映画『オートマタ』を観て
映画『オートマタ』をAmazon Prime Videoで鑑賞。
どんな映画かというと
アントニオ・バンデラス主演で、人工知能と人類の未来や共存をテーマに描いた近未来SFスリラー。太陽風の増加により地球の砂漠化が進み、人類が存亡の危機にひんしている2044年。「生命体に危害を加えてはいけない」「自身で修理・修繕をしてはけない」というルールが組み込まれた人工知能搭載ロボット「オートマタ」が、人間に代わる労働力として必要不可欠になっていた。しかしある時、オートマタを製造・管理するハイテク企業で調査官として働くジャックは、そのルールが破られていることに気付く。(映画.comより)
砂漠化した地球の美しい映像表現や大掛かりなセットなどからてっきり、ハリウッド映画かと思ったら、スペインとブルガリアの合作との事。素晴らしい。
近未来の割には、車や計測機器が妙にオールドファッションで、そこがまた味わい深くて好き。
オートマタ(AI搭載のロボット)の表情(?)や動きも好き。
途中から、この映画が描き出す世界は、手塚治虫『火の鳥』の描く世界に近い物があるな、と思いながら観ていたのですが、後半、オートマタと主人公ジャックとのやりとりの中で、オートマタがジャックに語る言葉に、よりその思いを強くした。曰く「人生は時の一部でしかない」(もちろん前後の文脈があっての、この言葉)
オートマタは、『火の鳥』 未来編(~復活編)でのロビタのような存在なのだ。
私は、子供の頃から、生命、死、時間、宇宙などを強く意識していて、特にある時、そのすべてが思考の中に一気に入り込んできて眩暈がするような瞬間があり、それ以後、時間の中の自分、宇宙の中の自分、というものをある種の怖れとともに常に感じている。(逆にその頃から死ぬことはあまり怖れていない、というかいつ来てもよい心構えが出来ている)
そんな子供時代を過ごしてきたので、中学~高校生の頃、手塚治虫の『火の鳥』を読んで、その感覚が目に見える形で提示された気がして、深い納得感を得られました。
久しぶりにそんな事を思い出して、さらに心の中では、手塚治虫の人知を超えた力の事を思い。
同じように人知を超えたものを感じるビートルズやモーツァルトに思いを馳せ、さらにマーベルMCUを思うのでした。
キーワードは、時間、生命、宇宙、そして愛。
『オートマタ』の中にもそれはありました。
この辺の事は、私の生涯の命題なので、また何か機会があるたびに形を変えて記していくと思います。