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柳田国男『遠野物語』

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1975

柳田国男 『遠野物語』(角川文庫版)
柳田国男 『遠野物語』(角川文庫版)

※画像は自分の蔵書

柳田国男の『遠野物語』、この本を初めて読んだのは中学生の頃か、高校生になってからか。
今、文庫本の奥付を見ると「昭和四十九年四月三十日 改訂十二版発行」となっている。
49年4月といえば、私は13歳。読んだのはそれ以後。中3~高1ぐらいの時期に読んだように記憶しているので、大体一致。とりあえず上記、初体験の年は1975としておいた。

日本の民話や伝説には、子供の頃からとても興味があって、一体なぜ興味を持つようになったのかと考えてみると、もしかしたら『ゲゲゲの鬼太郎』や『河童の三平』という水木しげる作品の影響が一番大きかったのかも知れない。

また以前、このブログでも取り上げた『大魔神』や『妖怪百物語』といった映画(「『大魔神』『妖怪百物語』を50年ぶりに観た」参照)も、民話や伝説への興味を後押ししていたような気がする。

マンガ雑誌の特集記事で妖怪たちのプロフィールが紹介されると、食い入るように読んでいた事を思い出す。『妖怪なんでも入門』なんていう子供向け書籍も持っていた。

その延長線上で手にしたのが、この『遠野物語』。

岩手県の山間の里、遠野地方には、数多くの民話や伝説が言い伝えとして存在し、それを柳田国男が収集し書き記したもの。

今では有名な「ザシキワラシ」も登場する。
「ザシキワラシ」を全国区にしたのも、この本がきっかけ?

有名な妖怪(?)だけではなく、今、パラパラと適当にページを繰っただけでも「コンセサマ」「ゴンゲサマ」「ヤマハハ」などなど、色々な名前が目にとまる。
そんな、神様?妖怪?妖精?のような存在についてや、不思議な出来事について語られているのだ。
面白くないわけがない。

この文庫本には『遠野物語』本編以上のヴォリュームで『遠野物語拾遺』が併載されている。
『遠野物語拾遺』の成り立ちについては、解説に書いてあって、簡単に言ってしまえば『遠野物語』の続編として企画されたもの。(その他事情は色々あるので、それ以上知りたい方は、各自調べてください)
『遠野物語拾遺』では、箇条書き的に、言い伝えが紹介されていて、その数二九九篇。
古くからの言い伝えだけではなく、近年の話もあれば、維新の時に、徳川方の一族が逃げ延びて来たという話など興味深い話が多く、どこから読んでも楽しめる。

これを読了して以後、角川文庫版の柳田国男著作は、折々に買って読み続けて来た。

コンプリート癖はないので、全冊あるわけではなく、今、手元にあるのはこれだけ。
特に好きだったのは『桃太郎の誕生』かな。
これ何のタイミングだったか、新刊みたいに書店に平積みされていたものを買った憶えがある。
文庫の初版は昭和二十六年なのに。なんかフェア的なのをやっていたのか?それとも記憶違い?

なんにしろ、これらの本を読んできたおかげで、その後に触れた色々な物語の見方が深まったり、それ以前に出会った物語をさらに深く理解出来たり、という恩恵があった。
また民話や伝説を元にした物語を面白がれる心の土壌が豊かに育ったような気がする。

例えば、手塚治虫『鬼丸大将』、永井豪『手天童子』といったマンガたち。

何よりも「『遠野物語』を読んでいて良かった!」と思ったのは、高橋克彦の『総門谷』を読んだ時。総門谷のある場所は、岩手の早池峰山。
『遠野物語』を読んでいたので、ものすごく馴染みのある地名。行った事はないけど。
他にも馴染みのある名前や場所、逸話が出てきて、胸躍らせながら読んだ。

昨日書いたブログ(「車浮代『気散じ北斎』」)で触れた、伝奇物が好きという土壌が形成されていったのも、子供の頃から連なる民話、伝説好き~柳田国男はじめとする民俗学への興味の広がりも大きく影響しているのでしょう。

