Category Archive : BOOKS

『半島を出よ』村上龍

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。


2005

『半島を出よ』村上龍 2005年 幻冬舎

※画像は私の蔵書

本の話。
これまで主に10代の頃までに読んだ本の事を書いてきたけど、時代は一気に2000年代。
私、40代になっています。

とりあげるのは、『半島を出よ』村上龍。

村上龍の長編小説は、ほとんど読んでいるのですが、その中でも、これはかなり好き!

村上龍(の著作)との出合いは、高校生の頃。
1976年、デビュー作の『限りなく透明に近いブルー』が、芥川賞をとり話題になっていましたが、少しブームが落ち着いた頃に読みました。

高校3年生ぐらいの頃かな?
読後感は、ちょっとどんより。

馴染みのある場所(福生)が舞台という事もあり、とても読みやすかったのですが、内容的には、正直あまり好きではありませんでした。
「セックス、ドラッグ、ロックンロール」的な世界が苦手(というかちょっと嫌い)なのかも知れません。

どちらかというと私「音楽、文学、寺社仏閣」的な世界が好きなのです。
あ!!今、これ適当に書いたんだけど、偶然韻を踏んでますね!

ドラッグどころか、タバコも咥えた事すらない(というか大嫌いだ)し、お酒もあまり飲まないからなぁ・・・
乱痴気騒ぎも興味なし。というよりも嫌い。
あと落ちていく感じが苦手なのかも。
変な上昇志向はもっと苦手だけど。

でも、なぜかその後も気になって、ずーっと読み続けています。
村上龍。

『コインロッカー・ベイビーズ』『愛と幻想のファシズム』は、2、3回読んだかな。

『5分後の世界』『ヒュウガ・ウイルス』は、今手元にないんだけど、あれば、(コロナ禍の)このタイミングで読み返してみたい。

『69』は、それまでの村上龍作品的な空気感と違って、さわやかな読後感。笑いながら読みました。そしてラストに納得の一言。

そんな風に10代の頃から、村上龍作品と付き合いつづけてきました。
という事で、本題。

『半島を出よ』

簡単に言っちゃうと、北朝鮮の特殊部隊が福岡ドームを占拠!どうしましょう!?って話。(簡単すぎ?)

これが実にリアルで、緊迫感あり、北朝鮮の特殊部隊、日本政府、自衛隊など、様々な視点から書かれているので、常に様々な角度からこちらの思考を促してくる。

スリリングで面白い。
ぐいぐいと引き込まれるように一気に読了。

筆力!!

これ実際に起こっても不思議じゃない。

北朝鮮の物らしき船が日本に漂着しているニュースをたまに見るけど、その度に、この『半島を出よ』を思い出してしまいます。

今思ったけど、このリアル感は『シン・ゴジラ』にもつながりますね。


(他SNSに投稿したものを若干修正しての再掲です)

「隠された十字架 – 法隆寺論」 梅原 猛 著(新潮文庫)

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。


1981

※画像はネット上から拝借

この分厚い文庫本が本屋さんの平台に積まれているのを見た瞬間、飛びつくように手に入れました。

子供の頃から、奈良大好き、法隆寺大好き、夢殿大好き、聖徳太子大好きでした。
そして「日出処の天子」大好きなので。
(調度この文庫本が出た時「日出処の天子」連載中)

固い本版の『隠された十字架』は、中学生の頃から何度か本屋さんで手にとり立ち読みしていたので、文庫版が出たのが本当に嬉しかった。
目次を追うだけでそそられます。

小学生の頃、お城やお寺のプラモデルを作る事にはまっていた時期があるのですが、同じ趣味を持つ同級生の家には夢殿のプラモデルがありました。
その美しい八角形のお堂、夢殿というロマンチックな名前に魅了されました。

子供の頃、その夢殿は、聖徳太子の書斎的な場所だと思っていました。
確か「日出処の天子」でも、夢殿にこもる場面があったような・・・(今、手元にないので確認出来ず)

しかし、この本によると、聖徳太子の死後、太子の怨念を鎮めるために建てられた、という説。

他にも意外な説が次々と展開され、若干興奮気味に一気に読み終えた(と言っても分厚い本なので数日かかりました)のですが、今は、あまり憶えてないかも・・・この手の本は、手元に置いてたまにパラパラと目を通したいですね。

いつかまた手に入れよう。

そんな中でも、特に記憶にあるのは、秘仏とされ数百年の間、人目に触れる事なく閉ざされていた救世観音を、アメリカ人東洋美術史家フェノロサが強引に開けさせる場面。

その話はなんとなく知っていたのですが、フェノロサの、仏罰を全く恐れずに、強引に開けさせた態度に若干憤慨しながら読みました。
「罰あたればいいのに!」と。

救世観音といえば、ちょっと本の話からはズレますが、約20年ほど前、1人バイクで天川へ行く途中、法隆寺へ寄りました。

朝早く着き、開門と同時に中に入ったのですが、夢殿の前に行くと、なんと普段は拝む事の出来ない救世観音がその時偶然にも開帳中!!

