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フィフティー・フィフティー

昨年中よく聞いたフレーズ「フィフティー・フィフティー」
言うまでもなく大谷翔平選手の50本塁打/50盗塁という大記録を表す、おめでたい言葉として聞いたフレーズでした。

しかし、私が先日(1月10日)聞いた「フィフティー・フィフティー」は、あまりおめでたくないフレーズ。
フィフティー・フィフティー=50% / 50%=5分5分(ごぶごぶ)
という意味として聞いた「フィフティー・フィフティー」

それは癌の転移再発可能性。

「再発可能性は、フィフティー・フィフティーなので抗がん剤治療で少しでもリスクを減らしていきます」という趣旨の話でした。

まあ、以前から聞いていた事なので、特に大きなショックはないのだけど「若干%あがってないか?」という気がして、過去ブログを調べてみました。

と、昨年12月のブログ「検査結果及び今後の治療からのLIVE告知」に、再発リスク40%~50%と書かれていました。
まあ、その時とは医師も違うし、言い方が変わっただけで、ほぼ同じ。
見立ては変わらず、しっかりと医師間、医療機関内の見解は統一されているようで、逆に安心しました。

ちなみに転移する場所は、肺とか肝臓とか、色々考えられるみたい。

そうなるとまた手術だなんだと大変だし、行動の制限も大きくなりそうなので、しっかり注意して生活していきます。

とはいえ、あまり神経質になる事なく、いつもどおり楽しく、やりたいことをやっていく所存。

無理はしないつもりなので、どこかで私に合う事があれば、それは無理せずに外出しているという事。
音楽活動をしていたら、無理せずに活動しているという事なので、過剰な心配はせずに接していただければありがたいです。
(行動できない時は迷惑かけてしまいますが、その時はごめんなさい)

幸い私の周りにはそうやって自然に接してくれる方々が多くいるので、これからも安心して行動、活動していけそうです。

新年早々病気の話ばかりですみませんが、どうぞよろしくお願いいたします。


初日……のつづき

さて、1月10日から始まった抗がん剤治療に関して、帰宅後にざっと初日の様子をブログにあげました(初日)。

今日は、ちょっと詳しい内容とその続き。

抗がん剤治療の初日は、点滴で抗がん剤投与。
その後、2週間朝夕食後に錠剤を経口投与。
その後、1週間はお休み。

という3週間1クールの繰り返しを8回、まず半年続けるというスケジュール。

初日の点滴自体は2時間程度と聞いていたので、朝行って、遅くなったとしても午後2時頃には家に帰れると思っていたのだけど、終わって家に着いたのは夜8時過ぎという事は前回書きましたが。

まあ、色々舐めていました。
という反省談を、自分自身の戒めのためにも、万が一同じ状況になった人への軽いアドバイス(になるかどうかは分からないけど)としても、書き記しておきます。

なんだかんだで、点滴が始まったのは15時頃(だったかな)。

この時点でかなり疲れていたので、点滴をしながら眠る気満々。
しかし、点滴室はリクライニングチェアで座って点滴を打っている人たちの姿が。
「ベッドじゃないのか~」と一瞬落胆したけど、初めての抗がん剤投与という事で、ベッドに案内され心の中でガッツポーズ。

そもそも私は点滴が大好き

という事を過去にブログで書いています。(2023年元日
長い投稿なので、点滴の部分を抜粋すると

そして、こんな事を言うと、重病などで長期入院しているような方に申し訳ないのですが、あくまでも私の場合として聞いて下さい。

私、謎熱で入院するのが大好きでした。

というのは、入院中だけは、夜、眠る事が出来るのです。
しかも昼間もいくらでも寝ていられるのです。
特に点滴されながらスーっと眠りに落ちていく時間に、本当に幸せを感じていました。
これまで眠れなかった分を取り返すかのように眠りまくるのです。

ただ、これまでの栄養補給系の点滴と違ってスーッと気持ち良く眠れるようなものではないのかも?と軽く分かってはいたつもりでした。

とはいえ、疲れていた事もあり、やはり点滴開始後気持ちよく眠りに落ちていく私。

何度か、看護師さんが「気分悪くないですか?」「痛みやしびれは大丈夫ですか?」と声掛けしてくれるのだけど、ぼんやりした頭で「大丈夫です」「問題ないです」と答え、また眠りに落ちる。

もしかしたら、この時点でかなり体に違和感はあったのかも知れないけど、私のボンクラ脳は「点滴大好き」という妙なポジティブ感に支配されていたのか、まったく問題なく、快適に点滴を終える事が出来たのです。

これがいけなかった!

