日: 2023年12月9日

PANTAさんを思う 映画『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』を観て(その3)

昨日、井上淳一脚本、監督作品『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』のマスコミ試写会へ行ってきた。

と書き出しは同じだけど、これは「その3」です。
「好き」の熱量 映画『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』を観て(その1)
「福田村」からの「青春ジャック」 映画『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』を観て(その2)

その1、その2は、映画の感想的なブログでしたが、その3は思い出話。

試写会が終わっての帰り道、車を運転しながら考えていたのは、PANTAさんの事。
正確に言うと、試写会へ向かう車の中でも、PANTAさんの事ばかり考えていた。

PANTAさんが生きていたらきっと、一緒に試写会へと向かったのだろうな、と。
所沢のPANTAさんの家に、私の車を置き、2人でPANTAさんの愛車ルドルフ号に乗って。

コロナ前の何年かは、何度もそうやって東京へと向かった。
昨日は、同じ道をひとり、PANTAさんを思いながら車を走らせた。

何度か書いているけど、井上監督とはPANTAさんを通して知り合った。
2017年7月7日、長野の映画館、相生座 ロキシーでの映画『大地を受け継ぐ』の舞台挨拶へと3人で向かったのが最初の遭遇。(私は運転手として)

というか、あれ、7月7日だったのか・・・PANTAさんの命日じゃん。

その車中で、主に私は聞き役だったのだけど、井上さんの話を聞いていて、この人とは通じ合う部分がたくさんあるな、と感じていた。

この時は、確か翌日に長野の方々と何人かで松代大本営跡(松代象山地下壕)へ見学に行ったはず。



この年には、10月にも3人で長野ロキシーに行っていて、それは映画「いぬむこいり」のトークイベント&同日夜のインディア・ザ・ロックでのPANTAさん弾き語りLIVEのため。言うまでもなく、私は運転手(件ローディー的な人)として。

この時は、帰り道所沢インターを降りてから、PANTAさんの発案で急遽、鈴木書店へと向かった。
鈴木書店とは、PANTAさんが「さようなら世界夫人よ」を歌う前に、必ずと言っていいほど毎回MCで紹介する本屋さん。高校生の時、この本屋でたまたま手にしたヘルマン・ヘッセの詩集に載っていたのが「さようなら世界夫人よ」なのだ。

(ここから文体変えます)

そんな日本ロックの名曲生誕の地とも言える、特別な本屋さん。所沢鈴木書店の前に立ち、私も井上さんも興奮していました。

その頃と同じ場所に、あり続けた鈴木書店の姿に感動すら覚えていたのです。

しかし、それからほどなく、PANTAさんと2人で鈴木書店の前を通ったら、鈴木書店の姿は跡形もなく消えていました。
まるであの日の鈴木書店が幻だったかのように。
あの日、最後の姿を、私と井上さん、そしてPANTAさんに見せてくれたのでしょう。


この少し前には、私とPANTAさんは2人で韓国映画『新感染 ファイナル・エクスプレス』を観に行っています。
井上さんが絶賛していたから。
「井上さんが絶賛してましたよ。」「じゃあ観に行くか!」という感じで。

こんな風に、小さなエピソードはたくさんあるのだけど、映画と音楽が、PANTAさん井上さんとの結びつきを深めてくれた事は間違いありません。

そしてその結びつきによって、井上淳一脚本による唯一のピンク映画『ツンデレ娘 奥手な初体験』の音楽を私たち、どるたん+しゃあみんがやらせていただくという展開もあり、その『ツンデレ娘 奥手な初体験』の初号試写の日には、PANTAさんと井上淳一関連作品2本(もう1本は、井上淳一監督作品『誰がために憲法はある』)の試写会を梯子するという事もありました。
過去ブログ『PANTAさんと試写会梯子』参照


そんなPANTAさんが、この日、井上淳一脚本、監督による自伝的作品『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』の試写会にいないという現実。
一緒に観る事が出来なかったという寂しさ。