狂喜しながら、しばし救世観音の前に佇み、救世観音と対峙し濃密な時間を過ごす私。

そこに修学旅行の集団。
バスガイドさんがよく通るハッキリとした声で救世観音の説明をしている。
フェノロサが強引に開けさせた話もしている。

そうそう、救世観音、今日は開帳中、まさにここにいらっしゃるのですよ。

するとガイドさん
「その救世観音ですが、秘仏ですので、現在も観る事は出来ません(キッパリ)」
と言い、救世観音と対面中の私の後ろをすたすたと通り過ぎてしまいました。

「え~~~~~~~!!!!」

せっかく開帳期間中に来たのに、なんと!!
かわいそうな学生達、そして情報知らずのガイドさん。
いつもは開いてないかも知れないけど、そんなぁ~
ルーティンどおりに行動しちゃダメでしょ!

今思えば、追いかけて行って教えてあげれば良かったのかなぁ(人見知りなので無理)
というお話でした。(事実です)


※最近は救世観音けっこうな頻度で観られるみたいですね。WEBサイトには「春秋の特別な期間だけ開扉されます。」とありました。


(他SNSに投稿したものを若干修正しての再掲です)

「不思議の国のアリス」

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
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1980

今回取り上げるのは、東京図書から刊行された「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」の2冊。

※画像はネット上から拝借

「不思議の国のアリス」石川澄子訳
「鏡の国のアリス」高山宏訳
ルイス・キャロル著、マーチン・ガードナー注
(1980年 東京図書)

この2冊のアリス本は、1980年に刊行された時に、即買い。
当時、書店でアルバイトをしていたので、アリス関連の本はその時に随分と揃えました。

その時、買った中に「不思議の国のキャロル」という大判のハードカバー写真本があり、これは、ルイス・キャロルが撮影した少女写真集みたいな本で、これも取り上げようとネット検索したのですが、全くヒットしませんでした。
(※記憶に間違いがありました。本当のタイトルは「キャロル・イン・ワンダーランド」ふつうに検索出来ました。勝手に訳してしまった。)

あとは「ルイス・キャロル詩集」「スナーク狩り」他、色々と買ってたな。
物心ついた頃から、不思議な物、ナンセンスな物、異形の物に魅かれ続けているのです。
(自分でやっていたバンド名も不思議なバレッツに不思議軍)
アリス好きもその流れからかな。
あと、テニエルの挿絵にも強く魅かれています。

さて、この2冊、とても特徴的な事は、ものすごくたくさんの注釈がついている事。
これが実に面白かった。
ジョーク的な物って、出典が分からないと「なんのこっちゃ?」ってなってしまうのですが、そういう所全部こと細かに解説してくれています。
注をつけているマーチン・ガードナーという方は、数学者という事で、数学者的な凝ったイタズラ的解説なんかも盛り込まれています。
(そういえば高校生の頃「四次元の国のアリス」という数学的物理学的文庫本も読みました)

また、この本、装丁が実にシャレているのです。
ソフトカバーで、紙質、インクの色などとても好きでした。
軽くて持ち運びしやすいので、当時よくバッグの中に入れて持ち歩き、電車の中、公園、喫茶店などでパラパラと開いては、楽しんでいました。どこから読んでも面白いので。

ところで、この本と出合ったのは、もう40年以上も前?
ちょっと信じられません。

(他SNSに投稿したものを若干修正しての再掲です)

小松左京「さらば幽霊」

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
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1974

私にとって、初めての小松左京がこれ。

『さらば幽霊』小松左京自選短編集 (講談社文庫)


『さらば幽霊』小松左京自選短編集 (講談社文庫)

子供時代、毎年夏休みの数日間は伊豆で過ごしていた。
幼児期から小学校低学年の頃は熱海のホテルで。
徐々にディープになり、小学5年生からの数年間は、叔父一家と一緒に西伊豆雲見の民宿で。

