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『小澤征爾、兄弟と語る~音楽、人間、ほんとうのこと』読了

『小澤征爾、兄弟と語る~音楽、人間、ほんとうのこと』

『小澤征爾、兄弟と語る~音楽、人間、ほんとうのこと』
岩波書店 2022年刊

小澤征爾が、昔ばなし研究者の兄・小澤俊夫、エッセイストでタレントの弟・小澤幹雄の3人で語り合った、家族のこと音楽の事、そのほか様々な興味深い話が収載されている。

小澤征爾に関しては、このブログのコンテンツ「私を形成しているもの」の中で小澤征爾『ボクの音楽武者修行』を取り上げています。
その本を読んで以後、人間・小澤征爾のファンになり、もちろん音楽家・小澤征爾も大好きになりました。

とはいえどっぷりと深みにはまっていたわけではないので、小澤征爾関連の本は10冊前後、レコードとCDも合わせて20枚程度しか持っていません。
その程度のゆるいファンではありますが、それなりに深く心を寄せています。


この本は、地元の図書館で借りたもの。

内容的には、主に小澤征爾の活動を追って話をするような形になっている。
これまで、色々な本で読んだ事や、インタビュー、雑誌記事、などで断片的に知っていた事が、実際にはどういう事だったのか、どんな気持ちだったのか、本人や事情を知る兄弟の口から語られる内容は、何か点と点がつながって線になるような面白さで、あっという間に読み終えてしまった。

エピソードとして面白かったのは、山本直純の事(あれほどの才能を持っているのに、その才能をちゃんと使わなかったやつはいない的な話)や、アルゲリッチとのほのぼのエピソード、ロストロポービッチのぶっ飛んだエピソード、カラヤンに師事しながら、バーンスタインのアシスタントになった時の裏話。などなど。

そして、『ボクの音楽武者修行』で重要な役割を果たしたスクーターのその後。
この話はちょっと切なかった。征爾が今(この対談当時)でも、あのスクーターを愛していて、手元に置いておきたかったという事が分かり、胸がキューとなった。

父親の話もものすごく興味深かった。

そして、この本は、今後も何かと読み返したくなる本だと感じた。
(ので、そのうち購入します)


ちなみに今、手元にある小澤征爾関連本は、どれも何度となくページを繰っている本ばかり。
『ボクの音楽武者修行』については、既に書いたので、それ以外で傾向別に3冊ほど紹介いたします。


ガイド本としてとても役にたった一冊

ONTOMO MOOK『小澤征爾NOW』
音楽之友社 1994年刊

NOWと言っても、1994年当時のNOWなので、30年前。
この頃、仕事でイタリアと日本を行き来している時期で、イタリアにいる時は何度となくクラシックの音楽会に足を運び、CDも色々と買い集めていたので、ガイド本として本当に役に立った。
実相寺昭雄が寄稿していたりと読み物としても面白い物が多く、何度も読み返している。


上質なドキュメンタリー映画のような一冊

『小澤征爾 サイトウ・キネン・オーケストラ欧州を行く』
一志治夫・著/ND SHOW・写真
小学館 2004年刊

この本も『ボクの音楽武者修行』同様に、随分持ち歩いて、色々な所で読んでいたので、表装はけっこうくたびれている。
2004年5月、2週間にわたって行われた、小澤征爾とサイトウ・キネン・オーケストラのヨーロッパ・ツアーを美しい写真と文章で追った、フォト・ドキュメンタリー本。
所々胸が熱くなる瞬間があり、ときめきに近い何かを感じる。ヨーロッパへの思いも掻き立てられる。
私にとってちょっと特別な一冊。


どこから読んでも楽しめる一冊


『小澤征爾さんと、音楽について話をする』小澤征爾、村上春樹
新潮社 2011年刊

これはもうタイトルどおりの内容。
割と最近(と言っても12年前)の対談本。
内容としても面白いし、引き出される言葉も面白い。
そして、読んでいてすごく納得感を得られる。
パラパラと適当にページを繰り、その時の気分で読み進める、そんな付き合い方をしている本。



小澤征爾関連の書物は、どれも、何度も読み返したくなるものばかり、という結論。

『小澤征爾、兄弟と語る~音楽、人間、ほんとうのこと』読了
2024年7月20日、読了

マルコ・バルツァーノ『この村にとどまる』読了

『この村にとどまる』Resto Qui

マルコ・バルツァーノ Marco Balzano
関口英子 訳

近所の図書館にて、イタリア文学の棚からふと手に取ったこの本。
美しい表紙とタイトルに惹かれて読んでみる事に。

今朝、読了。
感想以前に強く思ったのは、この本は手元に欲しい、という事。
この作者の本をもっと読みたいという事。
この訳者の本ももっと読みたいという事。

作者のマルコ・バルツァーノの事は、この本ではじめて知りました。他にも何冊かの著作があるようです。ただ、日本語に翻訳されている小説は、これだけ(かな?)。
マルコ・バルツァーノという名前はしっかりと心にとどめたので、いつか他の著作も読める事を願います。

