月: 2024年5月

2024年5月後半に観た映画

今日で5月が終了。この期間は、ちょっとホラー系をいっぱい見てしまった。ホラーの合間に息抜き的に観た『ミュジコフィリア』がなかなか良くて、ホッとしました。『シンドラーのリスト』は初めて観たのだけど、複雑なあれこれを考えさせられた。


☆印は、映画に対する評価ではなく、あくまでも個人的な好き度ランク。
☆5つ=大好き、☆4つ=好き、☆3つ=ふつう、☆2つ=ちょっと苦手、☆1つ=苦手
という感じ。


2024年5月後半に観た映画

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20160709 東京 府中市 大國魂神社

2023 渋谷考」というブログ投稿をした時に思ったのですが、このブログには、音楽活動の事や、映画、音楽の事が主に書かれていて、どこかに出かけた話がほとんど書かれていない。
そこで、たまには過去に遡って写真フォルダを漁り、どこかに出かけた話も書いてみようかな、と思い立ちました。という事で

お出かけの記録


2016年7月9日 東京 府中市 大國魂神社

先日「お出かけの記録」に投稿した谷保天満宮と同じ日に、少し足を伸ばして、大國魂神社も訪ねてみました。

大國魂神社と言えば荒俣宏著「帝都物語」の中で、第2次大戦末期、日本中の霊能力者や宗教家が全国で一斉に祈祷し、その呪力をまとめて、ここからアメリカ大統領に向けて放った、という場所。今手元に本がないので、ちょっと表現的に正しいかどうか不安ですが、まあそんな感じでとても印象に残っています。(架空のお話ですが、本当にそんな事が行われていたかも知れないと思わせるような魅力のある話)

大國魂神社へは、これまでも何度か訪ねているのですが、なぜか写真があまりない。
この日も、数枚しかありませんでした。

この日は、結婚式が行われていて、主にその写真を撮っていた、という感じ。
雅楽の演奏を聴けてラッキーでした。

本殿での式を終えて出てきた結婚式の列。プライバシーに配慮し、新郎新婦の顔をぼかしてみたらのっぺらぼうのようになってしまい、黒で目線を入れたら犯罪者のようになってしまい、どうにもよろしくない。結局、そのまま載せてしまいました。(不都合がございましたら削除いたします)

谷保天満宮では、出会う人もなく、静かな時間を過ごせたのですが、大國魂神社では結婚式以外に一般の参拝者も多くいました。さすが武蔵国の総社。
そしてこの時間、雨が若干強くなり、ほとんどの人が傘をさしています。

参道横にある寶物殿

車で1時間程度の場所なので、また訪ねる事もあるでしょう。
その時には、もう少ししっかりと、本殿や御神木、周囲の景色の写真も撮ろうと思います。


「お出かけの記録」

今更『シンドラーのリスト』を観て考えた事

ものすごく今更なのですが、昨日、映画『シンドラーのリスト』を観ました。初見です。
日本では、1994年2月に公開されたそうなので、30年前になります。
当時、なんとなく観たいと思っていたけど、なんとなく観ないままに昨日にいたりました。
観なかった理由は、本当になんとなくなんだけど「スピルバーグの映画がちょっと苦手」「観る前に情報が多すぎて内容的には大体把握できてしまった」と言ったところでしょうか。
でも、観れば感動するのだろうな、という事も想像出来ていました。それがまたなんとなく嫌だったのかも知れません。

まあ、なんだかんだと観なかった言い訳をしているわけですが、とにかく当時(~昨日まで)観なかったのです。

さて、観てみました。
(ネタバレ的な事を書くかも知れませんが、30年前の超有名な映画なので、それこそ今更かと思います。ご容赦ください)

そして、やはり想像していたとおりに、それなりに感動もしました。
いや、本当はかなり感動したのですが、素直に感動出来ないもうひとりの自分もいたのです。
その辺は後述。

