月: 2024年11月

空だけしか見えなかった話

今、私がいる場所は、風光明媚な山あいの町にある大病院。
この辺りは大好きなエリアで、ツーリングやドライブで何度も訪れている場所。

窓からは遠くの山々、近くの里山など、よく見えて日々楽しく過ごしています。
楽しく過ごしてっていうのも変か?言い直します。
日々、景色を楽しませていただいています。誰に?自然に。

紅葉も始まり里山の樹々が徐々に色を変えてゆくのが何よりの楽しみ。
最近は朝晩かなり冷え込んでいるので一日で随分と色が変わっていきます。
病院の庭のもみじは早くも真っ赤に色づいています。上の写真、小さくて良く分からないと思うけど。

この、今の状況とは全く逆の経験もしているので、今日はそっちの話を。

以前のブログ「16年周期説」で書いた、イタリアのスキー場で骨折した時の事です。
入院したのは、アルプス山中。
イタリアとスイスの国境の町、ティラノの大きな病院。
周囲は雄大なアルプスの雪山に囲まれた素晴らしいロケーション、街の景色も美しい(と後に知る)。

そこで私は、2週間の間、ほとんど空しか見ることが出来なかったのです。

私のベッドから見える窓は、若干高いところにある小さな窓が1つだけ。
角度的に空以外何も見えません。
木の枝も、電線も、レンガ塀の最後の一葉も、何も。

ベッドに括り付けられているので、もちろん一人で歩くことも出来ない。
たまにストレッチャーでレントゲン室や処置室に運ばれる時も何も見えない。

せっかくアルプス山中にいるのに。
見たのは空だけ。

退院時にも、病院の玄関から迎えのボルボワゴンの荷台にするっと運ばれたので何も見えず。
ティラノからミラノまで運ばれる最中に窓から少し見える山の景色が何よりの喜びでしたが、角度的にもあまりよく見えなかったし、山道なので酔っちゃいそうで、堪能することは出来ず。

まあ、空だけでも日々、時々刻々と色が変わるし、雲が流れる時もあり、それなりの楽しみを見つけてはいたけど。
病院の外に広がる景色を想像すると何とも、もったいないというか寂しいというか、そんな日々でした。

というお話。
ここでのエピソードは色々あるので、今後小出しにして行こうかな、と、今思いました。(笑)

何も食べたくならない話

今朝で手術後4日を経過。

相変わらず絶食状態が続いています。
10月31日の朝にりんごを1つ食べて以来、何も食べてない。

しかし、なんとまったくお腹が空かない!
どころか食べたいという気持ちがそもそもない。

昨日の回診で、「明日辺りから食事をはじめましょう。」と言われたのだけど、全然嬉しくないどころか、「マジか!?」と思ってしまうような精神状態。

元々おいしいもの大好きで、かなりの大食漢だった男が、これは不健康な精神状態。
いやまあ、全然健康じゃないのだから当たり前っちゃ、当たり前なのか。

思えば、入院前からほとんど食事らしい食事が出来てなかったんですよね。

毎日、お粥、野菜スープ、バナナ、リンゴ、ヨーグルト、そんなものだけ。
それとは別に家の人向けにちゃんとした料理も作るんだけど(夕飯係なので)、おいしい物が出来ても全然食べたくならない。
私だけお粥を一杯、梅干しや鮭を乗せて食べている。
しかも、それが特に嫌じゃなかったんですよ。

これって・・・絶対病気ですよね!?明らかに病気ですよね!?

で、実際病気だったわけですが、もう少し早くなんとか出来たよな。と、今なら思う。

てか、もっと目に見える形で「救急車呼んだ方がいいんじゃない!?」って状況が二度、三度とあったので、我慢するにもほどがある、って事ですね。

心筋梗塞の時もそうだったのに、全然教訓が生かされませんでした。

しかし、あれだけ食べるの大好きだったのに、食べたくないって。

脳が拒んでいたんでしょうね。
今もまだ脳が拒んでいる状況が続いているんでしょうね。いやお腹が脳に訴えているのかな?

