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無念の不参加(究極の一曲day)

今日は、青梅アトリエよぎでの恒例『究極の一曲day』開催日。

もちろん参加する気満々で、選曲、練習などして、しっかりと準備に励んでいたのですが、事情により参加出来なくなってしまいました。
メチャ残念。

この催し、自分の歌を披露するだけじゃなくて、みんなの歌を聴くのが本当に楽しくて、毎回(と言っても過去2回だけど)、参加してきたのです。
3回目にして連続参加記録が途切れてしまいました。トホホ

下の写真は、1回目の『究極の一曲day』での、ひづめ☆つかさ。

そんな無念の日曜日。
私は、どう過ごしていたのでしょうか?

朝、衆議院議員選挙の投票に。
徒歩10分かからない場所なのだけど、今回は車での送迎つきで、楽チン(死語?)スタイル。

しかし、今回の選挙、やたらと「投票させないようにする勢力」が暗躍しているように感じるのは、考えすぎ?陰謀脳になってますか私?

TVで「白票で意思表示を」なんてトンデモ論をいう人がいたり、昨日は杉村太蔵が「あなたの一票じゃ日本は変わらない」なんて事を言い出す始末。
これって、変えたくない人が言うやつですよね。

さらには、投票前日になって投票時間繰り上げなんて話も出てきたり、これまでこんな事なかったと思うのだけど、どうですか?

まあ、どんな結果になるかは、これからのお楽しみという事で。


その後は、TVの前に横になり、ワールドシリーズ、ドジャースVSヤンキース第2戦を観戦。
良い試合でした。
大谷選手の怪我が心配。

大学女子駅伝後半を視聴。

男子サッカー天皇杯準決勝、マリノスVSガンバを観戦。
後半途中で寝落ち、結果は知りません。(苦笑)

女子ゴルフ、樋口久子・三菱電機レディースゴルフ最終日を観戦。
岩井姉妹すごっ!!感動しました。

そのあと、よろよろと起きて、肉類抜きのクリームシチューを作って、今に至る。

さすがにスポーツ観戦疲れで、日本シリーズを観る余力はないかも。
とりあえず、一旦寝ようかな。

というか、ゴロゴロしてるだけなら『究極の一曲day』に参加出来たのでは!?という気がしなくもない。

埼玉ピースミュージアムに行ってあれこれ考えた

2024年6月11日 埼玉 東松山市 埼玉ピースミュージアム(埼玉県平和資料館)

6月11日に埼玉ピースミュージアムへ行ってきた。
そこで考えた事などいくつか書いておこうと思う。

1.語りつぐ

エントランス付近の壁にあったレリーフ的な文字

平和をかたりつごう、永遠に・・・・・・

揚げ足をとるわけではないのだけれど、このミュージアムに展示してあるものは、ほとんど全て戦争に関するもの、戦時中の生活に関するもの、ここで語りついでいるものは、平和ではなく、戦争。

しかし、戦争を語りつぐことで見えてくるのが、平和のありがたみ、平和であることの大切さ。
直接的に平和を語っているわけではなくても「平和をかたりつごう、永遠に・・・・・・」という言葉に、深い意味と意義を感じる。


語りつぐ者の存在

私が子供の頃には、戦争(第2次世界大戦)は、わりと身近なものだった。
私の親は、子供時代に戦争を経験している世代。
祖父は、硫黄島で戦死している。

今放送している朝ドラ『虎に翼』に出てくるハーモニカを吹く傷痍軍人も、私が子供の頃には実際に目にしていた。

また、マンガや子供向けの本などにも、戦争はよく描かれていた。
私が子供の頃に、強く戦争と平和を意識したのは、ちばてつやのマンガ『紫電改のタカ』が最初だったと思う。
その後も、実際に戦地に行った水木しげるの戦記マンガや、こども時代に戦争を経験した手塚治虫やちばてつやの数々の作品、マンガ雑誌に連載されていた『はだしのゲン』などなど、戦争の悲惨、理不尽に触れ、平和を思う心を育まれてきた。
児童書の『ビルマの竪琴』や『つしま丸のそうなん』なども読んだ。
映画やテレビ番組の数々も。

