「隠された十字架 – 法隆寺論」 梅原 猛 著(新潮文庫)

「隠された十字架 – 法隆寺論」 梅原 猛 著(新潮文庫)

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1981

※画像はネット上から拝借

この分厚い文庫本が本屋さんの平台に積まれているのを見た瞬間、飛びつくように手に入れました。

子供の頃から、奈良大好き、法隆寺大好き、夢殿大好き、聖徳太子大好きでした。
そして「日出処の天子」大好きなので。
(調度この文庫本が出た時「日出処の天子」連載中)

固い本版の『隠された十字架』は、中学生の頃から何度か本屋さんで手にとり立ち読みしていたので、文庫版が出たのが本当に嬉しかった。
目次を追うだけでそそられます。

小学生の頃、お城やお寺のプラモデルを作る事にはまっていた時期があるのですが、同じ趣味を持つ同級生の家には夢殿のプラモデルがありました。
その美しい八角形のお堂、夢殿というロマンチックな名前に魅了されました。

子供の頃、その夢殿は、聖徳太子の書斎的な場所だと思っていました。
確か「日出処の天子」でも、夢殿にこもる場面があったような・・・(今、手元にないので確認出来ず)

しかし、この本によると、聖徳太子の死後、太子の怨念を鎮めるために建てられた、という説。

他にも意外な説が次々と展開され、若干興奮気味に一気に読み終えた(と言っても分厚い本なので数日かかりました)のですが、今は、あまり憶えてないかも・・・この手の本は、手元に置いてたまにパラパラと目を通したいですね。

いつかまた手に入れよう。

そんな中でも、特に記憶にあるのは、秘仏とされ数百年の間、人目に触れる事なく閉ざされていた救世観音を、アメリカ人東洋美術史家フェノロサが強引に開けさせる場面。

その話はなんとなく知っていたのですが、フェノロサの、仏罰を全く恐れずに、強引に開けさせた態度に若干憤慨しながら読みました。
「罰あたればいいのに!」と。

救世観音といえば、ちょっと本の話からはズレますが、約20年ほど前、1人バイクで天川へ行く途中、法隆寺へ寄りました。

朝早く着き、開門と同時に中に入ったのですが、夢殿の前に行くと、なんと普段は拝む事の出来ない救世観音がその時偶然にも開帳中!!

狂喜しながら、しばし救世観音の前に佇み、救世観音と対峙し濃密な時間を過ごす私。

そこに修学旅行の集団。
バスガイドさんがよく通るハッキリとした声で救世観音の説明をしている。
フェノロサが強引に開けさせた話もしている。

そうそう、救世観音、今日は開帳中、まさにここにいらっしゃるのですよ。

するとガイドさん
「その救世観音ですが、秘仏ですので、現在も観る事は出来ません(キッパリ)」
と言い、救世観音と対面中の私の後ろをすたすたと通り過ぎてしまいました。

「え~~~~~~~!!!!」

せっかく開帳期間中に来たのに、なんと!!
かわいそうな学生達、そして情報知らずのガイドさん。
いつもは開いてないかも知れないけど、そんなぁ~
ルーティンどおりに行動しちゃダメでしょ!

今思えば、追いかけて行って教えてあげれば良かったのかなぁ(人見知りなので無理)
というお話でした。(事実です)


※最近は救世観音けっこうな頻度で観られるみたいですね。WEBサイトには「春秋の特別な期間だけ開扉されます。」とありました。


(他SNSに投稿したものを若干修正しての再掲です)

Dorutan


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