もう少ししたら「天下一品のこってり食いてぇ!」とか「さわやか行きてぇ!」とか言い出すのでしょうか??(小物感)

言い出したいものですが、今のところ、何にも食べたくならないんだよな~


画像はイメージです

手術後初めて聴いた音楽

さて、昨日のブログで手術が成功した事を報告しましたが、昨日は、歩行練習なども本格的に始めました。
一昨日、初めて少し歩いた時はあちこち痛くて脂汗ダラダラ状態だったのに、昨日の午後にはけっこう楽に歩けるようになりました。
まだ患部やその周辺とか痛いけど、確実に回復している事を感じます。

たぶん全身麻酔の影響で声がかすれて出にくいのは歌を歌う人としては心配だけど、これも数日で治るでしょう。

そして、昨日は、手術後、はじめてしっかりと音楽を聴きました。
聴いたのはDavid Bowie『世界を売った男(The Man Who Sold The World)』

ちなみに手術前夜に聴いた音楽はDavid Bowie『Space Oddity』

なんだか、しみじみ感動しました。

心の襞にまでしっかりと沁み込んでいる音楽、声。
こういう時に聴く音楽はDavid Bowieなんだな。
と、自分自身にすごく納得しました。
死ぬ前に何かアルバム1枚聴けるとしたらきっとDavid Bowie『ダイアモンドの犬』を選ぶかも知れない。

明日は『Hunky Dory』を聴くつもり。

生きる希望も目的もあるし、短期的目標(明日『Hunky Dory』を聴く、12月ライヴ復帰など)もあるし、回復が早いのも納得。

手術無事成功しました

一昨日、私のS状結腸付近の癌切除手術、無事成功いたしました。

歩いて手術室へと向かう私、リングへ向かうプロレスラーの如し

とはいえ、まだ余談を許さぬ状況なのでしっかり経過観察中〜
酸素ボンベやら点滴やらドレーンやら何やら何やらの管やらコードやらでベッドから動けぬ状況でスマホからブログ更新。

手術直後の私、自撮り下手でメンゴ(死語)てか、髪型!!

今日はとても短いけど、ブログからの、手術無事成功の第一報でした。

たくさんの応援メッセージありがとうございました。

空港に救急車が迎えに来ていた話

手術を終え一夜明けました。
というタイミングで公開される予定のこのブログですが、書いているのは手術前日の昼間です。

以前、「夢か現か」カテゴリーのブログに「ヘリコプターで家に帰る話」という夢の話を書きました。
帰国便の飛行機から降りると、空港までヘリコプターが迎えに来ていて、それに乗って家まで帰るという夢の話。

その中では「楽に家に帰れる方法を強く望んでいて、こういう形で夢になったのかも知れません。」という考察をしたのだけど、一昨日のブログ「16年周期説」の中で、イタリアのスキー場で骨折した話を書いた時に、思い出しました。このヘリコプターで家に帰る話とそっくりな出来事が実際にあった事を。

(ヘリコプターじゃなくて)救急車が成田空港滑走路近くまで迎えに来ていて、それに乗って、(家じゃなくて)埼玉県の某大学病院へ直行した事があるのです。

シチュエーション的に夢とかなり近い。

30年ほど前、イタリアのスキー場で右足下腿骨を2本とも開放骨折した私は、イタリアとスイスの国境の町ティラノの総合病院に入院。そこで2週間ほど基本的処置と経過観察をして、手術は日本に帰国してから行う事に。

※この事故からのティラノの病院でのあれこれもなかなか壮絶かつ面白いエピソードがあるので、そのうちブログに書くと思います。

さて2週間の入院を終えての帰国便。
足はがっちり固定されているので通常の席には座れません。
どうするのかというと、エコノミーの座席9席を使って、その上に板&マットでベッドを作り、そこに寝ていくという超特別誂え、特別待遇。

そうやって成田に着くと、車椅子でみなさんとは違うところからエレベーター的な物で空港のエプロンに降りる。するとそこには(民間の)救急車が待っていました。
入国手続きは、救急車のところでしたような……気がするけど……あまり憶えてない。
その救急車に乗せられ、高速道路をひた走り、私は埼玉県の某大学病院へと運ばれていったのです。

写真はイメージです(「民間救急らかん」さんのWEBサイトより)

