Category Archive : 私を形成しているもの

頭脳警察『頭脳警察3』

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1973

頭脳警察『頭脳警察3』(1972年10月発売)

これは現在の自分を形成する上において、本当に大きな大きな出来事なので、取り上げないわけにはいきません。

以前、ブログにも書いた事がある話なので、一部抜粋した上で若干の加筆修正をしたものを掲載します。

まずは、小学5年生頃からの話。

近所の友達の家には、当時うちには無かったステレオがあり、レコードがたくさんありました。
それは友達のお兄さんの物で、ほとんどが日本のフォークソング。

高田渡、古井戸、加川良などなど

当時は誰が歌っているかなんてことは気にせずに、面白そうだと思うレコードを片っ端から聴かせてもらいました。
ガキですから。

で、ガキでもおぼえやすい歌詞や曲調、ちょっとふざけた感じの歌をおぼえ、田舎道を自転車こぎながら歌っていました。

「自転車に乗って、ベルを鳴らし~♪」(高田渡/自転車にのって)

「大学ノートの裏表紙にさなえちゃんを描いたの♪」(古井戸/さなえちゃん)

「かみしばい、かみしばい、かみしばい屋のあのおやじは♪」(岩井宏/かみしばい)

なんて調子で。

そんなガキが中学生になったある日、友達がレコード棚から取り出した1枚が『頭脳警察3』

「これすげえぞ!」と。

針を落とすと激しいリズム!ギター!そして何より叩きつけられる言葉。

とにかくぶっ飛びました。

なにしろTVから流れる歌謡曲や、TVマンガの主題歌、CMソング、そして上記のフォークソング程度しか聴いた事の無いガキだったので、免疫ゼロ状態。

ステレオから流れてきた「ふざけるんじゃねえよ!」にどれだけの衝撃を受けたことか。

こんな歌詞聴いた事ない!!

「バカに愛想をつかすより ぶん殴るほうが好きさ」って!

とにかくすげえ!!

音にしても、あんな爆発的な音は聴いた事がありません。

ストーンズの「サティスファクション」も、ビートルズの「アイ・フィール・ファイン」も未だ聴いた事の無いガキですから。

いや、聴いた事があったとしても、充分衝撃的。

これが私にとっての、はじめてのロックの衝撃!

さらに「この曲もすげぇよ!」と友達が聴かせてくれたのは『前衛劇団モータープール』

何が何やらよくわからなかったけど、とにかくすげぇ!すげぇ!すげぇ!

それから自転車を漕ぎながら歌う歌はこんな具合になってしまいました。

「ブッシャーブッシャーブッシャー」

「極楽はトワイニング、地獄はモータープール」

「ぜ・ん・え・え・げー・きー・だん・モーーーターーープーーール」



映画『2001年宇宙の旅』

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1978

『2001年宇宙の旅』(1968年 アメリカ映画)

この映画も『猿の惑星』と同じ1968年公開。
私はまだ7歳だったので公開当時には観ていません。

ただ、いつの頃からか「すごい映画」との噂というか評判が耳に入るようになる。
しかし当時は観るすべもなく「観たい!」という思いだけが募っていく。

そして思いが募りまくっていた1978年、ついにリバイバル・ロードショー公開!

その時、私、17歳。
もちろん観ました、確かテアトル東京で。

この映画、難解とか訳が分からないとか、おっしゃる方々もいるようですが、面白かったし、ドキドキしたし、感動しました。

小さな頃から、手塚治虫を読んでいれば、それぐらいの下地はあります。

まあ、確かに
「あの石板はなんなんだ!?」とか
「なんで宇宙船のまま部屋の中に入っちゃうの?」とか
「あの部屋はなんなんだ!?」「なんで老人が胎児に!?」「なんで胎児が宇宙に!?」とか

