Tag Archive : ボブ・ディラン

Bob Dylan – Just Like a Woman 日本語カヴァーと小尾隆さんの事

10年前の某SNSへの投稿を再掲します。


2014年9月16日

少し前に、日本語カヴァーシリーズを何曲かYouTubeにアップしました。
その中からBob Dylan『Just Like a Woman』日本語カヴァーの事を、ロック評論家の小尾隆さんが自身のSNSで取り上げてくれました。



この日本語カヴァーシリーズは
「いい曲だからちょっとカヴァーしてみた。」
というレベルの物では全然無くて、10代の頃に夢中になって聴いた曲たち、オレを育ててくれた曲達に対する感謝の気持ちがいっぱい詰まっています。
小尾さんの文章を読んで、そんな部分を感じていただけたのかな・・・と、すごく嬉しく思いました。

—(以下小尾さんの文章です)—

例えばオイラはどるたんさんと政治的には微妙に意見が違うかもしれない。でもオレは彼の表現にある一定の理解とリスペクトの気持ちを払っている。とくに彼の場合海外のロックを独自の日本語歌詞として翻訳している点にシンパシーを覚える。ディランの原詞に忠実であればいいという問題ではないのだ。むしろ、どるたんさんがディランの曲からイマジネーションを広げ、着想豊かに新たな言葉を書き下ろすという、その心映えを美しいと思うのだ。そういう意味では双六亭のアッキーこと鈴木晶久さんがロス・ロボスのWHEN THE CIRCUS COMES TOWNを自分の日本語詞で歌っていることと、いささかも変わらない。以前のストーンズ「悪魔を憐れむ歌」といい今回のディランといい、それはどるたん氏が歌とかロックする行為を精一杯自分に引き付けようとする誠意なのだと思う。そうしたアプローチ自体は昔から日本のロックで試みられてきたことであり、別に目新しくはないかもしれないが、一番大事なのは音楽を聞いた”自分”が何を感じたかだ。オレは、彼が真っ白いキャンバスに向かって何かを書き留めようとするその真摯でイノセントな気持ちを受け止めることが出来る。
そう、まるでハイスクールの懐かしい同級生のように。


以上が10年前の投稿。

小尾さんの著作「SONGS – 70年代アメリカン・ロックの風景」

久しぶりに小尾さんの文章を読んで目頭が熱くなりました。
というのは、小尾さんは昨年の10月19日に亡くなられてしまったから。

小尾さんとは、一度だけしかお会いした事がないのだけど、その時に通じ合うものがたくさんあって、その後、SNSなどを通じたやりとりがありました。

頻繁に何か話すような事はないのだけれど、お互いの活動を見守っているような間柄だったのかも知れません。

一度お会いしたのは、あるDJイベントで、私も小尾さんもDJとして参加。
そこでお互いの選曲に感じる物があり、帰り道に色々話をして、そこでまたお互いの音楽体験に大きな共通点をみいだし、お互い、同志のような感情を抱いたのだと思います。

上の小尾さんの文章のラストに書かれているのが、まさに、その時の気持ちの延長線上にある言葉だと思います。

オレは、彼が真っ白いキャンバスに向かって何かを書き留めようとするその真摯でイノセントな気持ちを受け止めることが出来る。
そう、まるでハイスクールの懐かしい同級生のように。

さっき読み返した時は、目頭が熱くなる感じだったのだけど、改めてこの部分をしっかり読んだら、涙腺崩壊した。

ありがとう小尾さん。
また、会えたら、たくさん音楽の話をしましょう!

映画『バングラデシュのコンサート』

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。

その他の私を形成しているものたち
私を形成しているもの 年譜(INDEX)


1975

何度観たか分からないほど観たDVD、Blu-ray化してほしい……

映画『バングラデシュのコンサート』(1972年日本公開)

1971年8月1日、ニューヨーク、マジソン・スクエア・ガーデンで行われた、バングラデシュ救済コンサートのドキュメンタリー映画。日本では1972年に映画館で公開された(らしい)。

私が観たのは1975年。
中学3年生の時、同級生でビートルズ先輩のA君と2人で行った『ビートルズ映画祭』で上映されたもの。

当時のチケット半券

この映画は、映画としてだけでなく、音楽的な意味でも、間違いなく「私を形成しているもの」。

当時まだ、ボブ・ディランもエリック・クラプトンもレオン・ラッセルも、レコードを持っていない、それぞれの音楽をちゃんと聴いた事のない中学生でしたが、とにかくその姿に、音に、大興奮しました。

大体、ロックスターが動く姿を見る機会がほとんどない時代だったので、興奮度合いもものすごかった。

ジョージ・ハリスンの颯爽としたかっこいい姿!
エリック・クラプトンの渋い立ち姿!
レオン・ラッセルのド迫力の歌と演奏!
ビリー・プレストンのはじけっぷり!
リンゴ・スターがまたかっこいい!

