Category Archive : 音楽

ヴァルトビューネ 1993~ロシアン・ナイト 小澤征爾&ベルリン・フィル

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1993

ヴァルトビューネ 1993~ロシアン・ナイト 小澤征爾&ベルリン・フィル

昨日、ブログで小澤征爾関連の本(『小澤征爾、兄弟と語る~音楽、人間、ほんとうのこと』読了)を取り上げたばかりですが、今日は、小澤征爾指揮、ベルリン・フィルハーモニー・オーケストラのライヴ映像のことを。

上に掲載した写真はDVDのジャケット画像(DVDは持っていません)
私が観たのは(たしか)NHK-BSで放送されたもの。
録画して、何度も観ました。

1993年ヴァルトビューネ野外音楽堂での演奏。
この演奏会は毎年ベルリン・フィルが開催している野外公演で、別名ピクニック・コンサート。

昨日のブログでも少し書いたけど、1993年頃は、イタリアと日本を行き来していた頃、イタリアにいる時は何度となくクラシックの演奏会へ行っていて、クラシック音楽への興味が高まっていた。
そんな頃に放送された、このコンサートにものすごく感銘を受けました。

コンサートホールで体験するクラシックの演奏会とは全く違って、聴衆がとにかく楽しそう、TVで観ていても楽しくてたまらない。
そんなコンサート。
ピクニック・コンサートと呼ばれているように、家族連れ、カップル、友人グループらが、みな思い思いに、リラックスしてクラシック音楽を楽しんでいる。
音楽そのものにも感動したのだけど、その様子にも感銘を受けた。

また選曲が分かりやすく、誰もが耳にした事があるような名曲ばかりで、これなら本格的クラシック音楽ファンじゃなくても思い切り楽しめる。
ハチャトゥリアンの「剣の舞」あたりは、この夜の一大盛り上がりポイント。
音楽にも、聴衆の様子にも興奮した。

そして、アンコールラストの「ベルリンの風」(ヴァルトビューネ恒例締めの1曲らしい)では、聴衆は立ち上がり手拍子や口笛、指笛で演奏を盛り上げる。その様子を見て、クラシックをこんな風に楽しむ事が出来るのだという驚き、クラシック音楽を楽しむ事が出来る土壌、文化的背景への憧憬とともに、ゾクゾクするほどの感動を覚えた。


いつか、この場で一緒に音楽を楽しみたい、と強く思いつつも、機会のないまま、早30年以上。
人生いつ終わるか分からないので、どこかで思い切って出かけなければ、と思っています。
まあ、いくつになってもやりたい事が残っているというのは、良い事ではある。かな?

映画『バングラデシュのコンサート』

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1975

何度観たか分からないほど観たDVD、Blu-ray化してほしい……

映画『バングラデシュのコンサート』(1972年日本公開)

1971年8月1日、ニューヨーク、マジソン・スクエア・ガーデンで行われた、バングラデシュ救済コンサートのドキュメンタリー映画。日本では1972年に映画館で公開された(らしい)。

私が観たのは1975年。
中学3年生の時、同級生でビートルズ先輩のA君と2人で行った『ビートルズ映画祭』で上映されたもの。

当時のチケット半券

この映画は、映画としてだけでなく、音楽的な意味でも、間違いなく「私を形成しているもの」。

当時まだ、ボブ・ディランもエリック・クラプトンもレオン・ラッセルも、レコードを持っていない、それぞれの音楽をちゃんと聴いた事のない中学生でしたが、とにかくその姿に、音に、大興奮しました。

大体、ロックスターが動く姿を見る機会がほとんどない時代だったので、興奮度合いもものすごかった。

ジョージ・ハリスンの颯爽としたかっこいい姿!
エリック・クラプトンの渋い立ち姿!
レオン・ラッセルのド迫力の歌と演奏!
ビリー・プレストンのはじけっぷり!
リンゴ・スターがまたかっこいい!