色々な疑問に明確に答えられるわけではないけれど、ミクロとマクロ、過去と未来、進化、神的な存在、輪廻転生、などなど、色々な事を考え合わせた時に「もしかしたら、こういうことかしら?」という考えが浮かぶし、明確な答えはなくても観た人それぞれに答えを出せば良い事なのかと思います。

また、そのほうが面白い。

ふつうに宇宙でのドラマ部分を見ても、HAL9000暴走(?)からの闘いなど、とてもスリリングで面白いと思うし、映像のすばらしさも何度見ても目を奪われます。

これは、LDも買ったし、DVDも買ったし、たまに無性に観たくなってしまう映画なのですが、またいつか映画館で観たい。そんな気持ちにさせてくれる映画です。

キューブリック監督の映画は、DVDで出た作品は(たぶん)全部買って観ているのですが、一番何度も観てしまうのは、これかな・・・

『アイズ・ワイド・シャット』も意外と好き。

1994年 日本グランプリの阿部典史

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
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※ただの思い出話です。


1994

後にも先にもレースを観ながら笑い転げたのは、この時だけ!

そして「人間ってあまりにも凄いものを見ると笑ってしまうのだな」と思った。
「人間」じゃなくて「私」固有の性質かも知れませんが。

観たと言っても自宅でのテレビ観戦です。
いや、本当に興奮しました。
生涯で一番の興奮度かも知れません。

それは世界最高峰のロードレースWORLD GRAND PRIX(WGP) 500ccクラスにスポット参戦した若干19歳の日本人ライダーが巻き起こした衝撃!

前年度、全日本ロードレース500ccクラスのチャンピオンとしてワイルドカード枠で参戦した阿部典史(ノリック)。

当時の私は、ロードレース関連の雑誌を数誌定期購読していたので、ノリックの事はかなり早くから注目していました。
そして、いつかWGPで走る姿を夢見ていました。

それが想像以上に早く実現!
それだけではでなく、とんでもない物を目撃してしまったのがこの日の日本GP。

予選7位のポジションから順位を上げていくノリック。
ついには、マイケル・ドゥーハン、ケヴィン・シュワンツとデッドヒートを繰り広げながら10週目でトップを走行していたルカ・カダローラを抜き、トップに!

マイケル・ドゥーハン、ケヴィン・シュワンツも、ルカ・カダローラをパスし、3台での抜きつ抜かれつのデッドヒートはさらに激しさを増す。
この辺りから、「うわっ!」「うひゃひゃひゃ!」「わ~っ!」と笑ったり叫んだり。

一時は、シュワンツに若干差をつけられ、ドゥーハンとの2位争いを展開。
そして、どうにか2位をキープするノリック、ついにはトップを走るシュワンツに追いついた!
と思ったらそのまま抜き去りトップを走行。残り7周!

その時には、「うわ~~~~~~~!ひゃははははははははははは!」叫びの後半が徐々に笑いに変わって行くという凄まじい状況に。

さらに追いついてきたドゥーハンを含め、またしても3台でのデッドヒート!

そして2位を走行中、ラスト3周!
となったところで、大転倒!!

テレビの前で「うわ~~~~~~~っ!!!」と叫び、ソファから転がり落ちる私。

その後は魂が抜けたような心持ちで呆然とレースを見ていたような気がします。(記憶がない)

それにしても、防音の部屋で良かった。
アパートだったら絶対通報されているレベル。

これGPの事知らない人には、全く伝わらない話かと思いますが・・・無理矢理例えて言うならば。

甲子園で優勝投手となった高卒ルーキーがいきなりメジャーリーグに参戦、初登板でバッタバッタと三振をとりまくる。
完全試合まで9回裏の相手の攻撃を残すのみ!!試合は0-0の大接戦!
で9回裏に、さよならホームランを打たれ敗戦投手。

って感じ?