この後も、この分野への興味は続き『死者の書』『古事記の研究』など折口信夫の著作や、最近のものでは、小松和彦の『異界巡礼』『日本妖怪異聞録』などなど、目にとまるものを読み続けてきています。
特に好きなのは、江戸~東京の結界を扱ったような内容で、加門七海『大江戸魔法陣』『東京魔法陣』など読んだのだけれど、内容的に物足りないというか、薄いというか、若干残念な感じ。何か面白い本があったら教えてください。

話がそれたところで、この項、ここまで。



小澤征爾『ボクの音楽武者修行』

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
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※ただの思い出話です。


1976

小澤征爾著 「ボクの音楽武者修行」(新潮文庫 昭和57年初版)

※画像は自分の蔵書(ボロボロ)

今や伝説的な指揮者小澤征爾が、まだ駆け出しの指揮者だった時分に著した、若き日のヨーロッパ武者修行旅などのエッセイ。

この本は、何度も読みました。
大好きな本です。
はじめに読んだのは、高校生の頃、図書館で借りて。
後に文庫本で購入し、それからはふだんの電車移動中や入院中、海外に行く時などにもよく持ち歩いていました。


こんな事ってあるの!?というぐらいすごい話の連続。
しかも本当にあったすごい話。

小澤征爾が若い頃、ヨーロッパへと旅立ちます。
富士重工製の125ccスクーターと共に船で。

ほとんどノープランで出かけ、マルセイユからパリまでのスクーター旅、背中にはギターを背負って。

パリでたまたま知った指揮コンクール(ブザンソン国際指揮者コンクール)に出場。
そして優勝!

そこからは、あれよあれよと、シャルル・ミュンシュやバーンスタインとも邂逅。
さらにはカラヤンの弟子に!

語られるエピソード全てがあまりにもぶっ飛びすぎていて、ものすごく面白い。
しかも、ものすごい話なのに自慢話のような感触は全く感じられず、サラっと面白く読ませてくれるのは、人柄なのでしょう。

とにかく読後感が爽やか。

ずーっと後に、小澤征良(小澤征爾の娘)のエッセイ「おわらない夏」を読んだ時にも、全く同じような爽やかな気持ちになりました。

私は、人と自分を比べて、羨んだり妬んだりしない性質なのですが、これには、こんな環境に生まれたら面白かっただろうなぁ~と軽い憧憬のような気持ちは覚えました。

でも、いくら環境が整っていたとしても、これが出来たのは紛れも無く「小澤征爾」だったからこそ。

※コロナ禍巣籠り中に他SNSに投稿した物を編集、転載したものです

五味康祐 『西方の音』

私を形成しているもの

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1986

五味康祐 『西方の音』(1969年 新潮社)

※画像はネット上から拝借

中学生の頃、オーディオに興味を持ち、その後も、常に気になりつづけているオーディオの世界。
そしてオーディオへの興味から読んだのがこの本。
五味康祐 『西方の音』

いつ読んだのか正確な所は思い出せないのだけど、まあ25歳ぐらい1986年という事にしておきましょう。

古本で単行本を購入(箱入りのハードカヴァー版)、今は手元にないのでおぼろげな記憶に頼るしかないのだけど、かなり毒舌でベートーヴェンのピアノ協奏曲をこきおろしたりしている。
しかし、それは音楽に対する愛ゆえの毒舌。
だから、まったく嫌な気持ちにはならない。

一番、印象に残っているのは、タンノイのスピーカー、オートグラフを日本で初めて購入(個人で輸入)した話。

船便で届いたそれを見た時の大きな喜び、わくわくしながら音を出し、はじめて出た音に愕然とがっかり、しかし配線を間違えた事に気づき、ちゃんと出た音を聴いた時の喜び。
(これ記憶だけで書いているので、こういう表現じゃないし、間違えがあるかも知れません)

その大きな感情の浮き沈みに、こちらまでドキドキしながら読んだ事を鮮やかに憶えています。

そして、もうひとつ印象に残っているのは、娘さんがベーゼンドルファーのピアノを弾いていたという話。
ベーゼンドルファーというオーストリアのピアノメーカーの事は、この本を読んで初めて知り、それ以来とても気になっていました。

