ダイアン・キートンの思い出

ダイアン・キートンの思い出

昨日、和久井光司さんの投稿で、ダイアン・キートンが亡くなったことを知る。
この歳になると訃報慣れしてしまい、それほどショックを受けることもなく、大きな悲しみに襲われる事もない。
特にそれなりに高齢の方の場合は、なおさら。
個人的なおつきあいがあったわけでもないので、ことさら。

でも、ダイアン・キートンはちょっと違うかも。

タイトルには「ダイアン・キートンの思い出」って書いたけど、上記のように個人的なおつきあいがあったわけではないので「ダイアン・キートンへの思い」の方が近いかな。
ちょっと特別な思いがあるのです。

というのも、私のダイアン・キートンとの出会いはこの映画だったから。

ウッディ・アレン監督、脚本、主演の映画『スリーパー』
まだウッディ・アレンもダイアン・キートンも知らなかった小学6年生か中学1年生ぐらいの頃、1人で銀座をぶらつき、ただ単に「面白そう」というだけの理由で映画館に入り、観たのがこの映画。

当時の私は、そういう事をよくやっていて、特に、ガキにでも分かりやすい、おバカ映画が好きで『クレイジー・ボーイ 突撃大作戦』『クレイジー・ボーイ オリンピック大作戦』なんておバカ映画も1人で観ていました。

この『スリーパー』も、そういった流れで観たのだけど、その辺のおバカ映画とは一線を画す知性、風刺性がある事は、すぐに分かり、この映画の世界にすっかり引き込まれていました。

そして、この映画のルナを演じているダイアン・キートンが、なんとなく、(今でも仲の良い)幼馴染女子Mちゃんに似ているような気がして、このパンフレットを開くといつも、Mちゃんの事を考えてしまうのです。

さらに、10代前半男子が年上女性に抱く、ホワンとした恋心、憧れのお姉さん的な感情。

そんな甘酸っぱい思いを、この時のダイアン・キートンに抱いていました。

そんな出会いなので『ミスター・グッドバーを探して』や『アニー・ホール』で、ダイアン・キートンと出会った方とは、ちょっと違う感覚かも知れません。

なんせ私の中のダイアン・キートンはこれですから。

ちなみに、『ゴッド・ファーザー』のケイは、はじめのうち、『スリーパー』のルナと同じ人が演じていると気づきませんでした。

何年もしてから、パンフを読み直したら『ゴッド・ファーザー』に出演している事が書いてあり、驚いた次第。
今でも、(同一人物であると)結びつかないかも。

なので、『ゴッド・ファーザー』や『アニー・ホール』など他の映画に出ているダイアン・キートンを見ても、幼馴染女子Mちゃんを思い浮かべる事はありません。

特に恋心を抱いたりもしません。

あれ、なんだか、今、胸がキューっとするような変な喪失感があるのだけど、マーゴ・ガーヤン(Margo Guryan)が死んだ時の感覚とちょっと似てるかも。

今の方が、喪失感は大きいけど。

マーゴの時にブログに書いた事(Margo Guryanの死
「84歳の女性の死を知ったわけではなく、かわいい歌声の素敵な女性の死を知った、私にとっては、そういう訃報だったのです。」

この感覚ですね。
『スリーパー』のルナが死んだような感覚、だから喪失感が大きいんだな。

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