Category Archive : LYRICS

「Museo」のこと

どるたん+しゃあみんのCD『異郷の詩』に収められている「Museo」
Museoとはイタリア語で、美術館や博物館のこと。
この歌では、ヴェネツィアにあるPeggy Guggenheim Collectionの事を歌っています。

この歌の歌詞は、ある程度この歌が出来た背景を知らないと理解しづらい、いや、ある程度分かっていても、ちょっと何言ってるか分からない、そんな歌詞。

それをしゃあみんが解説してくれました。

どるたん曰く。

この歌を聴いて、ちゃんと意味を理解している人、ほとんどいないと思う、というか意味を理解する気にならないような歌詞だと思うのだけど、しゃあみんだけは、書いた本人よりもよくわかっていたというね。めちゃ的確に考察、解説、紹介してくれています。

では、まず歌詞、そして演奏動画、最後にしゃあみんの解説を載せますので、ぜひご一読を。

Museo

作詞作曲:どるたん
編曲:どるたん+しゃあみん

眩暈がするほど美しく 
塗り込められた血の重さに
疲れ果てた心を癒す 
鮮やかな風が吹いていた

La collezione Peggy Guggenheim

悠久の時の流れに 
閉じ込められた街の外れ
鮮烈な空気を招く 
誇り高き一族の血よ

La collezione Peggy Guggenheim
La collezione Peggy Guggenheim


Museo – どるたん+しゃあみん with 素之助 Goodstock Tokyo 20181221

以下、しゃあみんによる「Museo」紹介。


イタリアには沢山の有名な美術館、博物館があります。
ミケランジェロやダヴィンチ、ラファエロ、カラヴァッジオといった巨匠達の作品に溢れています。
その、ひとつひとつに重厚な歴史が塗り込められているかのような作品達に疲れはてた時、訪れたひとつの美術館。
ペギー・グッゲンハイム・コレクションは、イタリアのヴェニスのカナル・グランデ沿いにある近代美術館。
20世紀前半のヨーロッパとアメリカの近代美術を収集したイタリアで最も重要とされている美術館です。 
キュビスム、シュルレアリスム等の抽象芸術を集めています。
彼女はナチスから退廃芸術と決めつけられた多くの芸術家を庇護し、波瀾に満ちたその生涯を過ごしました。
そんな、美術館の歌です。



こんな感じですかな?

新曲「月影のダンス」とダムの話

2022年12月18日(日)川越大黒屋食堂での「音楽食堂」-第27夜-にて、どるたん+しゃあみんの新曲「月影のダンス」を初披露いたしました。

どるたん+しゃあみん「月影のダンス」

この曲は、心象風景を歌詞にしたもので、少し前のブログ「10年前(旅のはじまり)」の中で、「四万川ダム周辺の風景をイメージして作ったもの」と書きました。

ただ、はじめから四万川ダムを意識して作ったわけではなくて、作っているうちに「四万川ダム周辺の風景」が浮かび上がってきたという感じ。

という事で、この歌詞に登場するダムは、四万川ダムのイメージ。

ところで、昨日、この曲を演奏したあとのMCで少し話したのですが、私、ダムがとても好きなのです。

城が好きとか、立体交差が好きとか、鉄塔が好きとか、まあ、色々なもの、とにかく美しい建造物、いや美しいと感じる物全てが好きなので「ダムが好き」というよりも「ダムも好き」ですね、正しくは。

それはよいとして、ダム好きの私は、80年代にもダムが出てくる曲を書いています。
当時のバンド(ユニット?)、不思議なバレッツの相方ファンキー君との共作で、タイトルは「ダム魂」(ダムだましい)。
ライヴでは一度も演奏した事のない未発表曲で、正直、コード進行も歌詞もあまり憶えていませんが「ダム魂」というタイトルと、冒頭の歌詞だけは、はっきりと憶えています。
「月夜の晩にダムに行った」という歌い出し。

今回、「月影のダンス」を作った時には、まったく「ダム魂」の事は頭になかったのですが、どちらも月夜のダムという情景でした。ちょっとびっくり。と同時に進歩しない思考回路にちょっとがっかり。
この心象風景はずっと心の中にあるものなのかも知れません。