この時のイメージが夢ではヘリコプターになったという気がしなくもないですね。
ヘリコプターで家に帰る話」参照


麻酔が効かない話

実は今日これから手術です。
2024年11月7日(木)8:30AM執刀開始
って感じ。

なので、このブログは前日11月6日の朝に書いたもので、7日早朝に自動公開される設定。

さて「近況報告」に書いたように、私は現在絶食中。
首の付け根あたりに入れたカテーテルから24時間点滴で栄養を摂取している状態。

ここに挿管する前に麻酔を打つのだけど、一発目、さて処置開始
「いててて!」
「効いてない?ちょっと足しますね」
さてもう一度
「いててて!」
「効いてるはずなんだけどな~、もう少し足しますね」
じゃあもう一度
「いててて!・・・実は麻酔あまり効かなくて」
「いや、そんな事ないでしょ?」
「実は足の手術した時に・・・」
というちょっとしたやりとりがあって、もう少しだけ麻酔プラスしても痛みは消えなかったけど、我慢できそうな痛さだったので「我慢できます」って事で処置開始からの挿管完了。

その「足の手術の時」の話をひとつ

もう30年以上前の事、バイク走行中、横から飛び出してきた車に衝突という事故。昨日のブログ「16年周期説」にも書いたけど、左足下腿骨複雑骨折(のちに頚椎症も発症)でした。

その足の手術は、ある程度腫れがひくまで執刀できないという事で、事故当日の夜はベッドに固定され点滴で抗生剤やら痛み止めやら体に入れてた感じ。たぶん。

この時の痛みがとんでもなくて、どんなに我慢しようとしても「うぐぐぐ、ぐわ~~~!」みたいなすごく大きな声が何度も出てしまう。

そのたびに院長先生が痛み止めを足してくれる。
すると我慢できるレベルの痛みまで落ち着くので、同室の方々に消え入りそうな声で
「すみません・・・声出さないように我慢しているんだけど・・・」
なんて謝る私。
しかし、また1時間もしないうちに 「ぐわ~~~!」と叫び出す。院長登場。ちょっと治まる。
一晩中その繰り返し。

翌朝、痛みになれたのか、痛みがひいてきたのか、疲れ果てたのか、とにかく叫ぶほどではなくなった私。
そこに回診の先生方。チーフ的な先生が点滴のところにあるメモか何かを見ると
「院長!こんなにモルヒネ打ったんですか!!!」
「仕方ないだろ!!一晩中叫んでるんだから!!!」
「中毒になっちゃいますよ!完全にほにゃらら量超えてるじゃないですか!!」
「仕方ないだろ!!」
私のせいで一晩中眠れなかった院長と怒鳴りあいになっちゃった。

こんな事があってから数日後の手術。
背中?腰椎のあたりに打つ硬膜外麻酔。
麻酔を打ってから少しして足の裏を筆状の何かで触る。
「感じますか?」
「感じます」
点滴に麻酔薬(かな?)を足す。数分後。
「感じますか?」
「感じます」
これを数回繰り返した後に
「そんなはずないだろ!」とメスを入れる先生。
「うぎゃ~~!!」と叫ぶ私。
心の中で「これモルヒネ打ち過ぎたせいじゃね?」とか考えている私。
その後、なんだかんだで、執刀開始。
しばらくは何も感じなかった私の下半身。

しかし、地獄はこれからでした。

まだ全然手術が終わらないというのに、私の下半身は感覚を取り戻していったのです。
何やら膝の上、腿辺りを針金でギリギリと締め上げられているような感覚、このまま締め上げられたら足がちぎれてしまうのではないかというような激痛に襲われ、叫び始める。どんなに我慢しようとしても上半身が暴れ出す。それを抑える助手的先生。
それがすごく長い時間続いたような気がするのだけど、手術が終わったあたりの記憶は曖昧。
意識飛んだのかな?

この「針金で締め上げられるような感覚」は何なのかな?
と、しばらく考えていたんだけど、よく考えれば実際に腿の辺りを何かで締め上げられていたのでは?と思い当たりました。止血のために。
って事は、私、かなりしっかり足の状態を知覚していたのでは?
ああ、恐ろしい。怖ろしい。

そんな事がありました。

そして、この時足の骨を固定したプレートを抜く手術の時は全身麻酔にしてもらいました。
全身麻酔にもリスクはあるけど、痛みを感じる状態で、しかも何をしているか分かる状況で体を切られるのはさすがにつらかった。

今回は全身麻酔。

安心して、何も感じずに手術を終える事が出来そうです。

それでは行ってきます。





16年周期説

昨日のブログ「近況報告」に書いたように、現在、S状結腸付近に発見された癌治療のため入院中です。

その前に入院したのはいつだろうか?
と考えると2013年10月に自宅で大量に吐血して救急搬送、そのまま入院。
この時は、病院着、即、内視鏡で胃の上部、食道近くに傷口発見。クリップして止血。
数日の入院で退院。という事であまり大事には至りませんでした。
という事でこれは除外。
大量に吐血している最中には「今度こそ本当に死ぬかも」と思ったけど。

