映画『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』を観て気づいてしまった事

映画『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』を観て気づいてしまった事

先に断っておきますが、これから書く内容は映画『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』の感想でも批評でもなんでもなくて、超個人的な気づきです。映画の内容とは全く関係ありません。ごめんなさい。

映画の感想的なものはブログ3本に分けて書いたので、以下のリンクからどうぞ。
(その3)は、ほぼ思い出話だけど。

「好き」の熱量 映画『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』を観て(その1)
「福田村」からの「青春ジャック」 映画『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』を観て(その2)
PANTAさんを思う 映画『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』を観て(その3)


さて、では、何に気づいてしまったのかというと、大林宣彦作品に対する私の思いです。

初期の商業映画作品に対しては「なんとなく好きかも、でもちょっと苦手かも」みたいな、ちょっと「好き」寄りな漠然とした思いでいたのですが、徐々に苦手が大きくなっていきました。

決定的に、これはちょっと無理、と感じてしまったのは、AKB48の楽曲「So Long!」のMVでした。

AKB48 – So Long!

これは、通常の楽曲サイズのMVですが、「So long ! The Movie」と題された1時間強の劇映画的作品があって「So long ! 」のCDにBonus DVDとして収録されていました。

これがまた、劇作品としても苦手だし、表現手法が本当に個人的に苦手でした。

これまでの大林作品で知っていた事とはいえ、合成の安っぽさ(わざとだと思うのだけど、その後の作品で更にひどくなっていったような気がする)は、目を背けたくなるほど。
狙ってやっているのだとしたら、その狙いは私には当たらなかった。
正直どこを狙っているのかも分からない。

他にどうしても受け付けられない事は、画面に出てくる文字の字体や色、表示されるタイミングや場所、すべてに嫌悪感を覚えるのです。
これはもう、センス的な物なのでどうしようもない。

なんとなく、伝えたい事はわかるのだけど、それが心に届く以前にどんどん嫌悪感の方が大きくなっていくのです。

ほかの作品もそう。
生と死であるとか、現在-過去-未来であるとか、反戦的なものとか、色々な思いがあって、それを物語に託しているのだろうな、という事もなんとなくわかるんだけど、見た目の苦手意識の方が大きい。

その苦手意識をはっきりと気づかせてくれたのが「So long ! The Movie」だったのだけど、それでもまだ初期の作品には、「なんとなく好きかも」という意識がありました。

それは何と言っても『時をかける少女』の存在が大きかったのだと思います。

当時の原田知世に関しては、特に好きなタイプの女の子ではなく、そこにそそられる事はなかったのだけれども、楽曲としての「時をかける少女」は大好きで、それを歌う原田知世の歌声にはとてもそそられていました。
シングル盤も買いました。

だから映画も「なんとなく好き」と思い込んでいたのだけど、作品として観たら特に好きなわけではなく、それどころか、苦手意識をはっきりと意識した目で見たら、苦手な所だらけです。

とにかくこの人の手法、美意識的なものが私は苦手。
私の感覚とは相容れないものがある。

この映画をなんとなく好きと感じていたのは、映画が好きなのではなくて、楽曲と歌声が好きだったという事。ほかにも、原作が筒井康隆である事、尾道の風景が素敵な事、などがプラスに働いた要因でしょう。

結論としては、大林宣彦のセンスは苦手。


それをなぜ、映画『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』を観て気づいたのかというと、別に映画の中で大林宣彦批判があるわけでも何でもないんだけど、大林作品を好きな人と好きじゃない人がいて、それでは私はどうなの?と改めて考えてみたからです。


こういう事を書くと「大林宣彦の良さが分からないバカ」だと思われるかも知れないけど、「良い」「悪い」の話はしていないので、そこは、はき違えないようお願いします。


Dorutan


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