試写会終了後の帰り道、いつもPANTAさんと一緒に通った道を、1人で車を走らせながら考えていた事は、もしPANTAさんが一緒だったら、帰り道の車の中では、2人でバカ笑いしながら感想をあれこれと語り合ったのだろうな、という事。
絶対にPANTAさんは「井上監督役の雷麟くんは二枚目過ぎるだろ!」と言ってバカ笑いするはず。
(PANTAさんに限らずみんな言ってるけど)
そして役者さんひとりひとりの印象も語り合っているはず。
特に芋生悠さんの素晴らしさを力説していそう。
さらに、絶対に音楽の素晴らしさを語り合っているはず。こんな感じで。
「岳は良い音楽作ったなぁ」
「メロディはもちろんだけど、楽器のセレクトや音色が抜群ですよね」

そんな想像があまりにもリアルに頭に心に浮かんできて、ふいに涙が溢れ出しました。

実は、私、未だにPANTAさんの死を受け止め切れていなくて、しっかりと悲しんだり、泣いたり出来ていないのですが、たまに何かが心に触れ少しだけ涙が出るような事があります。


もしかしたらこの日、PANTAさんの死後、一番たくさん涙が出たかも知れません。
これ書いていて、またちょっと涙出たし。


最後に、PANTAさん、井上さんと3人で写っている写真がないので、(『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』での、井上さんの父親役)田中要次さんと4人で写っている写真を。『PANTAさんと試写会梯子』の時の写真です。

なんだか、私だけフライヤー持っていなくて、一番偉そうな・・・ごめんなさい。

「福田村」からの「青春ジャック」 映画『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』を観て(その2)

昨日、井上淳一脚本、監督作品『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』のマスコミ試写会へ行ってきた。

と書き出しは同じだけど、これ「その2」です。
「その1」を読んでない方は、ぜひそちらからお読みください。
「好き」の熱量 映画『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』を観て(その1)

実は、この『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』を観る数日前に、私、やっと映画『福田村事件』を観たばかりなのです。

で、その衝撃の大きさを引きずったままに、この『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』試写会に臨みました。

そこで危惧していた事がひとつ。
この映画のキャスト、かなり『福田村事件』とかぶっているのです。
上にある画像に大きく写真入りで掲載されているメインキャスト4人のうち3人までが『福田村事件』でも主要な役を演じ、さらには、コムアイ、田中麗奈といった『福田村事件』で重要な役を演じた方々も出演しています。
『福田村事件』を観たばかりの、その残像が生々しく焼き付いている私は、はたして残像に引きずられずに、この映画を観る事が出来るのだろうか?という危惧。

映画がはじまってすぐに、そんな事は、全くの杞憂でしかない事を思い知る事になります。
誰が登場しても、『福田村事件』が頭をよぎるような事は全くありませんでした。

特に、若松監督役の井浦新は、『福田村事件』の澤田役を感じさせないどころか、井浦新であることすら感じないほど。
というか知らずにこの映画を観ていたら、最後まで井浦新だと思わないかも知れない。

シネマスコーレ木全支配人役の東出昌大は、確かに『福田村事件』の船頭によく似た顔立ちなのだけど、そこに宿っている人格が全く違い過ぎて、同じ人が演じているとは俄かには信じられないほど。

それは、コムアイも、田中麗奈も同じで、「『福田村事件』のあの人だ。」と考えるような事は、一瞬たりともありませんでした。

改めて、役者さんの力の凄さを思い知りました。
映画にかける思いや、集中力。本当に凄まじいものがあると感じるし、役作りについて真剣に考えて行動する事、それはやはり、そこに愛があるから、だと思うのです。

井上淳一役の杉田雷麟だけは、映画を観る以前にフライヤー画像などで『福田村事件』のあの子だ!と思ったけど、それは役作りがどうこうではなく、真っ直ぐな目が同じだったから。

メインキャスト4人のうち、唯一『福田村事件』に出ていなかった金本役の芋生悠がまた、とても表現力豊かで魅力的な役者さん。そして強い!