アコースティックギター1本(とハーモニカ)だけで1人弾き語るボブ・ディランの存在感!
淡々とした歌いっぷりなのに、妙に心に刺さる、一度聴いたら忘れられない歌。

「女の如く」では両サイドに、ジョージ・ハリスンとレオン・ラッセルを従え、1本のマイクで「♪Just Like a Woman」と歌う場面に、思わず「おお!」と声が出るほどに興奮。

そこからラストにかけての怒涛のたたみかけがまたすごく「Something」で涙が出るほど感動し、そしてついにラスト、アンコールの「Bangla-desh」、ジョージの歌の迫力、演奏の迫力と一体感、すべてのアーティストの魂がひとつになって音を叩きだしているような迫力にぞくぞくするような興奮と感動を覚えた。
ジョージは歌い終わるとギターを置きひとり先にステージを降りる、そこから画面にはエンドロールがかぶり、演奏がさらに高まる。映画が終わったあとも実際にコンサートを観終えたかのような興奮状態が続いていた。

ロック免疫ゼロの中学生にとっては、それほど大きな衝撃だったのだ。

その後しばらく興奮状態はつづき、ほどなく中学生にとっては大変高価な3枚組LPレコード『バングラデシュのコンサート』を購入。

そして、そこから徐々に、ボブ・ディラン、レオン・ラッセル、エリック・クラプトンらのレコードを買い集めるようになり、さらにジェシ・エド・デイヴィスやビリー・プレストン、さらにさらにそこから派生してデラニー&ボニー、ジョー・コッカーなども聴くようになる。
ただ、そちら(スワンプロック)方面だけにズブズブと深くはまり込むわけではなく、同時にプログレやグラムロックも好きになっていったので、広く少しだけ深く様々なロック系音楽を聴くようになっていくのでした。

そういうわけで、ロック音楽への道標にもなった映画、私にとって特別な意味を持つ映画と言えるのです。



Ewa Demarczyk『Live』

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1992

Ewa Demarczyk『Live』(1992年日本発売)

今日は、一日中はっきりとしない天気で、体調的にもスッキリとしなくてちょっとだけ陰鬱な気分。
そんな日中、少し落ち着いた気持ちで音楽でも聴こうと、紅茶をいれ、このEwa Demarczyk(エヴァ・デマルチク)のCDをかけた。

そして、かなり集中してCD1枚を聴きとおした。
このCDを購入したのは、1992年頃、新星堂のOMAGATOKIレーベルから発売されてすぐの頃だと思う。
新星堂店頭の試聴用CDプレーヤーにセットされていたものを聴いて魅了され。即決でCDを購入。
Ewa Demarczyk(エヴァ・デマルチク)の事はそれまでまったく知らなかった。

ポーランドの代表的歌手で、このアルバムは1979年のLIVEが収録されている。
日本では、1992年発売までまったく紹介されていなかったらしい。

このアルバムには、すごく嵌って、購入後~今日に至るまでかなりの頻度で聴き続けている。
海外出張時や入院時にも必ずと言っていいほど携帯していた。
間違いなく「私を形成している」音楽のひとつ。

このCDを買った頃には、Ewa Demarczyk(エヴァ・デマルチク)の情報はほとんどなく、CDのライナーノーツだけが唯一の情報源だった。

ポーランド語(など)で歌われる歌詞は全く理解出来ないので、訳詞を食い入るように読みながらCDを聴いた事も一度や二度ではない。
特に、1曲目「静かな歌」、2曲目「トマシュフ」がたまらなく好きで、その2曲を聴いた回数は、他の曲達を大きく上回っている。
他の曲も大好きだけど、集中して聴く時間がない時などは、はじめの2曲だけ聴くという感じで。

言葉は分からなくても、その歌を通して伝わってくるものはとても大きく、心が震えるような瞬間を何度も味わった。

このアルバムに収められた曲の歌詞は、いわゆる音楽のための歌詞ではなく、詩人の書いた詩が使われていて、Ewa Demarczykは、その詩を大事に大事に表現している、そんな気持ちが伝わってくるようだ。


このCDの事を以前SNSで取り上げたところ、数人から、「私も持っています」「私はアナログ盤で持っています」などのコメントがあり、驚きと喜びを禁じえませんでした。というのも、Ewa Demarczykを知っている人自体周りに全くいないと思っていたので。そのコメントをしてくれた方々は(SNS以前から)リアルでも繋がっていて、なんと周りにいたわけです。こういう音楽について語り合える人がふつうに周りにいる事が本当に有り難い。

最後にその時のSNSへの投稿を転載いたします。


2017年9月26日

今朝は、コーヒーのお供に、これを聴いていました。

Ewa Demarczyk(エヴァ・デマルチク)のLive。

先日、Scott Walker – TILTを聴いているとアップした所、ある筋から大変心配していただいたのですが、大丈夫です。病んでません!(笑)

これもScott Walker同様、夜に聴くとしっくりくるような惹き込まれる音楽ですが、朝に聴くのもまた一興。

(しかしこれから働きに出るぞ!という方々には、ふさわしくないかも知れません)

エヴァ・デマルチクという方は、ポーランドの女性シンガーで、私がこのCDを入手した頃は、全くと言っていいほど情報が無く、新星堂が輸入販売してくれた、このCDのライナーノーツが唯一の情報源でした。