その前に何度かあった心臓の検査入院も除外。

2008年6月

心筋梗塞
この時は即、カテーテル手術だったのだけど、カテーテル手術ってけっこう楽ちん(死語?)でした。
それよりも何よりも尿道カテーテルがつらかった思い出。
たぶん説明されていたのだと思うけど、心臓に関する事に集中していたせいか、すっかり頭の中から抜け落ちていて、いきなり尿道に管を通された時には「聞いてないよ!!」って気持ちになりました。
手術は楽ちんだったけど、かなり死に近づいた実感があります。

これが16年前の出来事。
私47歳。

その16年前はというと

1992年

ちょっと正確な年月は記憶も記録もないのだけど。
この頃、数年間に渡って足の手術を繰り返しています。

まず交通事故で左足下腿骨を複雑骨折。
脛のあたりで左足の骨2本とも、ぐしゃぐしゃの細かい破片になりました。

その翌年、まだ左足の骨が完全についていないというのに、スキーに連れ出され、左足が踏ん張れず見事に崖から転落。場所はイタリア。スイスにほど近いアルプス山中のスキー場。
右足下腿骨を開放骨折。
脛のあたりで右足の骨2本とも竹を斜めに切ったような感じでシュパっと折れて体の外に飛び出しました。

そしてその後、両足の脛に、別々の病院でプレートが埋め込まれた状態だったので、その両足のプレートを取り出す手術をしたのがたぶん1992年頃。
いやスキー事故が1992年かな?
まあ、とにかくその辺。

この2つの事故はどちらも死んでいても全然おかしくないレベルの事故で、どちらもとんでもなく過酷な手術&治療でした。

この2つの事故に関しては面白い話がたくさんあるから、近いうちに何かブログネタにしますね。

その16年前は

1976年

これ以前にも毎年のように何度も入院しているのだけど、それは全部、風邪からの扁桃腺炎、上気道炎、咽頭炎などで2週間以上熱が下がらずに入院というパターン。
これらは全部除外。

さて1976年というと、私が15歳の頃。
特に大きな事故も病気もしてないと思うけど、まあ、小さな事故や病気はとても多かった。
でも、特に死にそうな状況にはなってないかな。
考え方によっては「あれは危なかった!」という経験は、たくさんしてはいるけど、この年以前は16年周期説から除外してもいいか。

さて

何が16年周期かというと、私が死に近づく周期。
死神がやってくる周期と言い換えても良いかも。
短周期のハレー彗星的な不吉な何か。

その時には死神と光の天使が両側から招いている。
結果、今回も光の天使が勝つと信じています。

まだやることあるのでね。

なんて。

そんな事があるのかしら?
というお話でした。


画像はイメージです

近況報告

2024年11月5日

特に隠すつもりもなく、声高に発表するつもりもなく、これまでなんとなくこの話題をスルーしてきたのだけど、今後ずっと黙っているのも難しそうだし、とりあえずふつうに報告しますので、ふつうに受け流してください。

直近の予定などに関してやりとりが必要な人達には既に報告ずみですが、それ以外の方々、古くからの友人たちにもまだ報告していませんでした。なんとなくごめんなさい。

実は10月31日から入院しています。

8月中旬から「なんかヤバそう」という体の異変があり(「癌レポート 1 発覚まで」)かかりつけ医に相談していました。で、何度か薬を処方してもらったのだけど、改善されず、専門医で調べてもらう事に。
そこでS状結腸に癌が見つかり、一日も早く大きな病院で処置してもらうように、という事で、今度は大学病院にまわされ、大学病院でさらに詳しく調べてもらったところ、すぐ入院!からの~手術!って事に。

とはいえ、手術前の検査や、手術準備のための処置があり、すぐに手術というわけではなく、手術日も決まらぬままだったので、報告するにしてももう少し色々はっきりしてからにしよう。とも思っていました。

