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埼玉ピースミュージアムに行ってあれこれ考えた

2024年6月11日 埼玉 東松山市 埼玉ピースミュージアム(埼玉県平和資料館)

6月11日に埼玉ピースミュージアムへ行ってきた。
そこで考えた事などいくつか書いておこうと思う。

1.語りつぐ

エントランス付近の壁にあったレリーフ的な文字

平和をかたりつごう、永遠に・・・・・・

揚げ足をとるわけではないのだけれど、このミュージアムに展示してあるものは、ほとんど全て戦争に関するもの、戦時中の生活に関するもの、ここで語りついでいるものは、平和ではなく、戦争。

しかし、戦争を語りつぐことで見えてくるのが、平和のありがたみ、平和であることの大切さ。
直接的に平和を語っているわけではなくても「平和をかたりつごう、永遠に・・・・・・」という言葉に、深い意味と意義を感じる。


語りつぐ者の存在

私が子供の頃には、戦争(第2次世界大戦)は、わりと身近なものだった。
私の親は、子供時代に戦争を経験している世代。
祖父は、硫黄島で戦死している。

今放送している朝ドラ『虎に翼』に出てくるハーモニカを吹く傷痍軍人も、私が子供の頃には実際に目にしていた。

また、マンガや子供向けの本などにも、戦争はよく描かれていた。
私が子供の頃に、強く戦争と平和を意識したのは、ちばてつやのマンガ『紫電改のタカ』が最初だったと思う。
その後も、実際に戦地に行った水木しげるの戦記マンガや、こども時代に戦争を経験した手塚治虫やちばてつやの数々の作品、マンガ雑誌に連載されていた『はだしのゲン』などなど、戦争の悲惨、理不尽に触れ、平和を思う心を育まれてきた。
児童書の『ビルマの竪琴』や『つしま丸のそうなん』なども読んだ。
映画やテレビ番組の数々も。

子供の頃に「戦争を知らない子供たち」という歌がヒットしたのだが、書物などを通しての知識としても、実際に目にしたものや家族や教師の話を通しての実感的な意味でも、かろうじて戦争を知っていたのだ。
自分自身の体験としては知らなくても、戦争はまだまだ身近な事象としてあったし、戦争と平和について知り考える時間はとても多かったと思う。

私のように積極的に知ろうとする者と、無関心な者とでは、考える時間にも内容にも大きく隔たりがあるのだろうけれども、世代として戦争は身近なものだったと言えるだろう。


語りつぐ者の不在とピースミュージアムの意義

転じて現在の子供たちが、どれだけ戦争について知り、平和を考える機会があるのだろうか?
子ども時代に戦争を経験している私たちの親世代は、既に亡くなっている方も多く、実際に戦争を経験していない私たち世代は、自分事としての戦争は語れない。
私自身の事を振り返っても、子供たちに戦争の事を語ったり、話し合ったりした事はないかも知れない。
色々な書物や映画などで戦争に触れ、戦争と平和について深く考えてきた私のような人間でも、子供世代に語りつぐという事をしていないのだ。語りつぐ体験はなくてもせめて「どう感じる?どう考える?」という問いかけぐらいは出来たのではないだろうか。

そして社会全体の風潮(というか政権の考え方)として、戦争当事国としての歴史を、あまり悲惨なものとして語りつがせないようにしているような空気さえ感じる。
かつては毎年のようにテレビ放映されていた映画『火垂るの墓』も最近では放送されることもない。
『はだしのゲン』を図書館に置くなという勢力もある。

そんな中、このようなミュージアムの存在は有意義だと感じる。
語りつぐものはいなくなっても、物が資料が物語が語りついでくれるから。


税金の使い道

ところで、この埼玉ピースミュージアム、実に立派な建築物なのだ。
展示スペース、展望塔、映画上映設備などなど。
これ、一体誰がお金を出して作ったのだろうか?
埼玉県?
だとしたら私たちの収めた税金が使われているわけです。
こういう事は県議会をしっかりとウォッチしていれば分かる事だろうし、新聞や広報にも載っていたのでしょう。でも、私は、知らなかった。知らないうちに出来ていました。
文句が言いたいわけではありません。
むしろ上に書いたように「有意義だと感じている」ので、有意義なお金の使い方をしてくれたと、有難くさえ思っています。

