日: 2022年4月11日

4月10日、Goodstock Tokyo公演を終えて(しゃあみん編)

4月10日(日)大岡山GoodstockTokyoでの「どるたん+しゃあみん」ライヴ。

4月になってから前橋ツアーや氏家さんとの鏡花スタジオ、しばらく花粉症で休んでたFeather stoleの再開など慌ただしく楽しい日々にちょっと浮かれ気味と言うか躁状態なので、このままだと身体の疲労と気持ちの上がりすぎに後からきっとダメージが来るだろうと。

どるたん+しゃあみんはその時々の自分の最も生々しい姿になるので、ひとつの自身のチューニングにもなっていると思います。
相変わらず自分でめんどくさい人間だなとは自覚してますので(笑)

今回はいきなりベースから。
どるたんは立ちの演奏。
それも、当日リハ中に決めたと言うか決めずにそうなった感じです。
今回も知らない曲を数曲演奏(笑)
知らない曲の方が、どるたんの演奏だけが頼りなので雑念も無く集中できる感じがして。

この世界中にたった二つの孤独だけが存在している様な感覚になります。


最近、親しくさせていただいてるラパンナジールのドラムMIMEさんや先週一緒に温泉・・・いや、ライヴツアーに行った丹野創輔くんも来てくれて、そんな影響も大きかったかな。
今回は本来の「どるたん+しゃあみん」らしい演奏だったと思います。

終わりの見えない旅路は、まだまだ続いて行くように思えました。

4月10日「どるたん+しゃあみんリサイタル」評(森次郎)

昨日のどるしゃあGoodstock Tokyo公演に来場されていた、音楽ライター、森次郎氏が某所にコンサート評を書いてくれました。
出来たら、どるしゃあファンの皆様や、どるしゃあになんとなく興味を持っている方々にも読んで欲しいと思い、転載許可を求めたところ、快諾いただき、ここに掲載いたします。


2022.4.10 大岡山 Goodstock Tokyo
どるたん+しゃあみん リサイタル Vol.20
急に夏のような暑さになった日曜日、久しぶりに大岡山へ。一度は見ておかないと、と思っていた、どるたん+しゃあみんのワンマンはいつの間にか20回目だそうで、時間が経つのが早いのは年齢のせいだけではなくコロナの影響が大ということにしておく。
配信があるせいか、定刻になるとどるたん作のインストが途切れてふたりがステージに現れた。これまでのイメージとは異なり、どるたんは立ったままギターを抱え、しゃあみんはチェロではなくベース。最初は噛み合っていないところもあったが徐々に気にならなくなってくる。決してガッチリとハマッたグルーヴではないのに、というところが不思議というかこのデュオの特性というべきか。
しゃあみんがチェロに持ち替え、どるたんが椅子に座るとすっかりふたりの世界になっていった。どるたんの歌詞というのは情景は描くんだけど、物語が進むわけではない。ロックンロールな定型句も出てこないし、私小説的なシンガーソングライター/フォークのそれとも異なる、言ってしまえば俳句にも似た、聴き手にぶん投げる不親切さ(わかると思うけど、悪いと言ってるわけではないよ)があるなあ、と再認識していると、谷川俊太郎の詩に小室等が曲をつけた「いま生きているということ」をカヴァーしたので驚いた。それはともかくとして、歌詞で全部説明しなくても、音楽なのだから言いたいことを伝える術はほかにもいろいろあるわな、ということだ。
時勢を反映した表現にカヴァーを使うやり方は上手いというか卑怯というか(笑)、聴く側にスッと入り込みやすいという点で効果的なわけで、問題はどれだけ再構築できているかに委ねられるのだが、この上なく粘っこいPANTAの「ナハト・ムジーク」と、日本語詞にしたレナード・コーエン/ジョン・ケイル(どちらかといえばこっち寄りかな)の「ハレルヤ」はその点で成功したと言っていいだろう。
本編最後はどるたんオリジナルの「boy」できっちりと締め、アンコールはストーンズの〝定番〟「悪魔を憐れむ歌」からの「カントリー・ロード」。人間が誰しも持っている狂気を前者で、極私的な設定を借りた普遍を後者で描いてみせたところも実に見事だった。

(森次郎)

4月10日、Goodstock Tokyo公演を終えて(どるたん編)

昨日のGoodstock Tokyo公演、コロナ禍以後では最も多い来場者となりました。
配信で観てくれた方も含め、ありがとうございました。
スタッフもまた、照明&配信、PA、総支配人、と3人体制。多くの方々(当社比)にどるしゃあの音楽を届ける事が出来ました。関係者の皆様、おつかれさまでした&ありがとうございました。

どるたん+しゃあみん、2022年の本格的ライヴは今回が初。4月に始動!これまでで最も遅いスタートかも。(ラジオ公開収録でのミニライヴなどはありました)
長いおやすみ期間中、心の中がさわつくような事が色々とあり、この1ヶ月ぐらいは、なぜか毎日のように、涙を流していました。

そんな事もあって、なんとなく今回の公演は、少しでも心の中を表現できるような形にしたいと思っていました。どんな形でそれが出来るのか、考えた結果、今の心に寄り添ってくれるカヴァー曲を何曲か、そして不思議軍時代に作って、どるしゃあではほとんど演奏してこなかった曲を数曲、取り上げてみることに。
ここ最近のどるしゃあワンマン公演ではカヴァーはほとんどやっていなかったので、最近のセットリストとはかなり違ったものになりました。

そして、珍しく公演1週間前には、セットリスト候補曲をしゃあみんに送るという快挙。
(いつもは公演当日にセットリストを決めています)
するとしゃあみんから「悪魔を憐れむ歌やりたい。 ベース弾いて。」との返信。
悪魔も久しぶりだし、しゃあみんのベースも久しぶりだし、まあ、色々と珍しい曲や演奏の飛び出すライヴになりそうで、かなり前向きな気持ちに。

