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ポリーニの訃報

今朝、SNSを開くと一番初めに目にしたのが、マウリツィオ・ポリーニの訃報。
知人のYさんの投稿で知る。
Yさんは、ポリーニの初来日から最後の来日公演まで観ているという方。
この方の投稿で知る事が出来たのは、それこそ不幸中の幸い。
中途半端な人が書いた中途半端な追悼コメントなんかで知りたくないので。

その後、タイムラインに流れてきたのがドイツ・グラモフォン(日本版)の投稿。
次に、やはりドイツ・グラモフォン(日本版)の投稿で、ドイツ・グラモフォン社長クレメンス・トラウトマンのコメント。真摯で素敵なコメントでした。

ここまで読んで「ああ、本当に死んだんだなぁ・・・」と、軽い喪失感。
と同時に不思議なやるせなさというか、つらさというか、なんとも言えない気持ちが込み上げてくる。
この感情は今年2度目なのです。

どんな感情か、言葉では伝えづらい変な感情。

なので、現象を伝えると、このブログでポリーニの事を書いたばかりなんです。
1か月近く前の事なので書いたばかりというと、若干語弊があるけど、感覚的にはつい先日書いたような感覚。
それは、2月29日に投稿した、「マウリツィオ・ポリーニ/1996年 ミラノ スカラ座」という文章。
これは「私を形成しているもの」音楽部門、として書いたもの。

そして、今年2度目というのは、先月、小澤征爾氏の訃報に接した時のこと。
やはり、小澤征爾氏のことを、ブログで取り上げたばかりだったのです。
それは、1月25日に投稿した、「小澤征爾『ボクの音楽武者修行』」という文章。
これは「私を形成しているもの」本部門、として書いたもの。

クラシック音楽の事を取り上げる事はあまり多くないこのブログで、2か月つづけてこうゆうことがあるなんて、なんだかやるせない気持ちです。

ブログに取り上げるという事は、その文章を書いている間、その人の事を考え、音楽を聴きながら書いていて、その後も色々音源や映像を、聴き返し観返しているので、その後、訃報に接した時に、ちょっと驚きが大きくなる。
簡単に言うと「あなたの事をつい最近思っていたのです。あなたの音楽をつい最近真剣に聴き込んでいたのです。」という状況。そんな時に接する訃報なので、ちょっと自分でもよくわからないモヤっとしたというかなんというか、とにかく変な感情が込み上げています。今年2度目の。

そして変な感情のままポリーニのCDを聴いていました。

これは、ブログに投稿した1996年 ミラノ スカラ座公演を観て、すぐにBresciaのCDショップで購入した物。ブログに書いたように、苦手だったベートーヴェンの曲を好きになるきっかけになった公演だったので、しっかりその日演奏された曲が入ったCDを探して買いました。思い出深い1枚。

中でも「ワルトシュタイン」は、ポリーニ以外の演奏でも思い出があり、自分にとって特別な思い入れのある曲。(自作曲「Brescia」の歌詞にも登場します)
第2楽章の音の広がりを全身で感じているうちに、ちょっと泣きそうになりました。
さらにこのCDの最後は「Les Adieux」(日本題:告別)なので、さすがに込み上げてくるものがありました。

ポリーニについて語るべき何かがあるわけではありませんが、私なりに思い出のある人、思い出のある音楽なので、今、感んじているままの心を書き記しておきました。
大好きなピアニストでした。

私とは比べものにならない、深い大きな悲しみに包まれている方もいるかも知れません、もし私の文章が不快だったらごめんなさい。


マウリツィオ・ポリーニ/1996年 ミラノ スカラ座

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1996

1996年2月5日、ミラノ スカラ座 マウリツィオ・ポリーニ 演奏会
MAURIZIO POLLINI – Beethoven Piano Sonata 05/02/96 Teatro alla Scala, Milano, Italia

ミラノ スカラ座
ここに来るのは前年の5月8日、アルゲリッチとラビノビッチのピアノデュオを見て以来。

この日の出演はマウリツィオ・ポリーニ

プログラムはベートーヴェンのピアノソナタop.31 n.1、op.31 n.2(テンペスタ)、op.31 n.3、op.53(ワルトシュタイン)という、私レベルの「なんとなくクラシック好き」にも分かる選曲。
というか、この曲が入っているポリーニのCDを持っていました。

この日のポリーニは、私でも気づくようなミスタッチが何度かありました。
そんな時、一瞬だけふと現実に戻るのだけど、またすぐポリーニの描き出す音の世界に引き込まれていきます。
劇場の歴史や空気感もあるのかも知れませんが、ポリーニの弾くピアノの音が宙を舞い、空間を支配する様にただただうっとりと聴き惚れるのみ。

小さなミスなど超越する充実した演奏だったように思います。
ポリーニ自身も演奏後に満足そうな笑顔を浮かべ万雷の拍手に答えていました。

この日聴いたポリーニの演奏は、すごく滑らかで、聴いていると魔法にかかったようにスーっと音楽に引き込まれてしまう、そんな魔力のようなものを持っていると感じました。前述のようにそれには劇場の持つ力も加担しているのかも知れません。

激しい部分でも滑らかに、流れるような指使いで、美しい音楽を奏でてくれました。
至福の時。

そして白状すると、実は私、この頃まで、ベートーヴェンの音楽が若干苦手でした。
対照的にモーツァルトは大好き。

これ例えると、私にとってモーツァルトがビートルズで、ベートーヴェンがストーンズという印象。
ストーンズも聴きはじめの頃は、ヒット曲以外はあまり面白くない感じがしていました。
展開的にも当たり前というか、驚きがないというか、若干退屈な印象だったのですが、聴いているうちにじわじわと好きになっていきました。

今では、ストーンズ大好き!(ビートルズは特別な存在)

同じように、この頃から、ベートーヴェンは「苦手」から、ちょっと「好き」に変わってきました。
それは、イタリアでの生活中に、素晴らしい生演奏でベートーヴェンの音楽を聴く機会が何度かあった事も大きく影響しているでしょう。

ここで、少しビートルズの話に戻ると、ビートルズ登場以前のロックン・ロールが、私は若干つまらないと思っている所があったのだけど、ジョン・レノンのアルバム『ロックン・ロール』で聴くロックン・ロールのカヴァー曲達は実にかっこいい。ジョンの『ロックン・ロール』を聴いた後の耳で、元の曲を聴くと、元の曲までもがこれまでとは違って聴こえてくる。かっこよく思えてくる。という経験を思い出しました。

ポリーニの弾くベートーヴェンを聴いて、それと似たような気持ちを感じたのです。

ベートーヴェンが「苦手」から「好き」に変わってゆく、決定的な分岐点になった夜でした。