Category Archive : 私を形成しているもの

グレン・グールド『モーツァルト:ピアノ・ソナタ集』

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1993

GLENN GOULD『MOZART』(SONY RECORDS 1965~70年録音)

グレン・グールドの弾くピアノを初めてしっかり意識して聴いたのが、このモーツァルトのピアノソナタ集。

この頃、モーツァルトのピアノ・ソナタ集は、すでに何種類か持っていて、特に、自分にとってのリファレンス的CDは、初めて買ったスヴャトスラフ・リヒテルのもの。それ以後に聴いたものはどうしても、リヒテルと比べて聴いてしまうような所があった。

グールドに関しては、テレビで見た特異な演奏スタイルと、バッハ弾きとして有名ということぐらいしかまだ知らなかった頃。

そんなグールドの弾くモーツァルトはいったいどんな音なのだろうと思い、買ったのがこのCD。

1曲目のK.310 第1楽章を聴いた時には、かなりの違和感を覚えた。
これまで聴いてきたK.310といえば、わりと誰もが、思い入れたっぷりに重々しく始める印象。
それをグールドは、かなりのスピードで軽やかにどんどんと弾き進んでいってしまう。

これだけではなく、他のどの曲も、今まで聴いてきたモーツァルトとはまったく違うもの。

「トルコ行進曲」ではK.310の印象とは逆。
この曲はかろやかに、はずむように弾く人が多いのだが、グールドはといえば、かなりのスローペースで本当に1音1音に何か思いを込めるように丁寧に弾いている、という風に感じる。

とにかく、このCDを初めて聴いた時、違和感に包まれたのは事実。
しかし、このグールドの表現にただならぬものを感じて引き付けられていた事も、また事実。

それからしばらくの間、CDプレーヤーには、このCDがセットされたままになり、何度も何度も繰り返してのプレイ。
すると、その違和感がいつのまにか大きな魅力に変わり、聴く度にグールドの弾くモーツァルトに魅了されていった。

そのうちに、モーツァルトがこれらの曲を実際に演奏していた時には、実は、このように弾いていたのではないのかな?等と考えるようになった。いや、考えるというよりも、感じると言った方が正しいかも知れない。
なんの根拠もないのだけれど、そんな感じがしてくるのだ。

グールドの弾くモーツァルトは、とにかく全ての音が心に直接響いて来るように感じる。
モーツァルトもこのように演奏して多くの人の心を虜にしたのでは・・・
なんて突拍子もない事を感じていたのだ。

心に染み入る「トルコ行進曲」なんて、ちょっと他の人のピアノでは味わえない感覚。
グールドという人は、何か、特別なものを持っている。
そして、その「特別なもの」に惹かれていく私でした。



1983年 新日本プロレス 前田日明凱旋帰国

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1983

1983年 新日本プロレス 前田日明凱旋帰国

ジャンルをスポーツ観戦にしたけど、プロレス観戦の話です。
プロレスはスポーツなのか?と固い事は言わずに受け入れて下さい。
Sports Graphic Number誌上にも、プロレスは取り上げられていますので。

時は、1983年4月21日

私は、22歳、コンピュータ技術者としてそれなりの収入があった頃。

その頃、タイガーマスクの登場、藤波対長州の名勝負(後に名勝負数え歌と呼ばれる)で、人気に火がついた新日本プロレス。

初めて自分のお金でチケットを買って見に行ったプロレス興行がこの日です。

しかし、私の一番の目当ては、タイガーマスク対小林邦明でも、藤波対長州でも、猪木対マサ斉藤でもなく、この日、凱旋帰国試合となる前田日明。

前田の事は、なぜか新人時代から気になっていました。
試合は一度も見た事ないのに。

ある日、プロレス雑誌で、新日本プロレス寮が紹介された時に、痩せ型で(たしか)坊主頭の前田が、どういうわけか「誰がカバやねんロックンロールショー」のLPレコードを片手にファイティングポーズをとっている写真が掲載されました。(記憶に間違いがあったらごめんなさい)

その時から、気になる存在だったのです。

その後、前座でガチガチの凄い試合をするやつがいる(それが前田と平田淳二)という風の噂も聞き、さらに少しして、その若手、前田日明がヨーロッパ(イギリス)に武者修行に出た事を知ります。