子供の頃に「戦争を知らない子供たち」という歌がヒットしたのだが、書物などを通しての知識としても、実際に目にしたものや家族や教師の話を通しての実感的な意味でも、かろうじて戦争を知っていたのだ。
自分自身の体験としては知らなくても、戦争はまだまだ身近な事象としてあったし、戦争と平和について知り考える時間はとても多かったと思う。

私のように積極的に知ろうとする者と、無関心な者とでは、考える時間にも内容にも大きく隔たりがあるのだろうけれども、世代として戦争は身近なものだったと言えるだろう。


語りつぐ者の不在とピースミュージアムの意義

転じて現在の子供たちが、どれだけ戦争について知り、平和を考える機会があるのだろうか?
子ども時代に戦争を経験している私たちの親世代は、既に亡くなっている方も多く、実際に戦争を経験していない私たち世代は、自分事としての戦争は語れない。
私自身の事を振り返っても、子供たちに戦争の事を語ったり、話し合ったりした事はないかも知れない。
色々な書物や映画などで戦争に触れ、戦争と平和について深く考えてきた私のような人間でも、子供世代に語りつぐという事をしていないのだ。語りつぐ体験はなくてもせめて「どう感じる?どう考える?」という問いかけぐらいは出来たのではないだろうか。

そして社会全体の風潮(というか政権の考え方)として、戦争当事国としての歴史を、あまり悲惨なものとして語りつがせないようにしているような空気さえ感じる。
かつては毎年のようにテレビ放映されていた映画『火垂るの墓』も最近では放送されることもない。
『はだしのゲン』を図書館に置くなという勢力もある。

そんな中、このようなミュージアムの存在は有意義だと感じる。
語りつぐものはいなくなっても、物が資料が物語が語りついでくれるから。


税金の使い道

ところで、この埼玉ピースミュージアム、実に立派な建築物なのだ。
展示スペース、展望塔、映画上映設備などなど。
これ、一体誰がお金を出して作ったのだろうか?
埼玉県?
だとしたら私たちの収めた税金が使われているわけです。
こういう事は県議会をしっかりとウォッチしていれば分かる事だろうし、新聞や広報にも載っていたのでしょう。でも、私は、知らなかった。知らないうちに出来ていました。
文句が言いたいわけではありません。
むしろ上に書いたように「有意義だと感じている」ので、有意義なお金の使い方をしてくれたと、有難くさえ思っています。

東京都のように下品な(と私は感じています)プロジェクションマッピングに事業費48億円つぎ込んだわけではないので。
この48億円という金額だって本当にいかれた金額で、どう考えてもあんなものに48億円もかかるわけないでしょ?どこに流れてるのそのお金。

そんな税金の使い方をされてしまうと、残念という感情では済まない気がする。

(この件に関してだけかも知れないけど)埼玉県民で良かった。
その辺の草でも食べて幸せに暮らします。

最後、何言ってるか分からないけど、まあ、色々考えました、という話。



「お出かけの記録」年月日順INDEX

今更『シンドラーのリスト』を観て考えた事

ものすごく今更なのですが、昨日、映画『シンドラーのリスト』を観ました。初見です。
日本では、1994年2月に公開されたそうなので、30年前になります。
当時、なんとなく観たいと思っていたけど、なんとなく観ないままに昨日にいたりました。
観なかった理由は、本当になんとなくなんだけど「スピルバーグの映画がちょっと苦手」「観る前に情報が多すぎて内容的には大体把握できてしまった」と言ったところでしょうか。
でも、観れば感動するのだろうな、という事も想像出来ていました。それがまたなんとなく嫌だったのかも知れません。

まあ、なんだかんだと観なかった言い訳をしているわけですが、とにかく当時(~昨日まで)観なかったのです。

さて、観てみました。
(ネタバレ的な事を書くかも知れませんが、30年前の超有名な映画なので、それこそ今更かと思います。ご容赦ください)

そして、やはり想像していたとおりに、それなりに感動もしました。
いや、本当はかなり感動したのですが、素直に感動出来ないもうひとりの自分もいたのです。
その辺は後述。