ただ「月影のダンス」は、四万川ダムのイメージ。
「ダム魂」のダムは、特にどこという事はないのですが、私が思い浮かべていたのは小河内ダム。
きっとファンキー君も小河内ダムを思い浮かべていたはず。

四万川ダム(Wikipediaより)

それでは「月影のダンス」の歌詞を。

月影のダンス

ユラユラと影が
月影に踊る
誰が吹いているのか
口笛が聴こえた
夜啼く鳥の 声も聴こえる
凜と映える 秋の月が 川面を照らす

ダムの上で 踊るは 誰の影か
命ある人なのか 月が映す幻か

ダムの上で 踊るは 誰の影か
十六夜に浮かれた 亡霊のダンスか


新曲「混乱の街」のこと

2022年11月20日(日)Goodstock Tokyoどるたん+しゃあみんワンマン公演にて披露した2曲の新曲から、2曲目「混乱の街」の動画をYouTubeにアップいたしました。

どるたん+しゃあみん「混乱の街」

当初、今回は2曲のうち「戦禍の街」のみ、動画と解説を公開するつもりだったのですが、もう1曲「混乱の街」にもリクエストをいただいたので、公開します。

新曲2曲のうち、1曲は、12月18日の川越大黒屋食堂でのライヴで、はじめて聴く人のためにお楽しみとして、とっておこうと思っていたのですが。
まあ、その日は、また新しい曲を披露出来るかと思います。

さて、この曲、雰囲気としてはアングラフォーク的というか、昭和40年代的というか、そういう感じがしませんか?
作っているうちに、なんとなくそんな空気感が出てきたので、わざとそちらに寄せていきました。

歌詞は

混乱の街

意味のない言葉が 街中に溢れ
顔のない人の群れが 通りを埋め尽くす
開かない扉が 人々を隔て
助けを求める声は 誰にも届かない
誰にも届かない

泣き叫ぶ人がいて 踊り続ける人がいる
慌てふためく人がいて 笑い続ける人がいる

この街の名前は 渋谷 それとも 六本木
いいえ この街の名は 死人が集う 混乱の街

この街の名前は 新宿 それとも 池袋
いいえ この街の名は 死人が笑う 混乱の街

混乱 騒乱 淫乱 動乱 混乱の街
渾沌 混迷 困惑 困憊 混乱の街


「池袋」なんて、いまどきの歌にはあまり登場しない昭和な地名を入れてみたり、「いいえ・・・」なんて言い回しを使ってみたり。歌詞の最後にお経みたいに「混乱 騒乱 淫乱 動乱 混乱の街」と入れたのもちょっとアングラフォーク的?
わざとそんな小技を使いつつも、歌詞の視点は、2010年代に作った「スケッチ」や1980年代に作った「レミング」などと同じく、私が常に感じ続けてきた感覚。

この歌詞からイメージ出来るものは、人それぞれでよいと思います。
渋谷のハロウィンに集まる人々、観光地に押し寄せる外国人、国境の街に溢れる難民、などなど、集団が押し寄せる街。
ただ、私のイメージは難民的なものではなく衆愚。

この歌を書き始めた時期、歌詞もメロディーも土台が出来たタイミングで梨泰院ハロウィンの事故がありました。
~泣き叫ぶ人がいて 踊り続ける人がいる~
この辺の歌詞は既に出来ていたのですが、そのものズバリの場面をニュース報道で見て、梨泰院の事を歌っているようで嫌だなという気持ちになり、その時点で制作が一時中断しました。
その後、あえて歌詞の中に実際の地名、渋谷、六本木、新宿、池袋を登場させ、そのどこでもない、各人のイメージの中にある「混乱の街」という形にしてとりあえず完成。

そして言外に「私の好きな街をそんな混乱の街にしないで欲しい。」という気持ちと「私はそういう街には行きたくないな。」という気持ちを込めています。

新曲「戦禍の街」のこと

11月20日、どるしゃあGoodstock Tokyoワンマン公演から、新たに1曲、動画をYouTubeにアップいたしました。

当日は、新曲を2曲初披露したのですが、そのうちの1曲「戦禍の街」です。

どるたん+しゃあみん「戦禍の街」

リハで多少作りこんでからの、初披露。

歌詞の説明を自分であれこれ言うのあまり好きじゃないんだけど、説明すると喜んでいただけることが多いので、少し説明します。
喜んでもらえるのは、説明しないと分からないような歌詞ばかり書いているからですね、きっと。

