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アマリア・ロドリゲスと父のこと

今日はとんでもなく暑かったけど、昨日、一昨日は、雨模様で肌寒かった。
気持ちも体調も落ち気味で、なんとなくアマリア・ロドリゲスを聴きたい気分。
昨日、一昨日と長い時間、アマリア・ロドリゲスを聴いていた。

1974年に発売された名作アルバム『コン・ケ・ヴォス』
1993年にOMAGATOKIからCD化されたものを、私は持っている。

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これはCD化されてすぐに入手、すごく嵌って、聴き込んでいた。
ある日、このCDを聴いていると、(当時、同居していた)父が話しかけてきた。

「アマリア・ロドリゲスみたいだな。」と

ふだん全くといいほど会話のない父と私。
しかも父には、音楽の趣味などなく、家でレコードやCDを聴く事もない。
意外だった。

「そうだよ。好きなの?」

少し話てみると大学生の頃から、よくファドやシャンソンを聴かせる店に行っていたらしい。
「暗いはしけ」がヒットしたこともあり、アマリア・ロドリゲスは、当時、かなり聴かれていたようなのだ。
父は、東京のお金持ちのボンボンなので、そういう店に出入りしていても不思議ではないのだけど、その後の人生で音楽的趣味を全く手放してしまっている事が、音楽にどっぷりはまって生きてきた私にしてみると、すごく不思議。

で、「暗いはしけ」は持ってないのか?というので、聴かせてあげた。

『コン・ケ・ヴォス』があまりにも素晴らしかったので、その後スグに、東芝EMIから出ていた4枚組CD BOXも入手していたのだ。「暗いはしけ」もしっかり入っています。代表曲ですから。

まあ、懐かしそうに聴いていたけど、特に話が広がる事もなく、ほどなく「ありがとう。」と言って部屋を出て行った。

父と音楽の話をしたのは、ほんの数回しかないので、どれも良く憶えていて、その中でも、アマリア・ロドリゲスは、特に印象に残っている。
アマリア・ロドリゲスを聴く度に思い出してしまうほどに。

他、数回の音楽話も書いてみると、

「暗いはしけ」に味をしめたのか、少ししてから「「マック・ザ・ナイフ」は持ってないか?」と話しかけられた。

STINGがカヴァーしたやつなら、『クルト・ワイルの世界~星空に迷い込んだ男』というオムニバスCDに入っているのだけど、父が聴きたいのは絶対にそれじゃないので「誰の?」と聞くと「シナトラかな」と言う。

残念ながら持っていない。
今ならサブスクでサッと探して聴かせてあげたかも知れないけど、あっさりと「持ってない。」で、話は終わり。

もうひとつは、ずっと時を遡って、映画『愛と哀しみのボレロ』公開中に映画のテレビCMでよく「ボレロ」が流れていた時の事。
独り言的に「ボレロかぁ、オーケストラ聴きに行ったなぁ」などと言っている。
クラシックを聴くイメージもクラシックの演奏会に行くイメージも全くなかったので、意外過ぎてよく憶えている。「ボレロ」を知っているだけでも超意外なのにオーケストラって!
母に聞くと、クラシックの演奏会には何度か連れて行ってもらったらしい。マジか!?

クラシックの演奏会に行っていたというのは、ビックリだけれど、考えてみれば私も子供時代にかなり色々な所に連れて行ってもらっていた事を思い出し、なんとなく納得もした。

しかし、趣味が広がったり深まったりしないのが本当に不思議。
特別「好き」というわけでもなく、なんとなく聴いていただけなのだろうか?

まあ、父のような人間から見れば、私の方が不思議なのかも知れないのだが。


父と交わした音楽の話は、これだけなんだけど、書いているうちに、「映画の話」と「色々な所に連れて行ってもらった話」を思い出してしまった。

そのうち気が向いたら書いてみようかな。

Jackson Browne『The Pretender』

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1976

Jackson Browne『The Pretender』(1976年発売)

高校1年の時の同級生UT君が、発売されたばかりのこのアルバムを買って、スグに貸してくれました。
その頃の私は、主に、ハードロックやプログレの有名どころを買っていた時期。
ウエストコースト系のアーティストにはまだ興味が向いていなくて、ジャクソン・ブラウンという名前を聞いた時に、はじめ黒人と勘違いするほどに何も知らなかった。
(その勘違いはたぶんジャクソン5、ジェームス・ブラウンからの連想)

とはいえ、なんでも聴いてみたいお年頃。
ありがたく借りて録音した所、これが私の心に大ヒット、大フィット。
それからは録音したテープを、毎日のように繰り返し聴き込みました。

優しく包み込むような声、歌い方。
時に力強く何かを肯定してくれるような声、歌い方。
アコースティック基調の耳馴染みの良い音、印象に残るメロディー。
そして歌詞。
すっかりジャクソン・ブラウンの描き出す世界の虜になりました。