絵的には、この映画ほぼほぼ全編モノクロなのですが、ごくごくわずかに色があります。
赤いコートを着た少女。彩度低めの赤。
蠟燭の炎。
そして戦後世界が色を取り戻していくように画面もカラーに、というように象徴的に色が使われています。そういった手法に素直に感心しました。

話的には、事前に把握していた通り

強制収容所送り(≒死)となるはずだった多くのユダヤ人を、ドイツ人シンドラーが救った話。
ユダヤ人たちを救うために、ひとりひとりの名前を記した物がシンドラーのリスト。

というものだけど、たった2行で片付けられるものではなく、ナチス、ユダヤ人、シンドラー等、それぞれの物語が紡がれている。
いや、それは物語ではなく、実際に起きた事、行われた事。
もちろん映画上の脚色はあったとしても史実にかなり忠実に作られている事がラストシーンでよく分かる。


さてここからは「色々考えちゃったなぁ」という話。


「正しさ」と集団心理

シンドラーがユダヤ人を救ったのは、彼らを人間としてみていた事が一番大きな理由なのではないだろうか?
ナチスの優生思想的にはユダヤ人は劣等な民族、人種。絶滅させるべき対象。(ユダヤ人に限らず一部他人種、身体障害者、同性愛者なども)
人間としてみていないから平気で殺す。映画の中でも、理由もなく(もしくは些細な事で)何人ものユダヤ人が殺されている。
多くのドイツ人はナチスを妄信し洗脳状態にあったのかも知れないけど、シンドラーのようにユダヤ人を同じ人間としてみている人もいた。
多くの民衆がこういう精神状態にあったのは、戦時下、ナチス政権下のドイツだけじゃなく、世界中多くの例が示している。日本でも、映画『福田村事件』で描かれた、関東大震災後の朝鮮人(映画で描かれたのは朝鮮人と間違われた日本人の行商達)虐殺が記憶に新しいところ。

そして、これは何も戦時下や災害時という特殊な状況下で起きる事ではなく、今、現在、身近でも起きている事。
SNSで日本人が韓国人、中国人に対して口汚い言葉で罵ったり、何か事件があれば容疑者に対して「あいつは日本人ではない」と韓国人、中国人の犯罪と決めつける。彼らに対し自分が優生な人間だと勘違いしている人が多く見受けられる。
こういう感覚が本当に嫌いだし、危ない事だと感じています。

自分が正しい。自分が属している人種は優生な人種。
全然そんな事はなくて、どの人種にだってクソみたいな人もいれば、素晴らしい人もいる。
(私から見るとSNS上でそういう差別的発言をする人こそ、クソみたいな人にみえます)

そして「自分が正しい」と思い込んでいる人や組織ほど、とんでもない事を平気でする。

自分が正しいと思い込んでいる国、組織。
そして宗教。
自分が属している組織は正しく素晴らしい。だからみんなそうあるべき。他は滅ぼした方が良い、と。

特に宗教が絡むと「宗教戦争」「魔女狩り」「十字軍」「キリシタン弾圧」等々から「オウム」や「統一教会」に至るまで気になる事象が多すぎて、学生時代から本読みまくってます。これがまさしく「正しさ」と集団心理で。

って、こういう話をするとどこまでも話続けてしまいそうなので、一旦ここまでで『シンドラーのリスト』に引き返すけど、この感覚は、すごく幼い頃から感じていて、だから安易に組織に組みしないで生きてきたし、教育も信じていなかった。

その感覚が『シンドラーのリスト』や『福田村事件』を観ると改めて心にズシンと来るという話。


パレスチナ問題

そして、もうひとつ、この話に単純には感動出来なかった理由。

映画的には、シンドラーが多くのユダヤ人を救いました。助かった人たち本当に良かった。
そして死んでいった人たちのためにも、二度とこんな過ちを繰り返してはいけない。

って事で、しっかり感動出来る。
映画の中では、話はここで終わるけど、現実世界では終わりではなく、生き残った人たちの話は続いていくわけです。

さて生き残ったユダヤの人たち。シンドラーが救った人たちだけじゃなく、海外に逃れていたユダヤの人たち、日本のシンドラーといわれた杉原千畝さんに命を救われた人たち。諸々。そうやって生き残ったユダヤの人たちが建国したのがイスラエル。
そのイスラエルが、今、何をしているのか?
というとパレスチナ、ガザ地区での虐殺行為。