「戦禍の街」というタイトルですが、どこか特定の街について歌っているわけではありません。
今は観光客が来るような街だけど、かつては、そこで大勢の戦死者が出た、世界中のどこにでもある、そんな街。
そこで、旅人が何を感じたか、ただそれだけの歌です。

実際にどこを旅している時でも、こういう気持ちになる事があります。
ここで過去に何があったのか。
今は、楽しく過ごしているけれど、過去には悲惨な出来事があった場所かも知れない。
そして、この先、いつまたそういう事が起きるかも知れない。
言葉には表していないけれど「だから今を大事にしたい。」という思いも込めています。

歌詞は以下のとおり。
TikTokなんて、10年後、20年後には「何のこっちゃ?」になりそうな言葉ですが、あえて使ってみました。
2022年に作った歌として、(自分の)歴史に残る事でしょう。

「戦禍の街」

分かり始めた この街をつつむ哀しみ
曲がり角には うずくまる影が
光の射さない 路地を歩けば
誰かの気配だけがある 
それは 時の狭間に 落ちていった 魂 

遠い国から来た少女が (かつて)血に染まった壁の前で
楽しそうに笑い 楽しそうに踊る 楽しそうな動画を  
TikTokにアップした

時の流れが 悲しみ 憎しみも 怒りも 消してゆく
だけども過去は 今も  そこにある
螺旋状になって 今と過去が重なる 
美しい景色と  血塗られた歴史が
ひとつになる時がある


「本棚」(Live動画アップしました)のこと

先日、11月20日、どるしゃあGoodstock Tokyoワンマン公演から、1曲、Live動画をYouTubeにアップいたしました。

アップした曲は「本棚」

どるたん+しゃあみん「本棚」

当日、本編で演奏した曲は、どるたん+しゃあみんとして活動を始めてから作った曲ばかりでしたが、1曲だけ10年ちょっと前に作った曲を演奏しました。
それがこの「本棚」

当時、バンドをやっていたのだけど、私の作る曲は、基本的に暗いし、遅いし、あまりバンド向きじゃなくて、「明るくてノリの良い曲が欲しい」というメンバーの希望があり、がんばって(無理して)作った曲。
ふだん私は、曲を作る時に、誰かの曲を意識したり、コード進行を真似したり、という事をした事がなくて、頭の中に浮かんでくるにまかせています。
結果として何かに似ている事は、あるかも知れませんが、他の曲を意識して真似しようとした事はありません。

ただこの曲だけは、ちょっと意識した物があります。
それはMott The Hoople
曲を具体的に真似したわけではないのだけど、Mott The Hoopleの「All The Way From Memphis」とか「Roll Away The Stone」とか、ああいうノリの曲を書きたいと意識して作ってみました。
あまり成功しているとは思わないけど。まあ、そういう気持ちで書いた曲。
長い活動歴の中でただ1曲だけ、何かを意識して作った曲。

それを最近、どるしゃあで取り上げるようになったのは、わけがあって、やはり、どるしゃあ曲も暗い、遅い、そして長い、そんな曲が多いので、少し気分転換できる場面を設けたかった。

あとは、この曲の歌詞。
実はけっこうどるしゃあの世界観にあっている、と初演時に感じたのです。

「明るくてノリの良い曲」というリクエストに応えて、がんばって作り出してはみたものの、歌詞までは明るくならなかったのよ。

一見(一聴)明るく聞こえるし、誰かに語りかけているような態で書いているけど、これ本当は

「本棚に囲まれた部屋から出られない男が、自分自身に語りかけている歌」

なのです。
まあ、自分の事ですけどね。
なんともどるしゃあ的でしょ?