絵的には、この映画ほぼほぼ全編モノクロなのですが、ごくごくわずかに色があります。
赤いコートを着た少女。彩度低めの赤。
蠟燭の炎。
そして戦後世界が色を取り戻していくように画面もカラーに、というように象徴的に色が使われています。そういった手法に素直に感心しました。

話的には、事前に把握していた通り

強制収容所送り(≒死)となるはずだった多くのユダヤ人を、ドイツ人シンドラーが救った話。
ユダヤ人たちを救うために、ひとりひとりの名前を記した物がシンドラーのリスト。

というものだけど、たった2行で片付けられるものではなく、ナチス、ユダヤ人、シンドラー等、それぞれの物語が紡がれている。
いや、それは物語ではなく、実際に起きた事、行われた事。
もちろん映画上の脚色はあったとしても史実にかなり忠実に作られている事がラストシーンでよく分かる。


さてここからは「色々考えちゃったなぁ」という話。


「正しさ」と集団心理

シンドラーがユダヤ人を救ったのは、彼らを人間としてみていた事が一番大きな理由なのではないだろうか?
ナチスの優生思想的にはユダヤ人は劣等な民族、人種。絶滅させるべき対象。(ユダヤ人に限らず一部他人種、身体障害者、同性愛者なども)
人間としてみていないから平気で殺す。映画の中でも、理由もなく(もしくは些細な事で)何人ものユダヤ人が殺されている。
多くのドイツ人はナチスを妄信し洗脳状態にあったのかも知れないけど、シンドラーのようにユダヤ人を同じ人間としてみている人もいた。
多くの民衆がこういう精神状態にあったのは、戦時下、ナチス政権下のドイツだけじゃなく、世界中多くの例が示している。日本でも、映画『福田村事件』で描かれた、関東大震災後の朝鮮人(映画で描かれたのは朝鮮人と間違われた日本人の行商達)虐殺が記憶に新しいところ。

そして、これは何も戦時下や災害時という特殊な状況下で起きる事ではなく、今、現在、身近でも起きている事。
SNSで日本人が韓国人、中国人に対して口汚い言葉で罵ったり、何か事件があれば容疑者に対して「あいつは日本人ではない」と韓国人、中国人の犯罪と決めつける。彼らに対し自分が優生な人間だと勘違いしている人が多く見受けられる。
こういう感覚が本当に嫌いだし、危ない事だと感じています。

自分が正しい。自分が属している人種は優生な人種。
全然そんな事はなくて、どの人種にだってクソみたいな人もいれば、素晴らしい人もいる。
(私から見るとSNS上でそういう差別的発言をする人こそ、クソみたいな人にみえます)

そして「自分が正しい」と思い込んでいる人や組織ほど、とんでもない事を平気でする。

自分が正しいと思い込んでいる国、組織。
そして宗教。
自分が属している組織は正しく素晴らしい。だからみんなそうあるべき。他は滅ぼした方が良い、と。

特に宗教が絡むと「宗教戦争」「魔女狩り」「十字軍」「キリシタン弾圧」等々から「オウム」や「統一教会」に至るまで気になる事象が多すぎて、学生時代から本読みまくってます。これがまさしく「正しさ」と集団心理で。

って、こういう話をするとどこまでも話続けてしまいそうなので、一旦ここまでで『シンドラーのリスト』に引き返すけど、この感覚は、すごく幼い頃から感じていて、だから安易に組織に組みしないで生きてきたし、教育も信じていなかった。

その感覚が『シンドラーのリスト』や『福田村事件』を観ると改めて心にズシンと来るという話。


パレスチナ問題

そして、もうひとつ、この話に単純には感動出来なかった理由。

映画的には、シンドラーが多くのユダヤ人を救いました。助かった人たち本当に良かった。
そして死んでいった人たちのためにも、二度とこんな過ちを繰り返してはいけない。

って事で、しっかり感動出来る。
映画の中では、話はここで終わるけど、現実世界では終わりではなく、生き残った人たちの話は続いていくわけです。

さて生き残ったユダヤの人たち。シンドラーが救った人たちだけじゃなく、海外に逃れていたユダヤの人たち、日本のシンドラーといわれた杉原千畝さんに命を救われた人たち。諸々。そうやって生き残ったユダヤの人たちが建国したのがイスラエル。
そのイスラエルが、今、何をしているのか?
というとパレスチナ、ガザ地区での虐殺行為。

