Tag Archive : クラシック

20241005 埼玉 入間市 武蔵野音楽大学 バッハザール

2023 渋谷考」というブログ投稿をした時に思ったのですが、このブログには、音楽活動の事や、映画、音楽の事が主に書かれていて、どこかに出かけた話がほとんど書かれていない。
そこで、たまには過去に遡って写真フォルダを漁り、どこかに出かけた話も書いてみようかな、と思い立ちました。という事で

お出かけの記録


2024年10月5日 埼玉 入間市 武蔵野音楽大学 バッハザール

昨日(10月5日)、ほぼ地元の入間市仏子にある武蔵野音楽大学バッハザールで武蔵野音楽大学管弦楽団の演奏会を鑑賞。
これは入間市民コンサートして開催されたもの。

あいにくの雨の中、客席はしっかりと9割ぐらいうまっていたように思います。

バッハザールへは、何度か来ているのだけど、コロナ後は初めてなので、4~5年ぶりぐらいか。

とても音の良い素晴らしホールで数々の映画撮影などにも使われているそうな。

館内には数々の彫像が置かれています。
いや、館内だけではなく、キャンパスのあちこちにも。

また大型の楽器がいくつか展示されていました。
かつては入間キャンパス内に楽器博物館的なものがあって無料公開されていたのですが、今は江古田キャンパスにほぼ全部移動したのかも。
(江古田キャンパス楽器博物館リニューアルオープンまでの間、江古田キャンパス楽器博物館の全資料が移動され、その一部が公開されていたそうです)

以前、仏子で展示されていた時に撮った写真があるはずなので、そのうち「お出かけの記録」に投稿するかも。

さて肝心のコンサート、とても楽しませていただきました。

若干体調が悪くて行く前は、昼食後の眠気に襲われていたりなんだりで「これは、絶対爆睡しちゃうやつ!」と思っていたのだけど、ウトウトする事もなく最後までしっかりと音楽に浸る事が出来ました。


気になったところもいくつかあるのだけど、総じて良い演奏、心に届く音楽でした。

気になった所をあえてひとつ言えば、私、「ホルンの音が好き過ぎる」ので、ついついホルンに注目してしまうのですが、はじめのドボルジャーク『チェロ協奏曲』第1楽章でのホルンの短いソロがなんだかとても弱弱しく聴こえ、その後、ずっとそのホルン女子がうつむきがちで、かつドヨンとした気が漂っていたように見えて、若干心配になったりしたものの、徐々にペースがつかめたようでドヨンとした気も晴れていき、その後はとても気持ち良く聴く事が出来ました。

これはあくまでも私が「ホルンの音が好き過ぎる」ので、つい粗探しみたいな事を書いてしまっただけで、全体的に感動して聴いていました。
『チェロ協奏曲』でのソリスト、呉錦華氏の伸びやかな音色や、繊細な部分とダイナミックな部分の表現の豊かさに惹きこまれたり。

2番目のプログラム、ハチャトゥリアンのバレエ音楽『ガイーヌ』は、「剣の舞」以外の曲は分からないと思っていたのだけど、けっこう耳馴染みがある曲やフレーズが出てきて、すごく楽しめました。
数々の打楽器やピアノ、ハープ、管の増員など編成も大きくなり、迫力ある演奏で痛快。

そして、ラストもドボルジャークで『交響曲 第8番』
これはしっかり知っている曲。
ドボルジャークの曲って、すごく耳馴染みが良いというか、美しく郷愁を誘うような哀感あるメロディー。楽器の重ね方がまた、そのメロディーを際立たせるように巧みに織り上げた構築美を感じるのだけど、そんな音楽をしっかりと届けてもらえたな、と、最後はかなり感動。

そうそう、一番後ろの列、中央で奮闘するティンパニ女子を見ていたら、りんくまちゃんを思い出してしまった。あの時のりんくまちゃんはすごく良かったな~
ごめんなさい、関係ないっすね。

※りんくまちゃんとは久間田琳加さんの事、TVドラマ『さよならマエストロ〜父と私のアパッシオナート〜』でティンパニ女子を熱演

とにかく良い物を見せて(聴かせて)いただきました。
どうもありがとう。



「お出かけの記録」

3つのヴィヴァルディ『四季』

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1973 印象派の『四季』 Felix Ayo, I Musici
1994 鮮烈な『四季』 Gil Shama, Orpheus Chamber Orchestra
2012 ヴェネツィアでの『四季』 I Virtuosi Italiani 

1973

Vivaldi – Four Seasons : Felix Ayo(Vn), I Musici (1959録音)

初めてヴィヴァルディの『四季』を(それと意識して)聴いたのは、中学1年の音楽の授業。
音楽の教師が、それなりに立派な再生装置で、レコードを聴かせてくれた。
「演奏はイ・ムジチ合奏団、ヴィヴァルディの『四季』では、彼らが一番有名な演奏者」みたいな前振り説明。
説明の内容はうろおぼえだけど、イ・ムジチ合奏団という名前はしっかりと記憶に残り、その後少しして、同じレコードを手に入れた。