まあ、初登板(で対策されていない)という所もミソだったりするのですが。

この後、ウェイン・レイニーからの熱烈オファーにより、ノリックはシーズン途中でヤマハに移籍。
ヤマハからWGPに参戦します。

ノリックはそれまでホンダのライダーだったので、超異例の事態。

その後のシーズン、この日本GPほどの大きなインパクトを残せなかったノリックですが、もし乗り慣れたホンダで、この日と同じNSRでGPに参戦していたらどうなっていたのか・・・

そんなパラレルワールドがもし存在するのであれば、この目で見てみたい!と今でも思う私です。

それにしても、本当に凄かったのよノリック。
その後のWORLD GRAND PRIXでの活躍もTV放送や専門誌などで追い続けてきました。

そして、このレース(1994年 日本グランプリ)は、今、DVDで観ても興奮します。
死ぬまでに、まだ何回か、DVDを観て興奮する予定。興奮しながら死んでもいい、マジで(笑)

気になる方、観てみたい方はDVDを買いましょう!


映画『猿の惑星』

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
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1973

『猿の惑星』(1968年 アメリカ映画)

『猿の惑星』(1968年 アメリカ映画)

『猿の惑星』(1作目)が公開されたのは、1968年。
当時7歳の私は、残念ながら映画館では観ていない。

では、いつ観たのかと言えば、テレビ初公開時。
今、調べたら、それは1973年12月24日の『月曜ロードショー』
ノーカットでの放送だった。

当時12歳。
そうだった!すっかり忘れていたけど、クリスマスイヴの放送だった。
食い入るように観たのを憶えている。

とにかく面白かった。
知能の発達した猿たちが支配する惑星。
そこでは、人間は奴隷以下、家畜のような扱いをされている。
そこに不時着した(地球の)宇宙飛行士。
船長役は、チャールトン・ヘストン。

そこで宇宙飛行士たちに襲い掛かる理不尽で衝撃的な出来事の数々。
ドラマとして最高に面白い。

そして何より、「あの」有名なラストシーン!
あれを、前知識なしで観る事が出来たのは、本当に幸運だった。
思わずテレビの前で「あっ!」(そういう事か!)と声が出た事を感覚としても憶えている。( )内は心の声。

映画雑誌もまだ買っていなかったし、今のようにSNSもない。
映画の感想を語り合うような友人も(まだ)いなかった。

何につけても、情報が少ないのだけど、逆に余計な雑音もなく、良い時代だった、とも思う。

その恩恵で、「あの」ラストシーンをしっかりと味わえたのだから。

70年代の『猿の惑星』シリーズは、全部で5作。
たぶん全部テレビで観たはず。
その後、見返していないので、はっきりとは憶えていないけど、どれも全部面白かった印象。(がっかりした記憶がない)

特に2作目『続・猿の惑星』の設定~ラストは、衝撃的でかなり好き。

このシリーズは、いつか全部、しっかりと見返したいと思っている。

のちのリメイク作品、2001年の『PLANET OF THE APES/猿の惑星』は、観ていなくて、最近になってDisney+で少し観たのだけど、なんとなく途中でやめたまま。
いずれちゃんと観ます。

2011年からの三部作『猿の惑星: 創世記』(2011)、『猿の惑星: 新世紀』(2014)、『猿の惑星: 聖戦記』(2017)は、どれも映画館で鑑賞。
ここから70年代の『猿の惑星』に至る壮大なドラマなのだろう、と気づく。
リアルで迫力あるCG(VFX)映像も素晴らしいし、猿と人間の関係を描いたドラマとしても実に面白い。

ただ、リアルなCG猿もいいのだが、70年代の特殊メイクによる人間らしい猿たちの味わい深さも捨てがたい魅力がある、と改めて感じる。

今年5月に、このシリーズの最新作『猿の惑星/キングダム』が公開されるとのこと。
1973年に12歳の少年の心を鷲掴みにし、2024年に新作公開を楽しみに待つ『猿の惑星』
間違いなく「私を形成している映画」のひとつ。

