『カラス共の宴』ありがとう!
一昨夜(10月14日)は、東福生UZUへ。
どるたん+しゃあみんで出演いたしました。
『カラス共の宴 第11羽』
敏の企画。
先月の前橋CoolFool『イビツデユガンダロックンロールVol.26』につづいて声をかけてもらった。
その模様は、敏がブログに書いてくれたので、ぜひ読んで下さい。
https://ameblo.jp/theparadox/entry-12319662474.html
とても内容が濃く、音楽的にはおなかいっぱい!
まあ、ひとつ残念だったのは、若干客入りが寂しかった事かな。
主催者がその点ぼかしているのに、はっきり書いてしまってごめんなさい。
責めているわけではありません。
責任の一旦は私にもありますゆえ。
例えば、いまひとつの入りなのに「盛況でした!」「大盛況でした!」と書くのも、良いでしょう。
(わりと私はそういう小ざかしいことをしてしまいがち)
それを読んだ人のうち一握りの人は、
「おっ、そんな面白いイベントやってるの?今度行ってみるか!」
と思ってくれるかも知れません。
逆に「今回は、寂しかった~、来てくれた人ありがとう!次はもっと来てもらえるようにがんばる!!」と正直に書いてしまうのも良いでしょう。
それを読んだ人のうち一握りの人は、
「えっ、そんな面白そうなイベントやっているのに、お客さん入らなかったの?私が行ってあげなくちゃ!」
と思ってくれるかも知れません。
感じ方も考え方も人それぞれ、正解は無いのかも。
それにしても、毎回驚くのですが、敏はものすごいペースでLIVEをやりまくっているんだけど、ただ出演するだけじゃなくて自分の企画もやりつづけている事。
これね、どれだけ大変か、私は本当に良くわかるのよ。
実は、私、1980年代中頃に(今年いっぱいで閉店してしまう)新宿JAMで、毎月『不思議のヒットパレード』という、企画を続けておりました。
名前の通り、面白いバンドがいっぱい出てくれたんだけど、まあ、正直色々と大変でした。
当時、さらに大変だったのは連絡。
手紙か電話(しかも家電で大体親が出る)
信じられますか?
そして、チラシを作って、プログラムを作って、チラシと電話と手紙で集客がんばって。
そうやってがんばっても、お客さんが入らない時は入らない。
そんな夜もある。
『不思議のヒットパレード』に、たま(当時イカ天出演前、3人編成)が出てくれた時には、お客さん3人ぐらいしか入らなかった事もありました。
そしてというか、しかしというか、内容は最高でした!!
まあ、その後も、2000年代後半には新橋ZZで『SOAP OPERA』というシリーズ企画(そんなに長くつづかなかったような気がしたけど20回以上やっていてちょっとびっくり)、
最近では渋谷La.mamaで(年1回程度ですが)『渋谷幻野祭』という企画もやっているので、本当に企画する側の労力、気苦労はよくわかります。
なんで、こんな事を長々書いてきたかというと・・・
ひとつは「こんな夜もある」
どんなに良い企画してもお客さん入らない事もあるよねぇ、という同病相哀れむ(使い方違う)というか、仲間意識(?)というか、まあ、そんな気持ち。
そして「敏、おつかれ!ありがとう!」
さらには!
まとめにかかったと思わせておいて、またちょっと長くなるんだけど、最近上に書いた事にまつわる笑える事案をひとつ発見して思い出したから。
というのは、先日旧宅にて、なんだか色々な書類や手紙が入った箱を掘り起こして来たのです。
すると中には、上記『不思議のヒットパレード』に関するやりとりをした手紙が大量に入っていたのですよ。
その中に、たまの柳原くんからもらった封筒があって・・・
そこに書かれていた宛名が・・・
私の本名は道博というのですが、路博と誤って書かれていたのです。
それを見た瞬間に鮮明に電話でのやりとりを思い出しました。
お互いたぶん電話が苦手なので、やりとりがものすごくぎこちない。
デモテープを送ってもらう事になり、こちらの名前を伝える際、私はいつもするように
「名前は道博、字は、道路の道(みち)に、博士の博です。」
と伝えました。
それまでも、その後も、その伝え方で伝わらなかった事はほぼ無いと記憶しているのですが、柳原くんだけは、違ったのです。
そんな間違え方をしてくれたのは後にも先にも柳原くんただ一人です。
道路の道(みち)と言って、路の方を選ぶとは!!
そっちーー!?
なんだかさすがだなぁ・・・と、妙に感心した記憶。
(最終的に変な直地点になりました)
【どるたん】作詞、作曲、歌とギター担当