イギリスでの活躍の様子なども、たまに雑誌に載る様になってきたある日、私は週刊ファイトに掲載された写真を目にします。

その写真を見た時に、私の前田への興味はマックス状態になり、帰国を心待ちにするようになりました。

それは、坂口征二がイギリスの前田の元に飛び、(当時ウェイン・ブリッジの家に下宿していた)前田と2人並んで撮った写真。

前田は上半身裸でファイティングポーズ。

痩せ型だった前田の上半身はナチュラルな筋肉で形良く膨れ上がり、(日本人の中では大型の)坂口征二と並んでも全く引けをとらない、むしろ上回っているとも感じられる姿になっていたのです。
この姿を見た時に、前田日明への期待値はMAXに。

そしてほどなく前田はヨーロッパヘビー級チャンピオンとして帰国、凱旋試合がこの日。
私は、前田の試合が発表されるとスグに(前田目当てで)チケットを購入。

肝心の試合ですが

前田のセコンドにはカール・ゴッチ!

試合は、3分程度のちょっと消化不良の試合で、前田の一方的勝利。

試合後、対戦相手のポール・オーンドーフがレフェリーに執拗に抗議していた事からも、この試合の不穏な空気は感じました。

後から色々な情報を知りましたが、まあ、それは良いとして(興味のある方は、ネット検索すれば色々出てくるはず)
消化不良とは書きましたが、逆に、個人的には、さらに前田への興味が高まった試合でした。

この日、きっと他の試合も良い試合ばかりだったと思うのですが、今、思い出すのは前田の事だけです。

ところで、このチケット画像を見ると前田の名前、前田日明の日の部分が消されているんですよね。

この後、新日プロでは前田明と表記するようになります。

日明と書いてあきらでは読みづらいから、テレビなどでの露出も多くなる事もあり、読みやすい明(あきら)一文字に変えられたのでしょうが、なんとなく、前田のアイデンティティを否定しているように感じて、少し嫌な気持ちになりました。


映画『シン・ゴジラ』

私を形成しているもの

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※ただの思い出話です。


2016

『シン・ゴジラ』(2016年 日本)

この映画は、劇場で2回観て、ネット配信でも既に何度か観ています。

観るたびに発見がある、というか、観るたびに(自分なりの)理解が深まる、そんな映画。

あと、なんというか、業が深いとでも言ったら良いのか、色々とつらい気持ちが込み上げてくる映画。

もしかしたら、ラストシーンの事やネタバレ的な事を書くかも知れないので(今の所、無計画に書き始めています)、これから観てみようと思う人は、この先は読まずに映画を観てみましょう。話はそれからだ。

はじめは、怪獣映画を観に行ったつもりだったので、シン・ゴジラの形態に目を奪われたりもしたのですが、これは、なんというか非常に政治的な、国のあり方をも問うような映画。

今、シン・ゴジラならぬ、シン・コロナに対して次々と愚作を繰り出している政府、新型コロナウイルス感染症対策本部やら専門家会議やら、加藤厚労相、西村経済再生相、八割おじさん、尾身会長、色々と役者は出てくるけど、常に迷走している。

迷走の元凶は、総理大臣の意向。

何を提言したところで、そこでおかしな方向へ行ってしまうのだから、どうしようもない。

と余計な事書きましたが、そんな事にまで考えを巡らせてしまうような映画でもあります。

翻ってシン・ゴジラ。

政府が立ち上げた「巨大不明生物特設災害対策本部」(巨災対)にすべては任せられる。

総理は、弱腰ながら国民の事を考えているし、現場を信用している「総理大臣でございますから、森羅万象すべて担当しております」なんて頭のおかしな事は決して言わない。

巨災対の報告を聞いて、判断し、(迷いながらも)決断し、責任をとる。
それが総理のお仕事。

後の総理代理も国の事を考えて(弱腰ながら狡猾にしっかりと)外国との交渉をやりとげ、現場は巨災対に任せる。

そうじゃなければ、専門家を集める意味がない!

この国の政府は、原発再稼動時においても、さんざん専門家に「断層の上だ」って指摘されているのに、最終的に政治家の判断で「断層の上とは認められない」って言い出す。

なんのための専門家だって事ですよ!