東京都のように下品な(と私は感じています)プロジェクションマッピングに事業費48億円つぎ込んだわけではないので。
この48億円という金額だって本当にいかれた金額で、どう考えてもあんなものに48億円もかかるわけないでしょ?どこに流れてるのそのお金。

そんな税金の使い方をされてしまうと、残念という感情では済まない気がする。

(この件に関してだけかも知れないけど)埼玉県民で良かった。
その辺の草でも食べて幸せに暮らします。

最後、何言ってるか分からないけど、まあ、色々考えました、という話。



「お出かけの記録」

今更『シンドラーのリスト』を観て考えた事

ものすごく今更なのですが、昨日、映画『シンドラーのリスト』を観ました。初見です。
日本では、1994年2月に公開されたそうなので、30年前になります。
当時、なんとなく観たいと思っていたけど、なんとなく観ないままに昨日にいたりました。
観なかった理由は、本当になんとなくなんだけど「スピルバーグの映画がちょっと苦手」「観る前に情報が多すぎて内容的には大体把握できてしまった」と言ったところでしょうか。
でも、観れば感動するのだろうな、という事も想像出来ていました。それがまたなんとなく嫌だったのかも知れません。

まあ、なんだかんだと観なかった言い訳をしているわけですが、とにかく当時(~昨日まで)観なかったのです。

さて、観てみました。
(ネタバレ的な事を書くかも知れませんが、30年前の超有名な映画なので、それこそ今更かと思います。ご容赦ください)

そして、やはり想像していたとおりに、それなりに感動もしました。
いや、本当はかなり感動したのですが、素直に感動出来ないもうひとりの自分もいたのです。
その辺は後述。

絵的には、この映画ほぼほぼ全編モノクロなのですが、ごくごくわずかに色があります。
赤いコートを着た少女。彩度低めの赤。
蠟燭の炎。
そして戦後世界が色を取り戻していくように画面もカラーに、というように象徴的に色が使われています。そういった手法に素直に感心しました。

話的には、事前に把握していた通り

強制収容所送り(≒死)となるはずだった多くのユダヤ人を、ドイツ人シンドラーが救った話。
ユダヤ人たちを救うために、ひとりひとりの名前を記した物がシンドラーのリスト。

というものだけど、たった2行で片付けられるものではなく、ナチス、ユダヤ人、シンドラー等、それぞれの物語が紡がれている。
いや、それは物語ではなく、実際に起きた事、行われた事。
もちろん映画上の脚色はあったとしても史実にかなり忠実に作られている事がラストシーンでよく分かる。


さてここからは「色々考えちゃったなぁ」という話。


「正しさ」と集団心理

シンドラーがユダヤ人を救ったのは、彼らを人間としてみていた事が一番大きな理由なのではないだろうか?
ナチスの優生思想的にはユダヤ人は劣等な民族、人種。絶滅させるべき対象。(ユダヤ人に限らず一部他人種、身体障害者、同性愛者なども)
人間としてみていないから平気で殺す。映画の中でも、理由もなく(もしくは些細な事で)何人ものユダヤ人が殺されている。
多くのドイツ人はナチスを妄信し洗脳状態にあったのかも知れないけど、シンドラーのようにユダヤ人を同じ人間としてみている人もいた。
多くの民衆がこういう精神状態にあったのは、戦時下、ナチス政権下のドイツだけじゃなく、世界中多くの例が示している。日本でも、映画『福田村事件』で描かれた、関東大震災後の朝鮮人(映画で描かれたのは朝鮮人と間違われた日本人の行商達)虐殺が記憶に新しいところ。