点滴を終える頃に看護士さんが色々と副作用の説明をしてくれました。
説明というよりも雑談に近い感じで分かりやすい例をあげて親身に話してくれる感じで。

「冷たいものを触ると指先がすごく痛くなって、冷蔵庫のドアや中の物に触れないみたいな、生活に支障をきたす人もいます」
「この時期だと外に出ると冷たい空気に触れて頬が痛いという人もいます」

なんて事を、もっと色々と例をあげて、注意した方が良いですよ、と話してくれていたのだが、私まったく他人事のように聞いていたようです。

それを実感するのに時間はかかりませんでした。
ベッドから立ち上がり特にどこにも異常を感じることなく病院の外に出た私。

病院の玄関前にある彫像がライトアップされていたので、ちょっと写真を撮って行こうと、呑気にスマホを取り出し1枚。


ほんの30秒ほどの事だったと思うのだけど、突然指先に強烈な痛みを感じる。
「いててて!」と声が出るレベルの痛み。

「冷たい物や、冷たい空気に触れると痛みが出る」と言われていた事をしっかりと実感した瞬間です。

慌てて手をポケットに突っ込み小走りに車へと急ぐ。
すると、今度は冷たい風にあたった頬がピリピリと痛み出す、看護師さんに言われたやつじゃん!

ほどなく車にたどり着き、まだまだ事の深刻さを理解していない私のボンクラ脳はポケットから手を出し、車のドアノブへと手を伸ばす。

「いて!!!」けっこう大きな声が出たと思う。
静電気やビリビリペンどころの痛さではなく、なんと表現してよいのか、とんでもなく冷たい物に触れたような感覚で、とにかく痛かった(語彙力)。

しかも、その強烈な痛みはけっこう後を引く痛さ、痛みが引いた後もジンジンするようなしびれ感は続く。

ここでようやく手袋を身に着け、注意深く行動しないと、とんでもない目に合うという事を理解した私のボンクラ脳。

自宅に帰った後も、注意深く行動していたにも関わらず、いくつか痛い目にあっています。

それはまず家に入った瞬間。
フローリング(風)の床にスリッパも履かずに歩を進めてしまった私。
靴下越しにも「なんじゃこりゃ~!?スケートリンクか?」というほどの冷たさ。
慌ててホットカーペットのある部屋に小走りで向いスイッチオン。

手洗いも、うがいも出来なかった。
が、これは結果的にラッキー。
いつものように、洗面所に向かっていたら水でうがいして、水で手を洗っていた事でしょう。

少し落ち着いてから、キティちゃんの靴下に履き替えて、お湯でうがいと手洗い。

その後は、まあ冷たい系の痛みは回避出来ていたかと思われましたが、次に声が出るほどの痛みを覚えたのは、トイレにて。

ドアをあけ、便座カバーをあげるところまでは手袋をしていたのでOK。
その後、手袋を外し小さな用を足し終え、水を流す。

タンクの上から出る水で軽く手を流し、ペーパータオルでさっと吹いた後、キッチンの水場で石鹼でよく洗うのがいつものルーチン。

いつものように水で軽く洗おうと、手を伸ばし水に触れた瞬間「いて~!!」と、かなり大きな声が出ました。油断してました。水では手も洗えないのか!?

その後、トイレでは手を洗わず、ペーパータオルを持った手で水を流しドアを開け、キッチンの湯沸かしで洗うというルーチンに変更。

しかし、本当に舐めていたのですね、私。

冷たい物に関する知覚が強烈に過敏になっています。
これほど痛いとは!!

