TOKYO2020考2 -言葉を殺すな-
スポーツ大好きな私ですが、東京オリンピックには大反対です。
理由は山ほどあって、政治、運営への批判や思う事は書き始めたらキリが無いほどです。
安倍~菅政権、竹中平蔵、森喜朗、電通、などのやらかしてきた(今もやらかし中)醜く酷いドタバタ劇を書き連ねる事も出来ますが、とりあえずここでは、「言葉」そして「私の気分」だけに絞って書いていきます。
「私の気分」に関しては、既に「TOKYO2020考1」にも書きましたが、そこには書かれていない、「言葉」に関する私の気分を。
ここのところ、聞くだけで(見るだけで)、嫌な気持ちになる言葉が増えています。
例えば「絆」「勇気と感動」「安全安心」「復興五輪」「平和の祭典」「今が正念場」などなど。
「絆」などは、本来良い言葉であるはずなのですが、それを利用する人たちのせいで、全く逆の感情を抱くようになりました。
「絆」という言葉を聞くたびに「分断」が深まるような気さえしてきます。
菅総理の口から(毎日のように)「安全安心」という言葉を聞くたびに「不安」が募ります。
(余談ですが)思えば、安倍前総理の時代に「責任」という言葉が、全く意味を持たなくなったように私は感じています。
そんな中で「始まってしまえば盛り上がる」という言い草に、私は、とても嫌な気分を覚えるのですが、それは、私がスポーツ好きだから、ある部分否定しきれない面もあるのかと、自己分析していました。
しかし、もっともっと根深い不快感がこの言葉にはある、という事に気づきました。
それは先日、フジTV「めざまし8」に出演していたコメンテーター(芸人)福田麻貴の発言を聞いた時。
この時の事は
「谷原章介がフジテレビ系『めざまし8』で五輪中止要望の声を「雑音」と表現」(Nifty ニュースへのリンク)
と、MC谷原の発言に焦点を当てたネットニュースにもなったので、見出しぐらいは見た事がある人もいるかと思いますが、谷原の発言に輪をかけてひどかったのが福田麻貴の言葉なのです。
引用すると
「やっぱり結局開催されたら『中止してほしい』って言ってた人たちも、選手たちから力もらったり勇気もらったり元気出たりすると思うんで、せっかく開催するなら盛り上げていきたいなと思います」
これ、前述の「始まってしまえば盛り上がる」という考え方を無自覚に取り入れて「勇気をもらう」などその辺に転がっている言葉を適当につなぎ合わせて、あたかも良い事言ってる風に話しているわけです。
「始まってしまえば盛り上がる」というのは、政府筋、関係者筋の思惑として語られる言葉でしたが、無自覚に取り入れて、自分の意見として語っている人もたまにいて、そのたびに不快感、嫌悪感を覚えていました。
しかし、この福田麻貴の発言は嫌悪感を通り越していました。
この件は、先日Twitterにも書いたので、それをコピペしますが、
- このニュース、谷原の発言にばかり焦点が当たってるけど、福田麻貴の発言は、強姦する人の言い草と同じだと思うのです
- 強姦に例えたのは「結局開催されたら『中止してほしい』って言ってた人たちも、選手たちから力もらったり勇気もらったり(以下略)」という福田の発言。
「嫌だ嫌だって言ってたって、○○○入れられたら気持ち良くなるだろ」
と同じ匂いを感じるのです。
これが福田麻貴の言葉に私が抱いた印象で、「始まってしまえば盛り上がる」という考え方の本質だと思います。
「中止してほしい」という人の中には、心底中止を望む人たちもいるでしょう。
オリンピックを楽しむ余裕なんて全くない人も多いのではないでしょうか?
例えば医療従事者、例えばコロナが重症化して病床にいる人、その家族、経済的に困窮している人々、などなど。
そんな人たちに「結局開催されたら勇気もらったり元気出たりするでしょ?」という言葉を投げつける想像力の欠如。
「中止してほしい」という人は、本気で中止してほしいのです。
「嫌だ」という人は、本当に嫌なのです。
これほどまでに、人の心を踏みにじるような言葉を「私、良い事言ってる」風に話す、福田麻貴には本当に幻滅しました。
次々と言葉が本来の意味を持たなくなっているこの時代、安倍前総理の時代から顕著になっている現象かと思いますが、せめてTVでコメントするような人には、言葉の意味と重さをしっかりと考えて欲しいと思うのです。
最後に、最近私が「良いなぁ」と思った言葉と「最悪」と思った言葉を紹介して終わりたいと思います。
「僕が五輪を支持できない最大の理由は「復興五輪」と被災地を出しに使ったのに、何の貢献もしないどころか、美辞麗句と言い訳ばかりで金儲けしか考えていないことです。五輪をすれば復興は進むのですか?すみません、オチはありません。」
(デイブ・スペクターTwitterより:原文ママ)
「オリンピックは世界に夢を与える。人を結びつける。これがスポーツの祭典でもある。人と人の距離が離れてきた今こそ、お互いに絆を確かめ合う。子どもたちや、世界の人々へ夢や希望を、大会を通じて与えていきたい。」
(安倍前総理:新潟県柏崎での講演より「朝日新聞Digital」から引用)