4月10日「どるたん+しゃあみんリサイタル」評(森次郎)

4月10日「どるたん+しゃあみんリサイタル」評(森次郎)

昨日のどるしゃあGoodstock Tokyo公演に来場されていた、音楽ライター、森次郎氏が某所にコンサート評を書いてくれました。
出来たら、どるしゃあファンの皆様や、どるしゃあになんとなく興味を持っている方々にも読んで欲しいと思い、転載許可を求めたところ、快諾いただき、ここに掲載いたします。


2022.4.10 大岡山 Goodstock Tokyo
どるたん+しゃあみん リサイタル Vol.20
急に夏のような暑さになった日曜日、久しぶりに大岡山へ。一度は見ておかないと、と思っていた、どるたん+しゃあみんのワンマンはいつの間にか20回目だそうで、時間が経つのが早いのは年齢のせいだけではなくコロナの影響が大ということにしておく。
配信があるせいか、定刻になるとどるたん作のインストが途切れてふたりがステージに現れた。これまでのイメージとは異なり、どるたんは立ったままギターを抱え、しゃあみんはチェロではなくベース。最初は噛み合っていないところもあったが徐々に気にならなくなってくる。決してガッチリとハマッたグルーヴではないのに、というところが不思議というかこのデュオの特性というべきか。
しゃあみんがチェロに持ち替え、どるたんが椅子に座るとすっかりふたりの世界になっていった。どるたんの歌詞というのは情景は描くんだけど、物語が進むわけではない。ロックンロールな定型句も出てこないし、私小説的なシンガーソングライター/フォークのそれとも異なる、言ってしまえば俳句にも似た、聴き手にぶん投げる不親切さ(わかると思うけど、悪いと言ってるわけではないよ)があるなあ、と再認識していると、谷川俊太郎の詩に小室等が曲をつけた「いま生きているということ」をカヴァーしたので驚いた。それはともかくとして、歌詞で全部説明しなくても、音楽なのだから言いたいことを伝える術はほかにもいろいろあるわな、ということだ。
時勢を反映した表現にカヴァーを使うやり方は上手いというか卑怯というか(笑)、聴く側にスッと入り込みやすいという点で効果的なわけで、問題はどれだけ再構築できているかに委ねられるのだが、この上なく粘っこいPANTAの「ナハト・ムジーク」と、日本語詞にしたレナード・コーエン/ジョン・ケイル(どちらかといえばこっち寄りかな)の「ハレルヤ」はその点で成功したと言っていいだろう。
本編最後はどるたんオリジナルの「boy」できっちりと締め、アンコールはストーンズの〝定番〟「悪魔を憐れむ歌」からの「カントリー・ロード」。人間が誰しも持っている狂気を前者で、極私的な設定を借りた普遍を後者で描いてみせたところも実に見事だった。

(森次郎)


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