冷たい系だと、翌日の昼間、おやつにバナナを食べようとした時にも痛みを感じました。
バナナはふつうにキッチンの果物かごにあった(ちょっと寒いけど)常温のもの。

一本手にした瞬間
「いてっ!!これ釘打てるバナナじゃないの!?」
という感覚。これにはびっくり。バナナまでもが牙をむくとは。

冷たくて痛い系で印象的だったのは、こんなところですが、他にもいくつか書き留めておきたい事象がありました。

「冷たい物を飲むと、喉が閉まったような感じになって、中には過呼吸のようになる人もいる」という話を看護師さんから聞いていたけど、常温の水でもアウトでした。喉がキューっとしまって何かが詰まっているような感覚。

なんでも温かいものしか口に入れられないかも。

あと薬を飲む時に、いつまでも喉に引っかかっているような違和感があります。
喉が閉まっていて、実際に飲み込めていないのか、違和感だけが残っているのか、よくわからないけど、とにかくいつまでも喉の途中に固いものがとどまっているようで、気持ち悪く、毎回、大量にぬるま湯を飲んでいます。しばらくすると違和感は消える。

もう一つ食事の時に、口を開けると顎の関節がかなり痛い。左右両側ともに。
何度か口を開け閉めすると痛みは消えるのだけど、初めの一口は毎回かなり痛くてつらい。

この事例は聞いていなかったので、ちょっと検索してみたら、まったく同じ事象が日経メディカルに掲載されていました。

あとは、今回点滴を打ったのが左腕だったのですが、2日目の朝になってもまだ左の腕全体がしびれているようなジンジンとした感覚が続いています。若干動かしづらい感じも。
指先もちょっと変な感覚が続いています。

点滴後ほどの激痛は感じなくなったけど、これから2週間薬の経口投与は続くので、完全に収まる事はないのでしょうね。

喉の違和感、声が出しづらい感覚もあるし、これはギターを弾きながら歌う人としては、(今現在の状態では)かなり致命的。

まあ、まだ2日目だからなんとも言えないけど、これを克服して音楽活動をしている人も周りにいるので、心強い。

私もまったく希望は失っていないので、大丈夫。
焦らず、しっかりと、整えていきます。


余談ですが、付き添ってくれたマネージャーは、お父さんを胃癌で亡くしていて、抗がん剤治療時のつらそうな様子も見ていたとの事で、点滴後の私がふつうに、というかむしろ元気そうに歩いている事にまず驚いていました。

そして、食事もふつうに摂れている事、食欲が全く衰えていない事にも驚きを感じていたようです。

まあ、当時より抗がん剤も改善されている事でしょうし、単純には比べられないけど、とりあえずは軽くて良かった。


もうひとつ余談を、抗がん剤というとどうしても考えてしまう問題について看護師さんが説明してくれました。それは抜け毛。
医師からも、この薬は抜け毛はあまり心配ない、との説明を聞いていました。
その時、私がはじめに思った事は「ブログネタがひとつ減って残念」という事。
真剣に悩んでいる方には申し訳ないのだけど、私がもし丸坊主になったら、62年ぶりの丸坊主なので、その時、写真館で撮った丸坊主(かつ丸裸)写真と並べて、63歳丸坊主写真をブログに掲載しようと思っていたのです。
看護師さんからは「多少抜け毛の可能性もあるので、その際には色々相談出来る窓口も・・・」と話がありましたが「大丈夫っす!抜けてもハゲてもOKっす!」と返事しておきました。



初日

今日から、抗がん剤治療が始まりました。
朝、8時台に家を出て、帰ってきたら夜8時過ぎ。

会計が終わって外に出たら真っ暗!そして極寒(というほどではないけどすごく寒かった!!)!

なんだか、色々と舐めてたかも。
どんなに遅くなったとしても14時には終わるだろうと、多少大げさに見積もっていたのだけど、大げさどころか少なく見積もり過ぎでした。

初回という事で、イレギュラーな検査やら、オリ(エンテーション)やら、諸々あった上に、年末年始で病院に来られなかった人たちが大勢押し寄せていた、という話もチラホラ聞こえてきました。

しかし、まさか12時間も家を空ける事になるとは思っていなかった。

しかも、舐めていたのは、時間に関する事だけじゃなくて、ちょっと色々と。

具体的に書きたいのだけど、今は難しそうなので、明日、元気だったらつづきを書きたいと思います。
別に誰も興味ないかも知れないけど、記録として書きとどめておきたいので。

では、今日の所はおやすみなさい。

七草粥…か?