Radiohead – SUMMER SONIC 2003

私を形成しているもの

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※ただの思い出話です。


2003

画像はSUMMER SONIC WEB Siteより

Radioheadに関しては、1stインパクトを受けた、1stアルバム『Pablo Honey』(1993)を取り上げようかとも思ったのだけど、その10年後、さらにそれを上回るインパクトを与えてくれた、SUMMER SONIC 2003 でのステージを取り上げる事にしました。



この年のサマソニは、忘れがたい出来事が数多くありましたが、ここではRadioheadのステージにしぼって。

ステージ上手側、かなり前の位置に陣取り、この年のラストを飾るRadioheadの登場を待つ。

オープニングは当時の最新アルバム『Hail to the Thief』からのシングルカット曲「There, There」
何か呪詛的な物でもはじまるかのような太鼓のリズム。
と同時に大歓声。
トム・ヨークの歌が入るとさらに歓声が大きくなる。
トムも、初めから飛ばしている感じで、充実した表情が見て取れる。

実験的な2枚のアルバム『KID A』『Amnesiac』からの曲と、それ以前の比較的ポップな曲、そしてその両方を併せ持ったような最新アルバム『Hail to the Thief』からの曲が何の違和感もなくつぎつぎと演奏される。

トムの何か吹っ切れた表情を見ているだけでも、感動が押し寄せてくる。
前回見た、2001年、武道館公演での思いつめたような顔とは別人のようだ。

中盤に演奏された「No Surprises」で泣きそうになり、「Just」でこの上なく高まり、「Paranoid Android」のイントロに歓声を上げ。

ものすごい盛り上がりの中、『KID A』からの「Everything in Its Right Place」
大きな余韻を残したまま本編終了。

そして、ほどなくアンコール。

「Pyramid Song」「A Wolf at the Door」とつづく
夜風の中、音に身を任せ、体が自然に揺れる。疲れを忘れ、心地良さに酔う。
すると3曲目、きました!大好きな曲。
「KARMA POLICE」
イントロを聴いただけで、涙目に。
この日、ここで、聴く事が出来て本当に良かった。
「This is what you get♪」ジーンとしながら一緒に歌う。
そしてエンディングを迎え曲が終わる。余韻を噛み締め、これでコンサートも終わりか。

と、誰もが思っていたはず。
もちろん私も。

すると、なんと、ななななななんと「Creep」が!!!!

「うぎょわーーーーー!!」とわけのわからない歓声を上げながら隣にいた人と顔を見合わせ、抱き合う。

この曲は、ある時期からライヴでは封印されていて、一生、生で聴くことは出来ないのだろうと思っていたのだ。
トムは、何もかも受け入れそして吹っ切ったのだろう。
『Hail to the Thief』は、そのきっかけになるアルバム。
「There, There」の太鼓の音は、呪詛の音ではなく、呪詛から解き放つ音。

「Creep」を歌うトムの声を聴きながら涙が溢れ出した。
「She’s Running Out・・・♪」一緒に歌いながら涙がとめどなく流れる。
元々涙腺がゆるい私ですが、この時の涙の量は異常。
でも、周り中みんなそんな表情なので、問題なし。

例えようのないぐらい大きな感動の中、コンサートは終了。

と同時にサマソニの終わりを告げる打ち上げ花火。大歓声。
心地良い余韻の中、夜風に吹かれ家路に着きました。

この上なく 幸せな1日。

3つのヴィヴァルディ『四季』

私を形成しているもの

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1973 印象派の『四季』 Felix Ayo, I Musici
1994 鮮烈な『四季』 Gil Shama, Orpheus Chamber Orchestra
2012 ヴェネツィアでの『四季』 I Virtuosi Italiani 

1973

Vivaldi – Four Seasons : Felix Ayo(Vn), I Musici (1959録音)