これが心に浮かんでしまうので、どうしても素直に感動出来なかった。

ただパレスチナに関して「パレスチナと連帯」という人もいるけど、私個人としては簡単に「連帯」という言葉は口にしたくない。

今、まさに苦しんでいるパレスチナの子供たちには、心が痛むし、そこに心を寄せる事も出来るし、なんなら、自分も苦しい経済事情の中から寄付ぐらいはしている。苦しいのレベルが違うのでね。

でも「パレスチナと連帯」は違うんじゃないだろうか?
と思うのです。

イスラエルも相当ひどい事をやっているけど、パレスチナも相当ひどい事をやってきた。
(ただ特にパレスチナ側に色々言い分があるのも分かります)
結果、今があるので。

単純にどちらかと連帯する事は出来ない。

しかも、このイスラエル(ユダヤ)とパレスチナの問題は、今にはじまった事ではなく、とんでもなく長い歴史がある。
パレスチナ問題いついては、すごく気になっていた時期があって、何冊か本を読んで、それなりに成り行きだけは分かった(つもりな)のだけど、どうしても感覚的に分かる事は出来ない。特に両者の感情面とかは推し量りようがないので。

ただ、どちらにも「お互い同じ人間」だと思っている人がいる事は知っています。
個人レベルで共存していた、イスラエルの人とパレスチナの人も大勢いるでしょう。
イスラエル政府に批判的な考えを持っているユダヤの人たちも大勢いるでしょう。

第2次大戦時にシンドラーや杉原千畝がいたように、現在でも例えばダニエル・バレンボイムのような人もいます。


先住民、先住権の話

あと、この問題を考えていくと、どうしても考えてしまうのが先住民の問題。
スペインやポルトガルが南米(その他)でしたこと。アメリカの建国。オーストラリアやニュージーランド。つい最近暴動が起きたフランス領ニューカレドニア。日本だってアイヌの問題もある。などなど。
これに関しては、中学~高校生ぐらいの頃、南米のサッカーを観ていて、人種や言語(ブラジルはポルトガル語、あとは大体スペイン語)が気になって、やはり色々調べた事があるのだけど、みなさん先住民にひどい事してます。大量虐殺もしています。その結果、広大な土地や資源を手に入れてきた。

なんで、こんな事まで考えてしまうのかといえば、イスラエルの事。
あの場所には、元々ユダヤ人が住んでいたという主張です。
2000年以上前に住んでいた場所、ここにユダヤの王国があったと。

これがどんな本を読んでも感覚的にはよく分からない部分。

確かにそうだったのかも知れないけど、その後、千年以上そこに暮らしている人を追い出して、元々住んでいた人が帰ってきます、って話が、イスラエル建国。
パレスチナの人たちは、そこが一番納得できないのかと思います。

「ここ二千年前におれの先祖が住んでた場所だから、出て行って!」
って突然追い出されたらどうします?
みたいな事をどうしても考えちゃうんですよね。ただ、当事者じゃないので、勝手な感覚だけで、判断しちゃいけないとも思います。

はじめに色々な先住民の事を書いたのは、そういう事案に対する問題意識や歴史的興味を常に持っていました、という話。
具体的には、二千年どころか二百年ぐらい前に、世界のあちこちで元々住んでいた人々を追い出し(どころか大量に虐殺して)建国したような国がたくさんあります。そこで今現在何事もなかったかのように多くの移住者(の子孫たち)が、暮らしています。
追い出された人、生き残った人の子孫が「ここ元々先祖が住んでいた土地だから出て行って」って言ってきても、既にそこでふつうに暮らしている人たちが出ていくのは難しいですよね。
イスラエルの建国に対して、どうしても、こんな想像を働かせてしまうのです。
事案的に違うかも知れないけど、事象として感情面でダブらせてしまう。

実際、イスラエル建国のような大規模事案じゃなくても「ここは先祖の土地じゃ~!」という話は、世界のあちこち(もちろん日本でも)起きている事でしょう。

映画からだいぶ逸れましたね。



まあ、こんな具合に、映画を観ている最中も、見終わってからも、色々と考えてしまったのですが、私自身としては、どんな人に対しても人種で軽蔑したり差別したり、善悪を判断したり、という事は、しないって事は、改めて心に刻みました。