今日は、1月7日、七草粥を食べる日。

しかし、毎日がほぼほぼ休日の私には日付の感覚が無く、朝はうっかりパンとコーヒー。
昼はカレーライスを食べてしまいました。

午後のニュースを観て、ようやく今日が1月7日だと気づく体たらく。

それでは、夕食にはお粥を作りましょう。

と言っても、春の七草の用意はございません。
まあ、毎年、ちゃんとした七草粥ではなく、手持ちの野菜を適当に入れて作っているので、今年もそんな感じで。

冷蔵庫や野菜入れの籠をあさって、人参、さつまいも、大根、ほうれん草、ネギ、キャベツ、白菜を見つけ、細かく刻む。
全然春の七草じゃないんだけど、七種類にはこだわってみました。一応。

さらに、朝粥ではなく夕ご飯なので、多少はガッツリ目でタンパク質も欲しいと思い、豚の挽肉少々、玉子1個を加えて土鍋でぐつぐつと煮込む。

七草粥ではなく「七種の野菜と挽肉、玉子の雑炊」と言ったところ。

とはいえ、七草粥同様に、無病息災を願って作り、無病息災を願って残さず食べました。

おいしかった~

検査結果及び今後の治療からのLIVE告知

大腸(S状結腸周辺)癌の切除を終えて、1か月ちょっと経ちました。
今日は、久しぶりに病院へ行って、病理検査の結果と今後の治療についての面談。

結果、リンパ節への転移あり
再発リスク40%~50%
ステージ3C(一番4に近い3)

という事で、術後補助化学療法(抗がん剤治療)を受ける事になりました。
まあ、手術前後に聞いていた可能性的な話通りでした。

1月10日に1回目の投与(点滴)からの2週間内服薬

次の1週間はお休み

その後は、同じように初日点滴~2週間内服
1週間休みの繰り返し

3週間ワンサイクルでそれをとりあえず半年続けるそうです。


なんで、こんな事を細かく書いているかというと、音楽活動的にどうしたものか、って話。
副作用も色々説明されたけど、どれだけ酷い状態になるのか、それとも軽くすむのか、やってみないと分からないって事で。
まずは、1月10日からの1回目で、どんな状態になるのか確かめてからじゃないとスケジュールを組むのが難しそうなのです。

1週間休みの間に予定を入れて大丈夫だとは思うのだけど、今のところ、確約は出来ないという感じ。

2月に一本入っているライヴは、ちょうど服薬期間にあたるので、これはもう、副作用が軽い事を祈るしかないって感じです。もし、ダメだったらごめんなさい。

とりあえず、今オファーいただいている方々には個別に連絡いたします。
今日はちょっと疲れてしまったので、来週にでも改めて。

まあ、そんな事になってしまいましたが、明日は青梅アトリエよぎでLIVE!
しっかりやりまっせ!!
明日以後、しばらくどるたんのLIVEは観る事が出来なくなります。
ぜひこの機会に見届けて下さい。
一緒に楽しみましょう!!

まずは体調面の報告を

昨日、吉祥寺 MANDA-LA2での『Q/C再び』に、オープニングアクト どるたん with エイジとして出演してきました。

LIVEの事は、改めてしっかりとブログに書くとして、まずは体調面、健康状態の報告を。
先月の癌公表以来、心配してくれている方、気にかけてくれている方も多いようなので、自分自身の覚書きも兼ねて書いておこうと思います。

これまでブログで書いてきたように、11月7日に、大腸(S状結腸周辺)癌の摘出手術、無事成功。
11月15日に退院、経過良好で今日に至ります。

退院時に「まだ、あまり無理しないように」というふんわりとした忠告は受けていましたが、20分程度のLIVE演奏を「無理」とは、思えなかったので、昨日、12月1日のLIVE出演はキャンセルせずに決行いたしました。退院後2週間もあったし。

で、あらかじめ宣言していた通り「今できる全てをステージ上で(全身全霊を尽くして)表現」してきました。

体力的には、かなり落ちている事を実感しているのだけど、癌切除後、体調面で色々な事が良くなったように感じています。
(癌切除とは関係ないかも知れないけど)肌艶がよくなったと言われるし、声も以前より出しやすくなりました。

