月: 2026年2月

高市推し不思議/今の空気怖い

長文なので要約すると

「高市推し不思議」
「今の空気怖い」

みたいな文章です。

興味のある方だけ読んでみてください。

まず最初に

これは書こうか書くまいか数日間考え抜いた末に書くことに決めたもので、決して感情にまかせて書いているものではありません。

そして

個人攻撃や誹謗中傷をするためのものでもありません。

では書きます。

私の友人のほとんどは、高市総理を支持していません。
(まあ口には出さずに支持している人はいるかも知れませんが)

なので私のタイムラインは、どちらかと言えばリベラル寄り。

そんな中、ひとりだけ高市総理誕生以後、高市総理を称賛する方がいます。

その方は、衆院選での圧勝以後、さらに熱量があがり色々な投稿をされています。

それは、変なAI画像を引用した不愉快なものであったりするのですが、まあ、それは構わない。

誰が誰を支持しようと、称賛しようと、それは自由。

ただ、とても不思議に感じるのは、この人は高市さんの政策のどこをみて、これほどの支持をしているのか、という事。

一度でも自民党の憲法改正草案に目を通した事があるのだろうか?

これまでの国会でのやりとりを見た事があるのだろうか?

嘘を嘘で塗り重ねるような答弁や不貞腐れた態度。弱者に対する容赦ない切り捨て発言。

などなど、などなど、などなど、知っているのかな?と。

まあ、それでも、私のタイムライン上では見る事の出来ない、高市推し一市民の感情の発露を見る事が出来て「なるほどなぁ」と、ある意味貴重な存在。

しかし「さすがにこれは看過出来ない。」

と感じる、非常に恐ろしい投稿がありました。

そこには太田光の顔に✕点をした画像と共にこう書いてありました。

「SNSで昨日テレビに出ている太田光に文句を言いに行ったのがカンニング竹山どういうのを知って自分も投稿しコメントした。個人のチカラもSNS上では馬鹿にならない効果があるので追い詰めようとする私です。😎
追加コメント
高市早苗総理大臣を応援する会に自分が投稿したコメントに対して夕方投稿し21時頃までの間に1800を越える・いいね👍️が有りました。我ながら驚いています。😃

(原文ママ)

「個人のチカラもSNS上では馬鹿にならない効果があるので追い詰めようとする私です」とある。

衆院選後の、太田光の高市さんへのインタビューを見て、この人が、太田に対して「失礼」だなんだ、と投稿しているのは知っていましたが、まあ、そこまでは、許容範囲。

とはいえ、丁寧に質問するインタビュアーに対して、誠実な返答をせず「意地悪」なんて言う政治家は見たことないのだが。

決して意地悪な質問でも、失礼な質問でもないでしょうに。

それは置いておいて、とりあえずその方は「失礼」だと感じたのでしょう。なのでそこまではいいでしょう。
個人の感じ方だから。

私は、誠実に答えないインタビュイーの方を失礼と感じるけど、この方は、インタビュアーを失礼と感じたという事。

ですが、この投稿には「個人のチカラもSNS上では馬鹿にならない効果があるので追い詰めようとする」とある。
そして、短時間に「1800を越える・いいね👍️が有りました」と。

さらにこの方、その後も、太田光に対して執拗とも言える誹謗を繰り返して「休んで休んで休んで休んでテレビから消えてください。」なんて事も言っている。
これがね、私は、本当に恐ろしいと感じたのです。

一個人が、SNSの力を借りて罪のない(ただこの人にとって失礼と感じるだけの)人を追い詰めるという感性。
インタビューの態度ひとつで、生業、生活を奪おうとする横暴な感覚。
そして、「私の背後には1800も「いいね」をしてくれる人がいる」のだ、と。

こうやって何も言えない世界が形成されていくのだな。

ある意味、戦前の空気を纏った世界がいま目の前にあるのだ、と実感しました。

そのことに、私は、恐ろしさと共に、ある種の感慨を覚えています。

というのは、私は、子供の頃から戦争や戦時中の話にとても興味がありました。
特に、戦争がはじまる前、どのように世の中が動いていったのかという事。

これが不思議でたまらない。その頃のムードを知識ではなく実感として知りたい。

私のように、なんにでも疑問を抱き、おかしいと思う事には従わない「NOと言える日本人」は、当時もいたはず。
そういう人たちの声は、どうやって封じ込められていったのか。

「戦争反対」の声はどうやってかき消されていったのか。

憲兵、特高、愛国婦人会、隣組などなど、色々な本を読み、ドキュメンタリー番組や映画、ドラマを観て知識として、当時の状況は分かるのだけど、実感がわかない。
どうしようもない状況が出来上がっていく過程が知りたい。

