでは封印されていて、一生、生で聴くことは出来ないのだろうと思っていたのだ。
トムは、何もかも受け入れそして吹っ切ったのだろう。
『Hail to the Thief』は、そのきっかけになるアルバム。
「There, There」の太鼓の音は、呪詛の音ではなく、呪詛から解き放つ音。

「Creep」を歌うトムの声を聴きながら涙が溢れ出した。
「She’s Running Out・・・♪」一緒に歌いながら涙がとめどなく流れる。
元々涙腺がゆるい私ですが、この時の涙の量は異常。
でも、周り中みんなそんな表情なので、問題なし。

例えようのないぐらい大きな感動の中、コンサートは終了。

と同時にサマソニの終わりを告げる打ち上げ花火。大歓声。
心地良い余韻の中、夜風に吹かれ家路に着きました。

この上なく 幸せな1日。

3つのヴィヴァルディ『四季』

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1973 印象派の『四季』 Felix Ayo, I Musici
1994 鮮烈な『四季』 Gil Shama, Orpheus Chamber Orchestra
2012 ヴェネツィアでの『四季』 I Virtuosi Italiani 

1973

Vivaldi – Four Seasons : Felix Ayo(Vn), I Musici (1959録音)

初めてヴィヴァルディの『四季』を(それと意識して)聴いたのは、中学1年の音楽の授業。
音楽の教師が、それなりに立派な再生装置で、レコードを聴かせてくれた。
「演奏はイ・ムジチ合奏団、ヴィヴァルディの『四季』では、彼らが一番有名な演奏者」みたいな前振り説明。
説明の内容はうろおぼえだけど、イ・ムジチ合奏団という名前はしっかりと記憶に残り、その後少しして、同じレコードを手に入れた。

それから何年もの間、私にとっての『四季』は、イ・ムジチの奏でる『四季』
なんとなく日曜日の午前中に聴くのが習慣というほどではないが、日曜日の午前中に聴きたくなるレコード。
何かと尖り気味、擦れ気味だった10代の私の心を少しだけ優しく包んでくれた、そんな音。
特別「好き」と意識するわけでもなく、私の中に自然に流れ続けてきた音楽。


1994

Vivaldi – Four Seasons : Gil Shaham, Orpheus Chamber Orchestra(1994発売)

ある日、BresciaのCD店RICORDIのクラシックコーナーに大量にディスプレイされていた新譜CDが、これ。
ドイツ・グラモファンのCDらしからぬ、ジャケットデザインに目を惹かれ手に取ってみると、どうやらこのモノクロ超どアップ写真はギル・シャハム。一緒に演奏しているのは、オルフェウス室内合奏団。そして演目は『四季』。
ものすごく興味をそそられ、即購入。

オルフェウスは、イ・ムジチと同様に、指揮者を置かないスタイルの合奏団で、当時、私は、オルフェウスの演奏するモーツァルト物を何枚も買っていたのだ。

アパートに戻り、聴いた時の衝撃が忘れらない。

これまで聴いてきたイ・ムジチの『四季』とは、何もかもが違って聴こえた。
鮮やかさ、華やかさ、煌めきとでも表現すればいいのか。
テンポ感もまるで違う。
わくわく、ドキドキするような気持で聴く『四季』、初めての体験だ。

例えていうならば、イ・ムジチの『四季』は、印象派の風景画。
ギル・シャハムとオルフェウスの『四季』は、高精細で美しいデジタル風景写真。

それほどに、まったく違う『四季』だった。

その後、日本に帰ってからも『四季』を聴きたい時は、このCDをかけていたのだけれど、ある日、なんとなくレコードでイ・ムジチの『四季』を聴いた時に、泣きたくなるほどの感動を覚えた。

もしかしたらその感動の正体は、演奏云々ではなく、10代の自分の心に対する郷愁だったのかも知れない。
その時から、イ・ムジチの『四季』は、印象派の絵画のようだ、と感じるようになった気もする。

印象派とデジタル写真、同じ風景を切り取ったとしても、まったく違う表現手法。
そして、そのどちらにも、違った美しさがある。
当たり前の事だけど、それを強く実感し、それからは、その時の気分でイ・ムジチの『四季』も、ターンテーブルに乗る回数が増えていった。


2012

I Virtuosi Italiani CONCERTO NELLA CHIESA DI VIVALDI (31/12/2012)