そういう歌なので、しっかり気持ちを込めて歌えるのも、どるしゃあ的。
~「夢の浮橋」を渡り「夢の駅」に着いたら「キルヒャーの世界図鑑」を広げてごらん~
のくだりは、特に、毎回泣きそうな気持ちになります。
本の内容や、いつ、どんな気持ちで読んでいたか、とか、そういうものがたまにドッと頭(心?)の中に流れ込んできてしまう事があるのです。

歌詞を全編載せると

「本棚」

もしも今スグに遠い世界へ行きたくなったら
ぼくの本棚を旅してごらん
まばゆい光が見えるだろ? そうさあれが
『ブライト・ライト・ビッグ・シティ』の灯りさ
『中国行きのスロウ・ボート』に乗って、
『西方の音』に『耳をすませば』
『深夜特急』のレールの音と共に
『亡命旅行者は叫び呟く』

ほんの少しだけ 知らない街を歩きたいのなら
ぼくの本棚を歩いてごらん
その坂道を登った所にあるのが
『夢の木坂分岐点』さ
『コルシア書店の仲間たち』に会ったら
『見知らぬ旗』の下に集おう
『燃えつきた地図』は『花ざかりの森』へと
『微熱少年』を連れて行く

『夢の浮橋』を渡り
『夢の駅』に着いたら
『キルヒャーの世界図鑑』を広げてごらん
『争いの樹の下で』『「救い主」が殴られるまで』
『アリスの穴の中で』眺めていればいいさ

Book is Real
Book is Illusion
Book is My Life


もしも 心の闇を覗いて見たくなったら
ぼくの本棚を覗いてごらん
『赤い部屋』の中で『踊る一寸法師』が見えるかい?
『蠢く触手』が『芋虫』みたいだろ?
『押絵と旅する男』と一緒に
『海底の魔術師』に会いに行こう
『幻影の城』から『暗黒星』を見上げて
『人でなしの恋』もたまにはいいさ

Book is Real
Book is Illusion
Book is My Life


という歌詞。
当時、天井まであるような本棚に囲まれた部屋に生息していたので、その本棚に並ぶ本を眺めながら、背表紙のタイトルをランダムに取り上げて歌詞になるように並べてみたら出来上がりました。
本のタイトルは、特にジャンルや著者にこだわりなく、目に付いたもの、使えそうな言葉で選んだのだけど、3番だけは、全部、江戸川乱歩の作品名になっています。そこだけ、ちょっと特別。

Barclay James Harvest というバンドの曲で「Titles」という曲があります。
これは、The Beatlesの曲のタイトルを色々と歌詞に組み込んでいるもので、手法としてはそれと同じ。
作った時にはそれは特に意識していなかった、というか、「Titles」の事知らなかったのですが。

さて、そんな私の本棚。
当時は、出入り口以外は全部天井まで本棚みたいな部屋に暮らしていましたが、今、手元にあるのは、ごくごく1部だけ。
隙間家具みたいな縦に細長い本棚と、大きいスチール製の本棚(こちらは手前にCDが置いてあるので、奥にある本の背表紙がほとんど見えない構造)だけ。
なので、今だったらこの歌詞は絶対に書けなかった、あの頃だから書けた歌詞。

ちなみに今の隙間家具的本棚を1部お見せいたします。
写真撮影用に並べ替えたりしていないありのままの私。じゃなくて本棚。

7/3、Goodstock Tokyo公演を終えて(しゃあみん編)

7月3日(日)大岡山GoodstockTokyoでの、どるたん+しゃあみんライヴ、ありがとうございました。


2時間程の長い時間でしたが、演奏の中で幾つもの気付いたこと、思い出したことなどがあり、本当に貴重な一時を過ごさせていただきました。

ありがとう。

歌について思ったのですが、「滅びの街」や今回もカバーした「ハレルヤ」もある日突然失われてしまった日常について歌っています。

ただ、どるたんの歌詞はどんなに踏みにじられた世界の中に居ても、必ずまた歌が甦る事を決して疑わない強さがあります。

今回特に「ハレルヤ」では、2008年の6月にポール・マッカートニーが、ウクライナの独立広場で歌ったジョン・レノンの「平和を我等に」を歌っていますが、ベトナム戦争終結に沢山の人達の心を動かしたこの歌こそが、今の僕達の願いそのままの姿でした。