ある日、宮沢明子さんのモーツァルト・ピアノ・ソナタ集をCD屋さんで手にした時に、ベーゼンドルファーのピアノを使っているという事が(1つのセールスポイントとして)帯に書いてありました。

そこに興味を抱いて購入。
後に知ったのですが宮沢明子さんは有名なベーゼンドルファー使い。

さらにこの録音を担当したのが菅野沖彦氏。

オーディオ評論家としての菅野沖彦は、良く知っていたのですが、レコーディングエンジニアとしての菅野沖彦に触れるのはこれが初めて。

そのCDは愛聴盤になりましたが、その事に関しては、また別の話として。

オーディオへの興味から「西方の音」を読む→ベーゼンドルファーのピアノを知る→ベーゼンドルファーに関心を持ち、そのピアノを弾く宮沢明子のCDを購入→そのCDのエンジニアは菅野沖彦→菅野沖彦はオーディオ評論家としてかねてから良く知る存在

という感じで、オーディオを起点として、また旧知のオーディオの世界へ戻る、そんな面白い展開をもたらしてくれた本でもあります。

※コロナ禍巣籠り中に他SNSに投稿した物を編集、転載したものです

『半島を出よ』村上龍

私を形成しているもの

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2005

『半島を出よ』村上龍 2005年 幻冬舎

※画像は私の蔵書

本の話。
これまで主に10代の頃までに読んだ本の事を書いてきたけど、時代は一気に2000年代。
私、40代になっています。

とりあげるのは、『半島を出よ』村上龍。

村上龍の長編小説は、ほとんど読んでいるのですが、その中でも、これはかなり好き!

村上龍(の著作)との出合いは、高校生の頃。
1976年、デビュー作の『限りなく透明に近いブルー』が、芥川賞をとり話題になっていましたが、少しブームが落ち着いた頃に読みました。

高校3年生ぐらいの頃かな?
読後感は、ちょっとどんより。

馴染みのある場所(福生)が舞台という事もあり、とても読みやすかったのですが、内容的には、正直あまり好きではありませんでした。
「セックス、ドラッグ、ロックンロール」的な世界が苦手(というかちょっと嫌い)なのかも知れません。

どちらかというと私「音楽、文学、寺社仏閣」的な世界が好きなのです。
あ!!今、これ適当に書いたんだけど、偶然韻を踏んでますね!

ドラッグどころか、タバコも咥えた事すらない(というか大嫌いだ)し、お酒もあまり飲まないからなぁ・・・
乱痴気騒ぎも興味なし。というよりも嫌い。
あと落ちていく感じが苦手なのかも。
変な上昇志向はもっと苦手だけど。

でも、なぜかその後も気になって、ずーっと読み続けています。
村上龍。

『コインロッカー・ベイビーズ』『愛と幻想のファシズム』は、2、3回読んだかな。

『5分後の世界』『ヒュウガ・ウイルス』は、今手元にないんだけど、あれば、(コロナ禍の)このタイミングで読み返してみたい。

『69』は、それまでの村上龍作品的な空気感と違って、さわやかな読後感。笑いながら読みました。そしてラストに納得の一言。

そんな風に10代の頃から、村上龍作品と付き合いつづけてきました。
という事で、本題。

『半島を出よ』

簡単に言っちゃうと、北朝鮮の特殊部隊が福岡ドームを占拠!どうしましょう!?って話。(簡単すぎ?)

これが実にリアルで、緊迫感あり、北朝鮮の特殊部隊、日本政府、自衛隊など、様々な視点から書かれているので、常に様々な角度からこちらの思考を促してくる。

スリリングで面白い。
ぐいぐいと引き込まれるように一気に読了。

筆力!!