手術跡周辺がまだ痛かったり、腰が痛かったりはしますが、良くなった事の方が多い感じ!というかすべて良くなったと感じています。

ただ、今のところ、食事は病院食の延長みたいな感じを続けているし(徐々にふつう食に移行中)、生活ペースもほぼ入院時と変わらず、朝6時頃には起床、夜10時には就寝、3食規則正しく摂取という、浮世離れした生活。
このペースが、実に心地良かったりするのです。

しかし、昨夜は終演が、いつもは寝ている時間。
挨拶もそこそこに、車で帰路を急ぎました。

家に着いたのは、日付が変わる少し前。
ドッと疲れが出て、着替えもままならぬ状態で、ホットカーペットの上でしばし寝落ち。
夜中の2時頃、目が醒め、パジャマに着替え、歯磨きをして、本格的に布団へIN。
その時、腰をはじめ、身体のあちこちが痛くて「こりゃ、2~3日寝込むようかも知れん」と思っていました。
が、翌朝(というか今朝)も、いつもよりちょい遅めの7時前には目が醒めて、その際には、身体の痛みもあまり感じず、ふつうに起きる事が出来ました。我ながら、ちょっと驚きの回復力!
この回復力も、癌切除後にすごく上がっているように感じています。


と、ここまでは、良い話ばかり書いてきましたが、ここからは、若干不安な話を。

手術後、家族が受けた説明によると「手術は成功、癌周辺は切除出来たけど、癌がかなり深く(大きく)なっていたためリンパ節や他の臓器への転移がある可能性大。その際は化学療法にうつる必要がある」との事。

12月14日に、病理検査の結果と今後の治療方針の説明があります。

そして、その翌日、12月15日は青梅アトリエよぎで『どるたんパブタイム Vol.4』の開催が、以前から決まっていました。
これまた、キャンセルせずに決行する予定。


というのは、14日に病院に説明を聞きに行って、緊急入院!なんて事はなさそう。
化学療法になるとしても、スグやります!って事はないでしょ?と考えたから。

もし、万が一、14日にとんでもない事が発覚して緊急入院!なんて事になったら、本当にごめんなさい。その場合は、15日のLIVEは出来なくなっちゃうのだけど、その可能性は限りなく低いと考えています。

ただ今後、化学療法(放射線治療など)がはじまる可能性は高そうなので、14日に説明を聞いてからでないと先の予定が組めないため、いくつかお話をいただいている今後のLIVEスケジュールに関しては、14日に治療方針が決まってから、改めて連絡するという事になっています。

お待たせしてごめんなさい。

なので、12月15日以後のLIVEスケジュールは、今のところ予定たたず。

すでに決まっている来年2月のライブが1本あるけど、それはなるべくキャンセルせずに出来るよう、治療スケジュールを調整してもらうとか、考えています。どうなるかは、14日に病院で説明聞いてからですね。

何はともあれ、今は元気です!


眠れない夜

入院日記、最終章。
昨夜は、一晩中、色々と大変でした。
ほとんど眠れなかった。いやまあ、細かく短い睡眠を何度か繰り返しているうちに朝になった。って感じかな。

私の部屋は4人部屋で、私以外は、かなり高齢の方々。
みなさんそれぞれ色々と抱えていらっしゃるので、けっこうな問題行動もある。
あまり具体的な事を書くのも、(私の心情的に)差し障りがあるので詳しくは書きませんが、大体みなさん昼間は静かによく眠っていらっしゃる。

で、事件は深夜に起きるのです。

そんな中でも、私はけっこうしっかりと眠れていました。
昨夜までは

自分の順応力にも驚くばかりなのですが、どんなに深夜騒がしい状況になっても、突然明るくなっても、ちゃんと眠れていたのです。
昨夜までは

あっ、でも、もしかしたら、それは順応力だけではなくて、私の体の状態もあったのかも。
手術後は特にぐったりとしていたから、何よりも体を回復させる事に、体も心も集中していたのでしょう。とにかく、夜中、何度目が覚めるような事があっても、けっこうしっかり眠りにつくことが出来ました。