初めてヴィヴァルディの『四季』を(それと意識して)聴いたのは、中学1年の音楽の授業。
音楽の教師が、それなりに立派な再生装置で、レコードを聴かせてくれた。
「演奏はイ・ムジチ合奏団、ヴィヴァルディの『四季』では、彼らが一番有名な演奏者」みたいな前振り説明。
説明の内容はうろおぼえだけど、イ・ムジチ合奏団という名前はしっかりと記憶に残り、その後少しして、同じレコードを手に入れた。

それから何年もの間、私にとっての『四季』は、イ・ムジチの奏でる『四季』
なんとなく日曜日の午前中に聴くのが習慣というほどではないが、日曜日の午前中に聴きたくなるレコード。
何かと尖り気味、擦れ気味だった10代の私の心を少しだけ優しく包んでくれた、そんな音。
特別「好き」と意識するわけでもなく、私の中に自然に流れ続けてきた音楽。


1994

Vivaldi – Four Seasons : Gil Shaham, Orpheus Chamber Orchestra(1994発売)

ある日、BresciaのCD店RICORDIのクラシックコーナーに大量にディスプレイされていた新譜CDが、これ。
ドイツ・グラモファンのCDらしからぬ、ジャケットデザインに目を惹かれ手に取ってみると、どうやらこのモノクロ超どアップ写真はギル・シャハム。一緒に演奏しているのは、オルフェウス室内合奏団。そして演目は『四季』。
ものすごく興味をそそられ、即購入。

オルフェウスは、イ・ムジチと同様に、指揮者を置かないスタイルの合奏団で、当時、私は、オルフェウスの演奏するモーツァルト物を何枚も買っていたのだ。

アパートに戻り、聴いた時の衝撃が忘れらない。

これまで聴いてきたイ・ムジチの『四季』とは、何もかもが違って聴こえた。
鮮やかさ、華やかさ、煌めきとでも表現すればいいのか。
テンポ感もまるで違う。
わくわく、ドキドキするような気持で聴く『四季』、初めての体験だ。

例えていうならば、イ・ムジチの『四季』は、印象派の風景画。
ギル・シャハムとオルフェウスの『四季』は、高精細で美しいデジタル風景写真。

それほどに、まったく違う『四季』だった。

その後、日本に帰ってからも『四季』を聴きたい時は、このCDをかけていたのだけれど、ある日、なんとなくレコードでイ・ムジチの『四季』を聴いた時に、泣きたくなるほどの感動を覚えた。

もしかしたらその感動の正体は、演奏云々ではなく、10代の自分の心に対する郷愁だったのかも知れない。
その時から、イ・ムジチの『四季』は、印象派の絵画のようだ、と感じるようになった気もする。

印象派とデジタル写真、同じ風景を切り取ったとしても、まったく違う表現手法。
そして、そのどちらにも、違った美しさがある。
当たり前の事だけど、それを強く実感し、それからは、その時の気分でイ・ムジチの『四季』も、ターンテーブルに乗る回数が増えていった。


2012

I Virtuosi Italiani CONCERTO NELLA CHIESA DI VIVALDI (31/12/2012)

2012年の大晦日。ヴェネツィアの(ヴィヴァルディゆかりの)ピエタ教会で、I Virtuosi Italianiの演奏による『四季』を体験した。
それは、イ・ムジチの『四季』とも、ギル・シャハムとオルフェウスの『四季』とも違う、つややかな美しさをたたえた『四季』
特別な空間に響く弦楽器の音色。

この体験は、自分の中で何かひとつ実を結んだというか、心の中の空間に不確かな形で漂っていたものがゆっくりと形を成してゆくような不思議な感覚。
時の流れも空間も超えて、ヴィヴァルディが生まれたヴェネツィアという地で巡り合えた『四季』をどこか神秘的と言ってもいいような気持ちで味わっていたのだ。

イタリアの音楽、ヴェネツィアで作られた音楽、という事など意識する事もなく、10代の頃から自分の中に自然に流れていたヴィヴァルディの『四季』
1994年、そのイタリアの地で鮮烈な『四季』に巡り合い、2012年の大晦日には、ヴィヴァルディ生誕の地ヴェネツィアで『四季』を体験した。


