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20200728 檜原村 払沢の滝

2023 渋谷考」というブログ投稿をした時に思ったのですが、このブログには、音楽活動の事や、映画、音楽の事が主に書かれていて、どこかに出かけた話がほとんど書かれていない。
そこで、たまには過去に遡って写真フォルダを漁り、どこかに出かけた話も書いてみようかな、と思い立ちました。という事で

お出かけの記録


2020年7月28日 東京都檜原村 払沢の滝

檜原村は、バイクに乗るようになった10代の頃から何度も訪ねている大好きな場所。

時には、奥多摩方面からぐるりと周遊したり、時には山梨方面へのツーリング途中に立ち寄ったり。
もちろん檜原村自体を楽しむために訪れた事も何度となくある。

有名な払沢の滝以外にも、大小さまざまな滝が点在するので、地図を片手に滝巡りをしたり、道の途中出会った神社でただただぼんやり過ごしたり、そういう場所。

そんな馴染みのある場所だけど、この10年以上1度も訪ねていなかった事に気付く。

そして久しぶりに訪れたのは、コロナ禍最中の2020年7月。
緊急事態宣言は出ていない時期だったけど、まだまだ街には人が少ない頃。

元々家の中で過ごすのは大好きだし、生まれてこの方退屈という事を知らない性格なので、ステイホームはまったく苦痛じゃないのだけど、家の中にいるのと同じぐらい自然の中で過ごすのが大好きなので、久しぶりに檜原村を訪ねる事にした。

と言っても、自宅でお昼ご飯を食べてからのんびりと出かけたので、現地で過ごしたのは1時間~2時間といったところ。
とりあえず払沢の滝周辺だけを歩いて、久しぶりの檜原村を楽しむ。

滝への入口付近にある駐車場に車をとめ、遊歩道を歩く。

滝の近く、良い空気の中にいると、体の中が洗浄されるような、心まで浄化されるような感覚を味わう事が出来る。
実際に、体は如実に元気になっていて、足取りが軽くなっている事を実感する。

滝の近くには意外と人がいたけどそれぞれに距離を保って楽しんでいる様子。

短い時間でも大きな満足感を味わえたけど、今度は、午前中に家を出て、もっとゆっくり、のんびりと檜原村を周りたい。



「お出かけの記録」年月日順INDEX

TOKYO2020考2 -言葉を殺すな-

スポーツ大好きな私ですが、東京オリンピックには大反対です。

理由は山ほどあって、政治、運営への批判や思う事は書き始めたらキリが無いほどです。
安倍~菅政権、竹中平蔵、森喜朗、電通、などのやらかしてきた(今もやらかし中)醜く酷いドタバタ劇を書き連ねる事も出来ますが、とりあえずここでは、「言葉」そして「私の気分」だけに絞って書いていきます。

「私の気分」に関しては、既に「TOKYO2020考1」にも書きましたが、そこには書かれていない、「言葉」に関する私の気分を。

ここのところ、聞くだけで(見るだけで)、嫌な気持ちになる言葉が増えています。

例えば「絆」「勇気と感動」「安全安心」「復興五輪」「平和の祭典」「今が正念場」などなど。

「絆」などは、本来良い言葉であるはずなのですが、それを利用する人たちのせいで、全く逆の感情を抱くようになりました。
「絆」という言葉を聞くたびに「分断」が深まるような気さえしてきます。


菅総理の口から(毎日のように)「安全安心」という言葉を聞くたびに「不安」が募ります。

(余談ですが)思えば、安倍前総理の時代に「責任」という言葉が、全く意味を持たなくなったように私は感じています。

そんな中で「始まってしまえば盛り上がる」という言い草に、私は、とても嫌な気分を覚えるのですが、それは、私がスポーツ好きだから、ある部分否定しきれない面もあるのかと、自己分析していました。
しかし、もっともっと根深い不快感がこの言葉にはある、という事に気づきました。

それは先日、フジTV「めざまし8」に出演していたコメンテーター(芸人)福田麻貴の発言を聞いた時。
この時の事は
谷原章介がフジテレビ系『めざまし8』で五輪中止要望の声を「雑音」と表現」(Nifty ニュースへのリンク)
と、MC谷原の発言に焦点を当てたネットニュースにもなったので、見出しぐらいは見た事がある人もいるかと思いますが、谷原の発言に輪をかけてひどかったのが福田麻貴の言葉なのです。