『鎌倉殿の13人』と『平家物語』を観て余計な事を思う

今期、放送中のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』と、フジテレビのTVアニメ『平家物語』

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』
フジテレビ『平家物語』

この2つが、とても面白くて、毎回かかさずに観ています。

現在どちらも第4話まで放送されているのですが、面白い事に、どちらもこれから源平合戦に突入していこうとしているのです。
『鎌倉殿の13人』は、源氏側から、『平家物語』は、平家側から、描いていて、どちらにもある程度心を寄せたい人物が描かれている。もちろん、どちらも史実を元にしたフィクションなので、しっかり距離をとって観なければいけないわけで、その点は、心得ております。

『鎌倉殿の13人』は、三谷幸喜脚本なので、現代風の台詞回しや、おふざけが過ぎるような部分もありますが、それが良い方向に働き、見ていて飽きないテンポ感を生み出しているように感じます。
「うまいなぁ~」と思うことしばしば。

これまで教科書や歴史本などから、頭の中に思い描いていた頼朝像は崩壊しましたが、それもまた良しといたしましょう。


『平家物語』は、とにかく絵の美しさに魅かれます。
パキっとしたよくあるアニメ風の彩色ではなく、どこか淡く微妙にくすんだような和風の色合いが、儚い美しさを醸し出しています。吉田博の版画を思わせるような背景が時折出てくるのですが、その色合いの美しさがたまりません。

(↑こういう色合いやグラデーションに吉田博の版画味を感じます)

話としても面白く、平重盛に拾われた孤児、架空のキャラクターびわが狂言回し的役割を担っています。びわの目は片目だけ緑色で、その緑色の目だけで見ると未来が見えるのです。

びわをはじめ、キャラクターも魅力的だと感じていましたが、スタッフロールに、キャラクター原案、高野文子という文字を見つけ、納得。


さて、この2つの作品、どちらも大好きなのですが、今、このタイミングで、源氏側と平家側、それぞれの立場からみた源平合戦が描かれる作品が、同時に世に出たのは、偶然なのでしょうか?

100%近い確率で偶然だと思うし、この作品を作り出した人たちの作品にかける思いに邪心は全くないと思っています。

ただ、ほんの少しだけ、本当にほんの少しだけ、何かがあるのだとしたら、それがNHKとフジテレビで放映されているという事。


NHKで、ごく最近思い出されるのが「歴史戦チーム」という言葉。

これは、佐渡金山を世界遺産に登録申請する事に対し、韓国から朝鮮人強制労働があったと反対されている、それと戦うのが「歴史戦チーム」!的に紹介されたものです。
これ、突っ込みどころ満載過ぎて、これを公共放送であるNHKがかっこいい事のように紹介しちゃっているのが、なんとも世も末というか、ヤバイ(危ないという意味で)世界になっていますよ、という気配を感じます。

しかもこの「歴史戦チーム」、「第二次安倍内閣で発足」「政権の歴史認識に基づき」って書いてあるの、ここ突っ込みどころですよね?かっこいい所じゃないですよね?

史実に基づきとか、各国歴史学者の共通認識に基づきとかじゃなくて「政権の歴史認識」に基づいちゃってる。しかも発足時の政権が安倍政権。
これは、分かりやすくいうと「安倍さんの頭の中にある認識(妄想?)に基づいて歴史を改竄するチーム」って事じゃないのですか?安倍さんの得意技ですよ、ウソと改竄。

「歴史戦チーム」に関しては、色々な論調があるので、Twitterで「歴史戦チーム」を検索してみると面白いと思います。どの意見に納得するのかは、あなた次第という事で。

この番組は、本当にNHKのとんでもない状況が浮き彫りになっていると思いますが、NHKの全てが毒されているとは思っていません。色々な番組の端々にNHKの良心も感じています。
しかし、その「端々に感じる」というのもまた、NHKが全体的には、おかしくなっているという事の表れでもあるのでしょう。


そしてフジテレビでごくごく最近思い出されるのが、アベノマスク関連の報道。

なんだか書くのめんどくさくなっちゃったから「アベノマスク」「大人気」とか検索してみてください。

フジは、「アベノマスクが大人気」とニコニコと上機嫌で語る安倍元首相の映像を(なんの検証もなく)真っ先に流していました。

これもまた安倍さんのウソによって事実を曲げた報道をしているのではないでしょうか?