実は、この金本という子は実在の人物なのだろうか?という思いを持ちながら映画を観ていました。
というのは、この金本の存在、発言などに、映画『アジアの純真』(井上淳一脚本)の萌芽を感じたから。そして、それは『福田村事件』へとつながる思い、でもあるような気がして。
だとしたらその思いを植え付けたのは金本の存在?
いや、その思いが先にあって、金本という人物を生み出したの?
ただの青春物語ではなく、差別など井上淳一監督が感じている社会問題的なものを、この映画ではこういう形で表現してきたのかな、と。
それが、若き日に実際に経験した出来事なのか、この映画のために作られたエピソードなのか、それはどっちでもいいんだけど。

もしかしたら、そういう事も昨日買った「公式BOOK」に書かれているかも知れません。
読み応えたっぷりありそうな120ページ以上あるこの本、まだ井上監督の序文しか読んでいないので、とりあえず自分の感想を書き終わったら、じっくり読んでみるつもりです。

まったく的外れな感想を書いているかも知れないので、ちょっと読むのが怖いけど(笑)


(つづき)
PANTAさんを思う 映画『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』を観て(その3)

「好き」の熱量 映画『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』を観て(その1)

昨日、井上淳一脚本、監督作品『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』のマスコミ試写会へ行ってきた。

井上監督とは、個人的なつきあいもあるのだけど、そういう事は一切抜きにして、今年観た映画の中で1番好きかも。

『止められるか、俺たちを2』とあるように、『止められるか、俺たちを』(井上淳一脚本/白石和彌監督)の続編である。
前作も好きで、3回ほど観ているのだけど、今作はさらに好き。
劇場で公開されたら、また観に行きたいと思っている。

観終わってから、なぜ、前作よりも好きなのかと考えていた。
前作は、若松プロの映画制作の現場や裏側を描いていて、色々と生々しすぎたのかな、とか。
まあ、トーンとしては、前作は暗く、今作はちょっと明るい?
こじつけて言うならば、前作がDCなら、今作はマーベル?
前作が新日なら、今作は全日?
それは監督のトーンの違い?
なんてことを、アレコレと。

そして、今朝になって、昨日買った公式BOOKを開くとスグに井上淳一監督の序文があり、そこに答えが書いてありました!
「一作目は死ぬ話だが、今度は生きる話だ。」と

一作目は志半ばで死んでいった吉積めぐみ(門脇麦)の話。今作は生き続けてきた井上淳一(杉田雷麟)の話なのだ。
そりゃあ、トーンも違いますよね。

その生き続けてきた井上淳一の何がすごいって、この人の「好き」の熱量は、半端なくすごいのだな。
それは、名古屋から東京に帰る若松監督を見送りに入場券で新幹線ホームに来たのに、そのまま新幹線に乗り込み若松監督にくっついて東京まで行ってしまうシーンによく現れている。「映画が好き。」「映画監督になりたい。」という思いだけで、こういう行動をとれる人はなかなかいないでしょう。

これを見て、思い出したのが「この人、北朝鮮にも行ってるんだよな。」という事。
どういう事かというと、1995年に、新日本プロレスが(アントニオ猪木発案で)「平和のための平壌国際体育・文化祝典」と銘打ったプロレス興行を開催しているのだけど、井上さんは、これを観戦するために北朝鮮まで行っている。
しかも、この方、新日ファンでも、猪木信者でもない!よっぽどの猪木信者でも、なかなか北朝鮮までプロレスを観に行こうとは思わないのに、なぜまた!?
理由は、吉田万里子が出場するから。
この興業には、全日本女子プロレスの試合も組まれていて、そこに(当時大ファンだった)吉田万里子が出場するから。
まあ、それだけが理由じゃないにしても、北朝鮮への興味とか何かほかの理由づけがあったとしても、「好き」の熱量大き過ぎ!

私が、はじめて井上さんと会った時、井上さんは、その頃観て大いに感動していた映画『スパイダーマン:ホームカミング』の事をものすごく熱心に話してくれたのだけど、その「好き」の熱量に圧倒された私は、それまであまり興味がなかったヒーロー物の映画を観るようになり(過去ブログ「私がMCUに嵌るまで その1」参照)、MCUという大きな沼に引きずり込まれてしまったのです。
恐るべし「好き」の熱量。

そうやって映画に対する「好き」の熱量を何年も、何十年も維持し続けてきた結果、生まれたのがこの映画『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』なのだ。
面白くないわけがない!

「好き」の熱量を維持する事は、実はけっこう大変で、それには、周りの理解や協力も絶対に必要で、それがまた実はなかなか大変で……という事は、自分事としても、とても実感できるし、映画の中にもよく描かれている。

そんな映画、好きにならずにはいられません。

(つづきはこちら)
「福田村」からの「青春ジャック」 映画『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』を観て(その2)