どんな容姿かも、ジャケット写真以外では全く知る由も無く、それが今や、YouTubeでLIVE映像まで観る事が出来るという・・・

それはとてもうれしい事なのですが、情報のグローバル化によってミステリアスなものが消えて行ってしまうのは寂しくもありますね。

(プロレスの世界で言えば「まだ見ぬ強豪!」的な、わくわく感も無くなりました)

なんとなく手にしたこのCDですが、一時、ものすごくはまっていました。

そんなはまりまくっていたある日、偶然つけたテレビからこのアルバムの1曲目(大好き!)が流れてきて驚愕した思い出があります。

それは東京12チャンネルの音楽番組で、なるほど、新星堂が提供していたものです。

番組名を忘れてしまいましたが、とても素敵な音楽番組でした。

あっ!そうか。

ちょっと待てよ・・・とばかりに、今、YouTubeで「新星堂 エヴァ・デマルチク」と検索したところ、出てきました。

なんだかすごいな・・・テクノロジー。

『新星堂 EVER GREEN MUSIC』という番組でした。

これ関東地方在住(当時)のお友達は、知っている人もいるのでは?

Steeleye Span『Now We Are Six』

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1980

Steeleye Span『Now We Are Six』(1974年発売)

Mike Oldfield~The Sallyangie辺りから、徐々にブリティッシュ・トラッド系の音楽への思いが強くなり始めた1980年頃。
巷に流れるMTV系ヒット曲や産業ロック等に背を向けるように、輸入レコード店片隅のブリティッシュフォークやトラッドといったコーナーを漁るようになる。
そんな頃、手にした1枚がこれ。
Steeleye Spanという名前は知っていたけれど、それ以上の知識は特になく、ジャケットに魅せられて購入。

Steeleye Span、はじめの1枚としては大正解だったと、今でも思う。
エレクトリックな音は控えめで、美しいハーモニー、アコースティックの音色が気持ちよく響く曲が多いから。
でも、聴き直してみると、やっぱりエレクトリック・ギターの入っている曲もそれなりあって、そういうのは若干苦手かな・・・
このアルバムを初めて聴いた頃は、そんなに苦手感なかったのだけど、古楽を熱心に聴くようになってからは、苦手感が強まった気もする。

当時、あまり情報も無い時代、完全なジャケ買いだったのですが、買ってしばらくしてから、ジャケット裏の(ゴチャゴチャして見づらい)クレジットを眺めていたら、David Bowieの名前がある!?
えっ!?
私、David Bowieの大ファンなのですが。
全く知らずに引き当てるあたり、運が良いと言うか、引きが強いと言うか、とにかくラッキー。

このアルバムに収められている曲は、ほとんどトラッド曲なのですが、ラストの曲で、フィル・スペクターの「逢った途端にひとめぼれ」(To Know Him Is to Love Him)をやっていて、そこでサックスを吹いているのが、なんとDavid Bowie。
若干ヘタウマっぽくもありますが、味のある歌心溢れる音を聴くと「ああ、Boiweが吹いているんだなぁ・・・」と、その姿が頭の中に浮かぶような気さえしてきます。(大ファンですから)

もうひとつ、クレジットを読んで気がついたのは、このアルバム、(Jethro Tullの)Ian Andersonがプロデュースをしているそうな。
へ~って感じ。

なかなか面白いアルバムを引き当てた物です。

このアルバムで、1番好きな曲は「Long-a-Growing」
たまにこの曲だけ無性に聴きたくなってレコードを引っ張り出していたほど。


この後、Steeleye Spanは、アナログ盤で14、5枚は買ったかな。
一番はじめに買って、一番聴き込んでいるという面もあるかも知れないけれど、やはり、このアルバムが一番好き。

そして、さらに、ずぶずぶとブリティッシュ・フォーク系音楽の深みにはまっていくわけです。


これは、既に「私を形成しているもの」で取り上げていますが、2007年に、これまたラッキーな展開から、このSteeleye SpanのVocal、マディー・プライヤー(&ザ・カーニヴァル・バンド)の来日公演も見る事が出来ました。
MADDY PRIOR & THE CARNIVAL BAND LIVE

小室等『いま生きているということ』

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1976

小室等『いま生きているということ』(1976年発売)

歌「いま生きているということ」との出会い

1976年のある日、私、高校1年生の時。
夜遅い時間帯のTV番組に小室等さんが登場。(番組名などは失念)

