私を形成しているもの
今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。
1975
※画像は自分の蔵書
柳田国男の『遠野物語』、この本を初めて読んだのは中学生の頃か、高校生になってからか。
今、文庫本の奥付を見ると「昭和四十九年四月三十日 改訂十二版発行」となっている。
49年4月といえば、私は13歳。読んだのはそれ以後。中3~高1ぐらいの時期に読んだように記憶しているので、大体一致。とりあえず上記、初体験の年は1975としておいた。
日本の民話や伝説には、子供の頃からとても興味があって、一体なぜ興味を持つようになったのかと考えてみると、もしかしたら『ゲゲゲの鬼太郎』や『河童の三平』という水木しげる作品の影響が一番大きかったのかも知れない。
また以前、このブログでも取り上げた『大魔神』や『妖怪百物語』といった映画(「『大魔神』『妖怪百物語』を50年ぶりに観た」参照)も、民話や伝説への興味を後押ししていたような気がする。
マンガ雑誌の特集記事で妖怪たちのプロフィールが紹介されると、食い入るように読んでいた事を思い出す。『妖怪なんでも入門』なんていう子供向け書籍も持っていた。
その延長線上で手にしたのが、この『遠野物語』。
岩手県の山間の里、遠野地方には、数多くの民話や伝説が言い伝えとして存在し、それを柳田国男が収集し書き記したもの。
今では有名な「ザシキワラシ」も登場する。
「ザシキワラシ」を全国区にしたのも、この本がきっかけ?
有名な妖怪(?)だけではなく、今、パラパラと適当にページを繰っただけでも「コンセサマ」「ゴンゲサマ」「ヤマハハ」などなど、色々な名前が目にとまる。
そんな、神様?妖怪?妖精?のような存在についてや、不思議な出来事について語られているのだ。
面白くないわけがない。
この文庫本には『遠野物語』本編以上のヴォリュームで『遠野物語拾遺』が併載されている。
『遠野物語拾遺』の成り立ちについては、解説に書いてあって、簡単に言ってしまえば『遠野物語』の続編として企画されたもの。(その他事情は色々あるので、それ以上知りたい方は、各自調べてください)
『遠野物語拾遺』では、箇条書き的に、言い伝えが紹介されていて、その数二九九篇。
古くからの言い伝えだけではなく、近年の話もあれば、維新の時に、徳川方の一族が逃げ延びて来たという話など興味深い話が多く、どこから読んでも楽しめる。
これを読了して以後、角川文庫版の柳田国男著作は、折々に買って読み続けて来た。
コンプリート癖はないので、全冊あるわけではなく、今、手元にあるのはこれだけ。
特に好きだったのは『桃太郎の誕生』かな。
これ何のタイミングだったか、新刊みたいに書店に平積みされていたものを買った憶えがある。
文庫の初版は昭和二十六年なのに。なんかフェア的なのをやっていたのか?それとも記憶違い?
なんにしろ、これらの本を読んできたおかげで、その後に触れた色々な物語の見方が深まったり、それ以前に出会った物語をさらに深く理解出来たり、という恩恵があった。
また民話や伝説を元にした物語を面白がれる心の土壌が豊かに育ったような気がする。
例えば、手塚治虫『鬼丸大将』、永井豪『手天童子』といったマンガたち。
何よりも「『遠野物語』を読んでいて良かった!」と思ったのは、高橋克彦の『総門谷』を読んだ時。総門谷のある場所は、岩手の早池峰山。
『遠野物語』を読んでいたので、ものすごく馴染みのある地名。行った事はないけど。
他にも馴染みのある名前や場所、逸話が出てきて、胸躍らせながら読んだ。
昨日書いたブログ(「車浮代『気散じ北斎』」)で触れた、伝奇物が好きという土壌が形成されていったのも、子供の頃から連なる民話、伝説好き~柳田国男はじめとする民俗学への興味の広がりも大きく影響しているのでしょう。
この後も、この分野への興味は続き『死者の書』『古事記の研究』など折口信夫の著作や、最近のものでは、小松和彦の『異界巡礼』『日本妖怪異聞録』などなど、目にとまるものを読み続けてきています。
特に好きなのは、江戸~東京の結界を扱ったような内容で、加門七海『大江戸魔法陣』『東京魔法陣』など読んだのだけれど、内容的に物足りないというか、薄いというか、若干残念な感じ。何か面白い本があったら教えてください。
話がそれたところで、この項、ここまで。