映画『ブラックホーク・ダウン』

映画『ブラックホーク・ダウン』

Amazon Prime Videoで『ブラックホーク・ダウン』を初鑑賞。

観る前には、タイトルの印象から『カリフォルニア・ダウン』『ホワイトハウス・ダウン』(←この辺は観ている)などの系統、パニックアクションとでもいう部類の作り話映画だと思っていたのですが、実話を元にしたとてもヘヴィーな戦争映画でした。

私、映画を観るのは大好きだけど、さほど知識はなく、積極的に情報を追ったりもしないので、こういう事はままあります。観る前にあまり内容を知りたくない派なので、これで良し。気になる映画は、観終わってから、あれこれ調べるのですが、これがまた楽しい作業であったりもするのです。

さて、この映画、どんな映画かというと

1993年10月3日。東アフリカに位置するソマリアの首都モガディシオに、100名の米軍特殊部隊の兵士たちが舞い降りた。彼らの任務は独裁者アイディート将軍の副官2名を捕らえること。当初、作戦は1時間足らずで終了するはずだった。しかし、2機の最新鋭ブラックホーク・ヘリが撃墜されたことから、兵士たちの運命は一変する。仲間の救出にあたる彼らは、想像を絶する地獄絵図の真っ只中に取り残されることになった・・・
(Amazon Prime Videoより)

独裁者アイディート将軍の支配下にあるソマリア。
飢餓による死者が多数出る中、民衆から容赦なく支援物資を略奪する民兵。
そんな状況の中、起きてしまった大規模な戦闘。
これが実にリアルな緊迫感を持って描かれる。
画面の迫力、絵としての美しさ、戦闘シーンの凄まじさ。
また、要所要所で流れる現地風の音楽が、なんともいえぬ焦燥感ややるせなさを掻き立てる。
映画としての見せ方のうまさ、完成度、観る者を惹きこむ魅力に溢れた映画だと思う。

しかし、そのリアルは、あくまでもアメリカの側のリアルでしかない、とも考えてしまう。
そう考えながらも、やはりアメリカ兵の側に心を寄せてしまうのも確か。
殺しても殺してもわらわらと湧いてくる、武器、兵器を手にしたソマリアの民兵は、もはやソンビのようにしか感じなくなってくるのだ。
この民兵たちの心は、どんなものなのだろう。
他民族を殺し、食料や物資を奪うソマリアの民兵。平和を望む者や他民族を愛する心を持った者もいるのだろうか?
1人、1人に心はあるのに、ゾンビのようにしか感じなくなってしまうのだ。

他国の内戦に派兵し、結果として他国の人間を大量に殺してしまうアメリカという国。
しかし、単純にそれを断罪する事も出来ないと思う。このような独裁を放っておくと、どうなっていくのか?
他民族や他宗教の者を大量に虐殺することをなんとも思わない(というより正義と思っているのか)そんな独裁者が作りだす社会。そんな国に最新の武器、兵器を供給する国や軍事産業があるという事実。
アメリカでは、自国の軍隊が、他国で地獄のような目にあっていても、全く関心なく日々楽しく生きている国民が大多数なのだろう。いや、それは日本も同じ。

国際社会として、どうする事が正しいのだろうか?
日本は、国際社会の一員としてどうするべきなのだろうか?

いくら考えても「これが正しい」という答えはないのだけど、殺し合いのない世界、戦争のない世界、誰もが平和に生きていける世界、そういう世界がいい。
当たり前の事のようだけど、改めてそう思うのです。

この映画の監督が、リドリー・スコットだという事を、観終わってから知りました。
なるほど、納得です。

Dorutan


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