そして、これは何も戦時下や災害時という特殊な状況下で起きる事ではなく、今、現在、身近でも起きている事。
SNSで日本人が韓国人、中国人に対して口汚い言葉で罵ったり、何か事件があれば容疑者に対して「あいつは日本人ではない」と韓国人、中国人の犯罪と決めつける。彼らに対し自分が優生な人間だと勘違いしている人が多く見受けられる。
こういう感覚が本当に嫌いだし、危ない事だと感じています。

自分が正しい。自分が属している人種は優生な人種。
全然そんな事はなくて、どの人種にだってクソみたいな人もいれば、素晴らしい人もいる。
(私から見るとSNS上でそういう差別的発言をする人こそ、クソみたいな人にみえます)

そして「自分が正しい」と思い込んでいる人や組織ほど、とんでもない事を平気でする。

自分が正しいと思い込んでいる国、組織。
そして宗教。
自分が属している組織は正しく素晴らしい。だからみんなそうあるべき。他は滅ぼした方が良い、と。

特に宗教が絡むと「宗教戦争」「魔女狩り」「十字軍」「キリシタン弾圧」等々から「オウム」や「統一教会」に至るまで気になる事象が多すぎて、学生時代から本読みまくってます。これがまさしく「正しさ」と集団心理で。

って、こういう話をするとどこまでも話続けてしまいそうなので、一旦ここまでで『シンドラーのリスト』に引き返すけど、この感覚は、すごく幼い頃から感じていて、だから安易に組織に組みしないで生きてきたし、教育も信じていなかった。

その感覚が『シンドラーのリスト』や『福田村事件』を観ると改めて心にズシンと来るという話。


パレスチナ問題

そして、もうひとつ、この話に単純には感動出来なかった理由。

映画的には、シンドラーが多くのユダヤ人を救いました。助かった人たち本当に良かった。
そして死んでいった人たちのためにも、二度とこんな過ちを繰り返してはいけない。

って事で、しっかり感動出来る。
映画の中では、話はここで終わるけど、現実世界では終わりではなく、生き残った人たちの話は続いていくわけです。

さて生き残ったユダヤの人たち。シンドラーが救った人たちだけじゃなく、海外に逃れていたユダヤの人たち、日本のシンドラーといわれた杉原千畝さんに命を救われた人たち。諸々。そうやって生き残ったユダヤの人たちが建国したのがイスラエル。
そのイスラエルが、今、何をしているのか?
というとパレスチナ、ガザ地区での虐殺行為。

これが心に浮かんでしまうので、どうしても素直に感動出来なかった。

ただパレスチナに関して「パレスチナと連帯」という人もいるけど、私個人としては簡単に「連帯」という言葉は口にしたくない。

今、まさに苦しんでいるパレスチナの子供たちには、心が痛むし、そこに心を寄せる事も出来るし、なんなら、自分も苦しい経済事情の中から寄付ぐらいはしている。苦しいのレベルが違うのでね。

でも「パレスチナと連帯」は違うんじゃないだろうか?
と思うのです。

イスラエルも相当ひどい事をやっているけど、パレスチナも相当ひどい事をやってきた。
(ただ特にパレスチナ側に色々言い分があるのも分かります)
結果、今があるので。

単純にどちらかと連帯する事は出来ない。

しかも、このイスラエル(ユダヤ)とパレスチナの問題は、今にはじまった事ではなく、とんでもなく長い歴史がある。
パレスチナ問題いついては、すごく気になっていた時期があって、何冊か本を読んで、それなりに成り行きだけは分かった(つもりな)のだけど、どうしても感覚的に分かる事は出来ない。特に両者の感情面とかは推し量りようがないので。

ただ、どちらにも「お互い同じ人間」だと思っている人がいる事は知っています。
個人レベルで共存していた、イスラエルの人とパレスチナの人も大勢いるでしょう。
イスラエル政府に批判的な考えを持っているユダヤの人たちも大勢いるでしょう。