2012年の大晦日。ヴェネツィアの(ヴィヴァルディゆかりの)ピエタ教会で、I Virtuosi Italianiの演奏による『四季』を体験した。
それは、イ・ムジチの『四季』とも、ギル・シャハムとオルフェウスの『四季』とも違う、つややかな美しさをたたえた『四季』
特別な空間に響く弦楽器の音色。

この体験は、自分の中で何かひとつ実を結んだというか、心の中の空間に不確かな形で漂っていたものがゆっくりと形を成してゆくような不思議な感覚。
時の流れも空間も超えて、ヴィヴァルディが生まれたヴェネツィアという地で巡り合えた『四季』をどこか神秘的と言ってもいいような気持ちで味わっていたのだ。

イタリアの音楽、ヴェネツィアで作られた音楽、という事など意識する事もなく、10代の頃から自分の中に自然に流れていたヴィヴァルディの『四季』
1994年、そのイタリアの地で鮮烈な『四季』に巡り合い、2012年の大晦日には、ヴィヴァルディ生誕の地ヴェネツィアで『四季』を体験した。


さらに、この体験から10年ほど経て、自分自身の中で形になり「Vivaldi」という曲が生まれたのだ。


マウリツィオ・ポリーニ/1996年 ミラノ スカラ座

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1996

1996年2月5日、ミラノ スカラ座 マウリツィオ・ポリーニ 演奏会
MAURIZIO POLLINI – Beethoven Piano Sonata 05/02/96 Teatro alla Scala, Milano, Italia

ミラノ スカラ座
ここに来るのは前年の5月8日、アルゲリッチとラビノビッチのピアノデュオを見て以来。

この日の出演はマウリツィオ・ポリーニ

プログラムはベートーヴェンのピアノソナタop.31 n.1、op.31 n.2(テンペスタ)、op.31 n.3、op.53(ワルトシュタイン)という、私レベルの「なんとなくクラシック好き」にも分かる選曲。
というか、この曲が入っているポリーニのCDを持っていました。

この日のポリーニは、私でも気づくようなミスタッチが何度かありました。
そんな時、一瞬だけふと現実に戻るのだけど、またすぐポリーニの描き出す音の世界に引き込まれていきます。
劇場の歴史や空気感もあるのかも知れませんが、ポリーニの弾くピアノの音が宙を舞い、空間を支配する様にただただうっとりと聴き惚れるのみ。

小さなミスなど超越する充実した演奏だったように思います。
ポリーニ自身も演奏後に満足そうな笑顔を浮かべ万雷の拍手に答えていました。

この日聴いたポリーニの演奏は、すごく滑らかで、聴いていると魔法にかかったようにスーっと音楽に引き込まれてしまう、そんな魔力のようなものを持っていると感じました。前述のようにそれには劇場の持つ力も加担しているのかも知れません。

激しい部分でも滑らかに、流れるような指使いで、美しい音楽を奏でてくれました。
至福の時。

そして白状すると、実は私、この頃まで、ベートーヴェンの音楽が若干苦手でした。
対照的にモーツァルトは大好き。

これ例えると、私にとってモーツァルトがビートルズで、ベートーヴェンがストーンズという印象。
ストーンズも聴きはじめの頃は、ヒット曲以外はあまり面白くない感じがしていました。
展開的にも当たり前というか、驚きがないというか、若干退屈な印象だったのですが、聴いているうちにじわじわと好きになっていきました。

今では、ストーンズ大好き!(ビートルズは特別な存在)

同じように、この頃から、ベートーヴェンは「苦手」から、ちょっと「好き」に変わってきました。
それは、イタリアでの生活中に、素晴らしい生演奏でベートーヴェンの音楽を聴く機会が何度かあった事も大きく影響しているでしょう。

ここで、少しビートルズの話に戻ると、ビートルズ登場以前のロックン・ロールが、私は若干つまらないと思っている所があったのだけど、ジョン・レノンのアルバム『ロックン・ロール』で聴くロックン・ロールのカヴァー曲達は実にかっこいい。ジョンの『ロックン・ロール』を聴いた後の耳で、元の曲を聴くと、元の曲までもがこれまでとは違って聴こえてくる。かっこよく思えてくる。という経験を思い出しました。

ポリーニの弾くベートーヴェンを聴いて、それと似たような気持ちを感じたのです。

ベートーヴェンが「苦手」から「好き」に変わってゆく、決定的な分岐点になった夜でした。

PANTAさんと演歌の話

今は亡きPANTAさんと私がよく行動を共にしていたのは、2016年頃からコロナ前の2019年頃までの間。
短い期間ですが、その時期、かなり頻繁に会っていました。
その頃のある日の話。