これが心に浮かんでしまうので、どうしても素直に感動出来なかった。

ただパレスチナに関して「パレスチナと連帯」という人もいるけど、私個人としては簡単に「連帯」という言葉は口にしたくない。

今、まさに苦しんでいるパレスチナの子供たちには、心が痛むし、そこに心を寄せる事も出来るし、なんなら、自分も苦しい経済事情の中から寄付ぐらいはしている。苦しいのレベルが違うのでね。

でも「パレスチナと連帯」は違うんじゃないだろうか?
と思うのです。

イスラエルも相当ひどい事をやっているけど、パレスチナも相当ひどい事をやってきた。
(ただ特にパレスチナ側に色々言い分があるのも分かります)
結果、今があるので。

単純にどちらかと連帯する事は出来ない。

しかも、このイスラエル(ユダヤ)とパレスチナの問題は、今にはじまった事ではなく、とんでもなく長い歴史がある。
パレスチナ問題いついては、すごく気になっていた時期があって、何冊か本を読んで、それなりに成り行きだけは分かった(つもりな)のだけど、どうしても感覚的に分かる事は出来ない。特に両者の感情面とかは推し量りようがないので。

ただ、どちらにも「お互い同じ人間」だと思っている人がいる事は知っています。
個人レベルで共存していた、イスラエルの人とパレスチナの人も大勢いるでしょう。
イスラエル政府に批判的な考えを持っているユダヤの人たちも大勢いるでしょう。

第2次大戦時にシンドラーや杉原千畝がいたように、現在でも例えばダニエル・バレンボイムのような人もいます。


先住民、先住権の話

あと、この問題を考えていくと、どうしても考えてしまうのが先住民の問題。
スペインやポルトガルが南米(その他)でしたこと。アメリカの建国。オーストラリアやニュージーランド。つい最近暴動が起きたフランス領ニューカレドニア。日本だってアイヌの問題もある。などなど。
これに関しては、中学~高校生ぐらいの頃、南米のサッカーを観ていて、人種や言語(ブラジルはポルトガル語、あとは大体スペイン語)が気になって、やはり色々調べた事があるのだけど、みなさん先住民にひどい事してます。王族皆殺しなんて事もしてます。その結果、広大な土地や資源を手に入れてきた。

なんで、こんな事まで考えてしまうのかといえば、イスラエルの事。
あの場所には、元々ユダヤ人が住んでいたという主張です。
2000年以上前に住んでいた場所、ここにユダヤの王国があったと。

これがどんな本を読んでも感覚的にはよく分からない部分。

確かにそうだったのかも知れないけど、その後、千年以上そこに暮らしている人を追い出して、元々住んでいた人が帰ってきます、って話が、イスラエル建国。
パレスチナの人たちは、そこが一番納得できないのかと思います。

「ここ二千年前におれの先祖が住んでた場所だから、出て行って!」
って突然追い出されたらどうします?
みたいな事をどうしても考えちゃうんですよね。ただ、当事者じゃないので、勝手な感覚だけで、判断しちゃいけないとも思います。

はじめに色々な先住民の事を書いたのは、パレスチナに限らず世界中でそういう問題はあるのでは?
って事と、そういう事案に対する問題意識や歴史的興味を常に持っていました、という話。

映画からだいぶ逸れましたね。



まあ、こんな具合に、映画を観ている最中も、見終わってからも、色々と考えてしまったのですが、私自身としては、どんな人に対しても人種で軽蔑したり差別したり、善悪を判断したり、という事は、しないって事は、改めて心に刻みました。



20160709 東京 国立市 谷保天満宮

2023 渋谷考」というブログ投稿をした時に思ったのですが、このブログには、音楽活動の事や、映画、音楽の事が主に書かれていて、どこかに出かけた話がほとんど書かれていない。
そこで、たまには過去に遡って写真フォルダを漁り、どこかに出かけた話も書いてみようかな、と思い立ちました。という事で