歌詞を読みながら聴きたくて、ほどなく自分でも日本盤のレコードを購入。
それから、今日に至るまで、50年近くの間、年に数回は、必ずターンテーブルに乗るレコード。

音色面では、特に「Linda Paloma」のハープ(?)やギター類の、美しいアコースティック楽器の音色が堪らなく好きで、新しいオーディオ装置導入時には、必ず、この曲でアコースティック系の音色をチェックするようになりました。

とはいえ、それはあくまでも音色チェックのためだけで、このアルバムは、1曲目の「The Fuse」からラストの「The Pretender」までの流れがとにかく完璧!
全曲通して聴きたくなります。

今日、この文章を書くために久しぶりにレコードを聴いたのですが、やはり全曲通して、3回も聴いてしまいました。
このレコードの帯には
「深い悲しみと絶望の淵に立たされたジャクソンが、心から歌いあげる亡き妻への鎮魂歌!」
と書いてあります。
アルバム制作中に妻が自殺するという事件があり、その悲劇を乗り越えて完成させたアルバム。
どうしても、その事を頭に置いて聴いてしまうのだけど、それを抜きにしても色々な感情(やメロディーや音色や演奏、そして言葉)が心に触れ涙が出てくるような曲が詰まっています。

このアルバムについては、曲ごとに、もう少ししっかりと触れてみたくなりました。
とりあえず「私を形成しているもの」としては、私にとって特別なアルバムです、という紹介にとどめますが、また改めて、このアルバム『The Pretender』の事、そしてJackson Browneの事を、書いてみたいと思っています。


アル・スチュワート(Al Stewart)のこと

アル・スチュワートのことを書く前に、今日も「(少しだけ)歌ってみた」シリーズから、1曲取り上げて紹介しようと思うのですが、さらに、その前に、まずは、一応枕詞的に宣伝を・・・

4月21日(日)川越 大黒屋食堂でのLIVEは、どるたんがソロ弾き語りで出演します。


今日、とりあげる「(少しだけ)歌ってみた」動画は、こちら

この曲は、イギリス(スコットランド)のシンガーソングライター、アル・スチュワートの曲。
1975年発売のアルバム『Modern Times』(邦題『追憶の館』)、1曲目に収録されています。

私はこのアルバムを、SONYの「ミュージックライフ選定 不滅のロック名盤」シリーズ、1500円の廉価盤で購入。
高校生の時です。
当時、新譜LPレコードは2500円前後だったので、廉価盤シリーズは本当にありがたくて、このシリーズや他社の廉価盤シリーズを何枚も買っていました。


ちょっと調べると、このSONY廉価盤シリーズ、1974年頃からリリースされていたようなので、1975年発売の『追憶の館』は、ほぼ発売と同時にシリーズ入りしたのではないでしょうか?
「不滅のロック名盤」という評価は定まっていない。しかも「ロック」という雰囲気でもないのでは?

まあ、そのおかげで聴く事が出来たのだから、それは良いとして。

この発売年を調べていてもうひとつ驚いた事があります。

アル・スチュワートは、『イヤー・オブ・ザ・キャット』『タイム・パッセージ』が日本でも多少売れたので、その辺のイメージが強い人も多いと思います。音的にはちょっとAOR寄りの感じ。

その辺も悪くないのですが、私は、ここで取り上げた『追憶の館』をはじめ、それ以前の物が、いかにもスコットランド出身のシンガー・ソング・ライターの作品といった趣があって好き。

なので、印象としては、あくまでも印象としては(2回言いました)『追憶の館』以前の作品は70年代中盤頃まで、『イヤー・オブ・ザ・キャット』以後の作品は80年代というイメージ。
しかし、なんと『追憶の館』が1975年、『イヤー・オブ・ザ・キャット』が1976年(『タイム・パッセージ』は1978年)の発売でした。

『追憶の館』は、出てすぐに「不滅のロック名盤」入りしてしまったので、もっと古いイメージがあったし、それ以後の作品はテレビの洋楽番組でも流れていたようなイメージがあるので、その間にはもっと大きな隔たりがあるような気がしていたのですが、わずか1年。隔たり的にはゼロ。

これには驚きました。

アル・スチュワートのアルバムは、その後も、「出れば買う」というスタンスでいたので『24 Carrots』(1980)、『Live Indian Summer』(1981)、『Russians & Americans』(1984)と持ってはいたのですが、正直言って、あまり熱心に聴き込んではいませんでした。
平行して、初期の作品も中古盤屋さんで「見つければ買う」というスタンスだったので、ほぼ買いそろえていて、どちらかといえば初期の作品に針を落とす事が多く、そのうちに新譜リリース情報も途絶えてしまいました。

そんなアル・スチュワートの音楽との再会を果たすのが1990年代になってから。
イタリアで仕事をしていた頃、毎日のように仕事帰りに寄っていたCDショップで見つけたCDがこれ