しかし、昨夜はそういうわけにはいかなかった。

消灯後、どこからともなく聞こえてくるハミングのような唸り声のような音。
ときおりかなり大きくなる。
どうやらAさんが鼻歌を歌っているようだと分かる。

すぐに静まるだろうと思っていたが1時になっても、2時になっても静まる気配はない。
その鼻歌のメロディーは時々途切れるのだが、途切れている間は何やらしゃべり続けている。(内容は聞き取れない)

ふだんは、誰かが大いびきをかこうが、大声を出そうが、(あまり)気にせずにいられるのだが、昨夜は気になって仕方なかった。
変な鼻歌に音楽脳が刺激されてしまうのか、なんとも頭の中に入り込んでしまうのだ。

しかし、どうにか眠りにつけたかな、と思った頃に突然、私の居留エリアを区切っているカーテンが、するっと開けられた。
ぼんやり目を覚ますと、薄暗い中、Aさんがカーテンの外からこちらを覗き込んでいる。
何事!
しばらく何を言うでもなくそのまま。
B級ホラー映画か、と。
少しして、何か言葉を発したのだけど聞き取れず。
ぶつぶついいながら去って行った。
カーテン開けたままで。

Aさんは、その後、自分のエリアに戻り、何やら歌ったり、しゃべったり。
この一件で、またしばらく眠れなくなり、ぼんやりとしている時にさらに大きな事件が起きました。

前述のように具体的な事は書きませんが、Aさんの様子を見に来た看護師さんが、何かを発見。
応援の看護師さんを呼んでバタバタと大騒ぎ。
これが大体、午前4時過ぎの話。

まあ、なんだかんだと5時頃にはウトウト出来たのかな、と思ったら6時。朝の検温で起こされ、今に至る。

だからと言って別にイライラしているわけでも、事件を起こしたAさんを不快に思っているわけでもなく、仕方ないよね、と、素直に受け止め、受け入れている私がいます。

若い頃だったら「ざけんなよ!」みたいな心境になったかも知れないのだけど、もはや、私、Aさん側の人間なのでね。

ただ、介護施設で起きる虐待事件や、介護疲れで親を殺害なんて事件の根っこってこういう事の繰り返し、エスカレートで、起きるのだろう、と、割としっかりとした実感として感じ取ってしまったな。
具体的な事は書きませんが

今は、朝食が終わった午前8時。
Aさんのエリアからは、また鼻歌が聞こえています。楽しそうで何より。

写真はイメージです

解き放たれました

入院日記もいよいよ最終章に突入。って感じ。

先ほど、担当医の手により、体に取り付けられていた最後の管(というか刺さっていた針)が外されました。

私の体は、今、何も繋がれていません。
自由の身です。
でも、なんか変な感じ。
どこにも繋がっていないのに歩いてる。

思わずアトムの誕生シーンを思い浮かべてしまいました。

ラスト2本になった時点で、ブログに「楽だわ~」って書いていた私。
その時には、まだお腹から出ている管から出る分泌液(?)を受け止めるケースをかわいらしいポーチに入れて肩からななめにかけ、点滴をぶら下げたスタンドをゴロゴロ転がして歩く必要があったのに、実感としては「楽だわ~」だったのね。

それを考えたら、何にも繋がってないって!すごい楽!!楽チン(死語)!!!

誰も見ていなかったら、歌いながら踊り出していたと思う。
曲はそうだな~「 Age of Aquarius」で。

とはいえ

まだ病院からは、解き放たれてはいなかった。

実は、昨日、点滴スタンドを転がしながら、正面玄関の外に出ようとしたら警備員さんに呼び止められてしまいました。
どこかに行こうとしたわけではなく、玄関先で外の空気が吸いたかっただけなのだけど、それでもアウト!
病室の窓は開かないので、もう15日間も外の空気を吸っていないから。
ちょっと玄関の外に立って深呼吸がしたかっただけなのです。ごめんなさい。

この病院は自然豊かな場所にあり、病院の庭にも緑がたくさんあるのに、そんな自然豊かで緑の多い外の空気を吸う事は出来ない。
そんなわけで、外の空気が吸いたい欲求が高まっています。

とりあえず、今、一番やりたい事は、外で深呼吸!かも。

まあ、病院の前の道路は交通量も多く、病院に出入りする車も多いから(多少排気ガスもあるので)、退院したらその足で鎌北湖にでも立ち寄って、深呼吸してから帰ろうかな。

画像は鎌北湖

【速報】あと1本!そして!