で、昨日、手術に関するオリエンテーションがあり、手術日も決定いたしました。

癌はステージ3
ただ癌の深さ(大きさ)は4段階で4ということ。

まあ、細かいことはいいか。
とにかく近日中に手術します。

入院してから同意書に何枚も何枚もサインしましたが、昨日はいよいよ手術の同意書にサインしました。

考えられるリスクを一通り説明されましたが、その中でも、もっとも重要な事。
S状結腸切除術での死亡率は0.37%との事。

心筋梗塞の時とは(文字通り)桁違いの安心感のある数字です。
心筋梗塞の時は、すぐにでもカテーテル手術!という状況で「処置しないとほぼ死ぬけど、処置すれば助かる可能性高くなるよ」という同意書に、ストレッチャーの上でサインしました。
死亡率ははっきり憶えてないけど20~30%だった気がします。
その時は「ああ、オレは今”死ぬかもしれないけどいいすっか?”という書類にサインしたんだな」と、怖くはなかったけど、ちょっとした感慨深さがありました(笑)

手術を前に今している事は、お腹の中を空っぽにする事。
なんと10月31日から何も食べていません。
飲み物は許されているので、たまに自販機でアセロラとかポカリとか買って飲んでますが、お腹に入るのは水分だけ。あっ、あと薬も。
その代わりに、首の近くにつけた管から栄養価高めの点滴を24時間。

自撮り下手でメンゴ(死語)

しかし、不思議なことになぜか空腹感がない。
同室の方々が食事をしていても何とも思わない。
この点滴、胃に入っているわけではないのに、本当に不思議。
どういうメカニズムなのか今度質問してみようかな。

この管を挿す時も麻酔が効かなくてなかなか大変で、ってそれは長くなりそうだから、また改めてブログネタにします。(笑)

現在の作業環境(このPC以外にタブレットとiPhoneを持ち込んでいます)

最近のブログも入院中に書いているものなので、ふつうに(体はともかく)心は平穏に過ごしている事は伝わっているかと思います。
過度に心配なさらずにふつうに受け止めていただければ幸いです。

10月後半~11月の予定は発表していないものも含めていくつかキャンセルしてしまいましたが、12月からの活動復帰を目指して体力回復に努める所存。

どうぞよろしくお願いいたします。

画像はイメージです

Good Loser Bad Loser

昨夜は、日本シリーズ第6戦で、横浜DeNAベイスターズが日本一を決めました。

敗れたのは福岡ソフトバンクホークス。

テレビ観戦するつもりだったのだけど、なぜか起きている事が出来ずに夕方からガッツリ寝落ち。
目が覚めた時には既に8回裏ベイスターズの攻撃中。スコアは11-2でベイスターズリード。
やはり思った通り、ベイスターズ2連敗からの4連勝で日本一決定ですね、という場面。

「やはり思った通り」と書いたのは、ソフトバンクが2連勝した後のソフトバンク・村上打撃コーチの発言。ベイスターズの東投手に対して「パ・リーグにそんなにいない(タイプ)かも知れないですが、宮城(大弥)の方が断然いいので」と。
これを見た瞬間に、古くからの野球ファンはベイスターズの4連勝くるんじゃないか!と思ったのではないでしょうか?

既に新聞やニュースサイトで指摘されているように、1989年、近鉄-巨人の日本シリーズ。
巨人に3連勝した後、「まあ、たいしたことなかったです」「今の巨人ならロッテの方が強い」と近鉄の加藤投手が発言。その後、発奮した巨人が4連勝して日本一という、伝説的舌禍事件を思い起こしたから。

さらには第3戦後、ベイスターズ東投手がスタンドからの指笛に抗議して試合が中断したことに対しての、小久保監督の発言。(詳しくは書きませんが)これには誤解もあるかも知れませんが「ベンチでみんな大爆笑してた。」というのは、どちらにしても、真剣に抗議する東投手に対して失礼。

これはもう、村上コーチが火をつけて、小久保監督が薪をくべたという構図。
さらにベイスターズの4連勝を確信しました。

と同時にホークスに対して悪い感情を抱いている野球ファンが多くいる事に気づきはじめました。
主にXのポストを読んだ印象です。

私は西武ファンなので、山川移籍の顛末やその後の態度などを見て、相当嫌な気持ちになっていたから、西武ファンに嫌われるのはよくわかるのだけど、日ハムファンにもかなり嫌われているんですね、ホークス。
近藤FA移籍に対しては仕方ない事だと思っていたが、その後の近藤の発言は許せないという意見を多く目にしたし、有原の加入に対してもよくない感情を抱いている日ハムファンが多くいる事も知りました。
筒香が有原から打ったホームランに快哉を叫ぶ日ハムファンのなんと多かった事か!