ああ、ごめんなさい、いちいち話がそれてしまいます。

この国が、全てにおいておかしな国になってしまったものですから。

この「巨災対」が、また色々な分野で、はみ出し者的な研究者だったりするわけですが、そういう人間だからこそ緊急時に誰にも忖度せずに冷静な思考と判断が出来るのだと思います。

以前「大脱走」を取り上げた時に「昔から烏合の衆的な群れは(反吐が出るほど)嫌いなのですが、(ひとりひとりは一匹狼的な)個性豊かなスペシャリスト達が力を合わせて何かを成し遂げる話は大好き」と書いたのですが、この巨災対もまた、そういう集団でした。

さて、そんな政治的な面での面白さ、はみ出し者の群像劇的な面白さに加えて、業の深い部分、ここを考え始めると軽く戦慄すら覚えます。

元々初代ゴジラは、水爆実験が元で生み出されたわけですが、シン・ゴジラの出自はともかく、この映画がフクシマ後に作られた事に(政治面を描く上においても)大きな意味があるような気がします。

そして、映画冒頭で、船の上に靴をそろえて(自殺を思わせるように)消えた博士の存在。

どこへ消えたのか?なぜ消えたのか?

(博士の持っていたものに込められたメッセージなど色々考えさせられる)

シン・ゴジラの細胞は人のDNA情報も持っているという話。

ラストにズームアップして映し出されるシン・ゴジラの尻尾(そこには人間のような造型が)。

そんなところを考え合わせて、導き出されていくもの・・・いやはや怖い・・・デビルマン的怖さ(ジンメンのトラウマよ)。

もちろん政治的な話や、怖い話というだけではなく、わくわくポイントも多々あります。

自衛隊や米軍の最新兵器、無人新幹線爆弾、無人在来線爆弾などの作戦、民間の特殊車両を動員しての作戦などなど。

そして各場面で流れる音楽!
特に、ヤシオリ作戦決行!無人新幹線爆弾発車と同時に流れる「あの音楽」は、何度観ても涙が出るほど心が高まります。

この映画は怪獣映画という枠には全くおさまらない、パニック災害映画、ポリティカルフィクション、ミステリー、人間ドラマ、様々な角度から何度でも観たくなる映画。

きっと子供の頃に観たとしても、(難しかったり、怖かったりするけど)子供なりに楽しめて、大人になって見直した時にまた色々な気づきを与えてくれる、そんな映画かと思います。

映画『あの胸にもういちど』

私を形成しているもの

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※ただの思い出話です。


1973

『あの胸にもういちど』(1968年 イギリス・フランス合作)

これを観たのは、まだマリアンヌ・フェイスフルが何者なのかも知らない頃。

だから、小6か中1か、大体その頃。(という事で、とりあえず体験した年は1973にしておきました)

渋谷東急名画座で一人で観たはず。
確か300円。

観た理由は、その日、やっていた映画がこれだったから。

あとは、アラン・ドロン!
テレビで「太陽がいっぱい」を観て以来、ずーっと好き。

この映画は、簡単に言っちゃうと、かっこいいお姉ちゃんが皮ツナギを着てバイクに跨り、恋人に会いに行く話(簡単すぎ?)

というかね、正直に言ってしまうと、バイクかっこいい!皮ツナギのお姉ちゃん、かっこいい!そしてエロい!
以外の記憶が全然無いんです。

今でも、恋愛感受性に欠ける部分のある私が、12歳ぐらいの時に観たわけですから、この映画に描かれた(であろう)恋愛の機微なんて、全く理解出来ていません。(キッパリ)

でも、なんだかすごく魅かれる映画だったのは、確か。
多少の恋愛なども経験してから読んだ原作小説『オートバイ』は、それなりに楽しめたし。

後にマリアンヌ・フェイスフルの事を色々と知り、特に歌手としてのマリアンヌ・フェイスフルは大好きになって、かなりの音源を聴いてきたので、改めて「この映画をもういちど」観たい!と思いつつも、観ないまま今日に至る。

いつかちゃんと観なければ。
(今、Amazon Prime Videoで観られるみたいだけど・・・)


この映画が描いている男と女の世界は、まだまだ理解出来ないお年頃に観てしまった映画だけど、それなりに心に残り、今の自分を形成する一部になった事は確かです。

Kevin Ayers『Sweet Deceiver』

私を形成しているもの

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※ただの思い出話です。


1979

Kevin Ayers『Sweet Deceiver』(1975年発売)