第2次大戦時にシンドラーや杉原千畝がいたように、現在でも例えばダニエル・バレンボイムのような人もいます。


先住民、先住権の話

あと、この問題を考えていくと、どうしても考えてしまうのが先住民の問題。
スペインやポルトガルが南米(その他)でしたこと。アメリカの建国。オーストラリアやニュージーランド。つい最近暴動が起きたフランス領ニューカレドニア。日本だってアイヌの問題もある。などなど。
これに関しては、中学~高校生ぐらいの頃、南米のサッカーを観ていて、人種や言語(ブラジルはポルトガル語、あとは大体スペイン語)が気になって、やはり色々調べた事があるのだけど、みなさん先住民にひどい事してます。大量虐殺もしています。その結果、広大な土地や資源を手に入れてきた。

なんで、こんな事まで考えてしまうのかといえば、イスラエルの事。
あの場所には、元々ユダヤ人が住んでいたという主張です。
2000年以上前に住んでいた場所、ここにユダヤの王国があったと。

これがどんな本を読んでも感覚的にはよく分からない部分。

確かにそうだったのかも知れないけど、その後、千年以上そこに暮らしている人を追い出して、元々住んでいた人が帰ってきます、って話が、イスラエル建国。
パレスチナの人たちは、そこが一番納得できないのかと思います。

「ここ二千年前におれの先祖が住んでた場所だから、出て行って!」
って突然追い出されたらどうします?
みたいな事をどうしても考えちゃうんですよね。ただ、当事者じゃないので、勝手な感覚だけで、判断しちゃいけないとも思います。

はじめに色々な先住民の事を書いたのは、そういう事案に対する問題意識や歴史的興味を常に持っていました、という話。
具体的には、二千年どころか二百年ぐらい前に、世界のあちこちで元々住んでいた人々を追い出し(どころか大量に虐殺して)建国したような国がたくさんあります。そこで今現在何事もなかったかのように多くの移住者(の子孫たち)が、暮らしています。
追い出された人、生き残った人の子孫が「ここ元々先祖が住んでいた土地だから出て行って」って言ってきても、既にそこでふつうに暮らしている人たちが出ていくのは難しいですよね。
イスラエルの建国に対して、どうしても、こんな想像を働かせてしまうのです。
事案的に違うかも知れないけど、事象として感情面でダブらせてしまう。

実際、イスラエル建国のような大規模事案じゃなくても「ここは先祖の土地じゃ~!」という話は、世界のあちこち(もちろん日本でも)起きている事でしょう。

映画からだいぶ逸れましたね。



まあ、こんな具合に、映画を観ている最中も、見終わってからも、色々と考えてしまったのですが、私自身としては、どんな人に対しても人種で軽蔑したり差別したり、善悪を判断したり、という事は、しないって事は、改めて心に刻みました。



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スポーツ大好きな私ですが、東京オリンピックには大反対です。

理由は山ほどあって、政治、運営への批判や思う事は書き始めたらキリが無いほどです。
安倍~菅政権、竹中平蔵、森喜朗、電通、などのやらかしてきた(今もやらかし中)醜く酷いドタバタ劇を書き連ねる事も出来ますが、とりあえずここでは、「言葉」そして「私の気分」だけに絞って書いていきます。

「私の気分」に関しては、既に「TOKYO2020考1」にも書きましたが、そこには書かれていない、「言葉」に関する私の気分を。

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TOKYO2020考1

(このブログはどるたん+しゃあみんの公式見解ではなく、どるたんの個人的意見です、が、事務所としても支持いたします)

まず言っておきたいのは「私、スポーツ観戦大好き!」という事。

(スポーツグラフィック)Number誌は、創刊号から延々と買い続けてきたし、それに類する雑誌もあれこれ買ってきました。
各競技毎の雑誌もあれこれ買っていたし、TV中継もあれこれ録画して観てきました。
オリンピックなんて始まろうものなら、毎日寝不足フラフラになりながらも夢中でTV観戦していたものです。
これまでは。

しかしながら、TOKYO 2020には、はじめから全くのれない自分がいます。

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