訳者の関口英子さんは、以前、白崎容子先生との共著(編訳)『名作短編で学ぶイタリア語』は読んだことがあって、何よりイタリア文学コーナーで、その名前はよく目にしていたし、第1回須賀敦子翻訳賞の受賞者という事も知っていたのだけど、小説の翻訳本を読むのははじめて。すごく読みやすく伝わりやすい翻訳で、はじめから日本語で書かれた小説を読んでいるような感覚で読み進む事が出来ました。


この本を読んで一番強く感じたのは、当たり前の事ながら歴史の中のひとつひとつの出来事には物語があるという事。

これは、これまでに色々な場所で感じ続けてきた事。
色々な場所で、そこで起きた出来事に思いを馳せてきた。

身近な場所で言えば、能仁寺であったり、花魁淵であったり、小河内ダムであったり。
また旅先の様々な場所で。そこで起きた事に関わる一人一人に物語がある事は感じていた。

この本で語られているのは、歴史に翻弄され蹂躙され続けた国境近くの村に住む、一人の女性トリーナの物語。

北イタリアにあるドイツ語圏の村(クロン村)、そこにある日突然ムッソリーニに送り込まれたファシストがやってくる。ドイツ語は禁止されイタリア語を強要される。イタリア語の教師や役人が送り込まれ強制的にイタリア化されていく。

ウクライナやジョージアで起きた事、起きている事が、こういうストーリーなのだと、生々しく考えさせられる。他国に限った事ではなく、日本も台湾や韓国他多くの国々、沖縄や北海道で同じように、言葉を奪い、同化政策を行ってきた。
事実として知ってはいるのだけど、その行為がどういう事なのか、それがどういう感情を持って受け止められたのか、トリーナの(そしてこの村の人々の)身に起きた出来事を通して深く実感させられた。
しかし、未だにこのような侵略行為が行われている事に愕然とし、絶望に近い気持ちになる。

戦争がはじまると、イタリアのファシスト、ドイツのナチスそれぞれの政策によって村は分断される。
村どころかトリーナの家族すら分断される、村の将来に悲観的な娘は、半ば失踪するように親戚と共に姿を消し、息子はナチスの志願兵に、夫エーリヒはイタリアに徴兵され一度は戦地に出るも負傷して帰宅、傷が癒えた後、軍に復帰せず、トリーナと共に山奥へと逃亡を図る。

そこで起きた出来事の生々しさ、戦争中に徴兵逃れをする事、脱走兵になる事とは、こういう事なのだ。これもまた、日本軍の徴兵逃れをして山中に潜んだ人の話、脱走兵の話などと重ね合わせて、ぞっとするような感覚を味わった。そして今、戦争が起きたら私はどう行動するのだろうか(もしくは戦争が起きないようにどう行動するのか)という事まで考えてしまった。決して絵空事ではない。

戦後、どうにか生き残って村に戻ったトリーナと夫エーリヒに今度は、ダム建設の問題がのしかかる。
村はダム湖の中に沈むかも知れない。そんな事などおかまいなしに工事は進む。
ダム建設反対に立ち上がるエーリヒ。そこで無関心な村人たちとの心の分断を経験する。

そして、これも、日本でも各地にあるダムに沈んだ街や、原発建設や諫早湾干拓によって起きた住民の分断などに心を馳せる。一人一人に物語があるのだ。

そうやって様々な事に思いを馳せながら読み進んだこの本。
それは、この本で語られている出来事の生々しさが、そうさせるのだろう。
とはいえ、そこで起きた出来事が生々しいのであって、語られる話の筆致が生々しいわけではない。
むしろすっと心に入ってくるような語り口なのだ。

この物語はフィクションなのだけど、とても深く取材した上で紡ぎ出された物語。
トリーナという人物が実際に体験したかのように書かれたものすごくリアルな話なのだが、そうではないのだ。
きっと色々な人の口から語られた体験を寄りあわせ、そこから取り出された話の糸を、それこそ紡ぐようにして、丁寧に誠実に創られた話なのだろう。そしてその根底には愛がある。

表紙の幻想的な写真、湖に沈む教会。
私は知らなかったのだけど、実際にあるそうです。

下の写真は、この村に起きた出来事を知ってか知らずか氷上で楽しむ人々。(Googleマップより)
もしこの先、私がここへ行くことがあったのならば、教会の前でしばし涙するかも知れない。

余談ですが、この話の中で、トリーナの母が戦禍を逃れるために(というか誰も世話してくれる人がいなくなるので)親戚の住む村へと避難する。
その村の名前はソンドリオ。

私、その村へは何度も行っています。
30年ほど前、30歳ぐらいの頃、イタリアのスキー場で派手に骨折して、スイスとの国境の街ティラノにある病院に入院していた事があって、その時、同室だったおじさん(アルトゥーロ)がソンドリオの人。アルトゥーロの一家と仲良くなって、何度か家に泊めてもらったり。
また入院中に仲良くなったドットーレ(お医者さん)もソンドリオの人で、ドットーレの家にも何度か遊びに行っています。

(2012年1月、ソンドリオにて朝のお散歩中、半分寝てます)

ほんの小さなエピソードだけど、馴染みのある村の名前が出てきて、高まり、さらに物語に没入出来ました、というお話でした。

「この村にとどまる」
2024年6月20日、読了