これ実際に起こっても不思議じゃない。

北朝鮮の物らしき船が日本に漂着しているニュースをたまに見るけど、その度に、この『半島を出よ』を思い出してしまいます。

今思ったけど、このリアル感は『シン・ゴジラ』にもつながりますね。


(他SNSに投稿したものを若干修正しての再掲です)

「隠された十字架 – 法隆寺論」 梅原 猛 著(新潮文庫)

私を形成しているもの

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※ただの思い出話です。


1981

※画像はネット上から拝借

この分厚い文庫本が本屋さんの平台に積まれているのを見た瞬間、飛びつくように手に入れました。

子供の頃から、奈良大好き、法隆寺大好き、夢殿大好き、聖徳太子大好きでした。
そして「日出処の天子」大好きなので。
(調度この文庫本が出た時「日出処の天子」連載中)

固い本版の『隠された十字架』は、中学生の頃から何度か本屋さんで手にとり立ち読みしていたので、文庫版が出たのが本当に嬉しかった。
目次を追うだけでそそられます。

小学生の頃、お城やお寺のプラモデルを作る事にはまっていた時期があるのですが、同じ趣味を持つ同級生の家には夢殿のプラモデルがありました。
その美しい八角形のお堂、夢殿というロマンチックな名前に魅了されました。

子供の頃、その夢殿は、聖徳太子の書斎的な場所だと思っていました。
確か「日出処の天子」でも、夢殿にこもる場面があったような・・・(今、手元にないので確認出来ず)

しかし、この本によると、聖徳太子の死後、太子の怨念を鎮めるために建てられた、という説。

他にも意外な説が次々と展開され、若干興奮気味に一気に読み終えた(と言っても分厚い本なので数日かかりました)のですが、今は、あまり憶えてないかも・・・この手の本は、手元に置いてたまにパラパラと目を通したいですね。

いつかまた手に入れよう。

そんな中でも、特に記憶にあるのは、秘仏とされ数百年の間、人目に触れる事なく閉ざされていた救世観音を、アメリカ人東洋美術史家フェノロサが強引に開けさせる場面。

その話はなんとなく知っていたのですが、フェノロサの、仏罰を全く恐れずに、強引に開けさせた態度に若干憤慨しながら読みました。
「罰あたればいいのに!」と。

救世観音といえば、ちょっと本の話からはズレますが、約20年ほど前、1人バイクで天川へ行く途中、法隆寺へ寄りました。

朝早く着き、開門と同時に中に入ったのですが、夢殿の前に行くと、なんと普段は拝む事の出来ない救世観音がその時偶然にも開帳中!!

狂喜しながら、しばし救世観音の前に佇み、救世観音と対峙し濃密な時間を過ごす私。

そこに修学旅行の集団。
バスガイドさんがよく通るハッキリとした声で救世観音の説明をしている。
フェノロサが強引に開けさせた話もしている。

そうそう、救世観音、今日は開帳中、まさにここにいらっしゃるのですよ。

するとガイドさん
「その救世観音ですが、秘仏ですので、現在も観る事は出来ません(キッパリ)」
と言い、救世観音と対面中の私の後ろをすたすたと通り過ぎてしまいました。

「え~~~~~~~!!!!」

せっかく開帳期間中に来たのに、なんと!!
かわいそうな学生達、そして情報知らずのガイドさん。
いつもは開いてないかも知れないけど、そんなぁ~
ルーティンどおりに行動しちゃダメでしょ!

今思えば、追いかけて行って教えてあげれば良かったのかなぁ(人見知りなので無理)
というお話でした。(事実です)


※最近は救世観音けっこうな頻度で観られるみたいですね。WEBサイトには「春秋の特別な期間だけ開扉されます。」とありました。


(他SNSに投稿したものを若干修正しての再掲です)

「不思議の国のアリス」

私を形成しているもの

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1980

今回取り上げるのは、東京図書から刊行された「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」の2冊。

※画像はネット上から拝借

「不思議の国のアリス」石川澄子訳
「鏡の国のアリス」高山宏訳
ルイス・キャロル著、マーチン・ガードナー注
(1980年 東京図書)