突然PANTAさんから「どるたん、演歌書ける?」と聞かれました。
「書ける?」というのはたぶん、曲の事、場合によっては作詞作曲かも。

ほんの少し考えてから「書いた事ないけど、自分の曲がちょっと演歌っぽいと言われる事もあるので、書けそうな気がする。」と、そんな感じで答えました。
PANTAさんは「だよな。」とちょっと嬉しそう。

というのは、PANTAさんは長山洋子さん他、演歌系の方とも親交があり、レコード会社からもたまに、「演歌を書いて欲しい」との注文があるそうで。
「今度、演歌の注文があったら、どるたんに話振るようにするから。」と言ってくれました。

それは願ってもない話!
私、自分自身で歌う曲を書くよりも、誰かのため、何かのため、とテーマがはっきりしている時の方が、スラスラと曲が書けるのです。
(ちなみに自分で歌う曲は突然ポンっと出来るのを待つしかない)

数十年前に書いたゲーム音楽も、けっこうスラっと出来たものが今でも評判よかったり、映画音楽の時の「架空の校歌を明日までに作詞作曲」という超無茶振りにもスラっと対応して3番までの歌詞つき校歌を書いたり。

その後、けっこう演歌の話がくるのを楽しみにしていて、NHK FMの「歌謡スクランブル」で演歌系がかかる時には、ちょっと真剣に聴いてみたり。若干研究してみたり。

しかし、その後、具体的な話はないまま、PANTAさんは昨年の夏に逝ってしまいました。


私は子供の頃から歌謡曲が大好きで、その中でも若干演歌テイストのある曲がかなり好きでした。
千昌夫「星影のワルツ」、黛ジュン「夕月」、渚ゆう子「京都慕情」あたりは特に大好き。

もし、これを読んでいる演歌系プロデューサーの方がいましたら、ぜひPANTAさん推薦のソングライターどるたんに演歌の注文をお願いします。
って、誰も読んでないと思うけど。

写真はイメージです
私が大好きな曲「あじさい橋」(城之内早苗)のシングル盤ジャケット

幸運な邂逅(Maddy Prior)

昨日のブログ投稿「MADDY PRIOR & THE CARNIVAL BAND LIVE」(2003年)に対して「来ていたの知らなかった」という反応が数人の方からありました。

実は、私も全く知らなかったのですが、偶然の巡りあわせで観る事が出来たのです。
今日は、そのことを。

(マディさんの音楽色々聴いてきたけど、これが一番の愛聴盤「Silly Sisters」)

2003年のある日、武蔵境駅にほど近い、ある分野では有名な会社へ、WEB制作案件の打ち合わせにバイクで出向いた私。
武蔵境に何かの用事で行くのは初めて、そして、その後、一度も行っていません。(付近を通過する事はある)

すると、その会社のエレベーターホール掲示板に、地元開催イベントのポスターが何枚か貼ってあり、見るともなしに見ていたら「マディ・プライア」の文字が目に飛び込んできました。

ほどなくエレベーターが来てしまったので、打ち合わせに向かったものの「マディ・プライア」が気になって仕方ありません。

打ち合わせ終了後に、じっくりとポスターを見ました。

東京の夏 音楽祭 2003
2003年7月28日(月)
武蔵野市民文化会館 小ホール 
マディ・プライア&カーニバル・バンド

と情報確認。
やはり「マディ・プライア」は見間違えではなかった!

しかし、当時、音楽雑誌を毎月数冊は買っていたのに、来日情報を見た憶え全くなし。
武蔵野市のためだけのお忍び公演だったのか!?今でも謎です。

ポスターには、手書きで近くの公民館(的な場所)でチケットを取り扱っているという案内が別紙で貼り付けてあった(ような気がする)。
はじめて行く武蔵境で土地勘ゼロなんだけど、添えられていた簡易的な手描き地図を見ると、割と簡単に行けそうな場所。

すぐにバイクにまたがりチケット取り扱い場所へと向かう。

無事購入!
現金持ってた。

そして幸運にもマディ・プライア&カーニバル・バンドを(なんと2列目で)観る事が出来たのです。

それにしても私、こういう「偶々、あの時、あのタイミングで、あの場所にいなかったら巡り合えなかった」的な幸運に出会う事が、とても多い気がします。
同じぐらいアンラッキーな目にもあっているような気もしますが、そっちはまあ置いておいて、実感としては、すごく幸運な人生。