その前年のフォーライフ・レコード(吉田拓郎、井上陽水、泉谷しげる、小室等の4人で設立したレコード会社)設立のニュースなどで、いや、その前から、存在は知っていたのだけど、小室さんの音楽をまだあまりしっかりと聴いた事はありませんでした。

そのTV番組で小室さんが歌ったのは「いま生きているということ」
とても長いその歌をフルコーラス歌われたと記憶しています。

淡々と歌いはじめた、その歌。言葉のひとつひとつが、心に残り、いつの間にか目も耳も心も完全にTVにくぎ付け状態。
歌は、徐々に激しく熱を帯び、そして最後は、優しく静かに幕を閉じました。

アルバム『いま生きているということ』購入

その静かな熱唱に激しく胸を打たれた私は、ほどなく、この歌がタイトルソングとなっているアルバム『いま生きているということ』を購入。
まだLPレコードを1枚買うのが、大変だった時代に、(買いたいと思っている数々のロック名盤を差し置いて)購入に踏み切ったのは、間違いなくこの時の「いま生きているということ」のインパクトがあまりにも大きかったから。

それだけでも、充分な理由なのだけど、もうひとつ購入の意志を決定づけた理由があって、それは、この頃放送されていたTVドラマ「高原へいらっしゃい」の主題歌「お早うの朝」が収録されていたこと。
このドラマそしてこの歌が大好きだったのです。

ただこの「お早うの朝」に関しては、(購入当時)ちょっとがっかりする事もあって、それは後述。
何はともあれ、『いま生きているということ』、初めて購入した小室等のレコードです。

まずは、「いま生きているということ」と「お早うの朝」2曲をお目当てに購入したわけですが、購入時~購入後に知るあれこれもありました。
このアルバムの歌詞は全曲、詩人の谷川俊太郎の作品であること、演奏にはムーンライダーズのメンバーが全面的に参加、矢野顕子も数曲でピアノを弾いていること、など。

ただ、当時、15歳、高校1年生の私は、(なんかスゲー!とは思っていたけど)その有難みを今ほどは実感できていなかったと思います。

さて、聴いてみての感想です。

2つの「お早うの朝」

まず、お目当ての1曲「お早うの朝」
これが思っていたのと違った!
私の頭の中にある「お早うの朝」それは、下に貼り付けたYouTube動画のヴァージョン
テンポも演奏も、そして歌も、どこか軽快な高原の気持ち良さを思わせるような曲。

それがこのアルバムの「お早うの朝」は、テンポも遅く、歌も朗々とした歌い方、あまりの違いに愕然としました。どういう事!?と。

あの軽快な「お早うの朝」が心に残っていて、それが目当てで買ったという面もあるので、はじめのうちはちょっとがっかりしたわけです。

このアルバムヴァージョンも徐々に好きになりましたが、TV主題歌版シングルヴァージョンの「お早うの朝」がどうしても聴きたくて、後にシングル盤も購入しました。

そのがっかり感とも共通するのですが、このアルバム全体の音が、当時の私にはちょっと大人過ぎたような面があって、はじめのうちは、あまり馴染めなかった気がします。
退屈というほどではないのだけど、馴染むのに時間がかかった。

「いま生きているということ」を聴いて気づいたこと

そんな中、このアルバム購入の一番のお目当て「いま生きているということ」だけは、はじめからダイレクトに心に飛び込んできました。

そして何度か、この曲「いま生きているということ」を聴いているうちに気づいた事があります。

長い曲の中盤で「いまブランコが揺れていること」以後、何小節か。
「ブランコはぼくが作ったブランコ ブランコには娘がのっている」と歌われる、そこの部分が、何か、全体の文脈と違う気がしてきたのです。

歌詞カードを見ても、その部分の歌詞は記載されていない。
後に手にした谷川俊太郎の「生きる」という詩集に収載されたこの詩にも、その部分はない。
ただ歌詞カードには、全曲、作詞 谷川俊太郎としか記載されていない。

若干、疑問はあるものの、ジャケット写真のブランコこそが、その「ぼくが作ったブランコ」なのだろう、と思い至る。さらに裏ジャケットをよく見ると、ブランコ写真についての記載があり、思った通り、小室さんが娘のために作ったブランコだという事が記されていました。

という事は、あの部分は小室さんが付け加えたというか、アドリブ的に歌ってしまった歌詞なのだろう、と考えてほぼ間違いないでしょう。

この件については、その後数十年経った2017年5月に直接小室さんに確かめたところ、思った通りの答えが返ってきました。

その際、「『いま生きているということ』のアルバムに入っている「お早うの朝」が思ってたヴァージョンと違ったので、シングル盤も買いました。」という話をしたら、笑いながら「それはごめんなさい」と謝られてしまいました。いやいや、そんな~LPとシングル両方買って良かったと思っています。

