または、書き残すという行為
このオリンピック(PARIS 2024)期間中、個人的記憶補完用と称して簡単な観戦記を書き綴ってきました。
リストにするとこんな感じ
- なでしこジャパン初戦を観終えて思う
- パリオリンピック観戦記 7/28
- パリオリンピック観戦記 7/29
- パリオリンピック観戦記 ~8/1
- パリオリンピック観戦記 8/2
- パリオリンピック観戦記 8/3
- パリオリンピック観戦記 8/5
- パリオリンピック観戦記~8/8
- パリオリンピック観戦記~8/9朝
- パリオリンピック観戦記~8/10朝
- パリオリンピック観戦記~8/11朝
- パリオリンピック観戦記~8/12朝
なんで、こんな事を書き綴ってきたのかというと、書いておかないと忘れちゃうから。
子供の頃は記憶力良い方だったと思うのだけど、歳をとるにしたがって、記憶力が悪くなったというか、記憶が定着しなくなったというか、まあ、そういう現象を感じています。
マスコットの名前はオリンピック・フリージュ(きっと忘れる)
ロンドンオリンピックを思い出そうとすると、エリザベス女王がヘリからパラシュート降下をした事(?)ぐらいしか浮かんでこないし、リオだって安倍総理(当時)がマリオになった事しか憶えていない、東京にいたっては汚職の数々や弁当大量廃棄ぐらいしか浮かんでこない。
なぜか最近になるほど記憶が薄弱。
今回のパリオリンピックだって半年もしたらセーヌ川汚かったなぁとか、エッフェル塔とかルーブルとかベルサイユ宮殿とか(それはパリのイメージ)そんなものしか浮かんでこないかも知れない。
それほどに記憶定着力が衰えているのです。
しかし!観戦記として残しておくと、後で読んだ時に、競技の内容だけではなく、その時の気持ちなども分かるので、定着せずに脳内のどこかにフラフラと漂っている記憶にアクセスしやすくなるという寸法。
そして、個人的な記憶補完用のメモなら、ブログじゃなくて自分専用メモでも良さそうなものだけど、他人が読むかも知れない、読んでくれるかも知れない、と思って文章にすると、一度、頭の中で整理してから書くので、それがとても良い感じ。(個人の感覚です)
これは、半月に一度更新している「観た映画」も同じ。
何年か前は、「観た映画」のリストをただ書いていただけだったのですが、タイトルを見てもどんな映画か全く思い出せないものがほとんどだというトホホ現象に気付き、それからは、簡単な感想と映画のチラシ(等の)画像を貼り付けるようにしました。
正直、それでもうすらぼんやりとした内容しか浮かんでこないものも多いのだけど、それなりに記憶が整理出来て、それがとても良い感じ。(個人の感覚です)
考えてみたら「お出かけの記録」も、読書系も、ライブの報告も、全部同じですね。
読書系はあまり書いてないのだけど、これからは、もう少しマメに書くようにしようかな。と、今思った。
それに、こういう文章をネット上に残しておくと、もしかしたら、似たような感覚を持っている人や、興味を持ってくれる人に巡り合える可能性があるという利点もあります。
(同じくらい嫌われる可能性もある)
ちなみに、私、インターネット草創期からそうやって何人かの得難い人と巡り合ってきました。
元々、このブログは、どるたん+しゃあみんOfficial WEB Site上のブログ。
私の書いた文章から、私の音楽活動にまで興味を持ってくれる人がいるかも知れない。
可能性は高くなくとも、そういう人がもし現れたら、それはとても嬉しい事。
そんな打算的な、いや打算じゃないんだけど、そんな生産的(?)な、発展的(?)な、可能性も秘めた文章を書き記しているわけです。今、適当に思いついただけなんだけど。
ということで、個人の記憶補完用に書き記した駄文ではありますが、読んでいただけたなら、読んで何かを感じていただけたなら、それに越したことはございません。
というお話でした。
最後まで読んでくれた方、お読みいただきありがとうございました!