この2冊のアリス本は、1980年に刊行された時に、即買い。
当時、書店でアルバイトをしていたので、アリス関連の本はその時に随分と揃えました。

その時、買った中に「不思議の国のキャロル」という大判のハードカバー写真本があり、これは、ルイス・キャロルが撮影した少女写真集みたいな本で、これも取り上げようとネット検索したのですが、全くヒットしませんでした。
(※記憶に間違いがありました。本当のタイトルは「キャロル・イン・ワンダーランド」ふつうに検索出来ました。勝手に訳してしまった。)

あとは「ルイス・キャロル詩集」「スナーク狩り」他、色々と買ってたな。
物心ついた頃から、不思議な物、ナンセンスな物、異形の物に魅かれ続けているのです。
(自分でやっていたバンド名も不思議なバレッツに不思議軍)
アリス好きもその流れからかな。
あと、テニエルの挿絵にも強く魅かれています。

さて、この2冊、とても特徴的な事は、ものすごくたくさんの注釈がついている事。
これが実に面白かった。
ジョーク的な物って、出典が分からないと「なんのこっちゃ?」ってなってしまうのですが、そういう所全部こと細かに解説してくれています。
注をつけているマーチン・ガードナーという方は、数学者という事で、数学者的な凝ったイタズラ的解説なんかも盛り込まれています。
(そういえば高校生の頃「四次元の国のアリス」という数学的物理学的文庫本も読みました)

また、この本、装丁が実にシャレているのです。
ソフトカバーで、紙質、インクの色などとても好きでした。
軽くて持ち運びしやすいので、当時よくバッグの中に入れて持ち歩き、電車の中、公園、喫茶店などでパラパラと開いては、楽しんでいました。どこから読んでも面白いので。

ところで、この本と出合ったのは、もう40年以上も前?
ちょっと信じられません。

(他SNSに投稿したものを若干修正しての再掲です)

小松左京『さらば幽霊』

私を形成しているもの

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1974

私にとって、初めての小松左京がこれ。

『さらば幽霊』小松左京自選短編集 (講談社文庫)


『さらば幽霊』小松左京自選短編集 (講談社文庫)

子供時代、毎年夏休みの数日間は伊豆で過ごしていた。
幼児期から小学校低学年の頃は熱海のホテルで。
徐々にディープになり、小学5年生からの数年間は、叔父一家と一緒に西伊豆雲見の民宿で。

伊豆に行く前には、何冊かの本を買い、持って行くのが恒例で、きっとこの文庫本『さらば幽霊』は最後の旅の友。
たぶん中学1、2年生の時。

本を買う時に、小松左京と言う名前は意識していなかったかも知れない。
なんとなく面白そう、それだけの理由で買った気がする。
表紙の絵(和田誠画)もかわいらしくて、読みやすそうな気がしたのだ。
表紙の印象から、ちょっとユーモアのある怖い話程度に考えていたのだが、いやいや、かなり怖かった。

「くだんのはは」も入っていたかな?
今、本が手元にないので、ネットで検索してみたのだが・・・

その後、小松左京は何冊も読んだので、記憶が混ざってしまったようです。この本には「くだんのはは」は、入っていなかった。

てっきりこれに収載されていると勘違いしていました。

これに入っているのは、

  • さとるの化物
  • 霧が晴れた時
  • 花のこころ
  • 安置所の碁打ち
  • ムカシむかし……
  • 比丘尼の死
  • 忘れられた土地
  • 保護鳥
  • さらば幽霊
  • 海の視線

パッと内容が浮かぶものもあれば、全然思い出せない物もある。
「霧が晴れた時」本当に怖い、一時期こんな事ばっかり考えてたなぁ・・・
永井豪の短編「ススムちゃん大ショック」的な怖さ(分かる人だけ分かって)

内容はあまり憶えていないのに、この本を読んだ時の心模様と同時に心に焼き付けられた西伊豆雲見の風景は妙に鮮やかだ。


すると、私が「くだんのはは」を読んだのは一体全体どの本でしょう?