今日、2月18日は、Kevin Ayersの命日という事で、Kevinさんの1番好きなアルバムを取り上げます。

Kevinさんの事はこれまでにも、以下のように何度もブログで取り上げていて
Kevin Ayersの思い出 その1
Kevin Ayersの思い出 その2
Kevin Ayersの思い出 その3
Kevin Ayers – Unfairground
間違えいなく「私を形成しているもの」の中でも大きな存在。

このアルバムに出会ったのは、というか買ったのは、高校を卒業して、バイトもし、これまで欲しくても買えなかったレコードを割と気軽に買えるようになった頃。

その辺の事情は「Kevin Ayersの思い出 その1」に詳しく書かれているので、ここでは省きますが、とにかくやっと手に入れたKevinさんのレコード。
もちろん聴きまくりました。

このレコードに初めて針を落とした時に、1曲目「Observations」の激しいイントロを聴いた瞬間、ちょっとたじろいだのだけど、ほどなくKevinさんのヴォーカルが入ったとたんに曲調が変わり、大げさに言えば世界も一変したような、不思議な感動を味わった。Kevinさんの声、その包容力。Kevinさんの世界に包まれたような感覚。
そこでもうメロメロです。

2曲目「Guru Banana」は、イントロのクラリネット(かな?)でそのすっとぼけた世界に引き込まれていきます。Kevinさんのこういう所がたまらなく好き。歌っている内容はけっこう皮肉が効いていて辛辣なのに、音はすっとぼけた感じ。素敵。

つづく3曲目は、このアルバムで(いやもしかしたらKevinさんの曲の中で)1番好きな曲「City Waltz」
まあWaltz系の曲には、元々ちょっと弱いんだけど、各楽器の音色や醸し出すムード、そしてもちろんKevinさんの歌。声。さらには子供たちの後追いコーラス。こういうのにも弱い。本当に大好き。

2013年2月にKevinさんの訃報を知り、その少し後に、ルイス稲毛企画のLIVEに、ソロの弾き語りで出演したのだけど、その時に、ルイスと2人で、この曲を演奏しました。1番好きな曲をやりたくて。
前日に、電話でコードの確認や打ち合わせをして、あとは本番一発。

4曲目「Toujours La Voyage」は、Elton Johnのピアノが美しく印象的な、スローなバラード曲。
ちょっとダルっとした感じが支配する世界。こういうのもKevinさんならではの魅力のひとつ。
ピアノに絡むOllie Halsallのギターも素晴らしくて、みんなでKevinさんの世界観を作り上げている感じが素敵。

B面に移り、1曲目の「Sweet Deceiver」は、(Kevinさんにしては)ストレートな感じのロック・ナンバー。これがまたかっこいい!この曲も大好きで、あるイベントでこの曲をカヴァーして・・・というお話は「Kevin Ayersの思い出 その2」に詳しく書いてあります。これでルイス稲毛との縁が生まれたという話。

このアルバム好き過ぎて、1曲1曲、全部こんな感じで感想を書きたくなるけど、あまり長くなるのもなんなので、ここから後の曲もすべて素晴らしい!という事で。

ちなみにElton Johnは全部で3曲に参加していて、どれも素敵な演奏を聴かせてくれます。

なんにしろ、このアルバムは、自分にとって色々な意味でかなり重要な一枚。


※ジャケット画像はAmazonから拝借

The Batles『The Beatles/1962-1966』

私を形成しているもの

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1973

The Batles『The Beatles/1962-1966』(1973年発売)

ビートルズの音楽に衝撃を受け、はじめてしっかりと意識したのは、中学1年生の時。
(たぶん)放課後、放送室に何人かで集まり、SK君が持ってきた『The Beatles/1962-1966』を聴いた時。

その時聴いたのは、たしかA面だけだったのだけど、とにかくかっこいい!と思った。
「She Loves You」が流れた時には、小躍りしたくなるような、体が勝手に動き出すような感覚を覚えた。
さらに「抱きしめたい(I Want to Hold Your Hand)」を聴いた時の感覚が忘れられない。
胸の高鳴りと、キュっとするような切なさが同時に押し寄せてくるような不思議な感覚。

