ありがとうGoodstock Tokyo

ありがとうGoodstock Tokyo

昨夜、3月6日(金)のGoodstock Tokyo、どるたん+しゃあみんワンマン公演、無事(?)開催する事が出来ました。
こんな時期ですので、政府の意向を重く受け止め無観客試合として開催いたしました。

というのは、全くのウソですが正直な所、限りなく無観客試合に近い状況ではありました。

そんな中、どるしゃあの音楽を聴くために会場に足を運んでくれた方、開催を決めどるしゃあの音楽を届けるために尽力してくれたGoodstock Tokyoの皆様には、感謝しかありません。
「なぜやるのか?」と問われれば「それが私の生きる道」だから、としか答えようがありません。

事前に宣言していた通り、私達は、歌に想いを込めて演奏いたしました。
それは、しっかりと出来たと確信しています。
私達にとっては、とても意味のある演奏だったと思っています。
自分達の音楽、立場、立ち位置、社会との関わり、生き方、そんな事をしっかりと考え、見直す事が出来たし、また、それを踏まえ、見据えて、今後の活動に生かして行く事が出来る、そんな自己確認の場にもなりました。

さて

私は、新型コロナウイルスが世界中を騒がせる中、それに関して特に何も発言、発信をして来ませんでした。

それどころか、これまで以上に音楽に関するブログを書きまくって(当社比)います。
実は、少し意識的に、ただただ音楽の事だけを発信しつづけていました。
本当に好きな事を日々積み重ねていたのです。

日々思う事は色々あります。

それはしっかりと自分の中で咀嚼して何らかの形で外に出す日もあるかと思います。
ただ、今、この自分達のライヴ報告の場で言っておきたい事を書きます。

これからも、どるたん+しゃあみんは、そこに演奏する場がある限り、そこに赴き演奏します。

主催者やお店が中止を決めた場合は、その気持ちをしっかりと受け止めて、判断にしたがいます。

今は特にライヴハウスを目の敵にするかのような報道もありますが、そんな中で、決行する事も、中止にする事も、それぞれの立場、それぞれの気持ちがくだした勇気のある決断だと思います。
ライヴハウスに限らず、各種イベント、表現、スポーツ諸々全てに言えると思いますが、それぞれの決断を私は尊重いたします。

ただ、それに対して、全く痛みの伴わない場から無責任な批判を口にする人間を私は信じません。

決行すれば「拡散したらどう責任をとるつもりだ」「政府がイベント自粛を・・・」云々
中止すれば「コロナなんて風邪と同じだ、インフルより怖くない」「満員電車はどうなのだ」云々

どちらにしても、決断した者は、心にも経済面にも、色々な意味で痛みを伴う、あるいは勇気のいる決断をしています。
それに対して遠い場所から言葉の礫を投げつけるような人が私は嫌いです。

東京事変がライヴを決行すれば批判が殺到し、口汚い言葉で罵る。
その後のライヴを中止にすれば批判が殺到し、口汚い言葉で罵る。

今後の在り方を考えたうえでの、建設的な批判や意見はあって当然ですが、全く痛みの伴わない、なんの責任も負わないような人間が、遠い場所から言葉の礫を投げつける。

そんな群集が、インターネットの世界にはいます。
いや、この世界にはいます。

自粛ムードの中、ライヴを決行した者に口汚い言葉の礫を投げつけるような人達は、戦時中に、戦争に反対した人に対して「非国民」と石を投げつけた人と同じ心の在り方なのだろうな、そしてそんな人達は、たくさん湧いて出てくるのだろうな・・・

と、そんな事を考えてしまうライヴから一夜明けた今朝の私です。

最後になりますが、昨夜どるしゃあの音楽と共に過ごしてくれた全ての方に、もう一度感謝を込めて、ありがとう、おつかれさまでした。

Dorutan


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