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キングシーサーの歌

先日、Amazon Prime Videoで『ゴジラ対メカゴジラ』を観た。
これは、劇場公開時(1974年3月)に観て以来の鑑賞になるはず。
1966年の『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』以後、昭和の(1970年代までの)ゴジラ映画は全部劇場公開時に観てきた。

『ゴジラ対メカゴジラ』
『ゴジラ対メカゴジラ』

当時、すでに中学生だったので、記憶に残っている場面も多々あったのだけど、50年ぶり(2度目)に聴く「キングシーサーの歌」(正式タイトルではないと思う)に腰を抜かしそうになった。

映画館で1度聴いただけの歌なので、歌詞や細かい部分はうっすらとしか記憶に残っていない、しかし、キメの部分「シーサー、シーサー、キングシーサー」は、その後、50年間何度も頭の中に流れていた。

初めて聴いた時に、ものすごい違和感があった事もよく憶えている。

沖縄の伝説の怪獣(守り神)を目覚めさせる歌が、なんで歌謡ポップス調の歌なのかと。
そして浜辺で一人で歌っているのに、歌謡ポップスバンドの演奏が流れている違和感のものすごさ。

さらに、一番が歌い終わってキングシーサーのお目覚めかと思ったら、間奏の後に2番を歌いはじめてしまう。
ここ、映画館で激しくずっこけた(死語)のを思い出しました。

現場の人たち、誰も「これじゃない感」なかったのだろうか?
当時観た子供たちは、多かれ少なかれ変な気持ちになってたんじゃないかな?

特に私はもう中学生になっていたし、古関裕而作曲の「モスラの歌」や、伊福部昭作曲『キングコング対ゴジラ』の島民の歌、そんなすごい音楽が心に染み込んでいたのでね。

怪獣を呼び覚ますってこういう事でしょ?

せめてバンドサウンドじゃなく、アコースティックな楽器演奏(出来れば三線入り)にしてもらえなかったのか。いやしかし、あのメロディー、展開じゃそれでもおかしいな。

まあ、キングシーサーやメカゴジラの造形は大好きだし、やはり造形的に大好きなアンギラスも出てくるので、映画はそれなりに楽しめたのだけど、(70年代までの)昭和のゴジラシリーズ後半は、こういうずっこけポイントが多くなる。

この後の作品『メカゴジラの逆襲』で一度映画の世界から消滅してしまうのも仕方のない流れだったのでしょう。



映画『2001年宇宙の旅』

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1978

『2001年宇宙の旅』(1968年 アメリカ映画)

この映画も『猿の惑星』と同じ1968年公開。
私はまだ7歳だったので公開当時には観ていません。

ただ、いつの頃からか「すごい映画」との噂というか評判が耳に入るようになる。
しかし当時は観るすべもなく「観たい!」という思いだけが募っていく。

そして思いが募りまくっていた1978年、ついにリバイバル・ロードショー公開!

その時、私、17歳。
もちろん観ました、確かテアトル東京で。

この映画、難解とか訳が分からないとか、おっしゃる方々もいるようですが、面白かったし、ドキドキしたし、感動しました。

小さな頃から、手塚治虫を読んでいれば、それぐらいの下地はあります。

まあ、確かに
「あの石板はなんなんだ!?」とか
「なんで宇宙船のまま部屋の中に入っちゃうの?」とか
「あの部屋はなんなんだ!?」「なんで老人が胎児に!?」「なんで胎児が宇宙に!?」とか

色々な疑問に明確に答えられるわけではないけれど、ミクロとマクロ、過去と未来、進化、神的な存在、輪廻転生、などなど、色々な事を考え合わせた時に「もしかしたら、こういうことかしら?」という考えが浮かぶし、明確な答えはなくても観た人それぞれに答えを出せば良い事なのかと思います。

また、そのほうが面白い。

ふつうに宇宙でのドラマ部分を見ても、HAL9000暴走(?)からの闘いなど、とてもスリリングで面白いと思うし、映像のすばらしさも何度見ても目を奪われます。

これは、LDも買ったし、DVDも買ったし、たまに無性に観たくなってしまう映画なのですが、またいつか映画館で観たい。そんな気持ちにさせてくれる映画です。

キューブリック監督の映画は、DVDで出た作品は(たぶん)全部買って観ているのですが、一番何度も観てしまうのは、これかな・・・

『アイズ・ワイド・シャット』も意外と好き。

映画『猿の惑星』

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1973

『猿の惑星』(1968年 アメリカ映画)