この歌詞を見て日本人の皆さんが思うことは、多分みんな一緒だと思います。

僕達が知っているのは連日テレビで流れた、破壊されたアパートや劇場、広場での亡くなられた人達への嘆き。
それくらいな物なのです。

でも、僕達は沢山の願いを込めた歌が決して途切れぬように、嘆きの声に消えて終わらぬように。

忘れないで。

僕は信じてる。

また、いつか必ず歌が甦りますように。


「ハレルヤ」

10 階建てのアパートの
6 階の右から 3 番目に
君は家族と住んでいたよね
学校に向かう途中で
見上げると君はベランダの
花に水をあげていた
ハレルヤ 
ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ

夕暮れ時の子供達
お母さんが呼ぶ声を無視すように
いつまでもサッカーボールを追いかけていたよね
いつかはスペインやイングランドの
大きなクラブでプレイするって
みんなで夢を語り合った
ハレルヤ

2008 年の 6 月には
独立広場で君と一緒に
ポール・マッカートニーのライヴを観たよね
あの日、ポールが歌ってくれた
ジョン・レノンの「平和を我らに」を
みんなで一緒に歌った
ハレルヤ

とても古いけれど
いつもきれいなこの劇場が
ぼくたちは大好きだったんだよね
崩れ落ちてしまった劇場に
あの日鳴り響いた歌よ
いつかまた響き渡れ
ハレルヤ

10 階建てのアパートの
たくさんの部屋のひとつひとつに
それぞれの暮らしがあったはずだよね
今、崩れ落ちた瓦礫の中にある
写真たてやぬいぐるみやスケッチブックが
語りかけてくる声が聞こえるか
ハレルヤ
ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ


『異郷の詩』に登場する映画のエピソード

どるたん+しゃあみんの1stアルバム『異郷の詩』は、北イタリアの街を舞台にした歌だけで出来ています。
Milano, Breacia, Cremona, Veneziaなどなど

その歌詞の中には、映画のエピソードがいくつか登場します。
特に映画の題名などは歌いこんでいなくて、気がついた人にニヤリとしてもらえれば嬉しいな、というスタンスでいました。

ただ、たまに歌詞の解説が欲しい、詳しく知りたいというリクエストがあります。
これまでにも、若干リクエストに答えて、登場する固有名詞の説明などはしてきましたが、今回は、歌詞に登場する映画のエピソードを取り上げたいと思います。

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「紫陽花アナベル」歌詞&動画

6月27日(土)Goodstock TokyoでのLIVEから「紫陽花アナベル」の動画をYouTubeにて公開いたしました。

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新曲『滅びの街』

6月27日(土)Goodstock TokyoでのLIVEで初披露した新曲、2曲のうち1曲「滅びの街」のデモ音源をSoundCloudにて公開しました。
https://soundcloud.com/dorutan/demo
どるたんの弾き語りです。

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紫陽花アナベル

大岡山Goodstock Tokyoの初演に続いて、先日の川越大黒屋食堂での二度目の演奏で少しづつ輪郭がはっきりして来たように思います。

アナベルは北アメリカ原産の白い紫陽花。
その可憐な美しさと栽培が楽なので日本でも近年とても人気がありますね。
花言葉は「ひたむきな愛」です。
紫陽花の花言葉は「浮気者」なので、正反対の意味を持つ紫陽花です。

この清らかな花が咲くサロの街はかつてムッソリーニがナチスドイツの傀儡国家イタリア社会共和国を打ち立てた暗い歴史があります。

そんな暗い歴史を精一杯に隠すように清らかに咲く紫陽花アナベルを私は愛しくも切なく想うのです。
傷跡は隠せても決して消えることは無いのですから。

アナベルと言う名前の由来には幾つかあるのですが、そのひとつにエドガー・アラン・ポーの最後の詩「アナベル・リー」から付けられたと言うものがあります。

船乗りと少女の報われなかった愛の伝承物語を元に書かれた美しい詩です。
ポーが若くして亡くなった妻を想い書いた最後の詩は美しい悲しみの魂に満ちています。
(ジョーン・バエズが歌にもしているのでぜひ聴いてみて下さい)

ギターの主旋律に触れないように、けれども寄り添うように「あなたが気づかなくても、私はここにいますよ」と言う感じでチェロを弾けたらと思い間奏を短い対位法で作りました。

時代の流れの中で触れ合う幾つもの命の歌が、私達を異郷の旅へいつも誘うようです。