Tag Archive : カワサキ

GPZ900Rを買った話

あなたは、夢の中で見た事を、目が醒めてからも現実だと思い続けていた事がありますか?

はじめに言っておきますが夢の話です。

遠い昔の話。
20歳代のある日、なじみのバイク屋さんから電話。
以前から頼んでおいたGPZ900Rの初期型、ニンジャカラー、フルノーマルで程度の良い物が、入ったという。金額を聞くと、がんばれば(何回かに分けて)支払えなくもない金額。

とにかく見に来いというので、Z400FX(従弟のバイク/従弟が乗っていなかったので借りて乗っていた)に跨って出かける。

ずーっと欲しかったバイク。しかも、この初期のカラーリングがたまらなく好き。
そして中古とは思えないきれいな車体。
実物を目の前にすると、断るという選択肢はなかった。

多少無理して短めのローンを組み、契約書類を書き、電話でのあれこれがあり、その日は帰宅。
ほどなくローンの審査が通ったむねの連絡があり、納車日が決まった。

納車日はバイク屋さんまで、ヘルメットを片手に歩いて出かけた。
納車整備を終えたGPZ900Rは、先日見た時よりもさらに輝いてみえる。

胸躍らせて晴れて自分の物となったGPZ900Rに跨る。
バイク屋さんにお礼を言い、その日は、軽く飯能から秩父方面へ向かうR299を流して帰宅。

当時の愛車、GPZ250、Z400FX(従弟の)と並べて家の前の駐車スペースに止める。

(GPZ250とZ400FXこれにGPZ900Rが加わった)

3台並んだKAWASAKIにご満悦で、しばらく3台のバイクを愛でる。

はじめに言ったとおりこれは夢の話です。

が、ここまでまったく夢とは気づいていません、あまりにもリアルで。
バイク屋さんとのやりとり、購入に至るまでの心もよう、買った後の高揚感、どれひとつとして夢の要素ゼロです。現実としか思えない。

その日は、高揚感でなかなか寝付けなかったけど、どうにか入眠(夢の中で)。

ちなみに、上の写真の2台は実際に当時乗っていたもの。

翌朝(ここからは現実)、「昨日買ったGPZ900Rで今日はどこを走ろうか?」みたいなワクワク感を持って、窓を開けると、駐車スペースに止まっているのは、GPZ250とZ400FXだけ!
昨日買ったGPZ900Rがない!!マジか!?盗まれた???

焦燥感の中、あれこれ考えて、警察に電話しようとした。
昨日もらった書類はどこに。
と、ツーリングバッグの中などをあさっている最中に、やっと、ほんのりとした違和感を覚え始める。

「あれ?オレ、本当にGPZ900Rを買ったのか?免許も持ってないのに??」
昨日の行動を思い出そうとするも、それは夢の中なのか、現実の事なのか、境界線がものすごく曖昧。

でも、よくよく考えてみると、やっぱり若干おかしい。書類もないし。
あれは全部夢の中の事で、実際には買ってないって事?

さっきまで本当に盗まれたと思って、警察に電話までしようとしていたのだが。
どうやら夢らしい。とやっと自覚。
なんだか体中から力が抜けて、へなへなと座り込んでしまった。


しかし、こんな夢を見るほどに欲しかったのですね、ニンジャカラーのGPZ900R。

余談ですが、上の写真に写っているZ400FXが、この少し後に実際に、家の前の駐車スペースから盗まれました。若干予知夢的?と言えなくもない。

1984年 鈴鹿8時間耐久オートバイレース

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1984

1984年 鈴鹿8時間耐久オートバイレース

後にも先にも鈴鹿まで出かけて8耐を観たのは、この年だけ。
なんせお金がかかりますから・・・
友人の車で出かけました。

それ以外の何年かは、青山にあるホンダのショールームや多摩テックで(パブリックビューイング的な物を)観ていました。

では、なぜ、この年だけは、鈴鹿まで行こうと思ったのか!?

それは、コーク・バリントンが出場したから。

では、コーク・バリントンとは?

ちょっと長いけどWikiから抜粋引用します。

南アフリカ(生れはローデシア)の元オートバイレーサー。ロードレース世界選手権で通算4度の世界チャンピオンに輝いたライダーである。

数年間のスポット参戦ながらヤマハの2気筒マシンで勝利を挙げるなどの活躍を見せていたバリントンに目を付けたカワサキは、彼をファクトリーチームに迎え入れた。ファクトリーライダーとしてフル参戦を開始したバリントンは、カワサキの期待に応えて1978年と1979年、激戦区である250ccと350ccの両クラスで2年連続ダブルタイトルを獲得した。

1980年、ケン・鈴木率いるカワサキとバリントンはモノコックフレームという当時としては革新的な構成を持つニューマシン、KR500で最高峰クラスへの挑戦を開始する。しかしバリントンの力をもってしても、ニューマシンを開発しながらレースを戦うには500ccクラスの壁は厚く、250ccクラスや350ccクラスでの成功を再現することはできなかった。

結局、3年間に渡る500ccクラス挑戦で勝利を挙げることはできず、カワサキは1982年を最後にKR500の開発を取り止めると同時に世界選手権からの撤退を決定。カワサキがバリントンに撤退ぎりぎりまで伝えなかったためそのときには他チームの翌年陣容が決定済みでバリントンは他チームのシートを得られずグランプリから引退した。

2年連続、250と350の2クラスで、世界チャンピオンですよ!カワサキで。

そしてKR500!
当時としては革新的な構成を持つニューマシンKR500!
結果は残せなかったけどKR500
プラモデル作りました!

何か特別なチャレンジをする物が好きなんです。(例:楕円ピストンしかも4ストのNR500とか)
バイクに限らず他の分野でも。

しかし、コーク・バリントンの事は、雑誌の中でしか知りませんでした。

でも、その経歴と、インタビューなどで知る人柄に勝手に惚れ込んでいました。
当時の私は(バリントンと同じ)Nolanのヘルメットにカワサキのバイク。

そんな、私にとって特別な男が、8耐出場!しかもカワサキのバイクで!!

プロレスで言えば「まだ見ぬ強豪」
この目で見ないわけにはいきません。

ただ、カワサキのバイクと言っても、カワサキは8耐にはワークス(メーカーが直接運営するチーム)参戦していません。
月木(ツキギ)レーシングという(カワサキ車用のマフラーなどを作っている)コンストラクターチームからの参戦。

この時のコーク・バリントンの雑誌インタビューを読むと、カワサキに対する恨み言(GP撤退~引退の顛末)など一切なく、むしろカワサキのバイクでレースが出来る事を本当に楽しみにしている様子で、それだけでも涙が出ました。

さてレース。

前日までに行われた予選の結果は、コーク・バリントンをもってしても、ワークス参戦しているHONDAやSUZUKIには力及ばず、それでも12位と大健闘。

決勝レース、主にコーク・バリントンを(目で)追い続ける私。

お!・・・・・・・・・・・・・・・・お!・・・・・・・・・・・・・・・

と何度か私の前を一瞬で通り過ぎるコーク・バリントンの姿を確認し、小さく心の中で歓声をあげる。

しかし、ほどなくその姿は見えなくなった。

場内アナウンスでリタイアした事を知る。
今、リザルトを確認したら15周でのリタイア。

そこからの長い7時間ほどの事はほとんどおぼえていません(笑)

そんな1984年の夏でした。