“アベノマスク”配送料に10億円…全廃棄は6000万円(Yahooニュース)

その後、配送料金に10億円かかるとか、批判的な論調に流されて若干報道のトーンも変わってきましたが、この局は、これまでも、常に安倍元首相寄りの報道姿勢を続けてきています。
モリカケサクラ、広島河合夫妻、公文書改竄などなど、さすがにいくらなんでもかばいきれない事案も多々あるので、それなりの報道はしていますが、やはり隠し切れない立ち位置を感じてしまいます。

だからといって、フジテレビの全てにNOを言うつもりはありません。
今期もこのアニメ『平家物語』や、ドラマ『ミステリと言う勿れ』など、楽しく視聴しています。


せっかく面白く観ている2作品の話から、不愉快な話へと流れてしまいましたが、この2作品がどちらも日本の歴史を扱った作品である事から、最近話題となった「歴史戦チーム」という言葉が思い出され、このような事を書いた次第。

安倍元首相による、歴史や事実の修正(というより改竄、捏造、正しくしているわけではないので)に手を貸している(と思われる)2つのテレビ局が放送している『鎌倉殿の13人』と『平家物語』。

そこに何かしらの意味があるのか、ないのか。

私自身「ない」と思っていますが、常に、色々な事を考えながら、色々な角度から物を見るのは、子供時代からの私の性質でもあります。ご勘弁ください。

TOKYO2020考2 -言葉を殺すな-

スポーツ大好きな私ですが、東京オリンピックには大反対です。

理由は山ほどあって、政治、運営への批判や思う事は書き始めたらキリが無いほどです。
安倍~菅政権、竹中平蔵、森喜朗、電通、などのやらかしてきた(今もやらかし中)醜く酷いドタバタ劇を書き連ねる事も出来ますが、とりあえずここでは、「言葉」そして「私の気分」だけに絞って書いていきます。

「私の気分」に関しては、既に「TOKYO2020考1」にも書きましたが、そこには書かれていない、「言葉」に関する私の気分を。

ここのところ、聞くだけで(見るだけで)、嫌な気持ちになる言葉が増えています。

例えば「絆」「勇気と感動」「安全安心」「復興五輪」「平和の祭典」「今が正念場」などなど。

「絆」などは、本来良い言葉であるはずなのですが、それを利用する人たちのせいで、全く逆の感情を抱くようになりました。
「絆」という言葉を聞くたびに「分断」が深まるような気さえしてきます。


菅総理の口から(毎日のように)「安全安心」という言葉を聞くたびに「不安」が募ります。

(余談ですが)思えば、安倍前総理の時代に「責任」という言葉が、全く意味を持たなくなったように私は感じています。

そんな中で「始まってしまえば盛り上がる」という言い草に、私は、とても嫌な気分を覚えるのですが、それは、私がスポーツ好きだから、ある部分否定しきれない面もあるのかと、自己分析していました。
しかし、もっともっと根深い不快感がこの言葉にはある、という事に気づきました。

それは先日、フジTV「めざまし8」に出演していたコメンテーター(芸人)福田麻貴の発言を聞いた時。
この時の事は
谷原章介がフジテレビ系『めざまし8』で五輪中止要望の声を「雑音」と表現」(Nifty ニュースへのリンク)
と、MC谷原の発言に焦点を当てたネットニュースにもなったので、見出しぐらいは見た事がある人もいるかと思いますが、谷原の発言に輪をかけてひどかったのが福田麻貴の言葉なのです。

引用すると

「やっぱり結局開催されたら『中止してほしい』って言ってた人たちも、選手たちから力もらったり勇気もらったり元気出たりすると思うんで、せっかく開催するなら盛り上げていきたいなと思います」