自分が当時生きていたら、どうしたのだろうか?どうなっていたのだろうか?
と何度も自問してきた。

それが今、目の前にある。

「あ、こういう感じ?」

政権の意向に反する人は、大多数の善良(?)な市民に追い詰められちゃう。

なるほど、高市総理は「スパイ防止法」に意欲的で「国家情報局」なるものも作ろうとしている。
そして憲法改正を目指している。

憲法改正草案では、憲法9条の改正(改悪)ばかりに注目が集まりますが、基本的人権も大幅に制限され、表現の自由も、集会の自由も、財産権すら、但し書きつきでしか保証されなくなります。

今までは、全面的にOKだったものが、大体「公益及び公の秩序を害する」事をしなければOKって感じに変わる。

この「公益及び公の秩序を害する」を誰が判断するの?
という部分に恐ろしさを感じていたのです。

それは政権が都合の良いように判断するのでしょう、と、それが恐ろしい事と感じていたのですが、もっと恐ろしい事が実感として分かりました。

政権の意向通りに動く善良(?)な大多数の市民たちが「公益及び公の秩序を害する」と判断し、国家情報局に通報したり、大勢で追い詰めたり、石を投げたりするわけですね。(今、既に、言葉の礫を投げてますよね)

そういう世の中へと今時代は動いているわけ。

これ大袈裟に感じますか?

話は、少し変わるけど

高市さんの最近(2022年だけど)の発言で話題になったのが
「国土、領土、領海、領空、そして国民を守り抜く。国家の主権が失われてしまうわけだから、これは申し訳ないが、戦闘員には最後まで戦っていただくことになる。」

ってやつ。最後までって「死ぬまで」って事でしょ?
どんなに不利な状況だとしても「死ぬまでそこで戦え」って意味ですよね?

これね「基本的人権」で守られている人に「死ぬまで戦え」とは言えないもんね。

これひとつとっても、どうして憲法改正に積極的なのかよく分かります。

他にも「さもしい」発言やら、ブログ全消しやら、本当にどうして高市さんを支持するの?って事が山ほどあるけど、それはまた別の機会に、という事で。

個人攻撃がしたいわけじゃないという事が、「太田を追い詰める」発言をした方に、伝わるといいのだけど・・・

『Machine Head』Deep Purple

昨日、65歳の誕生日を迎えました。

その誕生日になぜか聴いてしまったのが、Deep Purpleの名盤『Machine Head』
誕生日だからとか、「65歳の一発目はこれだぜ!」みたいな意識は全くなく、つい、うっかり聴いてしまった。

若い頃から今日まで、ハードロック方面にはあまり深入りせずに生きてきた私。

Deep Purpleで一番好きなアルバムは、まだあまりハードロック化する前の第1期
『詩人タリエシンの世界』であったり


ハードロック化した第2期で好きなアルバムは『Fireball』であったり

と、特に『Machine Head』というアルバムには思い入れも何もないけれど、これが名盤、なんなら大名盤という事には異論なし。

さて、そんな『Machine Head』
アルバムを通して聴くのは、一体何年振りなのか?
どう軽く見積もっても40年は経っているような。
超有名曲の「Highway Star」や「Smoke On The Water」は、何かと聴く機会、聴いてしまう機会はあるけれど、アルバムを通して聴くという事は、ほとんどない。

『Burn』とか、前述の『Fireball』は、たまに聴いたけど、『Machine Head』は、聴かなかったなぁ

で、聴いてみたら、やはり高まりますね。
面白いぐらい高まる。

超有名曲よりもむしろ、それこそ数十年ぶりにちゃんと聴く「Maybe I’m a Leo」とか「Pictures of Home」に妙に高まりました。
「うわ~こんな曲だったなぁ、憶えてるよ~、良い曲じゃん!」
みたいなノリで。

そして、やっぱり「Never Before」大好き!
シングル盤も、持ってました!(B面「When A Blind Man Cries」はアルバム未収録の名曲!)

そして、ちょっと意外だったのがB面
「Lazy」より「Space Truckin’」の方がかなり短かった!
「Space Truckin’」の方がメチャ長い印象だったんだけど、それは『Live in Japan』のイメージが強かったからだね。なるほど。

超有名曲の良さも再認識。

「ハードロックは、さほど好きじゃない」というスタンスの私ですが、やっぱりこれは好きかも。
いや、ごめん、大好き!


