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20160709 東京 府中市 大國魂神社

2023 渋谷考」というブログ投稿をした時に思ったのですが、このブログには、音楽活動の事や、映画、音楽の事が主に書かれていて、どこかに出かけた話がほとんど書かれていない。
そこで、たまには過去に遡って写真フォルダを漁り、どこかに出かけた話も書いてみようかな、と思い立ちました。という事で

お出かけの記録


2016年7月9日 東京 府中市 大國魂神社

先日「お出かけの記録」に投稿した谷保天満宮と同じ日に、少し足を伸ばして、大國魂神社も訪ねてみました。

大國魂神社と言えば荒俣宏著「帝都物語」の中で、第2次大戦末期、日本中の霊能力者や宗教家が全国で一斉に祈祷し、その呪力をまとめて、ここからアメリカ大統領に向けて放った、という場所。今手元に本がないので、ちょっと表現的に正しいかどうか不安ですが、まあそんな感じでとても印象に残っています。(架空のお話ですが、本当にそんな事が行われていたかも知れないと思わせるような魅力のある話)

大國魂神社へは、これまでも何度か訪ねているのですが、なぜか写真があまりない。
この日も、数枚しかありませんでした。

この日は、結婚式が行われていて、主にその写真を撮っていた、という感じ。
雅楽の演奏を聴けてラッキーでした。

本殿での式を終えて出てきた結婚式の列。プライバシーに配慮し、新郎新婦の顔をぼかしてみたらのっぺらぼうのようになってしまい、黒で目線を入れたら犯罪者のようになってしまい、どうにもよろしくない。結局、そのまま載せてしまいました。(不都合がございましたら削除いたします)

谷保天満宮では、出会う人もなく、静かな時間を過ごせたのですが、大國魂神社では結婚式以外に一般の参拝者も多くいました。さすが武蔵国の総社。
そしてこの時間、雨が若干強くなり、ほとんどの人が傘をさしています。

参道横にある寶物殿

車で1時間程度の場所なので、また訪ねる事もあるでしょう。
その時には、もう少ししっかりと、本殿や御神木、周囲の景色の写真も撮ろうと思います。


「お出かけの記録」

車浮代『気散じ北斎』

作家で江戸文化研究家の車浮代さんから、新刊『気散じ北斎』を贈っていただきました。
車さんとは、以前から縁があり、最近もちょっとした仕事を手伝っていたので、そのお礼にいただいたものです。

車浮代著『気散じ北斎』実業之日本社刊

昨夜から読み始めてまだ50ページほどしか読んでいないのですが、既に話に惹きこまれています。
と同時に色々な気持ちが溢れています。

まず驚くのは、北斎の娘、お栄が連れ子だったという設定。
TVの特集番組などで聞く逸話や、杉浦日向子のマンガ『百日紅』で知る、お栄は、北斎譲りの画才を持つ北斎の三女というもの。ふつうにそれを受け入れていたので、これには驚きました。

車先生が調べた文献などに、連れ子と考えられる何かがあったのか?それとも全くの創作なのか?その辺は分かりませんが、連れ子として北斎の元にやってきたお栄が、北斎に心を開いていくまでの描写がとても生々しく心に迫るもので、本当にこういう事があったのかも知れない、という気持ちになっています。

これって、もはや時代物を超越した伝奇SF的な話としても楽しめる話ですよね。
ちなみに私、伝奇物といわれるような話が大好きで、一時、かなり読みまくっていました。
高校生ぐらいの頃に読んだ半村良『石の血脈』『産霊山秘録』あたりから嵌り始めて、山田正紀や高橋克彦の諸作品、などなど。
小学生時代に読んで大好きだった萩尾望都のマンガ(原作は光瀬龍)『百億の昼と千億の夜』もこの分野だと知る。小説を読んだのは高校生の時。

そんな中、極めつけに好きなのは荒俣宏『帝都物語』。
首都東京を舞台に、実際にいた学者、建築家、政治家、作家、実業家たちが数多く実名で登場する。話自体は荒唐無稽な部分もあるのだけど、そこに登場する数多くの出来事は、実際の歴史に即した実際に起きた出来事や事件に基づいたもの。「これって本当にあった話なの?」という虚実の接点が大好きで、ものすごく長い小説なのに、3回ぐらいは通して読んでいるはず。

そんな大好きな分野とも、ある意味、通じるものがあると感じています。
わくわく感。

この本の帯には、車さんの著作『蔦重の教え』の主人公、蔦屋重三郎が登場する事や「蔦重や写楽、歌麿らとの交わりのなかで浮かび上がる、驚愕の真実とは?」なんて事も書いてある。
その重要キャラクターがまだ誰も登場していない、冒頭50ページの段階で、このわくわく感ですよ。

遠からぬ未来、車浮代ユニバースがさらに広がっていき、各小説の登場人物が交錯するような展開すら想像できます。
そうなったら、ある意味、私の大好きな『帝都物語』の江戸版ですね。と今思った。
魔人とか妖怪とか(たぶん)出てこないけど。

と同時に、荒俣宏『帝都物語』にしろ、車浮代『気散じ北斎』にしろ、その時代に対する憧憬と深い造詣、人物たちに対する思い入れがあり、しっかりと調べ上げ、そして自分なりに脚色し物語を紡ぐ。その行為にとても大きな「愛」が感じられるのです。

「愛」のない行為は、何につけてもダメだな。



と、話がそれそうなので今日の所は筆を置きます。
(キーボードから指を離します)