「ライラのバラード」に想いを寄せて

「ライラのバラード」に想いを寄せて

人は夢を見ます。

幼い頃、どんな生き方をしようかと誰もが夢を見ると思います。

以前、木幡君と二人だけのマリア観音に復帰した時、彼に勧められてハンセン氏病についての事を調べたり、取材したりした事がありました。

東村山の国立ハンセン氏病記念館での資料、出版物等の中に私の心をギュッと鷲掴みにして苦しめた話がありました。

「夏休みに兄は病院へ行った。
それから数十年兄は帰ってこない」

昨日、どるたん+しゃあみん&河西堅で演奏したPANTAさんの響が残した「オリーブの樹の下で」の中から「ライラのバラード」を演奏しました。

この曲の作詞は日本赤軍の重信房子氏です。
親友のライラ・カリド氏の事を物語にしたものです。

わたしは 4才だった

誕生日のすぐ後 ハイファを追われた

ママは8人の子供等と小さな車に乗り込んだ

一人足りない それはわたし

何故 引っ越さなきゃいけないの?

ナツメヤシのカゴの後ろに隠れたわたしを

引っ張り上げて ママが言った

「ユダヤ人に殺られちゃうよ」

パパは涙を流して

子供達にお別れのキスをした


戦火を逃れて

故郷を追われた

家も街も祖国も

なにもかも奪われた

あれから半世紀過ぎても

わたしは家に帰れない

わたしの物語 だけどそれはみんなの物語

パレスタイン 子供の物語

この歌詞の中で、
「あれから半世紀過ぎても私は家に帰れない」
と言う歌詞が、最初に私の記憶に繋がり胸を締め付けました。

家と、言うのは子供が夢を見るための場所。
それを奪われる、もしくは遠ざけられる事は私にとってはとても辛いことなのです。

私は14歳の時、児童相談所から迎えが来て連れていかれそうになりました。
私は強く拒否をして、多くのものを失いましたが自分の夢だけは手放さずに済みました。

ハイジャックの女王と言われたライラ・カリドの夢はなんだったのだろうか。
もしも、その場所を奪われなければ彼女はどんな生き方が出来たのだろうか。

彼女だけではなく、多くの奪う者奪われる者がいるこの世界でいったいどれだけの夢が、失われていったのだろうか。

私はずっと、その事を考えていました。

音楽は、失くした夢の代わりにはならない。
けれど、その心には寄り添う事が出来るのではないかと。

私はずっと探しています。

私はずっと、願っています。

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