これ、前述の「始まってしまえば盛り上がる」という考え方を無自覚に取り入れて「勇気をもらう」などその辺に転がっている言葉を適当につなぎ合わせて、あたかも良い事言ってる風に話しているわけです。

「始まってしまえば盛り上がる」というのは、政府筋、関係者筋の思惑として語られる言葉でしたが、無自覚に取り入れて、自分の意見として語っている人もたまにいて、そのたびに不快感、嫌悪感を覚えていました。

しかし、この福田麻貴の発言は嫌悪感を通り越していました。
この件は、先日Twitterにも書いたので、それをコピペしますが、

  1. このニュース、谷原の発言にばかり焦点が当たってるけど、福田麻貴の発言は、強姦する人の言い草と同じだと思うのです
  2. 強姦に例えたのは「結局開催されたら『中止してほしい』って言ってた人たちも、選手たちから力もらったり勇気もらったり(以下略)」という福田の発言。
    「嫌だ嫌だって言ってたって、○○○入れられたら気持ち良くなるだろ」
    と同じ匂いを感じるのです。

これが福田麻貴の言葉に私が抱いた印象で、「始まってしまえば盛り上がる」という考え方の本質だと思います。
「中止してほしい」という人の中には、心底中止を望む人たちもいるでしょう。
オリンピックを楽しむ余裕なんて全くない人も多いのではないでしょうか?
例えば医療従事者、例えばコロナが重症化して病床にいる人、その家族、経済的に困窮している人々、などなど。

そんな人たちに「結局開催されたら勇気もらったり元気出たりするでしょ?」という言葉を投げつける想像力の欠如。

「中止してほしい」という人は、本気で中止してほしいのです。
「嫌だ」という人は、本当に嫌なのです。

これほどまでに、人の心を踏みにじるような言葉を「私、良い事言ってる」風に話す、福田麻貴には本当に幻滅しました。

次々と言葉が本来の意味を持たなくなっているこの時代、安倍前総理の時代から顕著になっている現象かと思いますが、せめてTVでコメントするような人には、言葉の意味と重さをしっかりと考えて欲しいと思うのです。


最後に、最近私が「良いなぁ」と思った言葉と「最悪」と思った言葉を紹介して終わりたいと思います。

「僕が五輪を支持できない最大の理由は「復興五輪」と被災地を出しに使ったのに、何の貢献もしないどころか、美辞麗句と言い訳ばかりで金儲けしか考えていないことです。五輪をすれば復興は進むのですか?すみません、オチはありません。」
(デイブ・スペクターTwitterより:原文ママ)

「オリンピックは世界に夢を与える。人を結びつける。これがスポーツの祭典でもある。人と人の距離が離れてきた今こそ、お互いに絆を確かめ合う。子どもたちや、世界の人々へ夢や希望を、大会を通じて与えていきたい。」
(安倍前総理:新潟県柏崎での講演より「朝日新聞Digital」から引用)

TOKYO2020考1

(このブログはどるたん+しゃあみんの公式見解ではなく、どるたんの個人的意見です、が、事務所としても支持いたします)

まず言っておきたいのは「私、スポーツ観戦大好き!」という事。

(スポーツグラフィック)Number誌は、創刊号から延々と買い続けてきたし、それに類する雑誌もあれこれ買ってきました。
各競技毎の雑誌もあれこれ買っていたし、TV中継もあれこれ録画して観てきました。
オリンピックなんて始まろうものなら、毎日寝不足フラフラになりながらも夢中でTV観戦していたものです。
これまでは。

しかしながら、TOKYO 2020には、はじめから全くのれない自分がいます。

コロナ禍の中、強引に推し進める方々の思惑みたいな物が露骨にみえてきた最近は、もはや「中止してくれ」という気持ちしかないのですが、もっともっと前から、そう、それは、東京オリンピック招致のための、当時の安倍総理の演説を見た時から。

ご存知のように福島第一原発の事故に関する「アンダーコントロール」発言。
(それに関しては、「ある部分アンダーコントロール」的な言い訳がありますが)
これには本当に腹が立ちました。
世界に対してこれほどの大嘘を臆面もなく吐けるこの人、息をするように嘘をつく人だと知ってはいましたが「ふざけるな!」と。