2017年5月 和久井光司さん主催ボブ・ディラン・サミット2017にて(どるたん/小室さん/PANTAさん)

「いま生きているということ」と私の生き方

で、この「いま生きているということ」が、なぜこれほどまでに心に響いたのか、という事について触れたいのですが、それは「いま」「生きている」ということ自体が、子供の頃(具体的に言うと小学2年生時のある日)から、自分自身のテーマになっていたから。
「いま」「生きている」ということは、「いつか死ぬ」ということ、それはいつだか分からない、だから「いま」が大事なのだと、思い続けて生きてきたのです。
例えば「納得できない事はやらない」他、自分自身に課したいくつかの決まりごとがあって、それは死ぬ時に後悔したくないから。子供の頃から一貫してそうやって生きてきました。
そんな生き方をしてきたからこそ、この「いま生きているということ」が実感として心に響いたという事でしょう。

歌詞の中の

生きているということ
いま生きているということ

それはミニスカート
それはプラネタリウム

それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ

ここで、いつも泣きそうになります。
そうやって色々なものに出会ってきたから。
芸術や観光名所じゃなくても、風にそよぐ新緑、こもれび、夕焼けなどなど、日々美しいものに出会い、その出会いに感謝しています。

そして、この後つづく

そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

に深く納得し、これからも、そうやって生きていこうと思うのです。

後半の詩にも感動する部分はあるのだけど、いちばん私自身の心の琴線に触れるのはこの部分。

変わっていったアルバム全体の印象

はじめの方で書いたように、このアルバム全体の音に馴染むのに少し時間がかかったのですが、聴き込んでいくうちにかなり印象が変わっていきました。
全ての曲が、詞が、心に届くようになったのです。

はじめのうちは、なんという事のない情景を描いただけの詞だと思っていたものが、心の中で膨らんでいきました。

例えば「高原」という歌

野苺の花の上の露のひとしずく
まん中に草の生えてる道は
霧の中へ消えてゆく

この3行だけでも、美しいイメージ、情景が心に浮かぶのだけど、さらに

朝は峠をこえてやってきた
微風(そよかぜ)にほほをなぶらせ
いま ぼくは生きている

と続き、なんだかたまらない気持ちになります。

そして、ムーンライダーズのカントリー調の演奏がどこか大人びて聴こえて、15歳の私にはすぐには馴染めなかったのですが、とても心地の良い、心に沁みる音に変わっていきました。

また、年を経ると、15歳の頃、あまり有難みが分からなかった、谷川俊太郎、ムーンライダーズ、矢野顕子の存在も自分の中でどんどん大きくなっていき、それに伴い、さらにこのアルバムの存在も大きくなっていくのでした。

このアルバムを買ってから、約50年。ほぼ半世紀!?

その間、毎年必ず針を落とす特別なレコードであり続けています。

きっとこれからも。

松任谷由実『時のないホテル』

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1980

松任谷由実『時のないホテル』(1980年発売)

このアルバムが発売されたのは、1980年6月、ジャケットの雰囲気やタイトルに強く惹かれて発売後すぐに購入。当時、私は19歳。

中学3年の時、出たばかりの『コバルト・アワー』を買ったのが、初めてのユーミン。

正直言って『コバルト・アワー』には、それほど嵌らなくて、むしろ、後追いで聴いた『ひこうき雲』『ミスリム』に、より惹かれる物を感じていました。

その後も、ユーミンの音楽には、折々に心を寄せてきたのだけれど、中でも特別な思い入れがあるのが『時のないホテル』

1980年発売の、このアルバム、私にとって、あの時代の空気、あの頃の自分を象徴するような音楽。

今でも、聴くたびに、色々な物が琴線に触れて泣きそうになります(というか泣く)。

恋愛感受性低めの私が、なぜここまでユーミンにはまるのかと言うと、恋愛云々よりも「時の流れの無常」的な切なさに弱いからかも知れません。

特にこのアルバムには、そんな切なさが、(他のアルバムよりも若干多めに)つまっていると思うのです。

ユーミンの歌には、「時の流れの無常」が色々な形で描かれています。

「卒業写真」も「Good luck and Good bye」も「ハルジョオン・ヒメジョオン」も「Destiny」も「春よ、来い」も「Hello, my friend」も、あれもこれも・・・

