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2024年11月前半に観た映画

11月も半分終了。今年の「観た映画」も、残すところあと3回。
この期間もあまりゆっくりと映画を観る余裕がなく観た映画は3本。寂しい内容ではありますが、とりあえず今回も「観た映画」を更新出来て良かった。


☆印は、映画に対する評価ではなく、あくまでも個人的な好き度ランク。
☆5つ=大好き、☆4つ=好き、☆3つ=ふつう、☆2つ=ちょっと苦手、☆1つ=苦手
という感じ。


2日『名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊(Amazon)☆☆☆☆

『名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊』
『名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊』

ヴェネツィア舞台の映画はそれだけで評価高め。特にこの映画ではヴェネツィアならではの路地裏の情景などに心惹かれるポイント多し。過去2作に比べてこじんまりとしている感はあるが、とはいえ舞台はヴェネツィア、その魅力は底知れない。個性味溢れる登場人物たちも良いし、人情味のあるラストも良い。


4日『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』(Amazon)☆☆

『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』
『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』

これは観た事があると思っていたのだけど初見かも知れない。ゴジラの造形があまり好きになれない点を除けば、良い映画だったと思う。過去の東宝怪獣映画の設定やストーリーをうまく生かした世界観が良い。(ゴジラシリーズではない東宝怪獣)カメーバが(死体役ではあるが)登場したり。ゴジラの上陸、モスラの登場にもしっかりとした理由があり、場面場面に過去作へのリスペクト、オマージュが込められている。長澤まさみが小美人をやっていたとは知りませんでした。


14日『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(Amazon)☆☆☆

『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』
『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』

これも観た事があると思っていたのだけど初見かも知れない。初代『ゴジラ』以来のゴジラ上陸という事で、これが異世界?マルチバースの日本を舞台にしている映画だと悟る。何度も上陸しているのでねゴジラ。とはいえ(バラゴンはともかく)、モスラ、キングギドラが古代から日本を護っている大和神獣という設定は違和感強め。しかもモスラもキングギドラも弱すぎ。だったらインファント島のモスラや、宇宙から来たキングギドラではなく、バラゴン、アンギラス、ラドンなどを大和神獣として欲しかった。まあ知名度、集客力の差はあるだろうし、異世界だからOKなんだろうけど。
ドラマとしてはまあまあ面白かった。



3つのヴィヴァルディ『四季』

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1973 印象派の『四季』 Felix Ayo, I Musici
1994 鮮烈な『四季』 Gil Shama, Orpheus Chamber Orchestra
2012 ヴェネツィアでの『四季』 I Virtuosi Italiani 

1973

Vivaldi – Four Seasons : Felix Ayo(Vn), I Musici (1959録音)

初めてヴィヴァルディの『四季』を(それと意識して)聴いたのは、中学1年の音楽の授業。
音楽の教師が、それなりに立派な再生装置で、レコードを聴かせてくれた。
「演奏はイ・ムジチ合奏団、ヴィヴァルディの『四季』では、彼らが一番有名な演奏者」みたいな前振り説明。
説明の内容はうろおぼえだけど、イ・ムジチ合奏団という名前はしっかりと記憶に残り、その後少しして、同じレコードを手に入れた。

それから何年もの間、私にとっての『四季』は、イ・ムジチの奏でる『四季』
なんとなく日曜日の午前中に聴くのが習慣というほどではないが、日曜日の午前中に聴きたくなるレコード。
何かと尖り気味、擦れ気味だった10代の私の心を少しだけ優しく包んでくれた、そんな音。
特別「好き」と意識するわけでもなく、私の中に自然に流れ続けてきた音楽。


1994

Vivaldi – Four Seasons : Gil Shaham, Orpheus Chamber Orchestra(1994発売)

ある日、BresciaのCD店RICORDIのクラシックコーナーに大量にディスプレイされていた新譜CDが、これ。
ドイツ・グラモファンのCDらしからぬ、ジャケットデザインに目を惹かれ手に取ってみると、どうやらこのモノクロ超どアップ写真はギル・シャハム。一緒に演奏しているのは、オルフェウス室内合奏団。そして演目は『四季』。
ものすごく興味をそそられ、即購入。

オルフェウスは、イ・ムジチと同様に、指揮者を置かないスタイルの合奏団で、当時、私は、オルフェウスの演奏するモーツァルト物を何枚も買っていたのだ。

アパートに戻り、聴いた時の衝撃が忘れらない。

これまで聴いてきたイ・ムジチの『四季』とは、何もかもが違って聴こえた。
鮮やかさ、華やかさ、煌めきとでも表現すればいいのか。
テンポ感もまるで違う。
わくわく、ドキドキするような気持で聴く『四季』、初めての体験だ。

例えていうならば、イ・ムジチの『四季』は、印象派の風景画。
ギル・シャハムとオルフェウスの『四季』は、高精細で美しいデジタル風景写真。

それほどに、まったく違う『四季』だった。

その後、日本に帰ってからも『四季』を聴きたい時は、このCDをかけていたのだけれど、ある日、なんとなくレコードでイ・ムジチの『四季』を聴いた時に、泣きたくなるほどの感動を覚えた。

もしかしたらその感動の正体は、演奏云々ではなく、10代の自分の心に対する郷愁だったのかも知れない。
その時から、イ・ムジチの『四季』は、印象派の絵画のようだ、と感じるようになった気もする。

印象派とデジタル写真、同じ風景を切り取ったとしても、まったく違う表現手法。
そして、そのどちらにも、違った美しさがある。
当たり前の事だけど、それを強く実感し、それからは、その時の気分でイ・ムジチの『四季』も、ターンテーブルに乗る回数が増えていった。


2012

I Virtuosi Italiani CONCERTO NELLA CHIESA DI VIVALDI (31/12/2012)

2012年の大晦日。ヴェネツィアの(ヴィヴァルディゆかりの)ピエタ教会で、I Virtuosi Italianiの演奏による『四季』を体験した。
それは、イ・ムジチの『四季』とも、ギル・シャハムとオルフェウスの『四季』とも違う、つややかな美しさをたたえた『四季』
特別な空間に響く弦楽器の音色。

この体験は、自分の中で何かひとつ実を結んだというか、心の中の空間に不確かな形で漂っていたものがゆっくりと形を成してゆくような不思議な感覚。
時の流れも空間も超えて、ヴィヴァルディが生まれたヴェネツィアという地で巡り合えた『四季』をどこか神秘的と言ってもいいような気持ちで味わっていたのだ。

イタリアの音楽、ヴェネツィアで作られた音楽、という事など意識する事もなく、10代の頃から自分の中に自然に流れていたヴィヴァルディの『四季』
1994年、そのイタリアの地で鮮烈な『四季』に巡り合い、2012年の大晦日には、ヴィヴァルディ生誕の地ヴェネツィアで『四季』を体験した。


さらに、この体験から10年ほど経て、自分自身の中で形になり「Vivaldi」という曲が生まれたのだ。