Tag Archive : この村にとどまる

どるたん 2024 色々まとめ

2024年も、今日で終了!
という事で、色々振り返りつつまとめてみます。

LIVE活動に関しては既にこちら(どるたん 2024 LIVE活動まとめ)にまとめていて、ソロ(どるたん with エイジ含む)5本、どるしゃあ5本というのんびりペースの2024年でした。


さて

今年観た映画は、198本
この数年の中ではかなり少ない方だけど、2日に1本以上観ている計算なので、まあまあ生活の中に占める割合は大きいかも。

うち、映画館で観た映画は、『ゴジラ-1.0』『デッドプール&ウルヴァリン』の2本だけ

198本の中で1番印象に残っているのは『丘の上の本屋さん』かな


読書は、この十数年、毎年10冊に届かない読書量
10~20代の頃に比べると、映画を観る量と読書量が逆転。
配信で手軽に映画を観られるようになったのも一因だけど、これには明確な理由もあり、その辺の事も、そのうち書いてみようと思っています。

そんな中、とても心に残る本に巡り合いました。
これは、一生モノの出会い。
『この村にとどまる』
マルコ・バルツァーノ 著
関口英子 訳

感想はこちらに書きました(マルコ・バルツァーノ『この村にとどまる』読了)

この作者、そして訳者の本は、今後も読み続けたい。


スポーツ観戦は、今年はオリンピックがあったので、あれこれ感想を書きまくりましたが、今、思い返してみるとあまり思い出せない。(苦笑)
一番初めに思い出したのは、スポーツクライミングの森秋彩選手。

オリンピック以外だと、やはり大谷翔平選手、言葉に出来ないほど素晴らしかった。
今朝、NHKの特集番組(再放送)を観て泣きました。

あと、今年は生観戦の機会を二度失したのが印象的。
NPB 西武ライオンズの試合と、Jリーグ YBCルヴァンカップ決勝戦
どちらもチケットを持っていたのに・・・

スポーツ観戦に関しては、思い出そうとすると色々出てきて収拾つかなくなりそうなので、この辺で。

あ!2024年、西武ライオンズがとてつもなく弱かった事だけは憶えておこう。



音楽に関しては、印象的な事をひとつだけ書いておきます。
ブログには書かなかったのだけど、実は、「自衛隊音楽まつり」今年もチケット当選していたのに、これにも行けませんでした。
10~11月は、自分のライヴも含めて全欠。



そんな2024年

今年は、なかなか大きな変化のあった年で、結果、今後の(残り少なくなってきた)人生をより丁寧に生きる良いきっかけになったと感じています。
2008年に心筋梗塞を患った後にも、丁寧に生きるようになったのですが、さらにもうワンランク高めていけるかな、と思っています。

そんなこんなであまり活動的ではなかった2024年ですが、その分、日々色々感じて、色々考えて、生きています。いや、それは、これまでも同じか。

今年は、365日やり通そうと思っていた事がひとつあって、どうにか完遂しました。
やった事は大したことではないのだけど、自分の中ではけっこう大きなチャレンジ。
具体的な事は書かないけど、たぶん今後に活かせる事。


最後にもうひとつ。

うちは毎年、ルッコラ、バジリコ、パセリ、大葉など、ベランダで育てているのだけど、夏のあまりの暑さに、みなさんぐったりとしちゃって生育不良気味でした。
中では、バジリコはけっこうがんばってくれて収穫量もそれなりにあったのだけど、他は軒並み元気なし。

パセリも夏の間まったく育たず、あまりの暑さで死んでしまったかも・・・と思っていたら、11月頃から元気が出てきて、今、元気に次々と新しい葉をつけています。
12月になってから家の中に入れてあげたのだけど、最近は、この人の成長を観るのが大きな楽しみ。
よくあの夏を乗り切ってくれたと、感動さえ覚えます。

という事で、もうすぐ2025年、(パセリさんをみならって)しっかり復活して生きていきます。
2025年もよろしくお願いします。


マルコ・バルツァーノ『この村にとどまる』読了

『この村にとどまる』Resto Qui

マルコ・バルツァーノ Marco Balzano
関口英子 訳

近所の図書館にて、イタリア文学の棚からふと手に取ったこの本。
美しい表紙とタイトルに惹かれて読んでみる事に。

今朝、読了。
感想以前に強く思ったのは、この本は手元に欲しい、という事。
この作者の本をもっと読みたいという事。
この訳者の本ももっと読みたいという事。

作者のマルコ・バルツァーノの事は、この本ではじめて知りました。他にも何冊かの著作があるようです。ただ、日本語に翻訳されている小説は、これだけ(かな?)。
マルコ・バルツァーノという名前はしっかりと心にとどめたので、いつか他の著作も読める事を願います。

訳者の関口英子さんは、以前、白崎容子先生との共著(編訳)『名作短編で学ぶイタリア語』は読んだことがあって、何よりイタリア文学コーナーで、その名前はよく目にしていたし、第1回須賀敦子翻訳賞の受賞者という事も知っていたのだけど、小説の翻訳本を読むのははじめて。すごく読みやすく伝わりやすい翻訳で、はじめから日本語で書かれた小説を読んでいるような感覚で読み進む事が出来ました。


