Tag Archive : 訃報

ダディ竹千代さんのこと

SNSでダディさんの訃報が流れてきた。
かなり近しい人たちが発信しているので間違いないようだ。

すごくお世話になったし、ケンカもした。

「オレがプロデュースして売り出してやる!」なんて事も言ってもらっていた。

あまり考えがまとまらないので、とりあえず一緒に写っている写真でも探すか、と探したのだが、ありそうにない。

PANTAさんと一緒にいる時も、車や飛行機や電車や戦車(?)の写真ばかり撮っていて、PANTAさんの写真も、2ショット写真も全然撮っていなかったのでね・・・

ダディさんと一緒に写っている写真もなさそうです。

と諦めかけていたら、1枚だけ出てきました。

2009年3月の写真らしい。
左からどるたん、ダディさん、ファンキー君
みんな若い。

まだ全然実感として受け止めてないし、これからも、きっと受け止めないと思うけど(笑)
何か、思い出話でも書きたくなったら、ちゃんと書こうと思います。

今日のところは
「どうもありがとうございました。またね!」

ポリーニの訃報

今朝、SNSを開くと一番初めに目にしたのが、マウリツィオ・ポリーニの訃報。
知人のYさんの投稿で知る。
Yさんは、ポリーニの初来日から最後の来日公演まで観ているという方。
この方の投稿で知る事が出来たのは、それこそ不幸中の幸い。
中途半端な人が書いた中途半端な追悼コメントなんかで知りたくないので。

その後、タイムラインに流れてきたのがドイツ・グラモフォン(日本版)の投稿。
次に、やはりドイツ・グラモフォン(日本版)の投稿で、ドイツ・グラモフォン社長クレメンス・トラウトマンのコメント。真摯で素敵なコメントでした。

ここまで読んで「ああ、本当に死んだんだなぁ・・・」と、軽い喪失感。
と同時に不思議なやるせなさというか、つらさというか、なんとも言えない気持ちが込み上げてくる。
この感情は今年2度目なのです。

どんな感情か、言葉では伝えづらい変な感情。

なので、現象を伝えると、このブログでポリーニの事を書いたばかりなんです。
1か月近く前の事なので書いたばかりというと、若干語弊があるけど、感覚的にはつい先日書いたような感覚。
それは、2月29日に投稿した、「マウリツィオ・ポリーニ/1996年 ミラノ スカラ座」という文章。
これは「私を形成しているもの」音楽部門、として書いたもの。

そして、今年2度目というのは、先月、小澤征爾氏の訃報に接した時のこと。
やはり、小澤征爾氏のことを、ブログで取り上げたばかりだったのです。
それは、1月25日に投稿した、「小澤征爾『ボクの音楽武者修行』」という文章。
これは「私を形成しているもの」本部門、として書いたもの。

クラシック音楽の事を取り上げる事はあまり多くないこのブログで、2か月つづけてこうゆうことがあるなんて、なんだかやるせない気持ちです。

ブログに取り上げるという事は、その文章を書いている間、その人の事を考え、音楽を聴きながら書いていて、その後も色々音源や映像を、聴き返し観返しているので、その後、訃報に接した時に、ちょっと驚きが大きくなる。
簡単に言うと「あなたの事をつい最近思っていたのです。あなたの音楽をつい最近真剣に聴き込んでいたのです。」という状況。そんな時に接する訃報なので、ちょっと自分でもよくわからないモヤっとしたというかなんというか、とにかく変な感情が込み上げています。今年2度目の。

そして変な感情のままポリーニのCDを聴いていました。

これは、ブログに投稿した1996年 ミラノ スカラ座公演を観て、すぐにBresciaのCDショップで購入した物。ブログに書いたように、苦手だったベートーヴェンの曲を好きになるきっかけになった公演だったので、しっかりその日演奏された曲が入ったCDを探して買いました。思い出深い1枚。

中でも「ワルトシュタイン」は、ポリーニ以外の演奏でも思い出があり、自分にとって特別な思い入れのある曲。(自作曲「Brescia」の歌詞にも登場します)
第2楽章の音の広がりを全身で感じているうちに、ちょっと泣きそうになりました。
さらにこのCDの最後は「Les Adieux」(日本題:告別)なので、さすがに込み上げてくるものがありました。

ポリーニについて語るべき何かがあるわけではありませんが、私なりに思い出のある人、思い出のある音楽なので、今、感んじているままの心を書き記しておきました。
大好きなピアニストでした。

私とは比べものにならない、深い大きな悲しみに包まれている方もいるかも知れません、もし私の文章が不快だったらごめんなさい。


それがどうした風が吹く

今日のブログタイトル『それがどうした風が吹く』は、松村雄策さんのエッセイ集のタイトルを流用しました。(下の写真は、自分の蔵書を撮ったもの)

松村雄策著『それがどうした風が吹く』

というのは、昨日、松村雄策さんが亡くなられた事を知ったから。

(以下敬称略で書きます)

松村雄策を知ったのは、中学生の時。
まだ自主制作レベルだった雑誌「Rockin’ On」で、その文章に触れたのが初めての出会い。
その頃「Rockin’ On」は、まだ地元(埼玉)の書店では売っていなくて、新宿レコードなど都内のレコード屋さんで買っていた。
高校生の頃には、地元の書店でも買えるようになった。

「Rockin’ On」の初期メンでは、当時、岩谷宏の文章の人気が高かったように思います。
私も単行本になった『岩谷宏のロック論集』を買って、むさぼり読んでいるような高校生でしたが、その頃から、私が一番好きだったのは、松村雄策の文章でした。

分かりやすい言葉で、適度なユーモアを交えつつ、ストレートに感情を表現する。
とても読みやすい文章。
大好きな物について、とにかく熱く語る。
松村雄策が大好きな物と、私の大好きな物は、重なっている部分が多い(例えばビートルズ、例えばプロレス、例えば内田百閒)ので、松村雄策の感情が溢れるような文章を読んでいると、こちらの感情に共鳴する事が多々あり、そんな時には自然と涙がこみ上げる。
そういう事がこれまでに何度もありました。

私は、別に文章を書く仕事をしているわけではありませんが、こうしてブログなどを書く時に、大好きな物について、分かりやすい言葉で書く、という事を心がけています。
まあ、心がけているというか、自然とそうなっているのですが、それは、間違いなく松村雄策に影響を受けた部分だと思っています。

これまでどうもありがとうございました。



NEXT>>「Without You -松村雄策を思う-」


【追悼】YASUさんのこと

クリスマス・イヴの夜に届いた奇形児YASUさんの訃報。
Kikeiji Official site「皆様へ」

しゃあみん、どるたん、それぞれの思いを。

(上左からどるたん、しゃあみん、YASUさん、下カコちゃん)
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Margo Guryanの死

今朝、目覚めてTwitterを見ると、Margo Guryanの訃報が目に留まる。

しばし、呆然。

この歳になると、人の訃報に接する機会がとても増えてくる。
近しい友人、音楽仲間、好きな作家、音楽家、諸々、少し大げさかも知れないけど、毎日のように誰かの死を知り、それなりに心がざわめく事になる。
つきあいの長さや、「好き」の大きさ深さによって、心の動きも大きく変わる。

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