さらには、招致委員会は、東京の気候について、こんなにも酷い嘘をついています。
「晴れる日が多く、かつ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である」
毎年、熱中症で死者も出るような東京の夏が、そんなはずないでしょうが。
「世界一お金をかけないコンパクトな五輪」みたいな事も言っていましたが、これも大嘘。

そうやって嘘で固めた招致活動の末、開催決定した時のニュース映像を見た時には、心底うんざりしました。

(朝日新聞デジタルより)

政治家たちのバカ騒ぎがとてもお下劣に見えてゲンナリとしてしまったのです。

その後も、次から次へと、嫌な気持ちを増幅させるような事が相次ぎます。
個人的には、国立競技場の建て替えが、かなり大きく心のダメージとなりました。

「世界一お金のかからない五輪」(大嘘)だの「レガシー」だのお題目を掲げていたのなら、(旧)国立競技場こそ、そのシンボルになるのに、と思っていたので、とっとと壊されてしまった事に愕然としました。
ここ(旧国立競技場)で私が1964年の東京オリンピックを見たわけではないけど、ここには、私なりに色々な思い出や、想いがありました。
収容人員だの耐震性だの問題があったのかも知れませんが、それを補修、増築、改築でなんとかすれば技術力のアピールにもなるし、「古いものを大事にする日本」というアピールにもなったでしょう。
(実際は古いものをあまり大事にしないよね日本、なんでもすぐ壊す)
何より1964東京オリンピックと同じ場所での開催。それこそレガシーだと思うのです。

しかし、彼らの言う「レガシー」とは、過去の遺産を大事にして未来につなげる事ではなく、自分達の功績をレガシーとして残したい、という意味だったようです。
だから、都知事も、総理大臣も、大会組織委員会会長も「オリンピックまでは」とそのポストにしがみつこうとしていたのですね。
誰もいなくなっちゃったけど。

そして新国立競技場を巡るゴタゴタ。
公正な(はずの)コンペで採用されたザハ・ハディド案、当初のデザイン通りに建てたらお金がかかりすぎるだのなんだので、大幅にデザイン変更させられ、それにも関わらず結局廃案。

(コンペに勝ったのはこのデザイン)

(クライアントのわがままでこんなにも修正)

その後、ザハ・ハディドは死亡。(65歳)
別に「殺されたのでは?」なんて言うつもりも、陰謀論をほのめかすつもりも全くないけど、こんな事に関わらなければまだまだ良い仕事が出来た人だと思うので残念です。合掌。

で、結局、今建っているのはご存知、隈研吾デザインの新国立競技場。

シンボルマークもコンペで勝った作品が、(今度はパクリ疑惑で)変更になりました。
これも「なんだかな~」って気分。

ボランティアの制服もまた、評判最悪で(それが理由かどうかは知りませんが)変更に。

舛添さんご満悦のデザインだったようですが、小池都知事に切り捨てられたようです。
小池さんじゃなくても切り捨てたくなります。恥ずかしい。
で、その後、出てきたのがこれ。

もう・・・・・・色々な意味で言葉を失います。
本当に大丈夫なのか!?
この人たち。
この大会。

と、コロナ関連のあれこれ、今も続く醜いドタバタ騒ぎが出てくる前からすでに、TOKYO 2020への思いは、マイナス感情しかなくなっていた私です。

さらにリオ五輪閉会式での安倍マリオが、私のマイナス感情を一層増幅させます。


現職総理(当時)の、おどけたパフォーマンスを好意的にみる向きも多いかも知れませんが、私はぞっとする物を感じました。
よく安倍(元)総理にちょび髭をつけてヒトラーを模した風刺画を見かけますが、そんな空気を感じたのです。
絵面はおどけているけど、その裏にある黒い思惑みたいなものがダダ漏れでした。(私見です)


さて、ここからの酷いドタバタ劇は、毎日毎日これでもかというほど更新されていて(最新小山田圭吾炎上)、新聞の見出しを並べていくだけでも何ページかかるか分かりません。しかも、何度も言うけど本当に醜い酷い事ばかり。とにかく全てが出鱈目。

なので、とりあえず「はじまりからこんなに酷かった」「スポーツ大好きな私でも観たくなくなっています」という投稿でした。