さらに、この体験から10年ほど経て、自分自身の中で形になり「Vivaldi」という曲が生まれたのだ。


マウリツィオ・ポリーニ/1996年 ミラノ スカラ座

私を形成しているもの

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1996

1996年2月5日、ミラノ スカラ座 マウリツィオ・ポリーニ 演奏会
MAURIZIO POLLINI – Beethoven Piano Sonata 05/02/96 Teatro alla Scala, Milano, Italia

ミラノ スカラ座
ここに来るのは前年の5月8日、アルゲリッチとラビノビッチのピアノデュオを見て以来。

この日の出演はマウリツィオ・ポリーニ

プログラムはベートーヴェンのピアノソナタop.31 n.1、op.31 n.2(テンペスタ)、op.31 n.3、op.53(ワルトシュタイン)という、私レベルの「なんとなくクラシック好き」にも分かる選曲。
というか、この曲が入っているポリーニのCDを持っていました。

この日のポリーニは、私でも気づくようなミスタッチが何度かありました。
そんな時、一瞬だけふと現実に戻るのだけど、またすぐポリーニの描き出す音の世界に引き込まれていきます。
劇場の歴史や空気感もあるのかも知れませんが、ポリーニの弾くピアノの音が宙を舞い、空間を支配する様にただただうっとりと聴き惚れるのみ。

小さなミスなど超越する充実した演奏だったように思います。
ポリーニ自身も演奏後に満足そうな笑顔を浮かべ万雷の拍手に答えていました。

この日聴いたポリーニの演奏は、すごく滑らかで、聴いていると魔法にかかったようにスーっと音楽に引き込まれてしまう、そんな魔力のようなものを持っていると感じました。前述のようにそれには劇場の持つ力も加担しているのかも知れません。

激しい部分でも滑らかに、流れるような指使いで、美しい音楽を奏でてくれました。
至福の時。

そして白状すると、実は私、この頃まで、ベートーヴェンの音楽が若干苦手でした。
対照的にモーツァルトは大好き。

これ例えると、私にとってモーツァルトがビートルズで、ベートーヴェンがストーンズという印象。
ストーンズも聴きはじめの頃は、ヒット曲以外はあまり面白くない感じがしていました。
展開的にも当たり前というか、驚きがないというか、若干退屈な印象だったのですが、聴いているうちにじわじわと好きになっていきました。

今では、ストーンズ大好き!(ビートルズは特別な存在)

同じように、この頃から、ベートーヴェンは「苦手」から、ちょっと「好き」に変わってきました。
それは、イタリアでの生活中に、素晴らしい生演奏でベートーヴェンの音楽を聴く機会が何度かあった事も大きく影響しているでしょう。

ここで、少しビートルズの話に戻ると、ビートルズ登場以前のロックン・ロールが、私は若干つまらないと思っている所があったのだけど、ジョン・レノンのアルバム『ロックン・ロール』で聴くロックン・ロールのカヴァー曲達は実にかっこいい。ジョンの『ロックン・ロール』を聴いた後の耳で、元の曲を聴くと、元の曲までもがこれまでとは違って聴こえてくる。かっこよく思えてくる。という経験を思い出しました。

ポリーニの弾くベートーヴェンを聴いて、それと似たような気持ちを感じたのです。

ベートーヴェンが「苦手」から「好き」に変わってゆく、決定的な分岐点になった夜でした。

MADDY PRIOR & THE CARNIVAL BAND LIVE

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2003

2003年7月28日 武蔵野市民文化会館 小ホール マディ・プライア&カーニバル・バンド

マディ・プライアといえば、スティーライ・スパンやシリー・シスターズで美しい声を聴かせてくれた女性ヴォーカリスト。
マイク・オールドフィールドの『INCANTATIONS』にも参加していると言えばピンとくる方も多いかと思います。