アコースティックギター1本(とハーモニカ)だけで1人弾き語るボブ・ディランの存在感!
淡々とした歌いっぷりなのに、妙に心に刺さる、一度聴いたら忘れられない歌。

「女の如く」では両サイドに、ジョージ・ハリスンとレオン・ラッセルを従え、1本のマイクで「♪Just Like a Woman」と歌う場面に、思わず「おお!」と声が出るほどに興奮。

そこからラストにかけての怒涛のたたみかけがまたすごく「Something」で涙が出るほど感動し、そしてついにラスト、アンコールの「Bangla-desh」、ジョージの歌の迫力、演奏の迫力と一体感、すべてのアーティストの魂がひとつになって音を叩きだしているような迫力にぞくぞくするような興奮と感動を覚えた。
ジョージは歌い終わるとギターを置きひとり先にステージを降りる、そこから画面にはエンドロールがかぶり、演奏がさらに高まる。映画が終わったあとも実際にコンサートを観終えたかのような興奮状態が続いていた。

ロック免疫ゼロの中学生にとっては、それほど大きな衝撃だったのだ。

その後しばらく興奮状態はつづき、ほどなく中学生にとっては大変高価な3枚組LPレコード『バングラデシュのコンサート』を購入。

そして、そこから徐々に、ボブ・ディラン、レオン・ラッセル、エリック・クラプトンらのレコードを買い集めるようになり、さらにジェシ・エド・デイヴィスやビリー・プレストン、さらにさらにそこから派生してデラニー&ボニー、ジョー・コッカーなども聴くようになる。
ただ、そちら(スワンプロック)方面だけにズブズブと深くはまり込むわけではなく、同時にプログレやグラムロックも好きになっていったので、広く少しだけ深く様々なロック系音楽を聴くようになっていくのでした。

そういうわけで、ロック音楽への道標にもなった映画、私にとって特別な意味を持つ映画と言えるのです。



Bob Dylan『Desire』

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。

その他の私を形成しているものたち
私を形成しているもの 年譜(INDEX)


1976

Bob Dylan – Desire 「欲望」(1976年発売)

初めてオンタイムで買ったBob Dylanのアルバム。
確か発売日に購入したはず。

ある日、深夜のTV番組(たぶん11PM)を見ていたら、冤罪で投獄された黒人ボクサー、ルービン・カーターのエピソードと共に、Bob Dylanがそれに抗議する意味で作ったという曲、「Hurricane」がオンエアーされた。
早口で吐き出される言葉の迫力、歌に負けじと熱を帯びていく演奏にぶっ飛んだ。

それから発売を待ちかね、手にしたのが、この「Desire」
それ以来、とにかく聴きまくった。

特に「Hurricane」は、歌詞と訳詞を比べるように読みながら、何度も何度も聴いた。

このアルバムで、特に目立つ活躍をしているのが、スカーレット・リヴェラ。
「Hurricane」においても、曲の勢い、迫力を増しているのは間違いなく彼女が弾くヴァイオリン。
他の曲でも、実に印象的な演奏を残している。
大好き。
このアルバムは、全曲大好き。
1曲目の「Hurricane」からラストの「Sara」まで、曲の並びも素晴らしい。

Bob Dylanのアルバムで一番好きなアルバムは?と聴かれたら・・・若干はその時の気分に左右されると思うのだけど、このアルバムをあげる可能性が高い。

アルバムを夢中で聴いていた頃の自分自身が音と共に蘇る。
これは、そんなアルバムのひとつ。

※コロナ禍巣籠り中に他SNSに投稿した物を加筆修正して転載したものです
※ジャケット画像はネット上から拝借