Al Stewart Live Featuring Peter White – Rhymes In Rooms

ジャケット写真にあるように、アコースティックギター、デュオでのLIVEアルバム。
これがなかなかの好盤で、当時かなり聴き込んでいました。

ほどなく、またそのCD店で見つけたのがこれ

Al Stewart – Famous Last Words

このアルバムは、ジャケット写真からして、好感しかありません。
内容も、初期の香りと、それ以後の完成度が、ちょうどよい具合にブレンドされているような印象で、かなり好き。

調べたところ『Rhymes In Rooms』が1992年、『Famous Last Words』が1993年発売なので、2枚とも発売時に買っていたようです。
そして、前述の『Russians & Americans』(1984)以後、この『Rhymes In Rooms』(1992)まで、アルバムは1枚も出ていませんでした。私があまり聴かなくなった時期に、アル・スチュワートも表舞台から消えていた事になりますが、復帰と同時に私の目にも止まったわけです。

そんな具合で高校生の頃から、長いつきあいのアル・スチュワートの音楽。
その中でも、一番思い入れがあり、聴き馴染みがあるのが一番初めに買った『追憶の館』
そしてそのアルバムの1曲目に収められた「Carol」を弾き語りカヴァーした次第。

この弾き語り動画をYouTubeにあげた当時、動画を観て、音楽評論家の小尾隆さんが反応してくれた事が、とても嬉しく心に残っています。
小尾さんは、残念ながら昨年亡くなられたのですが、私の動画やブログをよく見てくれていたようで、時折り素敵な反応をしてくれました。

もう少し心の整理がついたら、小尾さんの事もブログに書き残したいと思っています。


【追記】
このブログを書くにあたり、YouTubeでアル・スチュワートの動画を観ていたのですが、なんと近年のLIVEでけっこう、この「Carol」を演奏しているようです。
早く気づいていれば、もっと簡単に(動画の指を見ながら)コピー出来たのに!



CD『GREAT SAVANNA』

友人のブッキーこと森下寿一の新譜CD『GREAT SAVANNA』が届きました。
実は、このCDのデザインは私が担当しています。

デザインと言っても、メインになるイラストが指定されていたので、ほとんどレイアウトと文字組み作業という感じではありますが。

とはいえ、いかにイラストを尊重し、その世界観を崩さずに、必要な情報を組み込んでいくか、しっかりと配慮し心を込めて作りました。

そうやってブッキーと細かいやりとりをしながら一緒に作りあげた作品なので、やはり出来上がり、実物を手にすると感動します。

CDシングル(4曲入り)で、レコードのシングル盤のミニチュア的作りになっています。
これはブッキーのアイディアで、なかなか素敵。

音源はデザイン制作時にMP3で聴いていたのですが、改めてCDをオーディオ装置にセットして聴くと、また格別な味わいがあります。
モノ盤にこだわったというのが、また面白い。
ビートルズのモノ盤に影響を受けているのかな?と思い、ジャケットの「mono」表記に少しだけビートルズ味を出してみました。


タイトル曲のブッキーの歌詞はユニークで、ふだんのブッキーの語り口が浮かんでくるような、面白さがあります。

そして、ブッキーの音楽には、独特のユーモア(というかすっとぼけ感)と大きなやさしさがあります。

ブッキーのブログには、全曲の解説があるので、ぜひ一読を。
その前に、ぜひ実物を手にして、ジャケットを見て、歌詞を読みながら、聴いてみて欲しい。
ブログに購入方法の案内も書いてあるので、ぜひぜひ!

ブッキーのブログ「bookie’s songbook」
新CD “GREAT SAVANNA” 発売❗️

ポリーニの訃報

今朝、SNSを開くと一番初めに目にしたのが、マウリツィオ・ポリーニの訃報。
知人のYさんの投稿で知る。
Yさんは、ポリーニの初来日から最後の来日公演まで観ているという方。
この方の投稿で知る事が出来たのは、それこそ不幸中の幸い。
中途半端な人が書いた中途半端な追悼コメントなんかで知りたくないので。

その後、タイムラインに流れてきたのがドイツ・グラモフォン(日本版)の投稿。
次に、やはりドイツ・グラモフォン(日本版)の投稿で、ドイツ・グラモフォン社長クレメンス・トラウトマンのコメント。真摯で素敵なコメントでした。

ここまで読んで「ああ、本当に死んだんだなぁ・・・」と、軽い喪失感。
と同時に不思議なやるせなさというか、つらさというか、なんとも言えない気持ちが込み上げてくる。
この感情は今年2度目なのです。

どんな感情か、言葉では伝えづらい変な感情。

なので、現象を伝えると、このブログでポリーニの事を書いたばかりなんです。
1か月近く前の事なので書いたばかりというと、若干語弊があるけど、感覚的にはつい先日書いたような感覚。
それは、2月29日に投稿した、「マウリツィオ・ポリーニ/1996年 ミラノ スカラ座」という文章。
これは「私を形成しているもの」音楽部門、として書いたもの。