伊豆に行く前には、何冊かの本を買い、持って行くのが恒例で、きっとこの文庫本『さらば幽霊』は最後の旅の友。
たぶん中学1、2年生の時。

本を買う時に、小松左京と言う名前は意識していなかったかも知れない。
なんとなく面白そう、それだけの理由で買った気がする。
表紙の絵(和田誠画)もかわいらしくて、読みやすそうな気がしたのだ。
表紙の印象から、ちょっとユーモアのある怖い話程度に考えていたのだが、いやいや、かなり怖かった。

「くだんのはは」も入っていたかな?
今、本が手元にないので、ネットで検索してみたのだが・・・

その後、小松左京は何冊も読んだので、記憶が混ざってしまったようです。この本には「くだんのはは」は、入っていなかった。

てっきりこれに収載されていると勘違いしていました。

これに入っているのは、

  • さとるの化物
  • 霧が晴れた時
  • 花のこころ
  • 安置所の碁打ち
  • ムカシむかし……
  • 比丘尼の死
  • 忘れられた土地
  • 保護鳥
  • さらば幽霊
  • 海の視線

パッと内容が浮かぶものもあれば、全然思い出せない物もある。
「霧が晴れた時」本当に怖い、一時期こんな事ばっかり考えてたなぁ・・・
永井豪の短編「ススムちゃん大ショック」的な怖さ(分かる人だけ分かって)

内容はあまり憶えていないのに、この本を読んだ時の心模様と同時に心に焼き付けられた西伊豆雲見の風景は妙に鮮やかだ。


すると、私が「くだんのはは」を読んだのは一体全体どの本でしょう?

と、ちょっと調べてみたら、新潮文庫の『戦争はなかった』でした。
これも中学か高校生ぐらいの時に読んだような気がするけど、怖かったなぁ

ちなみにこんなラインナップ

  • 影が重なる時
  • 四次元ラッキョウ
  • 青ひげと鬼
  • 釈迦の掌
  • 生きている穴
  • 完全犯罪
  • 木静かならんと欲すれど……
  • 失業保険
  • 運命劇場
  • 戦争はなかった
  • くだんのはは
  • 四月の十四日間

「影が重なる時」も、とても怖くて大好きな話。

「戦争はなかった」は、ある日突然自分以外の人から戦争の記憶が全て消えている、という話で、今こそ読むべき話かも。

手塚治虫にも(大名作「カノン」はじめ)戦争の影を感じる作品が多いけど、戦争を体験した世代ならではの重み凄みを感じる。


手塚治虫や小松左京、こういう作品を読んで育った者としては、私達が戦争に加担するような事は、絶対にあってはいけないと思うのです。

自民党の方々は、少年時代に、一体どんな書物や映画に触れて育ったのだろうか?

筒井康隆「遠い座敷」

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。


1981

今回は、筒井康隆の短編を1つだけ取り上げます。
筒井作品との出会いは、中学生の時。
忘れもしない飯能銀座通りの、今はなき流星堂書店で角川文庫版の「幻想の未来」を衝動買い。
以後、筒井康隆全集刊行まで、いや、断筆宣言前までは、本になった物は全部読んできたはず。
断筆からの復帰後、以前ほどの情熱で追いかける事はなくなったけど、それでも、そこそこ読んできました。

なので、「私を形成する」筒井康隆作品は、色々とあげたくなるのですが、ある分野、ある種恐怖心に近いような心の中の変な部分をくすぐられた特別な作品としてひとつ。


それは「遠い座敷」
短編集『エロチック街道』に収載された作品。

『エロチック街道』筒井康隆
『エロチック街道』筒井康隆

1981年発売、その時私は、20歳。
この頃には、文庫化されていた筒井作品は全て読み終えてしまい、ハードカバーの単行本を発売と同時に買うようになっていました。

これも発売と同時に購入。
この本には、有名な「ジャズ大名」他、種々雑多な作品が収載されていて、どの一編についても語りたい事があるのですが、この「遠い座敷」の読後感(というよりも読中感)は、後にも先にも感じた事の無いほど、特別なものでした。

という事で「遠い座敷」です。

内容に関しては、まだ読んでいない人のために、あまり触れたくはないのですが、まあ、とにかく子供の心の奥深く存在する恐怖心をくすぐりまくるような(読んだ時は大人になっていましたが)そんな作品なのです。

日本の土着的な風習であるとか、家族の中だけにある秘密的な何かだとか、からの、昔ながらの日本家屋、そこに置かれている物などに感じる恐怖感。
そんな物たちがありえないシチュエーションの中で次々に襲いかかってきます。
いや別に襲いかかってこないのだけど、心の中にどんどん大きく広がっていく感じかな?


