『コルシア書店の仲間たち』(「ホントのコイズミさん」#48より)
小泉今日子のポッドキャスト番組「ホントのコイズミさん」をよく聴いています。
少し前に、友人で放送作家のチャッピー加藤がゲストに出た回があって、それが最高に面白かったので、ブログに書きたいと思いつつも、日々は流れ、その後の番組で、すごくブログに書きたいエピソードが出てきてしまったので、頭の中で新鮮なうちにそちらを先に書こうと思います。
(チャッピー加藤回の事も書きたいので、少し熟成させて、そのうち書けたら良いなぁ・・・と、こういうことを書いてしまうと書かずに終わる傾向アリ)
少し前のブログ投稿『オリエント急行殺人事件』を観て色々と思いを馳せるの中で、須賀敦子著「ヴェネツィアの宿」の事を書きました。
須賀敦子の著作、(というか須賀敦子さんという人物も)とても好きなのですが、私の周りには須賀敦子の話を出来る人がいません。
だから、たまにテレビやラジオで、須賀敦子の話題が出ると、とても高まります、私。
なぜ急に須賀敦子の事を書いたのかと言うと、「ホントのコイズミさん」#48で、須賀敦子の話題が出てきたから。
もちろん高まりました。
「ホントのコイズミさん」とは、小泉今日子(読書好き)が、毎回、本に関係するゲストを招き、本に纏わるあれこれを話すポッドキャスト番組。
#48のゲストは「奇奇怪怪明解事典」という分厚く面白そうな本を国書刊行会から上梓した、TaiTanさん、玉置周啓さん。元々は「奇奇怪怪明解事典」もポッドキャストの番組で、その内容を本にしたもの。
番組自体は聴いた事なかったのですが、「ホントのコイズミさん」での話がとても面白かったので、これから少しずつ聴いてみたいと思っています。
お2人ともに、話の例え方とか、飛び方、言葉をチョイスするセンスなどが、かなり好きです。
その「ホントのコイズミさん」の中で、ゲストの玉置周啓さんが好きな本として取り上げたのが、須賀敦子著「コルシア書店の仲間たち」。
これ、私も大好きなのです。
超余談ですが、以前私が書いた曲「本棚」の歌詞に、このタイトルがそのまま登場するほどに好き。
「本棚」という曲は、歌詞を考えている時にぼーっと自室の本棚を眺めていて、そこに並ぶ本のタイトルを次々に歌詞に組み込んでいったら出来た、という曲。
イギリスのバンド、Barclay James Harvestに「Titles」という曲があって、それはビートルズの曲名をつなげて歌詞にしているのですが、手法は同じ。
作っている時にそれを意識していたわけじゃないけど、結果的に同じような事をやっていた。
「本棚」の歌詞で「コルシア書店の仲間たち」が出てくる部分を一部抜粋すると
「コルシア書店の仲間たちに」会ったら 「見知らぬ旗」の下に集おう 「燃えつきた地図」は「花ざかりの森」へと 「微熱少年」を連れて行く
という感じ。
それはさておき、玉置周啓さんの話がとても良かった!
もうね、ひとりPCの前で、膝をたたきながら、「そう!その通り!!」「その感覚!」「分かります。」みたいな反応をしていました。
これまで私が感覚として感じていたことを、しっかりと言葉にしてもらったような気持ちで、本当に嬉しかったし、本を読んでいた時の感情が甦ってきて、胸がキュンとしました。
曰く
「イタリアの地名に親しみがなかったけど、読むうちに脳内にマップが完成していく。」
「知らない国の知らない人たちの話なのに、読んでいるうちに感情移入して泣いてしまった。」
「好きな文章。しめっぽくない。力強いんだけど力強さで押してくる文章ではない。ひとりの人間が屹立しているという事が伝わってくる文章。」
(ちょっと適当に要約しちゃったから、ニュアンスなど間違っていたらごめんなさい)
これ、本当に、同じように読んでいました。
そして、須賀敦子の文章に対して感じていた事は、まさしくそういう感覚。
それを「ひとりの人間が屹立しているという事が伝わってくる文章。」って、すごく良い表現で伝えてくれて、感動すら覚えました。
近くにこういう話が出来る人がいたら楽しいだろうなぁ、とそんな事も考えてしまいました。
いや、須賀敦子の話は出来なくても、こういう話が出来る人、自分から出て行けば、PANTAさんや、井上(淳一)さん、大黒屋食堂店主をはじめ、周りに大勢いるんですけどね。たまには外に出ろよ自分、と。
そういえば、玉置周啓さんの話、最高だったのだけど、ひとつだけ気になっていたのが、「コルシア書店の仲間たち」を小説と言っていた事。
これ、確かに、小説みたいに面白い話満載なのだけど、実際にあった話で、一応エッセイ集です。
ちなみに、須賀敦子さんの夫は、コルシア書店を主宰されていたペッピーノさん。