お出かけの記録


2016年7月9日 東京 国立市 谷保天満宮

国立市にある、谷保天満宮
一時、国立にある某校で講師をしていた事があり、その時、一度訪ねた事があります。
国立駅からぶらぶら歩いて行ったのだけど30分ほどかかってしまい、あまりゆっくり過ごす事が出来なくて、いつかゆっくりと訪ねてみたいと思っていた場所。

この日は、小雨が降ったりやんだりという空模様だったのだけど、傘をさすほどではなく、かえって濡れた緑が美しく映えて、良い気を醸し出し、気温的にも過ごしやすく、気持ちの良い参拝、散策が出来ました。

周囲も木々に囲まれ、静かで空気もきれい

天神様なので牛がいます

苔むした狛犬が凛々しく美しい

参道に放し飼いのにわとり

本殿前に牛がもう一頭

時折り雨が強くなると、にわとりたちは神楽殿の軒下で雨宿り

美しい緑ときれいな空気の中、落ち着いた良き時間を過ごす事が出来ました。
ありがとうございました



「お出かけの記録」

20160911 埼玉 秩父郡長瀞町 寳登山神社

2023 渋谷考」というブログ投稿をした時に思ったのですが、このブログには、音楽活動の事や、映画、音楽の事が主に書かれていて、どこかに出かけた話がほとんど書かれていない。
そこで、たまには過去に遡って写真フォルダを漁り、どこかに出かけた話も書いてみようかな、と思い立ちました。という事で

お出かけの記録


2016年9月11日 埼玉 秩父郡長瀞町 寳登山神社(宝登山神社)

なんだかんだと、長瀞には1~2年に1回ペースで行っていて、行くと大体宝登山神社へお参りするのですが、この時は、しっかり山頂まで行き、奥宮もお参りしてきました。

登りは楽してロープウェイで山頂駅へ。

奥宮への階段

山頂から秩父の街を見下ろす

山頂から歩いて下る途中で見かけたきのこ

もちろん本殿へもお参りを

境内をひととおり周って、宝登山神社を後にしました。
ここも大好きな場所。
最近は長瀞も観光客が多くなり、なかなか静かに過ごせなくなってきたけど、また人出の少ない頃を選んで訪ねたい。



「お出かけの記録」

ハンナ・バーベラ日本語版主題歌

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1966

昨日のブログ投稿「怪獣ロロの歌」で、ハンナ・バーベラ・アニメの主題歌集のCDについて少し触れ、その中で、これを買った一番の目当ては「宇宙怪人ゴースト」のテーマ曲。と書きました。

「宇宙怪人ゴースト」のテーマ曲が好きでたまらなかったわけですが、それだけじゃなくて、他のハンナ・バーベラのアニメの主題歌も大好きでした。

でも実は、このCDを買うまでは、どの作品がハンナ・バーベラの作品などと考えた事はなくて、これを買って改めて(というか初めて)、私が好きな歌は、ほとんどハンナ・バーベラの作品だと気づいたのです。

このCDに入っているもので言えば『大魔王シャザーン』『怪獣王ターガン』『チキチキマシン猛レース』など、子供の頃聴いていただけなのに、今でも空で歌える、大好きな歌ばかり。

そして、これを買った後に、「ではこれに入っていないアニメで、私の好きなものはハンナ・バーベラではないのだろうか?」と思って色々調べました。

ロードランナーやバッグス・バニーがハンナ・バーベラではなく、ワーナーの作品だという事だけは、あらかじめ知っていました。
小学生の頃、家の近くにあったカー用品店でワーナーのアニメキャラのステッカーを売っていて、それを集めるのがマイブームだった時期があるので。

それ以外の色々。
例えば、いつも動物園を抜け出すワニの話とか、ライオンとハイエナのコンビとか、突貫カメくんとか。
調べてみると、この辺の動物系も、全部ハンナ・バーベラ!!
でも、思い出してみると、この辺の作品は、英語版の主題歌(主題曲)をそのまま流していたので、このCDには入らなかったのでしょう。