引用すると

「やっぱり結局開催されたら『中止してほしい』って言ってた人たちも、選手たちから力もらったり勇気もらったり元気出たりすると思うんで、せっかく開催するなら盛り上げていきたいなと思います」

これ、前述の「始まってしまえば盛り上がる」という考え方を無自覚に取り入れて「勇気をもらう」などその辺に転がっている言葉を適当につなぎ合わせて、あたかも良い事言ってる風に話しているわけです。

「始まってしまえば盛り上がる」というのは、政府筋、関係者筋の思惑として語られる言葉でしたが、無自覚に取り入れて、自分の意見として語っている人もたまにいて、そのたびに不快感、嫌悪感を覚えていました。

しかし、この福田麻貴の発言は嫌悪感を通り越していました。
この件は、先日Twitterにも書いたので、それをコピペしますが、

  1. このニュース、谷原の発言にばかり焦点が当たってるけど、福田麻貴の発言は、強姦する人の言い草と同じだと思うのです
  2. 強姦に例えたのは「結局開催されたら『中止してほしい』って言ってた人たちも、選手たちから力もらったり勇気もらったり(以下略)」という福田の発言。
    「嫌だ嫌だって言ってたって、○○○入れられたら気持ち良くなるだろ」
    と同じ匂いを感じるのです。

これが福田麻貴の言葉に私が抱いた印象で、「始まってしまえば盛り上がる」という考え方の本質だと思います。
「中止してほしい」という人の中には、心底中止を望む人たちもいるでしょう。
オリンピックを楽しむ余裕なんて全くない人も多いのではないでしょうか?
例えば医療従事者、例えばコロナが重症化して病床にいる人、その家族、経済的に困窮している人々、などなど。

そんな人たちに「結局開催されたら勇気もらったり元気出たりするでしょ?」という言葉を投げつける想像力の欠如。

「中止してほしい」という人は、本気で中止してほしいのです。
「嫌だ」という人は、本当に嫌なのです。

これほどまでに、人の心を踏みにじるような言葉を「私、良い事言ってる」風に話す、福田麻貴には本当に幻滅しました。

次々と言葉が本来の意味を持たなくなっているこの時代、安倍前総理の時代から顕著になっている現象かと思いますが、せめてTVでコメントするような人には、言葉の意味と重さをしっかりと考えて欲しいと思うのです。


最後に、最近私が「良いなぁ」と思った言葉と「最悪」と思った言葉を紹介して終わりたいと思います。

「僕が五輪を支持できない最大の理由は「復興五輪」と被災地を出しに使ったのに、何の貢献もしないどころか、美辞麗句と言い訳ばかりで金儲けしか考えていないことです。五輪をすれば復興は進むのですか?すみません、オチはありません。」
(デイブ・スペクターTwitterより:原文ママ)

「オリンピックは世界に夢を与える。人を結びつける。これがスポーツの祭典でもある。人と人の距離が離れてきた今こそ、お互いに絆を確かめ合う。子どもたちや、世界の人々へ夢や希望を、大会を通じて与えていきたい。」
(安倍前総理:新潟県柏崎での講演より「朝日新聞Digital」から引用)

TOKYO2020考1

(このブログはどるたん+しゃあみんの公式見解ではなく、どるたんの個人的意見です、が、事務所としても支持いたします)

まず言っておきたいのは「私、スポーツ観戦大好き!」という事。

(スポーツグラフィック)Number誌は、創刊号から延々と買い続けてきたし、それに類する雑誌もあれこれ買ってきました。
各競技毎の雑誌もあれこれ買っていたし、TV中継もあれこれ録画して観てきました。
オリンピックなんて始まろうものなら、毎日寝不足フラフラになりながらも夢中でTV観戦していたものです。
これまでは。

しかしながら、TOKYO 2020には、はじめから全くのれない自分がいます。

コロナ禍の中、強引に推し進める方々の思惑みたいな物が露骨にみえてきた最近は、もはや「中止してくれ」という気持ちしかないのですが、もっともっと前から、そう、それは、東京オリンピック招致のための、当時の安倍総理の演説を見た時から。

ご存知のように福島第一原発の事故に関する「アンダーコントロール」発言。
(それに関しては、「ある部分アンダーコントロール」的な言い訳がありますが)
これには本当に腹が立ちました。
世界に対してこれほどの大嘘を臆面もなく吐けるこの人、息をするように嘘をつく人だと知ってはいましたが「ふざけるな!」と。

