日: 2024年9月18日

極端な人(『氷の世界』を聴きながら)

昨日は、川越の友達のところを訪ね(昨日のブログ「プチ・デザイン仕事の話」参照)、16時頃帰宅。

それからしばし音楽鑑賞の時間。
久しぶりにアナログ盤で、井上陽水『氷の世界』をA面、B面通して全曲聴いた。

旧友としばし談笑してきた事もあり、懐かしめの音が聴きたくなったのかも知れません。

『氷の世界』自体は、割と聴く機会があるのだけど、アナログ盤で全曲しっかり聴くのは久しぶり。

やはりアナログ盤だと、しっかり聴く気持ちが高まり集中して聴く事が出来る。
音楽と向かい合う心地良い時間。

聴く度に思うのだけど、ものすごい完成度の高さ。楽曲的にも、演奏的にも、録音的にも、デザイン面でも、全体の印象も、すべてにおいて。
当時、爆発的に売れたのも納得。

以前「私を形成しているもの」として『陽水II センチメンタル』を取り上げたのだけど、ポリドール時代の初期4枚は、甲乙つけがたく好きで、ただ、完成度的には『氷の世界』がちょっと飛びぬけているかも。

そんなアルバム『氷の世界』のタイトル曲「氷の世界」

9月の半ばを過ぎても、毎日、猛暑、酷暑の日々に聴くには、まったく似つかわしくない曲なのだけど、だからこそ聴きたくなってしまったのかも。

とはいえ、いくら「暑いのもう勘弁して~」と思っていても、寒い方に全振りされても困るわけで
♪毎日 吹雪 吹雪 氷の世界♪
は、それはそれで勘弁してほしい世界。

『陽水II センチメンタル』の時にも書いたけど、この人の詞、言葉のぶっ飛びっぷりは本当に怖ろしくて「氷の世界」も冒頭で


窓の外ではリンゴ売り
声をからしてリンゴ売り
きっと誰かがふざけて
リンゴ売りのまねをしているだけなんだろう

って、いやそんな人いる?
しかも、外は吹雪なんですよ。怖いんですけど。
この後に続く言葉たちも、とんでもなく刺激的なイメージで、記録的な寒さの氷の世界を描いています。

ただ寒いってだけで、ここまで寒い方面に全振りした歌詞を作る力。
極端すぎる力技に戦慄すら覚えます。

そして、ふと思い出した、この人「反対側にも全振りしてるじゃん!」と。

それは前作(先ほどから何度も出てきますが)『陽水II センチメンタル』に収められた曲「かんかん照り」

これがとんでもなく暑い世界を歌った歌で


水道の水がぐらぐらたぎり
セッケンはすぐにどろどろとける

って、いやいや、最近、水道の水がお湯みたいになってる事よくあるけど、「ぐらぐらたぎ」った事はありません。それ100度近い温度ですから。

セッケンが暑くて溶け出すなんて事も今のところ聞いた事がありません。

いくら暑いと言っても、この人の生み出すイメージは、本当にぶっ飛んでいて極端。

しかも、この歌、最近の歌じゃなくて、1972年に発売されたアルバムに収録されている曲なんですよ。
70年代の夏って、そんなに暑くなかったからね。

「午前中の涼しいうちに夏休みの宿題やっちゃいなさい」なんて当たり前のように言われていた時代。
今は「午前中の涼しいうち」なんて無いでしょ?
クーラーもなく、多少陽の当たる部屋でゴロゴロと昼寝してても死んだりしない世界。
最近の人には想像できないでしょ?

そんな時代に


帽子を忘れた子供が道で 
直射日光にやられて死んだ

なんて歌詞を書いている。
今なら「そりゃ死ぬよ」って言われるかも知れないけど、70年代には帽子を忘れたぐらいじゃ死ななかったんです。
そもそも「熱中症」という言葉すらなかった。
「日射病」「熱射病」とか言われていて、まあ死ぬ人もいたかも知れないけど、ごく稀な話。

井上陽水という人の、突飛で極端なイメージが生み出した世界なんだけど、今となっては、それほど極端じゃなくなっているのが恐ろしい。

四季折々に美しいと言われた「日本の四季」も近い将来には崩壊、春も秋もなくなって「氷の世界」と「かんかん照り」の世界、二季になってしまうのではないかと。

既に今年は、秋が極端に短そうな、下手したら無さそうな、そんな気配すら漂っているし。

なんだよ井上陽水、極端な人じゃなくて、ただの預言者じゃん。