それでは、これまた大好きな『スーパー・スリー』は?
これもハンナ・バーベラ!
大好きな日本版主題歌もあるのでこれは入れて欲しかった。


少し古い物で言うと『シンドバッドの冒険』
この歌も大好きなのですが、同じ歌詞のフレーズで2種類のメロディーが浮かんでくるのです。
ひとつは、

♪ぼうけんのうみだ~ふなでだかぜがよぶ~♪

で、もうひとつは

♪ぼ~けんのう~みだ~ふな~でだ~か~ぜがよぶ♪

ってこう書いてもなんのことやらですよね、ごめんなさい。
調べてみると、これもハンナ・バーベラ作品!
そして2つのメロディーも謎が解けて、実際に2種類の主題歌が流れていたんですね。

こういう事を調べるとすぐに分かって、曲も聴けてしまうのは、インターネット時代ならではの良いところ。
そうそう、パターン1はエレキバンド的な音で、パターン2は吹奏楽的な音でした。
両方好きだけど、パターン2の方がより好き、大好き。

この曲もCDに入れて欲しかった。


では『マイティー・ハーキュリー』は?
と調べると、これはカナダのアニメ制作会社のものでした。
この歌も好きだったなぁ



それでは♪ウッホ ウホ ウホ ウッホホ~♪の『キングコング』は?
なんと、これは、アメリカのビデオクラフト社と日本の東映動画による日米合作とのこと。
当時そんなこと全然考えずに観ていました。


こんな具合に、子供の頃好きだったアメリカのアニメ作品の多くがハンナ・バーベラのものだと、大人になってから知ったわけですが、もうひとつ大人になってから知って驚いたことが、大好きだった歌の数々が日本独自に作られたものだと知った事。

CDに「日本語版主題歌」と書いてあるように、このCDに収められている曲、すべて日本独自のもの。

そしてYouTubeでアメリカ版のオリジナル主題歌(主題曲)を聴くと、日本版の素晴らしさ、出来の良さに圧倒されます。
歌詞もメロディーも演奏も歌も、大人たち(歌は子供たちも)が本気で取り組んで本気で作り上げたものだと、その熱意がひしひしと伝わってきて、これまで以上に日本版主題歌が大好きになり、感謝の気持ちが溢れてきます。

例1として『大魔王シャザーン』
まずは日本版

そしてこちらアメリカご本家


例2は『宇宙怪人ゴースト』
日本版、これは昨日のブログにも貼り付けたやつ

そしてこちらアメリカご本家版


まあ国民性による好みの違いや、子供の頃に聴いた思い入れの深さなどもあるのでしょうが、私は断然日本版が素晴らしいと感じてしまいます。

という事で、素晴らしいアニメを作ってくれたハンナ・バーベラ(他海外のアニメ制作会社)への感謝と共に、熱意を込めて日本版を作り上げた方々に最大限の感謝を込めて、この項を終わりとします。

ありがとうございました!

「怪獣ロロの歌」

今朝、起きた時から、いや正確には目覚める少し前、夢と現の境目の頃から、頭の中に流れていた歌がありました。
歌詞もメロディーもしっかりと鮮やかに。

それはこんな歌でした。

♪むかし、むかしの、そのまたむかし
だけどおとぎ話じゃない
怪獣住んでおりました♪
(中略)
♪ロロ、ロロ、ロロ、ロロ、ロロ
怪獣ロロは白ナンバー
今で申せば自家用車

(後略)