そして、今年2度目というのは、先月、小澤征爾氏の訃報に接した時のこと。
やはり、小澤征爾氏のことを、ブログで取り上げたばかりだったのです。
それは、1月25日に投稿した、「小澤征爾『ボクの音楽武者修行』」という文章。
これは「私を形成しているもの」本部門、として書いたもの。

クラシック音楽の事を取り上げる事はあまり多くないこのブログで、2か月つづけてこうゆうことがあるなんて、なんだかやるせない気持ちです。

ブログに取り上げるという事は、その文章を書いている間、その人の事を考え、音楽を聴きながら書いていて、その後も色々音源や映像を、聴き返し観返しているので、その後、訃報に接した時に、ちょっと驚きが大きくなる。
簡単に言うと「あなたの事をつい最近思っていたのです。あなたの音楽をつい最近真剣に聴き込んでいたのです。」という状況。そんな時に接する訃報なので、ちょっと自分でもよくわからないモヤっとしたというかなんというか、とにかく変な感情が込み上げています。今年2度目の。

そして変な感情のままポリーニのCDを聴いていました。

これは、ブログに投稿した1996年 ミラノ スカラ座公演を観て、すぐにBresciaのCDショップで購入した物。ブログに書いたように、苦手だったベートーヴェンの曲を好きになるきっかけになった公演だったので、しっかりその日演奏された曲が入ったCDを探して買いました。思い出深い1枚。

中でも「ワルトシュタイン」は、ポリーニ以外の演奏でも思い出があり、自分にとって特別な思い入れのある曲。(自作曲「Brescia」の歌詞にも登場します)
第2楽章の音の広がりを全身で感じているうちに、ちょっと泣きそうになりました。
さらにこのCDの最後は「Les Adieux」(日本題:告別)なので、さすがに込み上げてくるものがありました。

ポリーニについて語るべき何かがあるわけではありませんが、私なりに思い出のある人、思い出のある音楽なので、今、感んじているままの心を書き記しておきました。
大好きなピアニストでした。

私とは比べものにならない、深い大きな悲しみに包まれている方もいるかも知れません、もし私の文章が不快だったらごめんなさい。


PANTAさんとアイドルの話2

または『忖度するカーステレオの話』

昨日のブログPANTAさんとアイドルの話の中で、欅坂46のデビュー曲~4thシングルまでのカップリング曲含め全曲を、PANTAさんの車のカーステレオHDDに入れた話をしました。

今回は、「アイドルの話」というよりも、この「カーステレオの話」

このカーステレオなのですが、とにかくなんでもかんでもHDDに入れていて、数千曲入っています。
頭脳警察やPANTAさんのレアなLIVEが丸っと入っていたりもします。
ロック系の曲ばかりではなく、PANTAさんが大好きなフランス・ギャルなどのポップス系ヒットソングもたくさん入っています。
その中に、欅坂46の曲、26曲が仲間入りしたわけです。

そして運転中は常にこのHDDからランダムで曲を流しつづけます。
数千曲の中の26曲ですから、なかなか欅坂46の曲がかかる事はありません。

さて、このカーステレオ、いつの頃からか、「忖度するカーステレオ」と呼ばれるようになりました。
呼ばれるようになった、というか私が名付けたんだけど。

どういう事かと言うと、乗っている人や、状況に合わせて、ぴったりの選曲をしてくるのです。
ランダム再生のはずなのに。

例えば、私が運転する時。
PANTAさんの家まで、自分の車で行き、そこでPANTAさんの車に乗り換え、私の運転で2人で出発!というパターンが多いのですが、大体スタートの1曲目にはビートルズがかかる。
しかも「Got to Get You into My Life」とか「Lovely Rita」とか、なかなか渋く、そして高まる選曲。
その後も、けっこうな頻度でビートルズが流れます。

ビートルズも全曲入っているわけじゃないので、かかる確率は、それほど高くないはずなのに、私の運転中にはとにかくよく流れるんです。そして、2人で歌いながらのドライブ。

他にも誰かを乗せている時に、その人の曲がかかったり、その人が好きな曲が流れたり、と言う事が本当に多い。

なので、PANTAさんに「このカーステ、乗っている人に忖度して選曲してますよね?センサーとかマイクとかついててAI的な何かが選曲してるんじゃないですか?」みたいな話をしたら「そういえばそうだな!」みたいに盛り上がって「絶対、忖度してるよな!」(爆笑)
となったわけです。

その後の話
PANTAさんはよく終演後に共演者などを車で送るというパターンが多いのですが(運転は私)、乗っている人が、カーステから流れる曲を聴いて「あ!この曲、大好きなんです~」とか言うと、PANTAさんと私、顔を見合わせ「ほら、忖度始まったぞ!」と目で語り合い笑い合っていました。

乗っている人に忖度するだけじゃなく、その状況に合わせて最高の音楽流してきた!というパターンもあるのですが、中でも忘れらない一件があります。
ちょっと長いけど、以前他のSNSに投稿した文章があるので、一部抜粋して掲載します。