この本を読んで一番強く感じたのは、当たり前の事ながら歴史の中のひとつひとつの出来事には物語があるという事。

これは、これまでに色々な場所で感じ続けてきた事。
色々な場所で、そこで起きた出来事に思いを馳せてきた。

身近な場所で言えば、能仁寺であったり、花魁淵であったり、小河内ダムであったり。
また旅先の様々な場所で。そこで起きた事に関わる一人一人に物語がある事は感じていた。

この本で語られているのは、歴史に翻弄され蹂躙され続けた国境近くの村に住む、一人の女性トリーナの物語。

北イタリアにあるドイツ語圏の村(クロン村)、そこにある日突然ムッソリーニに送り込まれたファシストがやってくる。ドイツ語は禁止されイタリア語を強要される。イタリア語の教師や役人が送り込まれ強制的にイタリア化されていく。

ウクライナやジョージアで起きた事、起きている事が、こういうストーリーなのだと、生々しく考えさせられる。他国に限った事ではなく、日本も台湾や韓国他多くの国々、沖縄や北海道で同じように、言葉を奪い、同化政策を行ってきた。
事実として知ってはいるのだけど、その行為がどういう事なのか、それがどういう感情を持って受け止められたのか、トリーナの(そしてこの村の人々の)身に起きた出来事を通して深く実感させられた。
しかし、未だにこのような侵略行為が行われている事に愕然とし、絶望に近い気持ちになる。

戦争がはじまると、イタリアのファシスト、ドイツのナチスそれぞれの政策によって村は分断される。
村どころかトリーナの家族すら分断される、村の将来に悲観的な娘は、半ば失踪するように親戚と共に姿を消し、息子はナチスの志願兵に、夫エーリヒはイタリアに徴兵され一度は戦地に出るも負傷して帰宅、傷が癒えた後、軍に復帰せず、トリーナと共に山奥へと逃亡を図る。

そこで起きた出来事の生々しさ、戦争中に徴兵逃れをする事、脱走兵になる事とは、こういう事なのだ。これもまた、日本軍の徴兵逃れをして山中に潜んだ人の話、脱走兵の話などと重ね合わせて、ぞっとするような感覚を味わった。そして今、戦争が起きたら私はどう行動するのだろうか(もしくは戦争が起きないようにどう行動するのか)という事まで考えてしまった。決して絵空事ではない。

戦後、どうにか生き残って村に戻ったトリーナと夫エーリヒに今度は、ダム建設の問題がのしかかる。
村はダム湖の中に沈むかも知れない。そんな事などおかまいなしに工事は進む。
ダム建設反対に立ち上がるエーリヒ。そこで無関心な村人たちとの心の分断を経験する。

そして、これも、日本でも各地にあるダムに沈んだ街や、原発建設や諫早湾干拓によって起きた住民の分断などに心を馳せる。一人一人に物語があるのだ。

そうやって様々な事に思いを馳せながら読み進んだこの本。
それは、この本で語られている出来事の生々しさが、そうさせるのだろう。
とはいえ、そこで起きた出来事が生々しいのであって、語られる話の筆致が生々しいわけではない。
むしろすっと心に入ってくるような語り口なのだ。

この物語はフィクションなのだけど、とても深く取材した上で紡ぎ出された物語。
トリーナという人物が実際に体験したかのように書かれたものすごくリアルな話なのだが、実話ではないのだ。
きっと色々な人の口から語られた体験を寄りあわせ、そこから取り出された話の糸を、それこそ紡ぐようにして、丁寧に誠実に創られた話なのだろう。そしてその根底には愛がある。

表紙の幻想的な写真、湖に沈む教会。
私は知らなかったのだけど、実際にあるそうです。

下の写真は、この村に起きた出来事を知ってか知らずか氷上で楽しむ人々。(Googleマップより)
もしこの先、私がここへ行くことがあったのならば、教会の前でしばし涙するかも知れない。

余談ですが、この話の中で、トリーナの母が戦禍を逃れるために(というか誰も世話してくれる人がいなくなるので)親戚の住む村へと避難する。
その村の名前はソンドリオ。
スイスとの国境に近い、山の中の小さな村なのですが……

実は、私、その村へは何度も行っています。
30年ほど前、30歳ぐらいの頃、イタリアのスキー場で派手に骨折して、スイスとの国境の街ティラノにある病院に入院していた事があって、その時、同室だったおじさん(アルトゥーロ)がソンドリオの人。アルトゥーロの一家と仲良くなって、何度か家に泊めてもらったり。
また入院中に仲良くなったドットーレ(お医者さん)もソンドリオの人で、ドットーレの家にも何度か遊びに行っています。

(2012年1月、ソンドリオにて朝のお散歩中、半分寝てます)

ほんの小さなエピソードだけど、馴染みのある村の名前が突然出てきて、軽く驚き、高まり、さらに物語に没入出来ました、というお話でした。

「この村にとどまる」
2024年6月20日、読了