A面の中で特に深く印象に残ったのは、この「抱きしめたい」だった。

高校生になってから読んだ小林秀雄『モオツァルト』の中に「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。」という有名なフレーズが出てくるのだけど、もしかしたら、その感覚ってビートルズにも当てはまるのでは?それが「抱きしめたい」をはじめて聴いた時の感覚なのでは?と感じた事を思い出す。

このベスト盤(赤と青の2セット)が発売されたのが、1973年5月。
SK君は、まだ出たばかりの(お兄さんが買った)レコードを学校に持ってきて聴かせてくれたのだ。
「これ、すごいぞ!かっこいいぞ!」とみんなに聴かせたくてたまらなかったのだろう、と今は、その気持ちがよく分かる。

この時感じた、胸の高まりや切なさ、不思議な感覚は、心の中に熾火のようにくすぶり続け、中学2年になった時、同級生でビートルズの大ファンAH君との出会いによって、一気に燃え広がるのだった。


※ジャケット画像はAmazonから拝借

私を形成しているもの 年譜

私を形成しているもの

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※ただの思い出話です。


「私を形成しているもの」として取り上げてきたもの達を年代順に並べて、索引のような形にしてみました。
これまで、年代にはこだわらず思いつくままランダムに取り上げてきました。
これからも、そのスタンスは変えずに、気ままに更新していくつもりなので、この年譜の空白年が埋まっていくかも知れません。埋まらないままかも知れません。

1967

ULTRA SEVEN

1968

シルヴィ・ヴァルタン「アイドルを探せ」

1969

オックス 「真夏のフラメンコ」(「ロザリオは永遠に」B面)

1971

映画『大脱走』
新潮文庫版 ヘミングウェイ「老人と海」

1972

春陽文庫の江戸川乱歩

1973

頭脳警察『頭脳警察3』
映画『大空港』
映画『猿の惑星』
映画『エクソシスト』
映画『あの胸にもういちど』
The Batles『The Beatles/1962-1966』
印象派の『四季』 Felix Ayo, I Musici

1974

John Lennon『IMAGINE』
Ringo Starr 『Goodnight Vienna』
QUEEN 『Sheer Heart Attack』
John Lennon「真夜中を突っ走れ」
小松左京『さらば幽霊』

1975

映画『哀しみの街かど』
柳田国男『遠野物語』
PINK FLOYD そして Syd Barrett
井上陽水 『陽水II センチメンタル』
George Harrison 『Extra Texture』
Wings 『Venus and Mars』

1976

David Bowie『Diamond Dogs』
The Rolling Stones『BLACK AND BLUE』
Bob Dylan『Desire』
ENO『ANOTHER GREEN WORLD』
Frank Zappa『Apostrophe(‘)』
Al Kooper 『Act Like Nothing’s Wrong』
Jackson Browne『The Pretender』
Lou Reed『BERLIN』
小澤征爾『ボクの音楽武者修行』
映画『小さな恋のメロディ』

1977

T.REX『Dandy In The Underworld』

1978

Kate Bush『Lionheart』
映画『2001年宇宙の旅』

1979

シーナ&ロケッツ『真空パック』
Kevin Ayers『Sweet Deceiver』

1980

「不思議の国のアリス」(東京図書版)
The Police初来日公演

1981

「隠された十字架 – 法隆寺論」 梅原 猛 著(新潮文庫)
筒井康隆「遠い座敷」

1982

藤 真利子『狂躁曲』

1983

1983年 新日本プロレス 前田日明凱旋帰国

1984

1984年 鈴鹿8時間耐久オートバイレース

1986

五味康祐 『西方の音』

1991

R.E.M. 「Losing My Religion」

1993

グレン・グールド『モーツァルト:ピアノ・ソナタ集』

1994

1994年 日本グランプリの阿部典史
鮮烈な『四季』 Gil Shama, Orpheus Chamber Orchestra

1996

マウリツィオ・ポリーニ/1996 ミラノ スカラ座

2002

Red Hot Chili Peppers『By The Way』

2003

MADDY PRIOR & THE CARNIVAL BAND LIVE
Radiohead – SUMMER SONIC 2003

2005

『半島を出よ』村上龍

2010

映画『マトリックス』
映画『幸せはシャンソニア劇場から』

2012

ヴェネツィアでの『四季』 I Virtuosi Italiani

2016

映画『シン・ゴジラ』

2018

映画『リトル・フォレスト』

2020

映画『青いパパイヤの香り』



柳田国男『遠野物語』

私を形成しているもの

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1975

柳田国男 『遠野物語』(角川文庫版)
柳田国男 『遠野物語』(角川文庫版)