みなさん、例えば、古くて大きな温泉旅館、変な増築を繰り返して迷路のようになってしまった旅館の廊下、そんな物にそそられる感覚ってありませんか?
ちょっと怖いけど、あちこち探検したくなる感じ。

私にとっては、父の実家がそんな存在でした。
山手線某駅前にある酒屋で、現在は6階建てのビルになっているのですが子供時代は、木造二階建て地下一階で横に広く、迷路的と言うには大袈裟ですが、通り抜けできる所と出来ない所などあり、ひとりであちこちの部屋を回って遊んでいると、時折とても心細くなり、怖くなる事がありました。
仏間に置いてある写真や置物に恐怖を覚えたり。地下の倉庫に降りていく暗い階段にゾクゾクしたり。
今でも時折夢に出てきます。

(ネット上に当時のその建物の写真があったので勝手に拝借しました。ごめんなさい。)

そんな原体験があって「遠い座敷」に感じる恐怖心が増幅されたのかも知れませんが、このような子供時代の恐怖感覚は、誰にでも多かれ少なかれ残ってはいないでしょうか?


その感覚が、この「遠い座敷」を読んでいると、ぐいぐいぐいぐいと引っぱり出されて来るのです。
その感覚は、ページを繰る度に、大きくなり、ついには「ひっ!」「うはっ!」と声が出るようになります。
読み進めると、さらに怖さは加速して、ついには「ひゃひゃひゃひゃひゃ!」などと(怖すぎて)笑いながらのたうち回っていました。
大袈裟に聞こえるかも知れませんが、実際に、狭い部屋のベッドの上で、この本を読みながら笑いのたうち回った時の感覚は今でも妙に体感として残っているのです。


まあ、誰もがそんな状態になるとは思いません。
私の場合、たまたま、実家体験と重なって恐怖感が数割り増しになったのかも知れません。
ただ、この本を読んだ後、やはり読み終えたばかりの友人との会話。


(どちらかが)「あれ怖くなかった?」
(二人同時に)「遠い座敷!!」
(二人同時に)「ひゃは~!!!」


そんな事もありましたので、ある程度共通した感覚があるものと思われます。


※画像はネット上から拝借

2022まとめ(どるたんのInput編その1)

まずはじめに、私、ぼーっと空を見たり、山を見たり、雲を見たり、そういう時間が大好きで、と同時に色々な事を考えていて、たぶんそれが、私にとって一番大きなインプット。

それはそれとして、インプット編。

というと、読書、音楽鑑賞、映画鑑賞、コンサート、スポーツ観戦、美術展、TVやラジオ、観光などなど、というところでしょうか。

このうち映画については、後日何かしらまとめる予定なので、置いておいて。

とりあえず

スポーツ観戦

正直、最近の私、近過去記憶が全く定着しなくなっていて、スポーツは1年間通して色々見てきたはずなのに、今、記憶にあるのはサッカーのワールドカップぐらい。北京オリンピックの事など、断片的にしか憶えていません。つらつらと書き始めれば何かしら思い出すかしら。

スポーツ系生観戦は、たぶん2回だけ。

それは2回とも野球

  1. 9月10日 2022 パ・リーグ公式戦 ライオンズ vs ファイターズ 西武ドーム
  2. 9月19日 2022 パ・リーグ公式戦 ライオンズ vs イーグルス 西武ドーム

2試合とも招待券で見る事が出来ました。ありがとうございます。


これを含めて今年は、野球をかなり真剣に観ました。NPBもメジャーリーグも。
日本シリーズは本当に疲れた、毎日疲れた、観ているだけなのに。というのを今思い出した。

サッカーは、生観戦ゼロ。TVでは、地上波の放送が少ないのでなかなか見る機会がないのだけど、放送がある時は、なるべく観るようにしています。海外のサッカーはすっかり観られなくなってしまって残念。その憂さを晴らすかのようにワールドカップは(見逃し配信も含めて)全試合観戦。

ついでに言っておくと、私は、日本代表の森保監督、初采配時から、今日に至るまで一貫して嫌い。
たぶん全試合観ているけど、本当に嫌い。なぜ急に語った。続投が決まってしまったからか。