それから何年もの間、私にとっての『四季』は、イ・ムジチの奏でる『四季』
なんとなく日曜日の午前中に聴くのが習慣というほどではないが、日曜日の午前中に聴きたくなるレコード。
何かと尖り気味、擦れ気味だった10代の私の心を少しだけ優しく包んでくれた、そんな音。
特別「好き」と意識するわけでもなく、私の中に自然に流れ続けてきた音楽。


1994

Vivaldi – Four Seasons : Gil Shaham, Orpheus Chamber Orchestra(1994発売)

ある日、BresciaのCD店RICORDIのクラシックコーナーに大量にディスプレイされていた新譜CDが、これ。
ドイツ・グラモファンのCDらしからぬ、ジャケットデザインに目を惹かれ手に取ってみると、どうやらこのモノクロ超どアップ写真はギル・シャハム。一緒に演奏しているのは、オルフェウス室内合奏団。そして演目は『四季』。
ものすごく興味をそそられ、即購入。

オルフェウスは、イ・ムジチと同様に、指揮者を置かないスタイルの合奏団で、当時、私は、オルフェウスの演奏するモーツァルト物を何枚も買っていたのだ。

アパートに戻り、聴いた時の衝撃が忘れらない。

これまで聴いてきたイ・ムジチの『四季』とは、何もかもが違って聴こえた。
鮮やかさ、華やかさ、煌めきとでも表現すればいいのか。
テンポ感もまるで違う。
わくわく、ドキドキするような気持で聴く『四季』、初めての体験だ。

例えていうならば、イ・ムジチの『四季』は、印象派の風景画。
ギル・シャハムとオルフェウスの『四季』は、高精細で美しいデジタル風景写真。

それほどに、まったく違う『四季』だった。

その後、日本に帰ってからも『四季』を聴きたい時は、このCDをかけていたのだけれど、ある日、なんとなくレコードでイ・ムジチの『四季』を聴いた時に、泣きたくなるほどの感動を覚えた。

もしかしたらその感動の正体は、演奏云々ではなく、10代の自分の心に対する郷愁だったのかも知れない。
その時から、イ・ムジチの『四季』は、印象派の絵画のようだ、と感じるようになった気もする。

印象派とデジタル写真、同じ風景を切り取ったとしても、まったく違う表現手法。
そして、そのどちらにも、違った美しさがある。
当たり前の事だけど、それを強く実感し、それからは、その時の気分でイ・ムジチの『四季』も、ターンテーブルに乗る回数が増えていった。


2012

I Virtuosi Italiani CONCERTO NELLA CHIESA DI VIVALDI (31/12/2012)

2012年の大晦日。ヴェネツィアの(ヴィヴァルディゆかりの)ピエタ教会で、I Virtuosi Italianiの演奏による『四季』を体験した。
それは、イ・ムジチの『四季』とも、ギル・シャハムとオルフェウスの『四季』とも違う、つややかな美しさをたたえた『四季』
特別な空間に響く弦楽器の音色。

この体験は、自分の中で何かひとつ実を結んだというか、心の中の空間に不確かな形で漂っていたものがゆっくりと形を成してゆくような不思議な感覚。
時の流れも空間も超えて、ヴィヴァルディが生まれたヴェネツィアという地で巡り合えた『四季』をどこか神秘的と言ってもいいような気持ちで味わっていたのだ。

イタリアの音楽、ヴェネツィアで作られた音楽、という事など意識する事もなく、10代の頃から自分の中に自然に流れていたヴィヴァルディの『四季』
1994年、そのイタリアの地で鮮烈な『四季』に巡り合い、2012年の大晦日には、ヴィヴァルディ生誕の地ヴェネツィアで『四季』を体験した。


さらに、この体験から10年ほど経て、自分自身の中で形になり「Vivaldi」という曲が生まれたのだ。


グレン・グールド『モーツァルト:ピアノ・ソナタ集』

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1993

GLENN GOULD『MOZART』(SONY RECORDS 1965~70年録音)

グレン・グールドの弾くピアノを初めてしっかり意識して聴いたのが、このモーツァルトのピアノソナタ集。

この頃、モーツァルトのピアノ・ソナタ集は、すでに何種類か持っていて、特に、自分にとってのリファレンス的CDは、初めて買ったスヴャトスラフ・リヒテルのもの。それ以後に聴いたものはどうしても、リヒテルと比べて聴いてしまうような所があった。

グールドに関しては、テレビで見た特異な演奏スタイルと、バッハ弾きとして有名ということぐらいしかまだ知らなかった頃。

そんなグールドの弾くモーツァルトはいったいどんな音なのだろうと思い、買ったのがこのCD。

1曲目のK.310 第1楽章を聴いた時には、かなりの違和感を覚えた。
これまで聴いてきたK.310といえば、わりと誰もが、思い入れたっぷりに重々しく始める印象。
それをグールドは、かなりのスピードで軽やかにどんどんと弾き進んでいってしまう。