※画像は自分の蔵書

柳田国男の『遠野物語』、この本を初めて読んだのは中学生の頃か、高校生になってからか。
今、文庫本の奥付を見ると「昭和四十九年四月三十日 改訂十二版発行」となっている。
49年4月といえば、私は13歳。読んだのはそれ以後。中3~高1ぐらいの時期に読んだように記憶しているので、大体一致。とりあえず上記、初体験の年は1975としておいた。

日本の民話や伝説には、子供の頃からとても興味があって、一体なぜ興味を持つようになったのかと考えてみると、もしかしたら『ゲゲゲの鬼太郎』や『河童の三平』という水木しげる作品の影響が一番大きかったのかも知れない。

また以前、このブログでも取り上げた『大魔神』や『妖怪百物語』といった映画(「『大魔神』『妖怪百物語』を50年ぶりに観た」参照)も、民話や伝説への興味を後押ししていたような気がする。

マンガ雑誌の特集記事で妖怪たちのプロフィールが紹介されると、食い入るように読んでいた事を思い出す。『妖怪なんでも入門』なんていう子供向け書籍も持っていた。

その延長線上で手にしたのが、この『遠野物語』。

岩手県の山間の里、遠野地方には、数多くの民話や伝説が言い伝えとして存在し、それを柳田国男が収集し書き記したもの。

今では有名な「ザシキワラシ」も登場する。
「ザシキワラシ」を全国区にしたのも、この本がきっかけ?

有名な妖怪(?)だけではなく、今、パラパラと適当にページを繰っただけでも「コンセサマ」「ゴンゲサマ」「ヤマハハ」などなど、色々な名前が目にとまる。
そんな、神様?妖怪?妖精?のような存在についてや、不思議な出来事について語られているのだ。
面白くないわけがない。

この文庫本には『遠野物語』本編以上のヴォリュームで『遠野物語拾遺』が併載されている。
『遠野物語拾遺』の成り立ちについては、解説に書いてあって、簡単に言ってしまえば『遠野物語』の続編として企画されたもの。(その他事情は色々あるので、それ以上知りたい方は、各自調べてください)
『遠野物語拾遺』では、箇条書き的に、言い伝えが紹介されていて、その数二九九篇。
古くからの言い伝えだけではなく、近年の話もあれば、維新の時に、徳川方の一族が逃げ延びて来たという話など興味深い話が多く、どこから読んでも楽しめる。

これを読了して以後、角川文庫版の柳田国男著作は、折々に買って読み続けて来た。

コンプリート癖はないので、全冊あるわけではなく、今、手元にあるのはこれだけ。
特に好きだったのは『桃太郎の誕生』かな。
これ何のタイミングだったか、新刊みたいに書店に平積みされていたものを買った憶えがある。
文庫の初版は昭和二十六年なのに。なんかフェア的なのをやっていたのか?それとも記憶違い?

なんにしろ、これらの本を読んできたおかげで、その後に触れた色々な物語の見方が深まったり、それ以前に出会った物語をさらに深く理解出来たり、という恩恵があった。
また民話や伝説を元にした物語を面白がれる心の土壌が豊かに育ったような気がする。

例えば、手塚治虫『鬼丸大将』、永井豪『手天童子』といったマンガたち。

何よりも「『遠野物語』を読んでいて良かった!」と思ったのは、高橋克彦の『総門谷』を読んだ時。総門谷のある場所は、岩手の早池峰山。
『遠野物語』を読んでいたので、ものすごく馴染みのある地名。行った事はないけど。
他にも馴染みのある名前や場所、逸話が出てきて、胸躍らせながら読んだ。

昨日書いたブログ(「車浮代『気散じ北斎』」)で触れた、伝奇物が好きという土壌が形成されていったのも、子供の頃から連なる民話、伝説好き~柳田国男はじめとする民俗学への興味の広がりも大きく影響しているのでしょう。