格闘技系は、ボクシングの井上尚弥が本当に凄過ぎて、こんなに凄いボクサーは今まで見た事ありません。これまで私、一番好きなボクサーは具志堅用高だったのだけど、ちょっと「好き度」でも上回ってしまったかも。

バレーボールは、世界選手権の地上波放送は全部録画して見ました。全日本は、男子も女子も、誰もが知っているようなスター選手が出てきて欲しいと思った。全体的に印象が薄い。

卓球は、テレ玉でTリーグの放送をしてくれるし、テレ東で大きな大会は放送してくれるので、1年間通してけっこう見てきた印象。若い才能が次々出てくるので、とても面白い。

他にも色々見ているけど、こんなところで。


ライヴ、コンサートなど

自分の出演以外でライヴハウスなどに行ったのは、ゼロ。
特にライヴハウスは喫煙OKのところが多いので、そういう場所へは、今後も行く機会はないでしょう。

クラシックの音楽会なども一度も行けませんでした。

今年、音楽関係で会場へと出かけたのは、(たぶん)2度だけ。

  1. 5月22日 櫻坂46「渡邉理佐卒業コンサート」国立代々木競技場 第一体育館
  2. 8月30日 「Kyoko Koizumi 40th Anniversary 小泉今日子ツアー2022 KKPP」中野サンプラザ

どちらも特別な意味のあるコンサートなので、参加できて本当に良かった。
これは一生忘れない記憶(であってほしい)。
感謝。


読書

読書は色々ありすぎるのですが、今年は、3月に松村雄策さんが亡くなった事もあり、古い本を読み返したり、少し前に出た新刊「僕の樹には誰もいない」を読んだり、それが2022年の一番印象深い本との時間。

とりあえず、Inputまとめ第1弾はこんな感じで、第2弾があるかどうかは謎。(こういう事を書くと大体ない)
映画まとめは来年になってからやる予定。

「発酵食品でつくるシンプル養生レシピ」

時代小説家で江戸文化、江戸料理研究家でもある車浮代さんの新刊「江戸の料理本に学ぶ 発酵食品でつくるシンプル養生レシピ

車浮代「江戸の料理本に学ぶ 発酵食品でつくるシンプル養生レシピ
車浮代「江戸の料理本に学ぶ 発酵食品でつくるシンプル養生レシピ」(裏表紙)

素敵なサイン入りの本を贈っていただきました。

レシピ本なので、まだ「読了!」というわけではなく、パラパラとめくって眺めては気にいった所をいくつか読んでみた、という感じ。
一見してとにかく美しい。写真が美しい、レイアウトが美しい。
見ているだけでも幸せな気持ちになります。
見ているだけでおいしさが伝わってくるだけでなく、身体に良いような気すらしてくる。
こういう素敵な本を眺めていると、料理を作り、写真を撮り、一冊の本が出来るまで、関わってきた人たちひとりひとりの丁寧な仕事や思い、そんな部分にまでつい心を馳せてしまう。
そして文筆家でもある車浮代さんの本だけに、コラム的な文章だけでなく料理の紹介にも知識があり気づきがあり面白いエピソードがあり、とにかく読み応えがあるので、これから先、実用的にも読み物としても長く楽しめる本になる事でしょう。


若い頃は、健康的な食事などまったく意識せず、食べたい物を食べたい時に食べたいだけ食べてきました。
健康的な食事どころか、健康的な生活もまったく出来ていませんでした。
そんな風に50年ほど生きてきた結果として、当然身体はあちこちガタがきてしまいましたが、その後10年ほどで少しずつ改善されてきたような気がしています。(今61歳)

それは、ほとんど外食をしなくなり、ほぼ自分で料理をするようになった事も大きく、そんな暮らしの中で、この本に紹介されているような食事を自然に好むようになり、発酵食品も自然に多めに取り入れるようになっていたのです。

だからこの本を読んで、自分の方向性が間違いでなかった事も分かり、とても納得感を得られました。
さらにこの本で得られた知識で、健康寿命を延ばせるような気がします。
「健康寿命」とか年寄り臭くてごめんなさい。そういうお年頃なので。


実は、車さんが以前からSNSやラジオなどで発信している「米のとぎ汁漬け」を私も真似して、作っていて、今も毎日食べています。
車さんの(お料理関連の)前著「免疫力を高める最強の浅漬け」の中で、なんと我が家の「米のとぎ汁漬け」もチラリと載せていただきました。