そのマディ・プライアが、80年代から活動を共にしているザ・カーニヴァル・バンドと共に2003年に来日。

このコンサートは『東京の夏音楽祭 2003』という催しの一環として行われたものです。

音楽祭のテーマが「儀式・自然・音楽」という事もあると思いますが、選曲は、教会音楽を中心とした様々な古楽曲。
かといって、堅苦しい曲というわけではなく、思わず踊りだしたくなるようなキャロルも演奏されました。

カーニヴァル・バンドの面々は、実に腕達者で様々な古楽器を自在に操り、包み込むような音空間を作り出してくれます。
その音にマディの澄んだ声が重なった時に生まれる空気を何と例えたらいいのでしょうか、何か自然の風の中にいるような澄んだ空気感、と同時に家族の団欒のような気の置けない温かさ、とにかくこの場にいられて良かった、という幸福感を胸いっぱいに味わう事が出来ました。

またカーニヴァル・バンドは、演奏だけではなく、声も素晴らしい。
アカペラの部分では、鳥肌が立つほど美しいハーモニーを聴かせてくれました。
(「鳥肌が立つ」の本来の使い方ではないのはわかっていますが本当にぞわっとしたので)

途中、子守唄を一曲披露してくれました。これが、えもいえぬ安らぎ感。
寝不足気味だったせいもあり、この子守唄を聴きながら実際に少しの間眠りに落ちてしまいました。
「もったいない。」という気持ちもありますが、なんとも幸せな時間でもありました。



グレン・グールド『モーツァルト:ピアノ・ソナタ集』

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1993

GLENN GOULD『MOZART』(SONY RECORDS 1965~70年録音)

グレン・グールドの弾くピアノを初めてしっかり意識して聴いたのが、このモーツァルトのピアノソナタ集。

この頃、モーツァルトのピアノ・ソナタ集は、すでに何種類か持っていて、特に、自分にとってのリファレンス的CDは、初めて買ったスヴャトスラフ・リヒテルのもの。それ以後に聴いたものはどうしても、リヒテルと比べて聴いてしまうような所があった。

グールドに関しては、テレビで見た特異な演奏スタイルと、バッハ弾きとして有名ということぐらいしかまだ知らなかった頃。

そんなグールドの弾くモーツァルトはいったいどんな音なのだろうと思い、買ったのがこのCD。

1曲目のK.310 第1楽章を聴いた時には、かなりの違和感を覚えた。
これまで聴いてきたK.310といえば、わりと誰もが、思い入れたっぷりに重々しく始める印象。
それをグールドは、かなりのスピードで軽やかにどんどんと弾き進んでいってしまう。

これだけではなく、他のどの曲も、今まで聴いてきたモーツァルトとはまったく違うもの。

「トルコ行進曲」ではK.310の印象とは逆。
この曲はかろやかに、はずむように弾く人が多いのだが、グールドはといえば、かなりのスローペースで本当に1音1音に何か思いを込めるように丁寧に弾いている、という風に感じる。

とにかく、このCDを初めて聴いた時、違和感に包まれたのは事実。
しかし、このグールドの表現にただならぬものを感じて引き付けられていた事も、また事実。

それからしばらくの間、CDプレーヤーには、このCDがセットされたままになり、何度も何度も繰り返してのプレイ。
すると、その違和感がいつのまにか大きな魅力に変わり、聴く度にグールドの弾くモーツァルトに魅了されていった。

そのうちに、モーツァルトがこれらの曲を実際に演奏していた時には、実は、このように弾いていたのではないのかな?等と考えるようになった。いや、考えるというよりも、感じると言った方が正しいかも知れない。
なんの根拠もないのだけれど、そんな感じがしてくるのだ。

グールドの弾くモーツァルトは、とにかく全ての音が心に直接響いて来るように感じる。
モーツァルトもこのように演奏して多くの人の心を虜にしたのでは・・・
なんて突拍子もない事を感じていたのだ。

