Margo Guryanの死
今朝、目覚めてTwitterを見ると、Margo Guryanの訃報が目に留まる。
しばし、呆然。
この歳になると、人の訃報に接する機会がとても増えてくる。
近しい友人、音楽仲間、好きな作家、音楽家、諸々、少し大げさかも知れないけど、毎日のように誰かの死を知り、それなりに心がざわめく事になる。
つきあいの長さや、「好き」の大きさ深さによって、心の動きも大きく変わる。
人の訃報に接した際の、自分なりの決め事がある。
SNS時代ならではの決め事だ。
ひとつは、大体、平均寿命より生きた人の病死をあまり大げさに悲しまない。
というか、大げさな形で悲しみを表現しない、って感じ。
もうひとつは、さほどつきあいの深くない人の死に対して、いちいちSNSに書かない。
本当は、けっこう好きな音楽家だったり、作家だったり、サッカー選手だったり、プロレスラーだったり、そういう人が死んだ時には、けっこう悲しみは大きいのだけど、私以上に大きな悲しみを抱いている人がどこかにいる、と考えた時に、なんだか軽々しくR.I.P.とか、書き込みたくないのです。
正直、誰かが死んだときに「一度挨拶しただけ」みたいな人がわらわらと湧いてきて、その薄っぺらい思い出話とともに「R.I.P.」とか書いているのが大量に目に入ると、気が滅入るのです。
なので、せめて私は、そういう事を書く人にならないように心がけています。
さてMargo Guryanですが、何かを語れるほど彼女の事を知っているわけでも、「大好きでした。」と胸を張って言えるほど彼女の音楽を聴いてきたわけでもありません。
なのに、ブログに書こうと思ったのは、彼女の訃報に触れてからの、心の動きを自分なりに記しておこうと思ったから。
軽いショックを受けつつ、彼女の年齢を調べると84歳。
自分ルールではあまり大げさに悲しまないようにしたい年齢。
ただ、その年齢が今になっても、ピンとこない。
自分の中のMargo Guryanは、あのジャケット画像(アルバム『Take a Picture』)のまま。
浮かんでくるのは、あの画像と、ささやくような甘くかわいい歌声、自分にとってのMargo Guryanはそれが全てなのだ。

それからしばらくの間、唯一持っている音源『Take a Picture』を聴いて過ごす。
これまで聴いてきた、どの瞬間よりも心に沁みた。
英語力の全くない私ですが、この歳まで英語の音楽を聴いてくると、ごくごく稀に、言葉が翻訳脳を通さずに不思議なほどしっかりと心の中で像を結ぶことがあります。もちろん簡単な表現の物に限られはしますが。
今日は、そんな現象が何度もありました。
そして、
Pretty love song always makes me cry♪
で、少しだけ泣きました。
84歳の女性の死を知ったわけではなく、かわいい歌声の素敵な女性の死を知った、私にとっては、そういう訃報だったのです。

【どるたん】作詞、作曲、歌とギター担当