例によって入院日記です。

先ほど、お腹の手術跡から出ていた管が抜けました!
抜く時、気持ち悪かった~

そして残りの管はあと1本。
鎖骨近くの栄養補給その他点滴のための管を残すのみ。

(針は2本刺さっているけど、管がつながっているのは1本)

そして、この残り1本の管も、明日抜く事が決定!

さらに退院日が決まりました!
日時を発表すると、取材陣やファンが押しかけて病院に迷惑がかかるので、具体的にはお伝えしませんが、近日中です。

入院時に「大体20日間ぐらいの入院を予定している」と聞いていたので、それよりも早い退院となりそうです。

実は、入院する前にいくつかのLIVEをキャンセルしてしまったのだけど、絶対にこれには間に合わせると心に決めていたLIVEがありました。

いや、ほかのLIVEをおざなりにしていたわけじゃないのだけど、病気発覚後「すぐにでも入院を!」という流れになったので、キャンセルせざるを得ませんでした。ごめんなさい。

さて、そのLIVE、なかなかしっかりと告知する事が出来なかったのだけど、もう大丈夫でしょう!

それがこれ!

12月1日(日)
吉祥寺 MANDA-LA2での『Q/C再び!』

ひづめ☆つかさと橋本はじめの双頭バンドQ/Cの再始動LIVE!!
私は、エイジと2人でオープニングアクトを務めます。

ひづめ☆つかさと橋本はじめは、2人とも私と同じ歳。
同じ歳ならではのあれこれを共有できる大事な音楽仲間。
そんな2人のバンドの記念すべきライヴなので、しっかり務め上げたいと思っております。
ものすごく楽しみにしています!
どうぞ、よろしくお願いいたします。

今日の自撮り顔は、これまでの病院での自撮りと違って、やる気スイッチON状態でしょ?

あと2本、そして12日ぶりの食事

11月7日の手術後、体のあちこちに管が繋がれていたのですが、まず鼻の酸素ボンベの管が外れ、少ししてあの管が外れ、昨日の午前中、ついにあそこの管が外れました!

残すところあと2本!

手術で開けた穴から出ている管と、鎖骨あたりにある点滴の管。

随分と身軽になりました。
これまでトイレに起きるだけでも一苦労だったのだけど、今は気を付けるのは2か所だけ。
楽だわ~

そして、昨日の昼から食事が摂れるようになりました。
「いよいよ」とか「ついに」とか「待ちに待った」なんて言葉を「食事」の前につけたかったのだけど、どちらかというと「このまま一生何も食べられなくてもあまり問題ないかも」的なアホ頭になっていた私です。

10月31日の朝、りんごをひとつ食べて以来の食べ物が口から体に入りました。


それがこれ!
思っていた以上にしっかりとした物がしっかりとした量出てきたので、ちょっとビビる。
これで「術後 かゆ食(ハーフ)」だそうです。

一度、半分ぐらい食べた所で箸(じゃなくてスプーン)を置いたのだけど、もうひとがんばりして、どうにかほぼほぼ完食。
この写真を見てもおいしそうに見えないかも知れないけど、どのおかずもしっかりとおいしくて、もちろん栄養のバランスや量も考えて、心を込めて作られていると感じたので、なるべく残したくないという気持ちになりました。
ほんの少しおかずを残してしまったけど、けっしてまずかったわけではありません。
本当においしかった。

しっかりと味覚も楽しめたわけだけど、まだ天下一品のこってりや、南京亭のでかい餃子が食べたいという気持ちはまったくわいてきません。
「そんな物食べられませんよ」という事を体も脳もしっかり理解しているのでしょう。

ただ、「夕食が楽しみ」という気持ちもわかない。おいしい病院食なのに。

まあ、その辺の気持ち的な部分も体と一緒にゆっくりと回復してゆくのかな。