癌レポート 1 発覚まで

癌レポート 1 発覚まで

抗がん剤治療に関する内容です。
癌発症から今日に至るまでの経緯はこちらにINDEX化いたしました
癌関連 INDEX

異常を自覚したのは、この頃

文中には書かれていないけど、この前年から便秘気味になり2023年9月から、かかりつけ医で便秘薬を処方してもらっていました。
しかし、あまり効かず「これは明らかに溜まりすぎ」という時は、市販薬のコーラックを寝る前に飲むと、朝どうにか出る、という感じで、かかりつけ医にもそれは説明していました。
今思えばこのころから既にS状結腸付近は癌に蝕まれていたのかも知れません。

で、上の投稿に書かれている西武ライオンズの試合観戦を諦めた日(2024年8月22日)は、数日便秘が続いていたので、前夜コーラックを飲んで寝ました。

しかし翌朝、便は出ず、激しい腹痛でうめきながら床をのたうち回るような状況に。
便意はあるので、トイレに籠るも全く出る気配なし、出したいのに、出せない、全く出ない。

そのうち吐き気がしてきて、激しく何度も、「グゥエーーー」「ゴワーー」と近所中に響き渡るほどの大きな音を立ててからえずきを繰り返す。
この時はトイレの便座に向かってうずくまるような状態。
胃の中はすでに空っぽで腸がパンパンになっている模様。

その間も腹痛は続き、トイレにおとなしく座っていることも、便座に向かってかがみ続けている事も難しく、何度もトイレから転がり出ては、のたうち回り、また這うようにして、トイレに戻るという繰り返し。
下半身はすっぽんぽん(死語?)です。

野球を観に行くどころの話じゃない!

これもう間違いなく救急車案件でした。
しかし、そんな状態で朝から夕方までのたうち回った後に平穏が訪れてしまいます。
上からも下からも何も出ることはなく、痛みが何となく治まってしまいました。

この時、救急車を呼んで適切な病院でしっかり調べてもらっていたら、もしかしたら、もう少し早い段階で、S状結腸付近で便を堰き止めていた癌を発見する事が出来たのかも知れません。

リンパ節への転移もなく、その周辺だけを切除し、手術成功!って事になったかもと、今更思っても仕方ない。

その後、だましだまし生活していました。
のたうち回った件も、かかりつけ医に話しましたが、あまり深刻に受け止めてくれなかったようで、処置は便秘薬を変えてみただけ。

その後、同じようにのたうち回った事、3回。
半日ほど苦しんで我慢すれば、どうにか治まるという成功体験(!?)を身に着けてしまった。
しかし、やはり、うめき声を出しながらのたうち回るというのは、我慢できないほどの痛みなので、明らかに異常。少しばかり真剣にかかりつけ医に話をしたところ、便の検査をする事に。

1週間の間に2回、便をツンツンして採取したものを、持ってくるように。

と言われたものの、1週間に2回も、便を出せたら苦労しないのよ。
そんなわけで、すぐには病院に持っていく事が出来ず、どうにか苦労して持って行ったのが10月23日、検査結果は少しだけ潜血反応があったという事で、すぐに所沢肛門病院を紹介され、翌24日に受診。

とても丁寧に時間をかけて調べてくれて、その日のうちに、S状結腸付近に癌らしきものを発見。詳しい事は病理検査の結果が出ないとわからないけど、すぐにでも大きな病院で診てもらうようにという事で、防衛医大他、いくつかの選択肢の中で、家から一番通いやすいという理由で、埼玉医大国際医療センターを選択。

他と比べたわけではないので、何とも言えないけど、感触的に、この選択は大正解だったと思っている。
所沢肛門病院にもすごく感謝している。

紹介状を書いてもらって、すぐに診てもらうように言われてはいたものの、予約電話で指定されたのは、それから約1週間後。

10月30日でした。
その間にも癌は進行していたかも知れないわけですが……

10月30日、朝から夜まで、みっちりと、あちこち回され検査されて、結果、「出来たらこのまま入院、なるべく早く手術」という話に。

とはいえ、準備もあるし、それよりなにより、私には、どうしても10月31日までにやりたいこと、やらねばならぬとても大事な使命があったのです。

-つづくー

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