と、ちょっと調べてみたら、新潮文庫の『戦争はなかった』でした。
これも中学か高校生ぐらいの時に読んだような気がするけど、怖かったなぁ

ちなみにこんなラインナップ

  • 影が重なる時
  • 四次元ラッキョウ
  • 青ひげと鬼
  • 釈迦の掌
  • 生きている穴
  • 完全犯罪
  • 木静かならんと欲すれど……
  • 失業保険
  • 運命劇場
  • 戦争はなかった
  • くだんのはは
  • 四月の十四日間

「影が重なる時」も、とても怖くて大好きな話。

「戦争はなかった」は、ある日突然自分以外の人から戦争の記憶が全て消えている、という話で、今こそ読むべき話かも。

手塚治虫にも(大名作「カノン」はじめ)戦争の影を感じる作品が多いけど、戦争を体験した世代ならではの重み凄みを感じる。


手塚治虫や小松左京、こういう作品を読んで育った者としては、私達が戦争に加担するような事は、絶対にあってはいけないと思うのです。

自民党の方々は、少年時代に、一体どんな書物や映画に触れて育ったのだろうか?

筒井康隆「遠い座敷」

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1981

今回は、筒井康隆の短編を1つだけ取り上げます。
筒井作品との出会いは、中学生の時。
忘れもしない飯能銀座通りの、今はなき流星堂書店で角川文庫版の「幻想の未来」を衝動買い。
以後、筒井康隆全集刊行まで、いや、断筆宣言前までは、本になった物は全部読んできたはず。
断筆からの復帰後、以前ほどの情熱で追いかける事はなくなったけど、それでも、そこそこ読んできました。

なので、「私を形成する」筒井康隆作品は、色々とあげたくなるのですが、ある分野、ある種恐怖心に近いような心の中の変な部分をくすぐられた特別な作品としてひとつ。


それは「遠い座敷」
短編集『エロチック街道』に収載された作品。

『エロチック街道』筒井康隆
『エロチック街道』筒井康隆

1981年発売、その時私は、20歳。
この頃には、文庫化されていた筒井作品は全て読み終えてしまい、ハードカバーの単行本を発売と同時に買うようになっていました。

これも発売と同時に購入。
この本には、有名な「ジャズ大名」他、種々雑多な作品が収載されていて、どの一編についても語りたい事があるのですが、この「遠い座敷」の読後感(というよりも読中感)は、後にも先にも感じた事の無いほど、特別なものでした。

という事で「遠い座敷」です。

内容に関しては、まだ読んでいない人のために、あまり触れたくはないのですが、まあ、とにかく子供の心の奥深く存在する恐怖心をくすぐりまくるような(読んだ時は大人になっていましたが)そんな作品なのです。

日本の土着的な風習であるとか、家族の中だけにある秘密的な何かだとか、からの、昔ながらの日本家屋、そこに置かれている物などに感じる恐怖感。
そんな物たちがありえないシチュエーションの中で次々に襲いかかってきます。
いや別に襲いかかってこないのだけど、心の中にどんどん大きく広がっていく感じかな?


みなさん、例えば、古くて大きな温泉旅館、変な増築を繰り返して迷路のようになってしまった旅館の廊下、そんな物にそそられる感覚ってありませんか?
ちょっと怖いけど、あちこち探検したくなる感じ。

私にとっては、父の実家がそんな存在でした。
山手線某駅前にある酒屋で、現在は6階建てのビルになっているのですが子供時代は、木造二階建て地下一階で横に広く、迷路的と言うには大袈裟ですが、通り抜けできる所と出来ない所などあり、ひとりであちこちの部屋を回って遊んでいると、時折とても心細くなり、怖くなる事がありました。
仏間に置いてある写真や置物に恐怖を覚えたり。地下の倉庫に降りていく暗い階段にゾクゾクしたり。
今でも時折夢に出てきます。

(ネット上に当時のその建物の写真があったので勝手に拝借しました。ごめんなさい。)

そんな原体験があって「遠い座敷」に感じる恐怖心が増幅されたのかも知れませんが、このような子供時代の恐怖感覚は、誰にでも多かれ少なかれ残ってはいないでしょうか?