車さんといえば「米のとぎ汁漬け」というイメージもあるほど、しかし、今回の本「江戸の料理本に学ぶ 発酵食品でつくるシンプル養生レシピ」ではあまり目立った取り上げ方はしていません。あくまでも発酵食品全般を取り上げているのですが、車さんからこっそり教えていただいたのがこれ!
表紙の3分の2ほどを覆う大きな帯を剥がしてみると。

車浮代「江戸の料理本に学ぶ 発酵食品でつくるシンプル養生レシピ」(表紙カバー)

なんと美しい!まるで静物画のような米のとぎ汁漬けの写真が表紙カバーに大きくレイアウトされていました。本当に素敵な本だと改めて感動。

ちなみに我が家の冷蔵庫にも、こういう瓶で漬けた米のとぎ汁漬けが入っています。
これほどきれいじゃなく雑多に漬けてある感じだけど。

この「江戸の料理本に学ぶ 発酵食品でつくるシンプル養生レシピ」気になった方は、ぜひ書店で手にとってみてください。
Amazonでも購入可能。一応リンクを載せておきます。
ステマでもアフィリエイトでもないので私や私以外の誰かが儲かるわけではありません、安心してクリックして下さい。

Amazon 車浮代「江戸の料理本に学ぶ 発酵食品でつくるシンプル養生レシピ」

『コルシア書店の仲間たち』(「ホントのコイズミさん」#48より)

小泉今日子のポッドキャスト番組「ホントのコイズミさん」をよく聴いています。
少し前に、友人で放送作家のチャッピー加藤がゲストに出た回があって、それが最高に面白かったので、ブログに書きたいと思いつつも、日々は流れ、その後の番組で、すごくブログに書きたいエピソードが出てきてしまったので、頭の中で新鮮なうちにそちらを先に書こうと思います。
(チャッピー加藤回の事も書きたいので、少し熟成させて、そのうち書けたら良いなぁ・・・と、こういうことを書いてしまうと書かずに終わる傾向アリ)

「ホントのコイズミさん」
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Without You -松村雄策を思う-

昨日のブログ投稿「それがどうした風が吹く」で、松村雄策さんの死に接して、松村雄策さんに対する感謝の言葉を書いたのですが、実は思った以上に心にダメージ受けているようです。

(以下敬称略で書きます)

私自身、既に61歳になるので、自分より年上の方が亡くなる事に対して多少は耐性も出来ているし、ある程度覚悟は出来ているのですが、やはり70歳はまだ早い。
もっともっと松村雄策の文章が読みたかった。というのが正直な気持ちです。

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それがどうした風が吹く

今日のブログタイトル『それがどうした風が吹く』は、松村雄策さんのエッセイ集のタイトルを流用しました。(下の写真は、自分の蔵書を撮ったもの)

松村雄策著『それがどうした風が吹く』

というのは、昨日、松村雄策さんが亡くなられた事を知ったから。

(以下敬称略で書きます)

松村雄策を知ったのは、中学生の時。
まだ自主制作レベルだった雑誌「Rockin’ On」で、その文章に触れたのが初めての出会い。
その頃「Rockin’ On」は、まだ地元(埼玉)の書店では売っていなくて、新宿レコードなど都内のレコード屋さんで買っていた。
高校生の頃には、地元の書店でも買えるようになった。

「Rockin’ On」の初期メンでは、当時、岩谷宏の文章の人気が高かったように思います。
私も単行本になった『岩谷宏のロック論集』を買って、むさぼり読んでいるような高校生でしたが、その頃から、私が一番好きだったのは、松村雄策の文章でした。

分かりやすい言葉で、適度なユーモアを交えつつ、ストレートに感情を表現する。
とても読みやすい文章。
大好きな物について、とにかく熱く語る。
松村雄策が大好きな物と、私の大好きな物は、重なっている部分が多い(例えばビートルズ、例えばプロレス、例えば内田百閒)ので、松村雄策の感情が溢れるような文章を読んでいると、こちらの感情に共鳴する事が多々あり、そんな時には自然と涙がこみ上げる。
そういう事がこれまでに何度もありました。

私は、別に文章を書く仕事をしているわけではありませんが、こうしてブログなどを書く時に、大好きな物について、分かりやすい言葉で書く、という事を心がけています。
まあ、心がけているというか、自然とそうなっているのですが、それは、間違いなく松村雄策に影響を受けた部分だと思っています。

これまでどうもありがとうございました。