>引用ここから

見慣れた所沢の街中に入った所でPANTAさんが
「もう少し先に鈴木書店って本屋があるんだけど・・・」
(えっもしかして!?)
「17歳の時にそこでヘルマン・ヘッセの・・・」
(て、いつもMCで聞くやつキターーーー!と同時に本屋さんがあったーーーー!!!!)
私と井上さん同時に
「うわーーーーーーー!!!」
ひっくり返りそうになる。

そうPANTAさんが高校生の頃、この本屋で手にしたヘルマンヘッセの詩集、その中に「さようなら世界夫人よ」という詩があったのです。
町の小さな本屋さんが、しっかりとそこに残っている奇跡。

「さようなら世界夫人よ」が生まれるきっかけとなった本屋さんが、目の前に!
頭の中にその日の光景が、セピア色でフラッシュバック!(ってその日見ていたわけでもないのに)
無性に興奮する二人。
車は鈴木書店の前を通り過ぎ所沢駅へ。
駅前で信号待ち。

興奮冷めやらぬ二人に「ちょっと1周して写真でも撮るかい?」とPANTAさんからありがたい提案。
所沢の街をぐるりと周り、再度鈴木書店。
営業時間は終わり、シャッターは下りているけど、しっかりとそこにある。
車を降り、写真を撮りまくる井上さん。
優しい笑みを浮かべながら、車内で見守るPANTAさん。

鈴木書店


しかし
奇跡はまだ終わらなかった。
井上さんが車に戻るタイミングで、カーステレオから流れてきたのは「オリオン頌歌 第2章」

道中ランダムで再生を続けるハードディスクオーディオ。
そこにはジミヘン、フランス・ギャル、欅坂46、etc.etc.etc.etc.・・・とにかく多種多様、数多くの曲が収められている。
その中から、このタイミングで!!
所沢駅へと向かう車中に、高らかに流れる「オリオン頌歌 第2章」

♪これがオレ達の世界
♪隠しきれない世界

景色が彩度を落としてゆっくりと流れる。
これもしかしてエンドロール?
長野ツアーの前夜には、この「オリオン頌歌 第2章」が収められたロック史に残る名作『クリスタルナハト』30周年LIVEを終えたばかりのPANTA。
そんな『クリスタルナハト』LIVEからの長野ツアー。
その最後に流れたのが『クリスタルナハト』ラストに収められている「オリオン頌歌 第2章」
出来過ぎでしょ!?

>引用ここまで

ここに登場する井上さんとは、現在、映画『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』絶賛公開中の井上淳一監督。

これ、すごくないですか?
車運転しながら、ゾクゾクしました。

そんな「忖度するカーステレオ」の超本領発揮事件が、まだあります!
残念ながら、その時、私はいなかったのですけど、PANTAさんが興奮気味に話してくれました。

ある劇団の公演を観に行った時の事。
同行していたのはマネージャーのTさん(と聞いたような気がするけど違ったらごめんなさい)

その劇中に欅坂46の「不協和音」が流れたとの事。
PANTAさんは、その事にけっこう高まっていたみたいで、終演後、車に乗り込み「欅の曲使ってたな!」と同行者に話しかけた瞬間、カーステレオから流れてきたのが、まさにその曲「不協和音」!!

「この曲だよ!!!!」と2人で驚きのけぞったそうな。

その時の事を、興奮しながら楽しそうに(その曲をカーステレオに入れた張本人の)私に話してくれたのです。

凄すぎるでしょ!
PANTAさんの「忖度するカーステレオ」

PANTAさんとアイドルの話

昨日のブログ『昭和歌謡アイドルソングでGO!』報告に書いたように、一昨日は昭和アイドルのイベントで歌いまくってきたわけですが、「アイドルと言えば」的に思い出した事があります。

それはPANTAさんの事。

私の周りで、現役アイドルの話が出来る人ってPANTAさんしかいなかったのです。
昭和のアイドルなら「麻丘めぐみが好きだった」とか「キャンディーズのコンサート行ってた!」とか、そんな話が出来る人もいるのだけど、現役で活動中のアイドルとなると、なかなか。

この歳でしっかりアイドルの歌を聴いている人自体、なかなかの珍種ですからね。
(よくアイドルの事を話していた頃、私50代後半、PANTAさん60代後半)

その頃、私は欅坂46にはまっていて、PANTAさんも多少興味を持っているという感じ。
で、毎回、欅坂46の事を話すたびに聞かれるのが(同じ質問を何度もされた)

「どるたんは誰が好きなの?」「欅は誰が一番かわいいの?」的な事。

会話を再現すると

P「どるたんは誰が好きなの?」
ど「特に誰って事はないんですけど」
P「じゃあ、何がいいんだよ!?」(なぜか若干怒り気味)
ど「楽曲ですかねぇ」

すると

P「かっこつけんな!」(怒)

と怒られる「ふざけるんじゃねえよ!」みたいな感じで。(笑)