恨み憎しみにも似た悪感情がホークスに対して渦巻いているような印象。こういうものも大きく作用してホークスの足を引っ張ったのでは。

逆の例でいえば江川が空白の一日で電撃巨人入りした時に、理不尽に阪神にトレードされた小林繁投手がその年大活躍をした事を思い出します。本人の発奮+世論の後押しが大きな力となった例。
いや、ホークスに悪感情を抱く人たちがベイスターズを応援したと考えれば「逆の例」ではなくて、今回もそういう事か。ホークスの足を引っ張ったというよりもベイスターズを後押ししたと。
実際、私の周りのライオンズファンもベイスターズ応援していたし。

まあ、そんなこんなで4連敗したホークス。
負けた後の印象も最悪でした。

試合終了と同時にプイとベンチを出て行った数人の態度。
不貞腐れた態度でベイスターズの歓喜を睨みつけるように見るもの。
喧嘩に負けたチンピラが「この野郎おぼえておけよ」みたいな態度をしているものの多いことに驚きました。これがプロ野球の選手なのか?と。
もしかしたら、偏った見方をしているのかも知れませんが、見ていて美しくなかった事だけは確か。

前日のJリーグ、ルヴァンカップ決勝での敗者アルビレックス新潟の美しき敗者の姿とはまったく対照的。

対戦相手をリスペクトし、最後まで全力で戦い、そしてPK戦で敗れたアルビレックス新潟。

対戦相手を格下と見下し、なめた態度で試合に臨み、「あれ?こんなはずじゃないよね?」とあれよあれよと4連敗したソフトバンクホークス。

その心の違いが見えたような気がしました。

ルヴァンカップ決勝戦を観に行けなかった話

昨日、国立競技場で開催された2024JリーグYBCルヴァンカップ決勝戦 アルビレックス新潟 vs 名古屋グランパス

実は、この試合を観に行く予定でチケットを取ってもらっていたのだけど、なんと、観に行く事が出来ませんでした。
10月後半からあれこれキャンセルつづきの私ですが、こんな大事な楽しみにしていた予定もキャンセル。
なんだかな~

特にアルビもグランパスも日頃応援しているチームではないのだけど、この試合は絶対面白いものになる!という強烈な予感めいたものがあって、無理を言ってチケットを取ってもらっていたのです。
実際すごい試合になったし。

この試合を私はひとりTV観戦。
しかも自宅の(そこそこ)大画面のTVではなく、小さなTV。
誰がプレーしているのか全然わかりません。
自宅のTVなら引きの画面でもはっきり背番号が読み取れるのだけど。
しかも、白熱している試合中だというのに、急に呼び出されたりなんだり。

ああ、国立競技場行きたかった。

下の写真は、一緒に行くはずだった友人から送られてきたもの。

超満員で最高のムードだったそうな。
ですよね、それは小さなTVからも伝わってくるほどの熱気でした。

この日の私は、気持ち的にはアルビ寄り。
取ってもらっていた席もアルビ寄り。

この辺りで観る予定でした。
かなり高い位置ですが、全体を見渡せる良い席ではありませんか。

何度も中座しなければならなかったので観戦記的なものは書けないけど、全体的イメージは強力なベテラン揃いのグランパスと若い力が躍動するアルビという図式。

実際に前半2得点をあげた35歳の永井(グランパス)、後半2-1で負けている状態から追加時間残り1分を切ったところでPKを獲得し、それを自ら決めて延長戦へ導き、さらに延長後半またもや同点ゴールを決めた(さらにPK戦でも決めた!)22歳の小見という対比がとても良かった。

レッズ好きの私としては、延長から出てきた元レッズのユンカー(グランパス)につい心を奪われてしまいがちなのだけど、懸命に奮闘するアルビの若い選手たちの魅力が勝って最後までアルビ寄りのスタンスを貫くことが出来ました。
それにしてもユンカーはうまくて強い!と改めて感心したりはしたけど。

PK戦までもつれた大熱戦、最後はグランパスの勝利となりましたが、これまた大ベテラン今季限りでの引退(退団?)が決まっているゴールキーパー、ランゲラックがチームを勝利に導くというエンディングも美しくてそれはそれで見事なものでした。

そしてアルビレックスは今後が本当に楽しみなチーム。
優勝はかないませんでしたが、見事な戦いっぷりでした。
美しき敗者。

しかし、これを生観戦出来なかったとは……せっかくチケット取ってもらったのに。

そういえば国立競技場超満員チケット完売だったそうだけど、よく取れたね。
行けなくてごめんなさい。