寝ぼけた頭で何の歌か思い出そうとするのだけど、思い出せない。
「みんなのうた」だったかな?
みたいな感じで、しばらく考えたけどやはり思い出せない。

これは思い出せそうにないので、あきらめて「怪獣ロロ」で検索してみると、すぐに出てきました。

「みんなのうた」じゃなくて、アニメ。
しかもハンナ・バーベラ。

これを観たら完璧に思い出しました。
それどころか、なんでこれを忘れていたのか!?というレベルの話。

しかも、ハンナ・バーベラのアニメという事は、私、CDで持っているはず!と棚をあさると、スグに見つかりました。「特別大事な物コーナー」にあるから。

そして調べると、やはりしっかりと入っていました「怪獣ロロの歌」
寝起きのボケた頭とはいえ、本当になんでこれを忘れていたのか!
最近あまり聴いてなかったとはいえ、これまでCDで何度も聴いているのに。

そりゃあ、歌詞もメロディーもしっかりと分かるはずです。
(CD持っていなくても分かると思うけど)

CDで聴いてみると、YouTubeのものより若干テンポがゆっくりめ。
YouTubeの方は動画がはじまるとテロップに「歌:鈴木やすし」って出るけど愛川欽也の間違いだと思います。

このCDに収められている曲はみんな好きなのですが、これを買った一番の目当ては「宇宙怪人ゴースト」のテーマ曲。


これがたまらなく好きで。
特に♪宇宙怪人ゴーストたたかえば勝つ必ず♪の部分の歌声にグっときます。

これを、ある程度しっかりとした音質のメディア(CD)で、しっかりとした音響装置で、それなりの音量で、ちゃんと聴いてみたかった。
そして、聴いた時には感動しました。

そのCDに「怪獣ロロ」の歌も入っていたのですね。
もう一度言うけど、なぜ忘れていたのか!?私。

ハンナ・バーベラのアニメ主題歌については、もう少し書きたい事があるので、たぶんこの項、明日につづく。


(つづきはこちら)
ハンナ・バーベラとアメリカのアニメのこと


アコースティック音楽嗜好 ‐81‐

お気に入りのアルバム 2

昨日のブログ投稿で『エリック・サティ詩集』をとりあげたのだけど「そういえば、これしばらく聴いてなかったな」と思い出したアルバムがこれ。

John Hackett Steve Hackett『Sketches of Satie』(2001年発売)

スティーヴ・ハケット/ジョン・ハケット『エリック・サティの風景』

エリック・サティのピアノ曲を、ジョン・ハケットのフルート、スティーヴ・ハケットのガット・ギター向けに編曲し、2人で奏でたもの。

スティーヴ・ハケットは、言うまでもなく元ジェネシスのギタリスト。ジョンは彼の弟でフルート奏者。

ふだん「アコースティック音楽嗜好」で取り上げているタイプの音楽とは全く違うけど、まさしくアコースティック音楽。

ピアノ演奏で聴きなれた曲達が、フルートとギターで表現される面白さ。
これがピアノ以上に(というと語弊がありますが)とても曲に合っている。それは曲想に寄り添って編曲されているからだと思うのですが、元々フルートとギターのために作曲されたのではないかと思うほどに完成度の高い編曲、そして演奏。

フルートの深く豊潤な響きが奏でるメロディーラインに改めてサティの作り出した音楽の美しさを感じます。ピアノで聴くとメロディーと伴奏が一体となっているところを、フルートが(主に)メロディー、ギターが伴奏という形で聴いてみるとメロディーの美しさが浮き出てくるような感覚があるのです。

ちょっと面白いなと思うのは、はじめの6曲「3つのグノシェンヌ」「3つのジムノペディ」なのですが、どちらも3番、2番、1番と逆順に収録されています。
これはどんな意図でそうしたのか、聞いてみたい所です。
あらためてライナーを読んでみたけど、その点には触れていなかったので。

このCD、最近あまり聴いていませんでしたが、今後の人生においても、折々に聴いていく1枚である事に間違いありません。



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CD『異郷の詩』特設サイト

『エリック・サティ詩集』藤富保男 訳編

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1991

エリック・サティといえば、主にピアノ曲の作曲家として有名だけど、詩集を出している。
(いや正確には詩集を出版したわけではないのだけど、それは後述)

サティの詩(?)から発せられる言葉のイメージがたまらなく好きで、たまにページを繰りたくなる。
どこかシニカルでユーモアがあって、それはサティの音楽と同じ質のもの。

