私を形成しているもの
今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。
1974
私にとって、初めての小松左京がこれ。
『さらば幽霊』小松左京自選短編集 (講談社文庫)
子供時代、毎年夏休みの数日間は伊豆で過ごしていた。
幼児期から小学校低学年の頃は熱海のホテルで。
徐々にディープになり、小学5年生からの数年間は、叔父一家と一緒に西伊豆雲見の民宿で。
伊豆に行く前には、何冊かの本を買い、持って行くのが恒例で、きっとこの文庫本『さらば幽霊』は最後の旅の友。
たぶん中学1、2年生の時。
本を買う時に、小松左京と言う名前は意識していなかったかも知れない。
なんとなく面白そう、それだけの理由で買った気がする。
表紙の絵(和田誠画)もかわいらしくて、読みやすそうな気がしたのだ。
表紙の印象から、ちょっとユーモアのある怖い話程度に考えていたのだが、いやいや、かなり怖かった。
「くだんのはは」も入っていたかな?
今、本が手元にないので、ネットで検索してみたのだが・・・
その後、小松左京は何冊も読んだので、記憶が混ざってしまったようです。この本には「くだんのはは」は、入っていなかった。
てっきりこれに収載されていると勘違いしていました。
これに入っているのは、
- さとるの化物
- 霧が晴れた時
- 花のこころ
- 安置所の碁打ち
- ムカシむかし……
- 比丘尼の死
- 忘れられた土地
- 保護鳥
- さらば幽霊
- 海の視線
- 骨
パッと内容が浮かぶものもあれば、全然思い出せない物もある。
「霧が晴れた時」本当に怖い、一時期こんな事ばっかり考えてたなぁ・・・
永井豪の短編「ススムちゃん大ショック」的な怖さ(分かる人だけ分かって)
内容はあまり憶えていないのに、この本を読んだ時の心模様と同時に心に焼き付けられた西伊豆雲見の風景は妙に鮮やかだ。
すると、私が「くだんのはは」を読んだのは一体全体どの本でしょう?
と、ちょっと調べてみたら、新潮文庫の『戦争はなかった』でした。
これも中学か高校生ぐらいの時に読んだような気がするけど、怖かったなぁ
ちなみにこんなラインナップ
- 影が重なる時
- 四次元ラッキョウ
- 青ひげと鬼
- 釈迦の掌
- 生きている穴
- 完全犯罪
- 木静かならんと欲すれど……
- 失業保険
- 運命劇場
- 戦争はなかった
- くだんのはは
- 四月の十四日間
「影が重なる時」も、とても怖くて大好きな話。
「戦争はなかった」は、ある日突然自分以外の人から戦争の記憶が全て消えている、という話で、今こそ読むべき話かも。
手塚治虫にも(大名作「カノン」はじめ)戦争の影を感じる作品が多いけど、戦争を体験した世代ならではの重み凄みを感じる。
手塚治虫や小松左京、こういう作品を読んで育った者としては、私達が戦争に加担するような事は、絶対にあってはいけないと思うのです。
自民党の方々は、少年時代に、一体どんな書物や映画に触れて育ったのだろうか?