心に染み入る「トルコ行進曲」なんて、ちょっと他の人のピアノでは味わえない感覚。
グールドという人は、何か、特別なものを持っている。
そして、その「特別なもの」に惹かれていく私でした。



1983年 新日本プロレス 前田日明凱旋帰国

私を形成しているもの

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※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
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1983

1983年 新日本プロレス 前田日明凱旋帰国

ジャンルをスポーツ観戦にしたけど、プロレス観戦の話です。
プロレスはスポーツなのか?と固い事は言わずに受け入れて下さい。
Sports Graphic Number誌上にも、プロレスは取り上げられていますので。

時は、1983年4月21日

私は、22歳、コンピュータ技術者としてそれなりの収入があった頃。

その頃、タイガーマスクの登場、藤波対長州の名勝負(後に名勝負数え歌と呼ばれる)で、人気に火がついた新日本プロレス。

初めて自分のお金でチケットを買って見に行ったプロレス興行がこの日です。

しかし、私の一番の目当ては、タイガーマスク対小林邦明でも、藤波対長州でも、猪木対マサ斉藤でもなく、この日、凱旋帰国試合となる前田日明。

前田の事は、なぜか新人時代から気になっていました。
試合は一度も見た事ないのに。

ある日、プロレス雑誌で、新日本プロレス寮が紹介された時に、痩せ型で(たしか)坊主頭の前田が、どういうわけか「誰がカバやねんロックンロールショー」のLPレコードを片手にファイティングポーズをとっている写真が掲載されました。(記憶に間違いがあったらごめんなさい)

その時から、気になる存在だったのです。

その後、前座でガチガチの凄い試合をするやつがいる(それが前田と平田淳二)という風の噂も聞き、さらに少しして、その若手、前田日明がヨーロッパ(イギリス)に武者修行に出た事を知ります。

イギリスでの活躍の様子なども、たまに雑誌に載る様になってきたある日、私は週刊ファイトに掲載された写真を目にします。

その写真を見た時に、私の前田への興味はマックス状態になり、帰国を心待ちにするようになりました。

それは、坂口征二がイギリスの前田の元に飛び、(当時ウェイン・ブリッジの家に下宿していた)前田と2人並んで撮った写真。

前田は上半身裸でファイティングポーズ。

痩せ型だった前田の上半身はナチュラルな筋肉で形良く膨れ上がり、(日本人の中では大型の)坂口征二と並んでも全く引けをとらない、むしろ上回っているとも感じられる姿になっていたのです。
この姿を見た時に、前田日明への期待値はMAXに。

そしてほどなく前田はヨーロッパヘビー級チャンピオンとして帰国、凱旋試合がこの日。
私は、前田の試合が発表されるとスグに(前田目当てで)チケットを購入。

肝心の試合ですが

前田のセコンドにはカール・ゴッチ!

試合は、3分程度のちょっと消化不良の試合で、前田の一方的勝利。

試合後、対戦相手のポール・オーンドーフがレフェリーに執拗に抗議していた事からも、この試合の不穏な空気は感じました。

後から色々な情報を知りましたが、まあ、それは良いとして(興味のある方は、ネット検索すれば色々出てくるはず)
消化不良とは書きましたが、逆に、個人的には、さらに前田への興味が高まった試合でした。

この日、きっと他の試合も良い試合ばかりだったと思うのですが、今、思い出すのは前田の事だけです。

ところで、このチケット画像を見ると前田の名前、前田日明の日の部分が消されているんですよね。

この後、新日プロでは前田明と表記するようになります。

日明と書いてあきらでは読みづらいから、テレビなどでの露出も多くなる事もあり、読みやすい明(あきら)一文字に変えられたのでしょうが、なんとなく、前田のアイデンティティを否定しているように感じて、少し嫌な気持ちになりました。