例えば、このアルバムの、「Miss Lonely」は、戦争から帰って来ない恋人を待ち続ける老女の歌

♪ミス・ロンリー

50年前の日付のままカードを書く

ときには写真に向って白い髪を編んで見せる♪

と歌う。

このように、様々なモチーフを使い、情景を描き、多くの曲の中で、色々な立場からみた「時の流れの無常」を描いてきたユーミンが、このアルバムの最後に収められた「水の影」では

♪時は川 きのうは岸辺 

人はみなゴンドラに乗り

いつか離れて想い出に手をふるの♪

と、まさしく時の流れの本質、「時の流れの無常」そのものを言葉にしています。

こんな具合にこのアルバムには「時の流れの無常」その切なさが溢れています。

そこにたまらなく魅せられているのかも知れません。

とても個人的な話をひとつすると、このアルバムを聴きまくっていた頃に年上の女性と付き合っていました。
その頃、彼女は重い病気で入院中。

お見舞いに行った時に、このアルバムを録音したカセットテープを渡しました。

次にお見舞いに行った時に彼女が言いました。

>担当の先生に「 Myelogenous Leukemia(ミエロジェーナス・ロイケーミア)って何ですか?」って聞いたら「そんな事調べなくてもいい!」って怒られちゃった。

と。

このアルバムの中に「雨に消えたジョガー」という歌が入っています。その歌詞が

♪病気の名前はMyelogenous Leukemia(ミエロジェーナス・ロイケーミア)♪

彼女も同じ病気で、後に「雨に消えたジョガー」と同じ運命をたどるのでした。

ハンナ・バーベラ日本語版主題歌

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1966

昨日のブログ投稿「怪獣ロロの歌」で、ハンナ・バーベラ・アニメの主題歌集のCDについて少し触れ、その中で、これを買った一番の目当ては「宇宙怪人ゴースト」のテーマ曲。と書きました。

「宇宙怪人ゴースト」のテーマ曲が好きでたまらなかったわけですが、それだけじゃなくて、他のハンナ・バーベラのアニメの主題歌も大好きでした。

でも実は、このCDを買うまでは、どの作品がハンナ・バーベラの作品などと考えた事はなくて、これを買って改めて(というか初めて)、私が好きな歌は、ほとんどハンナ・バーベラの作品だと気づいたのです。

このCDに入っているもので言えば『大魔王シャザーン』『怪獣王ターガン』『チキチキマシン猛レース』など、子供の頃聴いていただけなのに、今でも空で歌える、大好きな歌ばかり。

そして、これを買った後に、「ではこれに入っていないアニメで、私の好きなものはハンナ・バーベラではないのだろうか?」と思って色々調べました。

ロードランナーやバッグス・バニーがハンナ・バーベラではなく、ワーナーの作品だという事だけは、あらかじめ知っていました。
小学生の頃、家の近くにあったカー用品店でワーナーのアニメキャラのステッカーを売っていて、それを集めるのがマイブームだった時期があるので。

それ以外の色々。
例えば、いつも動物園を抜け出すワニの話とか、ライオンとハイエナのコンビとか、突貫カメくんとか。
調べてみると、この辺の動物系も、全部ハンナ・バーベラ!!
でも、思い出してみると、この辺の作品は、英語版の主題歌(主題曲)をそのまま流していたので、このCDには入らなかったのでしょう。


それでは、これまた大好きな『スーパー・スリー』は?
これもハンナ・バーベラ!
大好きな日本版主題歌もあるのでこれは入れて欲しかった。


少し古い物で言うと『シンドバッドの冒険』
この歌も大好きなのですが、同じ歌詞のフレーズで2種類のメロディーが浮かんでくるのです。
ひとつは、

♪ぼうけんのうみだ~ふなでだかぜがよぶ~♪

で、もうひとつは

♪ぼ~けんのう~みだ~ふな~でだ~か~ぜがよぶ♪

ってこう書いてもなんのことやらですよね、ごめんなさい。
調べてみると、これもハンナ・バーベラ作品!
そして2つのメロディーも謎が解けて、実際に2種類の主題歌が流れていたんですね。

こういう事を調べるとすぐに分かって、曲も聴けてしまうのは、インターネット時代ならではの良いところ。
そうそう、パターン1はエレキバンド的な音で、パターン2は吹奏楽的な音でした。
両方好きだけど、パターン2の方がより好き、大好き。

この曲もCDに入れて欲しかった。


では『マイティー・ハーキュリー』は?
と調べると、これはカナダのアニメ制作会社のものでした。
この歌も好きだったなぁ



それでは♪ウッホ ウホ ウホ ウッホホ~♪の『キングコング』は?
なんと、これは、アメリカのビデオクラフト社と日本の東映動画による日米合作とのこと。
当時そんなこと全然考えずに観ていました。