さらには、招致委員会は、東京の気候について、こんなにも酷い嘘をついています。
「晴れる日が多く、かつ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である」
毎年、熱中症で死者も出るような東京の夏が、そんなはずないでしょうが。
「世界一お金をかけないコンパクトな五輪」みたいな事も言っていましたが、これも大嘘。

そうやって嘘で固めた招致活動の末、開催決定した時のニュース映像を見た時には、心底うんざりしました。

(朝日新聞デジタルより)

政治家たちのバカ騒ぎがとてもお下劣に見えてゲンナリとしてしまったのです。

その後も、次から次へと、嫌な気持ちを増幅させるような事が相次ぎます。
個人的には、国立競技場の建て替えが、かなり大きく心のダメージとなりました。

「世界一お金のかからない五輪」(大嘘)だの「レガシー」だのお題目を掲げていたのなら、(旧)国立競技場こそ、そのシンボルになるのに、と思っていたので、とっとと壊されてしまった事に愕然としました。
ここ(旧国立競技場)で私が1964年の東京オリンピックを見たわけではないけど、ここには、私なりに色々な思い出や、想いがありました。
収容人員だの耐震性だの問題があったのかも知れませんが、それを補修、増築、改築でなんとかすれば技術力のアピールにもなるし、「古いものを大事にする日本」というアピールにもなったでしょう。
(実際は古いものをあまり大事にしないよね日本、なんでもすぐ壊す)
何より1964東京オリンピックと同じ場所での開催。それこそレガシーだと思うのです。

しかし、彼らの言う「レガシー」とは、過去の遺産を大事にして未来につなげる事ではなく、自分達の功績をレガシーとして残したい、という意味だったようです。
だから、都知事も、総理大臣も、大会組織委員会会長も「オリンピックまでは」とそのポストにしがみつこうとしていたのですね。
誰もいなくなっちゃったけど。

そして新国立競技場を巡るゴタゴタ。
公正な(はずの)コンペで採用されたザハ・ハディド案、当初のデザイン通りに建てたらお金がかかりすぎるだのなんだので、大幅にデザイン変更させられ、それにも関わらず結局廃案。

(コンペに勝ったのはこのデザイン)

(クライアントのわがままでこんなにも修正)

その後、ザハ・ハディドは死亡。(65歳)
別に「殺されたのでは?」なんて言うつもりも、陰謀論をほのめかすつもりも全くないけど、こんな事に関わらなければまだまだ良い仕事が出来た人だと思うので残念です。合掌。

で、結局、今建っているのはご存知、隈研吾デザインの新国立競技場。

シンボルマークもコンペで勝った作品が、(今度はパクリ疑惑で)変更になりました。
これも「なんだかな~」って気分。

ボランティアの制服もまた、評判最悪で(それが理由かどうかは知りませんが)変更に。

舛添さんご満悦のデザインだったようですが、小池都知事に切り捨てられたようです。
小池さんじゃなくても切り捨てたくなります。恥ずかしい。
で、その後、出てきたのがこれ。

もう・・・・・・色々な意味で言葉を失います。
本当に大丈夫なのか!?
この人たち。
この大会。

と、コロナ関連のあれこれ、今も続く醜いドタバタ騒ぎが出てくる前からすでに、TOKYO 2020への思いは、マイナス感情しかなくなっていた私です。

さらにリオ五輪閉会式での安倍マリオが、私のマイナス感情を一層増幅させます。


現職総理(当時)の、おどけたパフォーマンスを好意的にみる向きも多いかも知れませんが、私はぞっとする物を感じました。
よく安倍(元)総理にちょび髭をつけてヒトラーを模した風刺画を見かけますが、そんな空気を感じたのです。
絵面はおどけているけど、その裏にある黒い思惑みたいなものがダダ漏れでした。(私見です)


さて、ここからの酷いドタバタ劇は、毎日毎日これでもかというほど更新されていて(最新小山田圭吾炎上)、新聞の見出しを並べていくだけでも何ページかかるか分かりません。しかも、何度も言うけど本当に醜い酷い事ばかり。とにかく全てが出鱈目。

なので、とりあえず「はじまりからこんなに酷かった」「スポーツ大好きな私でも観たくなくなっています」という投稿でした。