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空だけしか見えなかった話

今、私がいる場所は、風光明媚な山あいの町にある大病院。
この辺りは大好きなエリアで、ツーリングやドライブで何度も訪れている場所。

窓からは遠くの山々、近くの里山など、よく見えて日々楽しく過ごしています。
楽しく過ごしてっていうのも変か?言い直します。
日々、景色を楽しませていただいています。誰に?自然に。

紅葉も始まり里山の樹々が徐々に色を変えてゆくのが何よりの楽しみ。
最近は朝晩かなり冷え込んでいるので一日で随分と色が変わっていきます。
病院の庭のもみじは早くも真っ赤に色づいています。上の写真、小さくて良く分からないと思うけど。

この、今の状況とは全く逆の経験もしているので、今日はそっちの話を。

以前のブログ「16年周期説」で書いた、イタリアのスキー場で骨折した時の事です。
入院したのは、アルプス山中。
イタリアとスイスの国境の町、ティラノの大きな病院。
周囲は雄大なアルプスの雪山に囲まれた素晴らしいロケーション、街の景色も美しい(と後に知る)。

そこで私は、2週間の間、ほとんど空しか見ることが出来なかったのです。

私のベッドから見える窓は、若干高いところにある小さな窓が1つだけ。
角度的に空以外何も見えません。
木の枝も、電線も、レンガ塀の最後の一葉も、何も。

ベッドに括り付けられているので、もちろん一人で歩くことも出来ない。
たまにストレッチャーでレントゲン室や処置室に運ばれる時も何も見えない。

せっかくアルプス山中にいるのに。
見たのは空だけ。

退院時にも、病院の玄関から迎えのボルボワゴンの荷台にするっと運ばれたので何も見えず。
ティラノからミラノまで運ばれる最中に窓から少し見える山の景色が何よりの喜びでしたが、角度的にもあまりよく見えなかったし、山道なので酔っちゃいそうで、堪能することは出来ず。

まあ、空だけでも日々、時々刻々と色が変わるし、雲が流れる時もあり、それなりの楽しみを見つけてはいたけど。
病院の外に広がる景色を想像すると何とも、もったいないというか寂しいというか、そんな日々でした。

というお話。
ここでのエピソードは色々あるので、今後小出しにして行こうかな、と、今思いました。(笑)

空港に救急車が迎えに来ていた話

手術を終え一夜明けました。
というタイミングで公開される予定のこのブログですが、書いているのは手術前日の昼間です。

以前、「夢か現か」カテゴリーのブログに「ヘリコプターで家に帰る話」という夢の話を書きました。
帰国便の飛行機から降りると、空港までヘリコプターが迎えに来ていて、それに乗って家まで帰るという夢の話。

その中では「楽に家に帰れる方法を強く望んでいて、こういう形で夢になったのかも知れません。」という考察をしたのだけど、一昨日のブログ「16年周期説」の中で、イタリアのスキー場で骨折した話を書いた時に、思い出しました。このヘリコプターで家に帰る話とそっくりな出来事が実際にあった事を。

(ヘリコプターじゃなくて)救急車が成田空港滑走路近くまで迎えに来ていて、それに乗って、(家じゃなくて)埼玉県の某大学病院へ直行した事があるのです。

シチュエーション的に夢とかなり近い。

30年ほど前、イタリアのスキー場で右足下腿骨を2本とも開放骨折した私は、イタリアとスイスの国境の町ティラノの総合病院に入院。そこで2週間ほど基本的処置と経過観察をして、手術は日本に帰国してから行う事に。

※この事故からのティラノの病院でのあれこれもなかなか壮絶かつ面白いエピソードがあるので、そのうちブログに書くと思います。

さて2週間の入院を終えての帰国便。
足はがっちり固定されているので通常の席には座れません。
どうするのかというと、エコノミーの座席9席を使って、その上に板&マットでベッドを作り、そこに寝ていくという超特別誂え、特別待遇。

そうやって成田に着くと、車椅子でみなさんとは違うところからエレベーター的な物で空港のエプロンに降りる。するとそこには(民間の)救急車が待っていました。
入国手続きは、救急車のところでしたような……気がするけど……あまり憶えてない。
その救急車に乗せられ、高速道路をひた走り、私は埼玉県の某大学病院へと運ばれていったのです。

写真はイメージです(「民間救急らかん」さんのWEBサイトより)

この時のイメージが夢ではヘリコプターになったという気がしなくもないですね。
ヘリコプターで家に帰る話」参照