結果、今回のセットリスト

  1. Baby
  2. 明るい未来
  3. スケッチ
  4. 滅びの街
  5. Emiliani
  6. Museo
  7. Caffè Florian
  8. いま生きているということ(小室等カヴァー)
  9. ナハト・ムジーク(PANTAカヴァー、2番以後を演奏)
  10. ハレルヤ(レナード・コーエン カヴァー、日本語詞:どるたん))
  11. boy
    (以下アンコール)
  12. 悪魔を憐れむ歌(The Rolling Stonesカヴァー、日本語詞:どるたん)
  13. 東京(John Denver「Take me home,Country Roads」カヴァー、日本語詞:どるたん)

最初の3曲は立ちで演奏。歌詞とコード見なくても歌えるから。

1曲目の「Baby」は、不思議軍の曲。どるたん+しゃあみんとして活動するようになってからは、1度もやっていないけど、はじめて2人だけで演奏した時に(2015年の渋川で)披露した曲。

2015年 渋川市総合公演野外ステージ

その時とは違って、今回しゃあみんはベースを演奏。

2曲目の「明るい未来」も、不思議軍の曲で、どるしゃあでは、1度だけ演奏しているはず。
歌詞の「この国の形はなんて不恰好なんだろう」の部分を「この世界の形はなんて不恰好なんだろう」に変えました。この曲中盤でインプロ的に展開にして、その間に、しゃあみんはベースをチェロに持ち替え、3曲目の「スケッチ」へ。

3曲終わった時点で、私、すごく自然に座っていました。
本当は、立ちで4曲やる予定だったのに。(笑)
それまでは4曲目の事もちゃんと頭にあったのだけど、3曲目が終わった瞬間に、すっ飛んでしまいました。
1曲飛ばしました。
しゃあみんに「座りましたね?」と問われて、ごくごく自然に「4曲が限界。」と答えているではありませんか、私。
3曲しかやっていないのに。
なんだか「立ち演奏コーナー」やりきったっぞ感があったのです。
予定していた4曲目はリハで完璧に近い演奏が出来ていたので、これまた自分の中でやりきった感があったのかも知れません。(ってちゃんとお客様に見せなきゃあかん!)

座ってからは、どるしゃあ結成後に作った曲を。
4曲目の(本来は5曲目になる予定だった)「滅びの街」は、当日のリハで、しゃあみんが来る前に、ひとりで喉慣らしのために何曲か歌っている間に思いついて、急遽セットリスト入りした曲。
その後の3曲はCD『異郷の詩』に収録されているイタリアの街を歌った歌。

そして次は、3曲つづけてカヴァー曲を披露

小室等「いま生きているということ」は、谷川俊太郎の詩に、小室等が曲をつけたもの。
とても長い曲なのですが、高校生の時にテレビでフルで歌うのを聴いて感動し、すぐにアルバム「いま生きているということ」を購入(このアルバムの詩は、全曲、谷川俊太郎)。その後、今に至るまで、毎年必ず数回は、針を落とすレコード。
この歌、歌詞の一部分でブランコのエピソードが出てきます。その部分は感動的で、もっとも盛り上がる部分でもあるのですが、詩としての違和感をずっと感じていて、「これは小室さんの私的なエピソードなのでは?そしてもしかしたらジャケット写真は歌詞に出てくる「ぼくが作ったブランコ」なのでは?」と思っていました。
そして、小室等さんにお会いした時に、直接聞いてみた結果、その通り、とのお返事。仮説が当たっていて、謎ひとつ解決。そんな事もあり、そのブランコの部分は歌いませんでした、やはりあの部分は小室さんでなければ歌えない私的な歌なので。

「ハレルヤ」は、レナード・コーエンのカヴァーではありますが、ジェフ・バックリーやジョン・ケイルという先人達も素晴らしいカヴァーを発表していて、元たまの柳原陽一郎もアルバム『ドライブ・スルー・アメリカ』の中で日本語詞による「ハレルヤ」を歌っています。
ただ、私の場合、誰のカヴァーかといえば、高井つよしカヴァーなのです。
今回私が書いた歌詞と、高井つよしの歌詞はまったく違うものだし、歌い方も、表現も違うんだけど、彼が歌う「ハレルヤ」がなければ、私の中でこの歌をこういう形で表現したいという気持ちも生まれてこなかったし、この歌詞も書けなかったと思っています。
今回、その高井つよしが会場に来てくれていたので、彼に聴いてもらえるのは、うれしくもあり、どう思われてしまうのかという緊張もあり、なかなかにスリリングでした。
さらに会場には、頭脳警察関連にものすごく造詣の深い音楽ライター、森次郎氏も来場されていて、その方の前でPANTAのカヴァーを披露する事になるとは(まあ、これまでもあれこれ観られているのだけど)、ある意味、PANTA本人の前で歌うより緊張感がありました。

そんな緊張感も、客席の空気感もすべて良いほうに作用して、本編ラストの、どるしゃあ曲「boy」は、いつも以上に力と心がこもった演奏になったように思います。

ありがたい事にアンコールもいただき、アンコールが来たらやる(来なければやらない)予定だった、「悪魔」と「東京」を演奏して、無事公演終了。

心の中の重いものは今もまだ抱えたままだけれども、現時点での個人的な心の表明は出来たような気がしています。別に何を思い、何を考えているか、そんな事を語ったわけではないので、立ち位置を確認したと言った方が正しいかも知れません。音楽が自分自身にとってどれだけ大事なものかという事も再確認いたしました。

ありがとう。