その感覚が、この「遠い座敷」を読んでいると、ぐいぐいぐいぐいと引っぱり出されて来るのです。
その感覚は、ページを繰る度に、大きくなり、ついには「ひっ!」「うはっ!」と声が出るようになります。
読み進めると、さらに怖さは加速して、ついには「ひゃひゃひゃひゃひゃ!」などと(怖すぎて)笑いながらのたうち回っていました。
大袈裟に聞こえるかも知れませんが、実際に、狭い部屋のベッドの上で、この本を読みながら笑いのたうち回った時の感覚は今でも妙に体感として残っているのです。


まあ、誰もがそんな状態になるとは思いません。
私の場合、たまたま、実家体験と重なって恐怖感が数割り増しになったのかも知れません。
ただ、この本を読んだ後、やはり読み終えたばかりの友人との会話。


(どちらかが)「あれ怖くなかった?」
(二人同時に)「遠い座敷!!」
(二人同時に)「ひゃは~!!!」


そんな事もありましたので、ある程度共通した感覚があるものと思われます。


※画像はネット上から拝借

『オリエント急行殺人事件』を観て色々と思いを馳せる

2017年リメイク版の映画『オリエント急行殺人事件』をDisney+で鑑賞。
とても良い映画でした。

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『川越の建物 近代建築編』

前回のブログ「ラジオ川越 公開収録報告」の最後で少し取り上げましたが、以前からとても気になっていた書籍『川越の建物 近代建築編』を購入いたしました。

仙波書房『川越の建物 近代建築編』

実は、近代建築大好きなのです。

いや、まあ、近代建築に限らず、神社やお寺、お城などの建築物や、古民家や蔵作りなど歴史を感じる建物全般も好き。
万博のパビリオン的な超モダン建築も好きだし、建物だけではなく高速道路や鉄道の立体交差とか、鉄塔、ダムなどにも惹かれます。
それどころか、自然の景観や樹木、草花、雲や星、動物などなど、とにかく目に入る物なんでも「美しい」と感じると、いつまでも見入ってしまう習性が私にはあります。

そんな中でも近代建築にはとても心惹かれてきました。

小学生の頃から、日比谷や銀座の辺りを歩くと古いビルヂングに見入り、なぜか郷愁のような感覚がわきあがっていました。
江戸川乱歩の諸作品や、荒俣宏の「帝都物語」に出てくる東京の描写を読むと、心の中に景色がわきあがり、やはり郷愁に近い感覚をおぼえました。

自由学園明日館など、フランク・ロイド・ライトが手がけた建築物を巡ったりもしていました。

(手持ちのフランク・ロイド・ライト本と並べて1枚)

川越は、小江戸と呼ばれ、江戸時代を思わせる街並みが有名ですが、この本に取り上げられているような近代のモダンな建物もまたたくさんあって、以前からとても気になっていました。

そんな、気になっていた建物たちが、この本には美しい図版と共に網羅されているのです。

面白いのは、それぞれの建物のメインビジュアルは、写真ではなく、アニメの背景を専門に手がけている「プロダクション アイ」の手による美しい絵なのです。
そして、川越を舞台にしたアニメなどで取り上げられている建物には、その作品名も添えられていて「聖地巡礼ガイドブック」としての機能も兼ね備えています。
年配の方の街歩きガイドとしても、若いアニメファンの聖地巡礼ガイドとしても、充分楽しめる作りになっています。
かといって、決して中途半端な物ではなく、一軒一軒の建物についてしっかりと掘り下げられた、読み物としても内容の濃い物です。写真も豊富で、過去の写真と現在の比較なども興味深い物でした。
個人的にすごくうれしかったのは、建物にほどこされたレリーフをきれいな写真でしっかりと見ることが出来た事。特に、川越アートカフェ エレバードのレリーフ。
なにやらギルドや秘密結社の紋章的なシンボルマーク、これの意味、正体を知る事が出来たのが一番のときめきでした。

満足度抜群!

仙波書房さんとは、少しお話させていただいたのですが、今後予定している出版企画も面白そうな物ばかり。
とても楽しみです。