本当なんですけどね。

という事を、一昨日のイベントの後に、つくづく思ったのです。

例えば、昭和のアイドルソングでいうと、大好きな曲は色々あるのですが、アグネス・チャンの曲がかなり好き。当時レコードもしっかり買っていた。
特に「美しい朝がきます」が1番好きで、「妖精の詩」や「草原の輝き」も大好き。
しかし、アグネス・チャンの事が好きかと言われると、(当時から)特に好きじゃない。
顔も好みじゃない。本当に楽曲が好き。まあ、声や歌い方も好きなのかな。

それはいいとして。
別に欅坂46の人たちがかわいくないと言いたいわけじゃなくてね。

さらに

P「あえていえば誰が好きなの?」
ど「渡辺梨加と渡邉理佐」

というやりとり。
これ3,4回同じやりとりをしました。
3回目ぐらいから「前、聞いたな。」と

※渡辺梨加と渡邉理佐の事を語り出すと、ちょっと色々長くなりそうなので、いつかちゃんとブログにまとめたいと思っています。

あとは

P「平手ってセンターの子は、たいしてかわいくないよな?」
ど「あの人は、かわいいとかかわいくないとか言う枠を超えた存在ですから。」

みたいな

PANTAさんにとってアイドルグループで一番重要なのは「かわいい」なんですね。
私は、まず楽曲を好きになって、だんだんメンバーを好きになる傾向。

で、本当に、欅坂46の楽曲は素晴らしかったんです。
特に4枚目のシングル「不協和音」あたりまでは、カップリング含めて、全曲素晴らしかった。

最近のアイドル系シングルって、表題曲以外にカップリングを変えて数タイプ出すパターンが多くて、1曲の表題曲に対して5~7曲程度のカップリング曲があります。

それが全曲、素晴らしかった、今でも全曲歌えるレベル。
本当に欅坂46の楽曲が大好きなんですよ、私。

なので「不協和音」までの収録曲全曲をPANTAさんのカーステレオのHDDに入れてあげました。
この件に関しても、すごく面白い話があるので、改めて書きます。たぶん。
(追記、書きました「PANTAさんとアイドルの話2」

まあ、とにかくPANTAさんにとってのアイドルは「かわいいが正義」という話。
というか、結局のところ、PANTAさんはかわいい女の子が大好き!という話でもありますね。
これは多くの人が知っている話。

さて、ここから先の話は(たぶん)私しか知らない情報。
PANTA&頭脳警察研究家の方も(たぶん)知らない話。
知っても「何のことやら」な話。

また会話再現で

P「欅に上村って子いるだろ?」
ど「ああ、上村莉菜ですね」
P「あの子、かわいいよな?」
ど「・・・いや・・・まあ・・・」

という事で、欅坂46で、PANTAさんの推しメンは上村莉菜。


ちなみに乃木坂46は、与田祐希。


2人とも小さくてかわいい小動物系(?)



【追記】
ついでに、私の欅坂46推しメン、渡辺梨加と渡邉理佐を

PANTAさんの趣味とはまったく傾向が違う。
梨加も理佐も、女性にしては背が高い方。(166~167cm)


エリック・カルメンと岸田智史の思い出と、人としての振る舞い

先日のアカデミー賞授賞式でのRDJらの振る舞いが「アジア人差別」だと話題になっているが、その件で、全く逆の事例として思い出していたのが、エリック・カルメンと岸田智史の事。

まず、RDJらの振る舞いは、アジア人差別以前に人として軽視しているのだと感じていて、それはふだんの生活の中でも、人種的な差別行為だけではなく、職種や立場によって人を軽視する行為としてふつうに見られるのだよな、と思う。

そして思い出していたのが18歳~20歳ぐらいの頃の事。
その頃、コンサートスタッフ的なアルバイトをしていたのだけど、当時は今のように役割が細分化されいなくて、大きな会場ではPA搬入搬出だけの時もあるけれど、ホール公演では、ホールスタッフ的な事を手伝ったり、物販要員として駆り出されたり、という感じだった。

裏方作業中には、出演アーティストと直に接する機会も多く、そういう時、目の前であいさつをしても素通りしていくようなアーティストも中にはいた。
アカデミー賞授賞式でのRDJたちの振る舞いはそれとあまり変わらないと思っている。
(ただ前年度の受賞者に対する敬意みたいなものも欠如していて、それはやはりアジア人である事も関係しているのかも知れないけど)

そんな中、ダントツの好感度で今でも思い出すのが、エリック・カルメンと岸田智史(現在は岸田敏志と表記)の2人。

エリック・カルメンは、中野サンプラザホール公演での事。
楽屋口近くでパンフ類などの搬入作業をしていた私。
その時、楽屋口前に車が止まり、降りて来たのがエリック・カルメン。
そこで私はエリック・カルメンに向かって「こっちですよ」という感じで手を挙げ、楽屋口のドアを開けて待っていた。