この後も、この分野への興味は続き『死者の書』『古事記の研究』など折口信夫の著作や、最近のものでは、小松和彦の『異界巡礼』『日本妖怪異聞録』などなど、目にとまるものを読み続けてきています。
特に好きなのは、江戸~東京の結界を扱ったような内容で、加門七海『大江戸魔法陣』『東京魔法陣』など読んだのだけれど、内容的に物足りないというか、薄いというか、若干残念な感じ。何か面白い本があったら教えてください。

話がそれたところで、この項、ここまで。



PINK FLOYD そして Syd Barrett

私を形成しているもの

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※ただの思い出話です。


1975

PINK FLOYD – Wish You Were Here 「炎 ~あなたがここにいてほしい」(1975年発売)

中学生時代に、手にしたPINK FLOYDの2枚のアルバム。
当時の最新作『炎』
そして1stアルバム『サイケデリックの新鋭』のことを。


まずは、PINK FLOYD – 炎~あなたがここにいてほしい(Wish You Were Here)の話から。

このアルバムは、私がはじめてほぼオンタイム(日本発売時)で購入したPink Floydのアルバム。

その時私は、中学3年生。
ジャケットをシールドした濃紺のビニールを開けた時のワクワクした感覚は今でも心の中に残っています。

そして、このアルバムの発売に合わせて、NHK FM、渋谷陽一の「ヤングジョッキー」(だったと思う)で放送されたPink Floyd特集。
この番組も私にとって、とても大きな意味を持つものでした。

それは、このアルバム『炎』の特集であると同時に、Pink Floydが「あなたがここにいてほしい(Wish You Were Here)」と訴えかけた相手、Syd Barrettに焦点を当てた特集。

アルバム1曲目に収録された「狂ったダイアモンド(Shine On You Crazy Diamond)」、そして前述の「あなたがここにいてほしい」は、Pink Floyd結成時のリーダー的存在でフロントマン、精神に異常をきたしてグループを離れたSyd Barrettへあてたメッセージ。

さらには、一作前のアルバム『狂気(The Dark Side Of The Moon)』も、またSyd Barrettへのメッセージ的内容を含むアルバム、という事で、このアルバム『狂気』から「狂人は心に(Brain Damage)」

これらの曲は、訳詞(渋谷陽一が朗読)と共に紹介されました。
(他に『原子心母』から「If」も)

曲が作られたバックグラウンドや、歌詞に込められた思いがよく理解出来て、中学生にとって、とてもありがたい番組でした。

さらに、Syd Barrettのソロアルバムから「むなしい努力(No Good Trying)」「あたりまえ(It Is Obvious)」の2曲が取り上げられました。

それが私にとって初めてのSyd Barrett体験。
この2曲に、私はすっかり魅了されてしまったのです。

キラキラしてねじれたポップソング。
他には感じられない「何か」が、Syd Barrettの歌には確かにありました。

この番組を録音したカセットテープを、当時、何度聞き返した事か。


そして、少ししてから、Pink Floydの1stアルバム、Syd Barrettがリーダーシップをとった唯一のアルバム『サイケデリックの新鋭(The Piper At The Gates Of Dawn)』を購入。

(のちに『夜明けの口笛吹き』という、より原題に近い、素敵で詩的な邦題に変わりますが、私が購入した物は『サイケデリックの新鋭』帯)

PINK FLOYD – The Piper at the Gates of Dawn『サイケデリックの新鋭』(1967年発売)

これを買う以前に、レコードで持っていたのは『炎』だけでしたが、『狂気』他数枚は友人から借りて聴いていました。

しかし、この1stアルバムから流れて来た音は、それまで聴いていたPINK FLOYDとは全く違う音、全く違う世界。
中学生の私は、Syd Barrettが作る奇妙でポップでキラキラしているのにどこか牧歌的でもある世界に嵌っていったのです。

『狂気』『炎』へと繋がるSyd BarrettのいないシンフォニックなPink Floydも好きでしたが、Syd Barrettが描き出す唯一無二のポップ音楽は自分の中で大きな位置を占めていくのでした。


※私が後に結成したバンド(ユニット)不思議なバレッツは、Syd Barrettが描く音世界への憧憬からつけた名前

※私が購入したPink Floydの1stアルバム『サイケデリックの新鋭』には「エミリーはプレイガール」が収録されていました。
ところが、後に買った『ナイスペア』(1stと2ndの2枚組)には「エミリーはプレイガール」が収録されていません。なぜ!?
「エミリーはプレイガール」はシングル曲で、本来はアルバムには収録されていない曲。「サイケデリックの新鋭」にはボーナストラック的に収録されていた、というのは後に知った話。