『猿の惑星』(1968年 アメリカ映画)

『猿の惑星』(1作目)が公開されたのは、1968年。
当時7歳の私は、残念ながら映画館では観ていない。

では、いつ観たのかと言えば、テレビ初公開時。
今、調べたら、それは1973年12月24日の『月曜ロードショー』
ノーカットでの放送だった。

当時12歳。
そうだった!すっかり忘れていたけど、クリスマスイヴの放送だった。
食い入るように観たのを憶えている。

とにかく面白かった。
知能の発達した猿たちが支配する惑星。
そこでは、人間は奴隷以下、家畜のような扱いをされている。
そこに不時着した(地球の)宇宙飛行士。
船長役は、チャールトン・ヘストン。

そこで宇宙飛行士たちに襲い掛かる理不尽で衝撃的な出来事の数々。
ドラマとして最高に面白い。

そして何より、「あの」有名なラストシーン!
あれを、前知識なしで観る事が出来たのは、本当に幸運だった。
思わずテレビの前で「あっ!」(そういう事か!)と声が出た事を感覚としても憶えている。( )内は心の声。

映画雑誌もまだ買っていなかったし、今のようにSNSもない。
映画の感想を語り合うような友人も(まだ)いなかった。

何につけても、情報が少ないのだけど、逆に余計な雑音もなく、良い時代だった、とも思う。

その恩恵で、「あの」ラストシーンをしっかりと味わえたのだから。

70年代の『猿の惑星』シリーズは、全部で5作。
たぶん全部テレビで観たはず。
その後、見返していないので、はっきりとは憶えていないけど、どれも全部面白かった印象。(がっかりした記憶がない)

特に2作目『続・猿の惑星』の設定~ラストは、衝撃的でかなり好き。

このシリーズは、いつか全部、しっかりと見返したいと思っている。

のちのリメイク作品、2001年の『PLANET OF THE APES/猿の惑星』は、観ていなくて、最近になってDisney+で少し観たのだけど、なんとなく途中でやめたまま。
いずれちゃんと観ます。

2011年からの三部作『猿の惑星: 創世記』(2011)、『猿の惑星: 新世紀』(2014)、『猿の惑星: 聖戦記』(2017)は、どれも映画館で鑑賞。
ここから70年代の『猿の惑星』に至る壮大なドラマなのだろう、と気づく。
リアルで迫力あるCG(VFX)映像も素晴らしいし、猿と人間の関係を描いたドラマとしても実に面白い。

ただ、リアルなCG猿もいいのだが、70年代の特殊メイクによる人間らしい猿たちの味わい深さも捨てがたい魅力がある、と改めて感じる。

今年5月に、このシリーズの最新作『猿の惑星/キングダム』が公開されるとのこと。
1973年に12歳の少年の心を鷲掴みにし、2024年に新作公開を楽しみに待つ『猿の惑星』
間違いなく「私を形成している映画」のひとつ。

映画『シン・ゴジラ』

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


2016

『シン・ゴジラ』(2016年 日本)

この映画は、劇場で2回観て、ネット配信でも既に何度か観ています。

観るたびに発見がある、というか、観るたびに(自分なりの)理解が深まる、そんな映画。

あと、なんというか、業が深いとでも言ったら良いのか、色々とつらい気持ちが込み上げてくる映画。

もしかしたら、ラストシーンの事やネタバレ的な事を書くかも知れないので(今の所、無計画に書き始めています)、これから観てみようと思う人は、この先は読まずに映画を観てみましょう。話はそれからだ。

はじめは、怪獣映画を観に行ったつもりだったので、シン・ゴジラの形態に目を奪われたりもしたのですが、これは、なんというか非常に政治的な、国のあり方をも問うような映画。