エリックは、入り待ちをしていた数人のご婦人ににこやかに応対したあと、足早に私の前を通り会場入り。
そのまま素通りされたとしても、特に失礼とも感じなかったと思うのだけど、わざわざ振り返り、しっかり私と目を合わせ、ちょっと片手を挙げ笑顔を浮かべ「Thank you!」と声をかけてくれたのだ。
ただドアを開けて待っていただけの10代のアルバイトを、人として軽視していない事にとても感動した。
その時の事は、鮮やかに印象に残っていて、今でもよく思い出す。


もうひとり、岸田智史さんにも同じような思い出があって、場所はやはり中野サンプラザ。
PA類の搬入が終わり、楽器類の搬入を始めた頃、会場入りした岸田さん。
ステージ裏で作業していたバイト連中にも、ひとりひとりに挨拶。
私とも挨拶を交わした後に「ぼくのギターは届いていますか?」と、丁寧な口調で話しかけて来た。
「ギター類はあちらに並べてあります。」と答えると「どうもありがとうございます。」と。
当時「きみの朝」が大ヒットしたあとで、人気も高かった頃。
10代のアルバイトに対して、本当に丁寧な言葉と態度で接してくれた事、今でもよく思い出す。
その時のコンサートは、ステージ横で全部観ていたのだけど、音楽にも人柄がとてもよく現れていると感じて、心から感動した。



ちなみに、エリック・カルメンも岸田智史も、当時レコードを数枚持っているレベルのファンだったので、感動もさらに割り増し。


こういうのふだんの生活でも、いっぱいあると思う。
RDJらの行為を批判している人たちは、コンビニの店員に横柄な態度をとっていませんか?
駐車場の誘導員に失礼な態度で接していませんか?
人として、そういうところだよ。

特に日本は、売る側買う側で「お金を払う方が偉い」みたいな風潮もあるから、金出す人が横柄な態度をとりがち。
ドイツやイタリアでは、売る側も買う側もお互いに「ダンケ」「グラーツェ」と言葉を交わす場面をふつうの光景として見てきた。日本でも買う側で「ありがとう」「どうも」と言う人もそれなりにいて、やはりそっちの方が気持ち良いと思うのだが。
お金を払って、サービスや物を与えてもらっているのだから、立場は一緒でしょ?

今、私はライヴハウスなどで演奏活動をしているのだけど、スタッフに対して横柄な態度をとるミュージシャン、けっこういる。
特にホールスタッフや共演の若いミュージシャンに挨拶を返さないどころか、時にはあからさまに邪魔扱いするような人もいる。
それがその人なりの「大物感」の出し方なのかも知れないけど、こちらから見るとものすごい小物。

ひとつ思い出した。

あるミュージシャンの追悼イベントでの事、狭い会場に出演者も一般来場者もぎゅう詰め状態になっていた。そこに一部では名の知られたベテランミュージシャンが入って来た。あからさまに、不機嫌な態度で立っている人をかきわけるように。私も、手で押しやられてかなり激しく嫌な気持ちになった。立っている人の事をまったく人としてみていない態度。

その後に入ってきたのが土屋昌巳さん。
ひとりにひとりに頭を下げながら「すみません」「通してください」と歩を進めていった。


私も、基本的にふだんは土屋昌巳さんタイプ。
誰に対しても同じように敬意をもって接するようにしている。
特に色々なアルバイトをしたり、色々な国で仕事をしたり、経験を積むほどにその意識は大きくなっていった。

そういえばPANTAさんも、立場や年齢で人を軽視したりするような事はまったくなかったな。
スタッフにも若いミュージシャンにも、誰に対しても同じ態度で、いつも敬意をもって接していた。


【追記】
このブログをあげたタイミングで、エリック・カルメンの訃報がTLに流れてきた。
昨日からずっと、心の中にあの笑顔が浮かんでいたのは、そういう事だったのか・・・

頭脳警察『頭脳警察3』

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1973

頭脳警察『頭脳警察3』(1972年10月発売)

これは現在の自分を形成する上において、本当に大きな大きな出来事なので、取り上げないわけにはいきません。

以前、ブログにも書いた事がある話なので、一部抜粋した上で若干の加筆修正をしたものを掲載します。

まずは、小学5年生頃からの話。

近所の友達の家には、当時うちには無かったステレオがあり、レコードがたくさんありました。
それは友達のお兄さんの物で、ほとんどが日本のフォークソング。

高田渡、古井戸、加川良などなど

当時は誰が歌っているかなんてことは気にせずに、面白そうだと思うレコードを片っ端から聴かせてもらいました。
ガキですから。

で、ガキでもおぼえやすい歌詞や曲調、ちょっとふざけた感じの歌をおぼえ、田舎道を自転車こぎながら歌っていました。

「自転車に乗って、ベルを鳴らし~♪」(高田渡/自転車にのって)

「大学ノートの裏表紙にさなえちゃんを描いたの♪」(古井戸/さなえちゃん)

「かみしばい、かみしばい、かみしばい屋のあのおやじは♪」(岩井宏/かみしばい)

なんて調子で。

そんなガキが中学生になったある日、友達がレコード棚から取り出した1枚が『頭脳警察3』

「これすげえぞ!」と。

針を落とすと激しいリズム!ギター!そして何より叩きつけられる言葉。

とにかくぶっ飛びました。

なにしろTVから流れる歌謡曲や、TVマンガの主題歌、CMソング、そして上記のフォークソング程度しか聴いた事の無いガキだったので、免疫ゼロ状態。

ステレオから流れてきた「ふざけるんじゃねえよ!」にどれだけの衝撃を受けたことか。

こんな歌詞聴いた事ない!!