こんな具合に、子供の頃好きだったアメリカのアニメ作品の多くがハンナ・バーベラのものだと、大人になってから知ったわけですが、もうひとつ大人になってから知って驚いたことが、大好きだった歌の数々が日本独自に作られたものだと知った事。

CDに「日本語版主題歌」と書いてあるように、このCDに収められている曲、すべて日本独自のもの。

そしてYouTubeでアメリカ版のオリジナル主題歌(主題曲)を聴くと、日本版の素晴らしさ、出来の良さに圧倒されます。
歌詞もメロディーも演奏も歌も、大人たち(歌は子供たちも)が本気で取り組んで本気で作り上げたものだと、その熱意がひしひしと伝わってきて、これまで以上に日本版主題歌が大好きになり、感謝の気持ちが溢れてきます。

例1として『大魔王シャザーン』
まずは日本版

そしてこちらアメリカご本家


例2は『宇宙怪人ゴースト』
日本版、これは昨日のブログにも貼り付けたやつ

そしてこちらアメリカご本家版


まあ国民性による好みの違いや、子供の頃に聴いた思い入れの深さなどもあるのでしょうが、私は断然日本版が素晴らしいと感じてしまいます。

という事で、素晴らしいアニメを作ってくれたハンナ・バーベラ(他海外のアニメ制作会社)への感謝と共に、熱意を込めて日本版を作り上げた方々に最大限の感謝を込めて、この項を終わりとします。

ありがとうございました!

小泉今日子「夏のタイムマシーン」

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1988

小泉今日子「夏のタイムマシーン」(1988年発売)

1988年に発売された小泉今日子(以下KYON2と表記)のマキシシングル。

なんと9分43秒もある曲です。
G.F.R.「孤独の叫び」より6秒も長い!(笑)

さすがにこれは通常のシングル盤サイズではなくアナログ盤は12インチで発売されました。
CDは、今は亡き(?)短冊形のパッケージに入った8cmCD(私が持っているのはCD)

この曲が好きでたまりません。

1988年、当時、私は27歳。

今や、59歳(2020年時)、しかも男の私ですが、当時も今も変わらずに、この曲が描き出す世界に胸がキュンとしてしまいます。

ここにシェアしたのは「夜のヒットスタジオ」で披露した際の動画。
この9分43秒の曲を2週に分けて演奏、放送しました。5分を2回という異例の扱いです。
きっと歌詞を全部伝えたかったのでしょう。
(前半部分をシェア)

この時も、言葉のひとつひとつをとても大事に、丁寧に歌っているKYON2
ですが、私が最も感動したのは、この時ではなくて、1990年の24時間テレビでKYON2のコンサートを放送した時の事。

そこでのKYON2は、この曲の歌詞に対する思いを、かなりしっかりと時間をとって語ってから、歌い始めました。

心を込めて。

10分程度の長い曲を全編通して。

歌詞の内容は、大人になった自分が、16歳の自分に語りかけるという物。
若干長めに1番の歌詞を引用すると

夏のタイムマシーン 少女の私に伝えてよ
あの日探してた答えは今も出せないけど WOW… 
夏のタイムマシーン だいじょうぶだよと伝えてよ
あの日輝いてたその瞳に負けないくらい
一生懸命泣いて
一生懸命悩んで
一生懸命がんばっているから

これは、ほんの一節で、実際に歌われたのは10分近い曲にのせたとても長い歌詞。
KYON2が丁寧に言葉を紡ぎだし、その言葉のひとつひとつが心に沁みていきます。
まったく長さを感じずに、最後までしっかりとその言葉を噛み締めつつ、音楽に浸る事が出来ました。

そして、自然と情景が浮かんできました。
一度も少女だった経験のない私ですが、時の流れの中で、とまどい、迷い、懸命に生きる若い自分自身に語りかける、励ます、そういうシチュエーションを思い描く事は出来るので、途中から涙が止まりませんでした。


RCサクセション 「ステップ!」

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1979

RCサクセション 「ステップ!」(1979年発売)