今、シン・ゴジラならぬ、シン・コロナに対して次々と愚作を繰り出している政府、新型コロナウイルス感染症対策本部やら専門家会議やら、加藤厚労相、西村経済再生相、八割おじさん、尾身会長、色々と役者は出てくるけど、常に迷走している。

迷走の元凶は、総理大臣の意向。

何を提言したところで、そこでおかしな方向へ行ってしまうのだから、どうしようもない。

と余計な事書きましたが、そんな事にまで考えを巡らせてしまうような映画でもあります。

翻ってシン・ゴジラ。

政府が立ち上げた「巨大不明生物特設災害対策本部」(巨災対)にすべては任せられる。

総理は、弱腰ながら国民の事を考えているし、現場を信用している「総理大臣でございますから、森羅万象すべて担当しております」なんて頭のおかしな事は決して言わない。

巨災対の報告を聞いて、判断し、(迷いながらも)決断し、責任をとる。
それが総理のお仕事。

後の総理代理も国の事を考えて(弱腰ながら狡猾にしっかりと)外国との交渉をやりとげ、現場は巨災対に任せる。

そうじゃなければ、専門家を集める意味がない!

この国の政府は、原発再稼動時においても、さんざん専門家に「断層の上だ」って指摘されているのに、最終的に政治家の判断で「断層の上とは認められない」って言い出す。

なんのための専門家だって事ですよ!

ああ、ごめんなさい、いちいち話がそれてしまいます。

この国が、全てにおいておかしな国になってしまったものですから。

この「巨災対」が、また色々な分野で、はみ出し者的な研究者だったりするわけですが、そういう人間だからこそ緊急時に誰にも忖度せずに冷静な思考と判断が出来るのだと思います。

以前「大脱走」を取り上げた時に「昔から烏合の衆的な群れは(反吐が出るほど)嫌いなのですが、(ひとりひとりは一匹狼的な)個性豊かなスペシャリスト達が力を合わせて何かを成し遂げる話は大好き」と書いたのですが、この巨災対もまた、そういう集団でした。

さて、そんな政治的な面での面白さ、はみ出し者の群像劇的な面白さに加えて、業の深い部分、ここを考え始めると軽く戦慄すら覚えます。

元々初代ゴジラは、水爆実験が元で生み出されたわけですが、シン・ゴジラの出自はともかく、この映画がフクシマ後に作られた事に(政治面を描く上においても)大きな意味があるような気がします。

そして、映画冒頭で、船の上に靴をそろえて(自殺を思わせるように)消えた博士の存在。

どこへ消えたのか?なぜ消えたのか?

(博士の持っていたものに込められたメッセージなど色々考えさせられる)

シン・ゴジラの細胞は人のDNA情報も持っているという話。

ラストにズームアップして映し出されるシン・ゴジラの尻尾(そこには人間のような造型が)。

そんなところを考え合わせて、導き出されていくもの・・・いやはや怖い・・・デビルマン的怖さ(ジンメンのトラウマよ)。

もちろん政治的な話や、怖い話というだけではなく、わくわくポイントも多々あります。

自衛隊や米軍の最新兵器、無人新幹線爆弾、無人在来線爆弾などの作戦、民間の特殊車両を動員しての作戦などなど。

そして各場面で流れる音楽!
特に、ヤシオリ作戦決行!無人新幹線爆弾発車と同時に流れる「あの音楽」は、何度観ても涙が出るほど心が高まります。

この映画は怪獣映画という枠には全くおさまらない、パニック災害映画、ポリティカルフィクション、ミステリー、人間ドラマ、様々な角度から何度でも観たくなる映画。

きっと子供の頃に観たとしても、(難しかったり、怖かったりするけど)子供なりに楽しめて、大人になって見直した時にまた色々な気づきを与えてくれる、そんな映画かと思います。

『大魔神』『妖怪百物語』を50年ぶりに観た

小学生時代に大好きだった映画『大魔神』と『妖怪百物語』がGyaoで無料公開されているのを見つけ、約50年ぶりに鑑賞。

子供の頃好きだったものを、大人になってから観ると、ちょっと物足りなかったり、がっかりしたりという事もありますが、これは、充分に大人の鑑賞にたえうる大傑作!と改めて感嘆しつつ、夢中で鑑賞いたしました。

『大魔神』
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