1984年 鈴鹿8時間耐久オートバイレース

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1984

1984年 鈴鹿8時間耐久オートバイレース

後にも先にも鈴鹿まで出かけて8耐を観たのは、この年だけ。
なんせお金がかかりますから・・・
友人の車で出かけました。

それ以外の何年かは、青山にあるホンダのショールームや多摩テックで(パブリックビューイング的な物を)観ていました。

では、なぜ、この年だけは、鈴鹿まで行こうと思ったのか!?

それは、コーク・バリントンが出場したから。

では、コーク・バリントンとは?

ちょっと長いけどWikiから抜粋引用します。

南アフリカ(生れはローデシア)の元オートバイレーサー。ロードレース世界選手権で通算4度の世界チャンピオンに輝いたライダーである。

数年間のスポット参戦ながらヤマハの2気筒マシンで勝利を挙げるなどの活躍を見せていたバリントンに目を付けたカワサキは、彼をファクトリーチームに迎え入れた。ファクトリーライダーとしてフル参戦を開始したバリントンは、カワサキの期待に応えて1978年と1979年、激戦区である250ccと350ccの両クラスで2年連続ダブルタイトルを獲得した。

1980年、ケン・鈴木率いるカワサキとバリントンはモノコックフレームという当時としては革新的な構成を持つニューマシン、KR500で最高峰クラスへの挑戦を開始する。しかしバリントンの力をもってしても、ニューマシンを開発しながらレースを戦うには500ccクラスの壁は厚く、250ccクラスや350ccクラスでの成功を再現することはできなかった。

結局、3年間に渡る500ccクラス挑戦で勝利を挙げることはできず、カワサキは1982年を最後にKR500の開発を取り止めると同時に世界選手権からの撤退を決定。カワサキがバリントンに撤退ぎりぎりまで伝えなかったためそのときには他チームの翌年陣容が決定済みでバリントンは他チームのシートを得られずグランプリから引退した。

2年連続、250と350の2クラスで、世界チャンピオンですよ!カワサキで。

そしてKR500!
当時としては革新的な構成を持つニューマシンKR500!
結果は残せなかったけどKR500
プラモデル作りました!

何か特別なチャレンジをする物が好きなんです。(例:楕円ピストンしかも4ストのNR500とか)
バイクに限らず他の分野でも。

しかし、コーク・バリントンの事は、雑誌の中でしか知りませんでした。

でも、その経歴と、インタビューなどで知る人柄に勝手に惚れ込んでいました。
当時の私は(バリントンと同じ)Nolanのヘルメットにカワサキのバイク。

そんな、私にとって特別な男が、8耐出場!しかもカワサキのバイクで!!

プロレスで言えば「まだ見ぬ強豪」
この目で見ないわけにはいきません。

ただ、カワサキのバイクと言っても、カワサキは8耐にはワークス(メーカーが直接運営するチーム)参戦していません。
月木(ツキギ)レーシングという(カワサキ車用のマフラーなどを作っている)コンストラクターチームからの参戦。

この時のコーク・バリントンの雑誌インタビューを読むと、カワサキに対する恨み言(GP撤退~引退の顛末)など一切なく、むしろカワサキのバイクでレースが出来る事を本当に楽しみにしている様子で、それだけでも涙が出ました。

さてレース。

前日までに行われた予選の結果は、コーク・バリントンをもってしても、ワークス参戦しているHONDAやSUZUKIには力及ばず、それでも12位と大健闘。

決勝レース、主にコーク・バリントンを(目で)追い続ける私。

お!・・・・・・・・・・・・・・・・お!・・・・・・・・・・・・・・・

と何度か私の前を一瞬で通り過ぎるコーク・バリントンの姿を確認し、小さく心の中で歓声をあげる。

しかし、ほどなくその姿は見えなくなった。

場内アナウンスでリタイアした事を知る。
今、リザルトを確認したら15周でのリタイア。

そこからの長い7時間ほどの事はほとんどおぼえていません(笑)

そんな1984年の夏でした。