『第1回 青空音楽祭』青梅 S&Dたまぐーセンター

2月1日(日)
青梅のS&Dたまぐーセンターで開催された『第1回 青空音楽祭』に、どるたん+しゃあみんでゲスト出演いたしました。

この催し物は、青梅 アトリエよぎで月1回開催されている『究極の一曲day』というイベントに参加している人たちが中心となって作り上げたもの。

『究極の一曲day』というのは、参加者、各自1曲だけを弾き語り(等それぞれのスタイル)で披露するというもの。
はじめのうちは「昭和歌謡」しばりだったのが、回を重ねるうちにフォークソング、ニューミュージック系などもOKとなり、今は「(なるべく)昭和の歌」というゆるいしばりになっている。
とにかく「私の大好きなこの1曲を聴いてくれ!」みたいな思い溢れた素敵なイベント。

実は私(どるたん)、ほぼ毎回、この『究極の一曲day』に参加しています。
(これまで取り上げた曲は、渚ゆう子「京都慕情」、舟木一夫「高校三年生」、森田健作「男なら気にしない」などなど)

この『究極の一曲day』参加の仲間達(ほぼ全員ステージ経験のないアマチュア)で、「いつか大きな会場で出来たらいいね~」「武道館とか?」なんて話も出ていました。
将来の夢の話として。

しかし、突然、大きな会場で演奏する機会が!
『究極の一曲』参加メンバーから
「ふだん大人気でなかなか取る事の出来ないという、青梅 S&Dたまぐーセンターの大ホールがたまたま空いていたから、取っちゃった!『究極の一曲day』の仲間でイベントやりましょう!」
みたいな話があったのが、約半年前の事。

とはいえ、ひとつのイベントを作り上げるには、大変な労力がかかるわけで、あれこれすったもんだがあったのですが「よし、これで行こう!」と決まってからはさすがの団結力。
出来る人が出来る事をやるというスタンスで、物事は進みます。
どうしても、アトリエよぎの司と薫にかかる負担は大きくなるのだけど、それをしっかりと補佐するように動いていた仲間たち。
機材の搬入、搬出。会場設営や案内。食べ物や飲み物を用意してくれた人。などなど

結果、多くのお客様に観てもらえ、楽しんでもらえて、とても良いイベントになったのではないでしょうか?

一番手のゲストバンド、アッコちゃんズが、明るく楽しい場を作り。

そのあとは、いよいよ『究極の一曲day』メンバーたちが一人(一組)一曲ずつを披露。
皆さん、初めての大きなステージ、たくさんのお客様に緊張気味ではあったものの、ふだん以上のポテンシャルで、しっかりと良い演奏が出来ていたように感じます。
何より楽しめました。

みんな良かったけど、その中からキミちゃんの写真を使わせてもらいました。

(「サーカスにはピエロが」を堂々と歌いあげるキミちゃん)

その後、少しの休憩の後、私たち、どるたん+しゃあみんの出番。

まずは、ふたりでCD『異郷の詩』からの曲、その後、河西堅ちゃん、さらにエイジをゲストに迎えるという進行。
セットリストは

  1. Emiliani
  2. Vivaldi
  3. Caffè Florian
  4. Brescia
  5. 紫陽花アナベル(with 河西堅)
  6. boy(with 河西堅、エイジ)
  7. 七月のムスターファ(PANTA cover, with 河西堅、エイジ)
  8. We Shall Overcome(with 四人いる)

リハ時には、多少トラブったけど、本番はバッチリ、楽しくかつ集中した演奏が出来ました。

はじめて聴いてくれた人の心にもしっかりと届いているといいね。

そしてラストを締めるのは、四人いる

一気に場が和み、会場に笑顔が溢れる。
これ、私には真似の出来ない事なので、うらやましいような気持ちで観ていました。

まあ、それぞれの特性、持ち味という事で、面白くもあり、それはそれで。

そして最後に四人いるの演奏で「御岳杣唄」
お客様も、出演者も、会場スタッフも、フロアで円になって「御岳杣唄」を歌い踊るという、文字通りの大団円。

4時間に及ぶ長いイベントでしたが、飽きる事なく楽しめたのではないでしょうか?
私も楽しめました。

終演後は、出演者や仲間のボランティアたちで、テキパキと撤収。
時間通り!お見事!
皆さんおつかれさまでした。ありがとうございました。

PAを担当してくれた福田さん、会場コーディネータでもあり当日は照明を担当してくれた須崎さん、ありがとうございました。

最後に、この会場、特筆しておきたいのは音の良さ。
会場BGMも、演奏も、バランス良く、心地良い音でした。

また何か出来るといいね。

(写真誰が撮ったものかわからないのだけど使わせてもらいました)