これだけではなく、他のどの曲も、今まで聴いてきたモーツァルトとはまったく違うもの。

「トルコ行進曲」ではK.310の印象とは逆。
この曲はかろやかに、はずむように弾く人が多いのだが、グールドはといえば、かなりのスローペースで本当に1音1音に何か思いを込めるように丁寧に弾いている、という風に感じる。

とにかく、このCDを初めて聴いた時、違和感に包まれたのは事実。
しかし、このグールドの表現にただならぬものを感じて引き付けられていた事も、また事実。

それからしばらくの間、CDプレーヤーには、このCDがセットされたままになり、何度も何度も繰り返してのプレイ。
すると、その違和感がいつのまにか大きな魅力に変わり、聴く度にグールドの弾くモーツァルトに魅了されていった。

そのうちに、モーツァルトがこれらの曲を実際に演奏していた時には、実は、このように弾いていたのではないのかな?等と考えるようになった。いや、考えるというよりも、感じると言った方が正しいかも知れない。
なんの根拠もないのだけれど、そんな感じがしてくるのだ。

グールドの弾くモーツァルトは、とにかく全ての音が心に直接響いて来るように感じる。
モーツァルトもこのように演奏して多くの人の心を虜にしたのでは・・・
なんて突拍子もない事を感じていたのだ。

心に染み入る「トルコ行進曲」なんて、ちょっと他の人のピアノでは味わえない感覚。
グールドという人は、何か、特別なものを持っている。
そして、その「特別なもの」に惹かれていく私でした。



20230709 所沢ミューズ 東京ムジーク・フロー演奏会

2023 渋谷考」というブログ投稿をした時に思ったのですが、このブログには、音楽活動の事や、映画、音楽の事が主に書かれていて、どこかに出かけた話がほとんど書かれていない。
そこで、たまには過去に遡って写真フォルダを漁り、どこかに出かけた話も書いてみようかな、と思い立ちました。という事で

お出かけの記録


2023年7月9日 埼玉県 所沢市民文化センター ミューズ アークホール
 東京ムジーク・フロー第58回演奏会

この日、午前中に所沢で用事をすませ、午後はフリー。
なんとなく覗いたWEBサイトでこの演奏会を知り、たまたま観る事が出来ました。

この演奏会、入場無料、アマチュアのオーケストラという事で、正直あまり期待もせずに入場したのですが、なかなかどうして、しっかりと楽しめました。

ただ、オープニング曲(プログラムによるとF.A.ボアエルデューの「バグダッドの太守」序曲)の導入部。とてもゆっくり、とても力弱く、そしてなんとなく不揃いな感じで始まったので「これはちょっとまずいかも」と一瞬感じてしまったのですが、徐々に良い感じに。その後は、安心して、楽しんで聴く事が出来ました。

フルートの方は、プログラム記載のC.ライネッケ フルート協奏曲ニ長調 作品283演奏後に、アンコール的な形でソロの演目も2曲演奏していたような記憶。
すごく楽しそうな演奏で好感が持てました。

メインのベートーヴェン「英雄」は、もうちょっと迫力(というか熱量的なもの)が欲しいと思うような場面もあったけど、全体的に気持ちよく聴かせていただきました。

これだけの演奏を無料で聴く事が出来るなんて有難すぎます。ありがとうございました。


演奏会が終わって外に出ると、陽も傾き始める頃。
ミューズ周辺(航空公園のはじっこ)を少し散歩してから、駐車場へ。

この日は、お昼ごろものすごく暑かったのですが、公園を歩くと、とても気持ちの良い、涼しい風を感じる事が出来ました。

さすがに日暮れ時も近くなると過ごしやすい気温になるものだ、と、その時は思ったのですが・・・
自宅駐車場に到着、車を降りると、すっかり日は暮れているのに、ものすごく暑いじゃん!!

あの気持ちの良い、涼しい風は、公園の樹木があってこその涼しさなのだと思い知りました。
そして、神宮外苑の再開発などに思いを馳せるのでした。
樹を切るのやめてくれ!と。
反対する側は(というかTVの街頭インタビューなどで聞こえてくるのは)、景観とか、思い出とか、そういう情緒的な話が多いのだけど、問題はそれだけじゃないよね。
開発する側は、他の所に植えるから大丈夫的な詭弁をするのだけれど、切った所にビルを建てたら、夏でも冬でも大量のエアコンをフル稼働するわけでしょ?
それだけでも周辺温度上昇しますよね?
新しく樹を植えても全く大丈夫じゃないと思うのだが。



「お出かけの記録」

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これは民謡、伝承曲とはちょっと違うのだけど、バッハの曲をアレンジしたものです。
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