というよりも、これは音楽と一体となった詩。
特に前半に収載された『スポーツと嬉遊曲』は、すべてに手描きの楽譜が添えられている。
もちろんその楽譜は音楽作品としても独立して演奏されている。

例えばこんな具合に

「花火」という短い詩、そして楽譜。

言葉と共に音を聴くと、心の中にイメージが広がりとても面白い。
イメージが広がるというよりも、サティの描いたイメージが伝わると言った方が正しいかも知れない。
「ブランコ」「狩」「ゴルフ」などなど、多種多様なシーンを音と言葉で切り取っている。

単独のピアノ曲を聴く時の楽しみとは、ちょっと違う何か洒落たショートコントでも観るかのような面白みを感じるのだ。

この本の後半は、少し長い単独の詩編が収められているのかな、と初めは思っていたのだけど、あれ、このタイトルは?と調べてみるとほとんど(たぶん全部)曲がある。

なるほど、カヴァーの折り返しに添えられている文をちゃんと読んでいなかった。

「サティは詩人ではない。楽譜の余白にしるされたサティのことばが、よく見ると詩にみえるので、藤富保男さんがそれらを訳し、故人サティにはないしょで「詩集」にしてしまったのである。(読売新聞)

この詩集の成り立ちはそういう事。

冒頭に「音楽と一体になった詩」と書いたけど、それは当たり前。
はじめてこの本に接した時の気持ちで書きました。

この本は、これまでも、これからも、何度もページを繰る。
サティの音楽を繰り返し聴くように。

きっとそんな本。

キングシーサーの歌

先日、Amazon Prime Videoで『ゴジラ対メカゴジラ』を観た。
これは、劇場公開時(1974年3月)に観て以来の鑑賞になるはず。
1966年の『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』以後、昭和の(1970年代までの)ゴジラ映画は全部劇場公開時に観てきた。

『ゴジラ対メカゴジラ』
『ゴジラ対メカゴジラ』

当時、すでに中学生だったので、記憶に残っている場面も多々あったのだけど、50年ぶり(2度目)に聴く「キングシーサーの歌」(正式タイトルではないと思う)に腰を抜かしそうになった。

映画館で1度聴いただけの歌なので、歌詞や細かい部分はうっすらとしか記憶に残っていない、しかし、キメの部分「シーサー、シーサー、キングシーサー」は、その後、50年間何度も頭の中に流れていた。

初めて聴いた時に、ものすごい違和感があった事もよく憶えている。

沖縄の伝説の怪獣(守り神)を目覚めさせる歌が、なんで歌謡ポップス調の歌なのかと。
そして浜辺で一人で歌っているのに、歌謡ポップスバンドの演奏が流れている違和感のものすごさ。

さらに、一番が歌い終わってキングシーサーのお目覚めかと思ったら、間奏の後に2番を歌いはじめてしまう。
ここ、映画館で激しくずっこけた(死語)のを思い出しました。

現場の人たち、誰も「これじゃない感」なかったのだろうか?
当時観た子供たちは、多かれ少なかれ変な気持ちになってたんじゃないかな?

特に私はもう中学生になっていたし、古関裕而作曲の「モスラの歌」や、伊福部昭作曲『キングコング対ゴジラ』の島民の歌、そんなすごい音楽が心に染み込んでいたのでね。

怪獣を呼び覚ますってこういう事でしょ?

せめてバンドサウンドじゃなく、アコースティックな楽器演奏(出来れば三線入り)にしてもらえなかったのか。いやしかし、あのメロディー、展開じゃそれでもおかしいな。

まあ、キングシーサーやメカゴジラの造形は大好きだし、やはり造形的に大好きなアンギラスも出てくるので、映画はそれなりに楽しめたのだけど、(70年代までの)昭和のゴジラシリーズ後半は、こういうずっこけポイントが多くなる。

この後の作品『メカゴジラの逆襲』で一度映画の世界から消滅してしまうのも仕方のない流れだったのでしょう。