夜中、テレビを見ていたら(たぶん11PM)突然、RCサクセションが出てきた。

しかし、それは、私が知っているRCサクセションとは全く違うロックバンドだった。

小学生の頃、友達のお兄さん(頭脳警察3を持っていた人)に聴かせてもらったRCは、ちょっと素っ頓狂な声で、どこかすっとぼけたフォークソングを歌っていたのだが・・・

その夜見たRCは、ド派手な服を着て、濃い化粧をして、激しいアクションで歌いまくるヴォーカル、その隣にはキース・リチャーズのようなアクションでギターを弾く男。

曲は「ステップ!」

一発でやられた。

それ以来、頭の中から「ステップ!」のフレーズが消えなかった。

ほどなくレコード店で「ステップ!」のシングルを購入。

テレビで観た印象とは、随分違う音だと感じたけど(後にスタジオミュージシャンの演奏だと知る)、とにかくレコードで聴くことが出来る喜びは大きく、何度も聴いた。

B面の「上を向いて歩こう」も、泣きたくなるほど好きだった。

当時、RCのレコードは、全て廃盤状態だったので、RCの音に対する飢餓状態がしばらく続く。

そんな時、1980年のお正月。

NHK FMで放送されたスタジオライヴ、これが素晴らしかった!

エアチャックしたテープは、その後何年もの間、擦り切れる程、テープが伸びてしまう程聴いた。

さらに

シングル「雨上がりの夜空に」

ライヴアルバム『Rhapsody』

と順調に音源をリリース、あれよあれよと人気大爆発状態。
もちろん出るレコードはすべて買い、都内近郊でのLIVEへも何度か足を運んだ。

しかし、忘れらないのは、あの夜、偶然観た「ステップ!」
TVの画面越しにも伝わってくるものすごい熱気!

あれを観る事が出来たのは、本当にラッキーでした。


Mick Ronson 『Slaughter on 10th Avenue』

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


2004

Mick Ronson 『Slaughter on 10th Avenue』(1974年発売)

ミック・ロンソンの初ソロ・アルバム『十番街の殺人』
このアルバムをはじめて聴いたのは、たぶん1978~79年頃。

なのに「私を形成しているもの」の年号を2004年にしたのは、このアルバムを本気で聴き込んで、本当の意味で好きになったのが、2004年だったから。

どういう事かというと、私、元々デヴィッド・ボウイが大好き、大好き過ぎるほど大好きだったので、ミック・ロンソンの事も、「ボウイの片腕」的に認識はしていました。
ソロ・アルバムもその流れで聴いていました。
内容的にもかなり好きでした。ただ、どこかボウイっぽい。
ボウイっぽいものを聴くよりも、ボウイそのものを聴きたい、そんな気持ちが強かったように思います。その頃の私は。
なにせ、デヴィッド・ボウイが大好き過ぎるほど大好きだったので。

ものすごく正直に言えば、若干軽んじていたのかも知れません、ミック・ロンソンの事を。

では、なぜ、2004年に突然「私を形成しているもの」入りを果たしたのかというと、その年に、仲間に誘われて「Mick Ronson Memorial」という(DJ & LIVE)イベントをはじめたのです。
(それ以前に、1993年にミックが亡くなり、その翌年に出た遺作的なアルバム『Heaven and Hull』を聴いていて、その頃から少しずつ自分の中でミック・ロンソンの存在は大きくなってはいました)

Mick Ronson Memorial 2004より (2004年4月29日 大塚 Back Beat)

イベントをやる以上は、もっと真剣に聴いておきたいと思って、当時CD化されていた、このアルバムをはじめ、ミック・ロンソン関連のアルバムをCDであれこれ買って、聴き込みまくりました。

本当の意味で、このアルバムの良さを実感し、心底好きになったのは、その時。
それ以後は、ミック・ロンソンの声、演奏、のみならず色々な人のインタビューで語られる人柄など、すべてが好きになっていきました。

Mick Ronson Memorial Band 2012(2012年4月29日 渋谷 La.mama)

その後、(番組WEBの制作に関わっていた)J-WAVEの音楽番組「Beat On The Road」で、1週間ぶち抜きのMick Ronson特集企画をぶち込み原稿を書かせてもらったり、なんだり。
それほどにミック・ロンソンという人の存在は自分の中で大きなものになっていきました。

「私を形成しているもの」としてアルバム『十番街の殺人』をあげましたが、作品単位の話ではなく、私を形成しているものは、ミック・ロンソンという人そのものかも知れません。

このアルバムの話をすると、全体を支配する、ちょっと暗くしっとりとしたトーンが好き。
1曲、1曲も全部好き。胸がしめつけつけられるような切ない気持ちになる箇所がいくつもあります。
あえて大好きな曲をあげると「Growing Up and I’m Fine」と「Music Is Lethal」
両方ともボウイが関わっている曲(前者は作詞作曲、後者は作詞)なので、若干ボウイ大好きバイアスかかっているかも知れません。ごめんなさい。