「バカに愛想をつかすより ぶん殴るほうが好きさ」って!

とにかくすげえ!!

音にしても、あんな爆発的な音は聴いた事がありません。

ストーンズの「サティスファクション」も、ビートルズの「アイ・フィール・ファイン」も未だ聴いた事の無いガキですから。

いや、聴いた事があったとしても、充分衝撃的。

これが私にとっての、はじめてのロックの衝撃!

さらに「この曲もすげぇよ!」と友達が聴かせてくれたのは『前衛劇団モータープール』

何が何やらよくわからなかったけど、とにかくすげぇ!すげぇ!すげぇ!

それから自転車を漕ぎながら歌う歌はこんな具合になってしまいました。

「ブッシャーブッシャーブッシャー」

「極楽はトワイニング、地獄はモータープール」

「ぜ・ん・え・え・げー・きー・だん・モーーーターーープーーール」



Radiohead – SUMMER SONIC 2003

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


2003

画像はSUMMER SONIC WEB Siteより

Radioheadに関しては、1stインパクトを受けた、1stアルバム『Pablo Honey』(1993)を取り上げようかとも思ったのだけど、その10年後、さらにそれを上回るインパクトを与えてくれた、SUMMER SONIC 2003 でのステージを取り上げる事にしました。



この年のサマソニは、忘れがたい出来事が数多くありましたが、ここではRadioheadのステージにしぼって。

ステージ上手側、かなり前の位置に陣取り、この年のラストを飾るRadioheadの登場を待つ。

オープニングは当時の最新アルバム『Hail to the Thief』からのシングルカット曲「There, There」
何か呪詛的な物でもはじまるかのような太鼓のリズム。
と同時に大歓声。
トム・ヨークの歌が入るとさらに歓声が大きくなる。
トムも、初めから飛ばしている感じで、充実した表情が見て取れる。

実験的な2枚のアルバム『KID A』『Amnesiac』からの曲と、それ以前の比較的ポップな曲、そしてその両方を併せ持ったような最新アルバム『Hail to the Thief』からの曲が何の違和感もなくつぎつぎと演奏される。

トムの何か吹っ切れた表情を見ているだけでも、感動が押し寄せてくる。
前回見た、2001年、武道館公演での思いつめたような顔とは別人のようだ。

中盤に演奏された「No Surprises」で泣きそうになり、「Just」でこの上なく高まり、「Paranoid Android」のイントロに歓声を上げ。

ものすごい盛り上がりの中、『KID A』からの「Everything in Its Right Place」
大きな余韻を残したまま本編終了。

そして、ほどなくアンコール。

「Pyramid Song」「A Wolf at the Door」とつづく
夜風の中、音に身を任せ、体が自然に揺れる。疲れを忘れ、心地良さに酔う。
すると3曲目、きました!大好きな曲。
「KARMA POLICE」
イントロを聴いただけで、涙目に。
この日、ここで、聴く事が出来て本当に良かった。
「This is what you get♪」ジーンとしながら一緒に歌う。
そしてエンディングを迎え曲が終わる。余韻を噛み締め、これでコンサートも終わりか。

と、誰もが思っていたはず。
もちろん私も。

すると、なんと、ななななななんと「Creep」が!!!!

「うぎょわーーーーー!!」とわけのわからない歓声を上げながら隣にいた人と顔を見合わせ、抱き合う。

この曲は、ある時期からライヴでは封印されていて、一生、生で聴くことは出来ないのだろうと思っていたのだ。
トムは、何もかも受け入れそして吹っ切ったのだろう。
『Hail to the Thief』は、そのきっかけになるアルバム。
「There, There」の太鼓の音は、呪詛の音ではなく、呪詛から解き放つ音。

「Creep」を歌うトムの声を聴きながら涙が溢れ出した。
「She’s Running Out・・・♪」一緒に歌いながら涙がとめどなく流れる。
元々涙腺がゆるい私ですが、この時の涙の量は異常。
でも、周り中みんなそんな表情なので、問題なし。

例えようのないぐらい大きな感動の中、コンサートは終了。

と同時にサマソニの終わりを告げる打ち上げ花火。大歓声。
心地良い余韻の中、夜風に吹かれ家路に着きました。

この上なく 幸せな1日。