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車浮代『気散じ北斎』読了

読了と書いたけど、実は随分前に読み終わっていました。
この本を読み始めて50ページほど読んですぐに、ちょっとした感想を書いています。
あれは、2月の半ばだったか(車浮代『気散じ北斎』参照)

それからほどなく読み終わっているのだけれど、もしかしたら作者の車さんも読むかも知れない感想を、生半可な気持ちじゃ書けないな、と思っているうちに、どんどんと時は過ぎ今日に至る。

車浮代著『気散じ北斎』実業之日本社刊

50ページ時点でのワクワク感は、(車浮代『気散じ北斎』に)すでに書いた通りで、そのワクワク感のままに読み進みあっという間に読み終わりました。

と言っても、中盤から後半にかけて、読み進むうちに、ひとつだけ心に引っかかる事があったのも事実。

エロティックな描写の見事さや、絵の技法や心に対する北斎の言葉にも感心しきりで、言葉のやりとりを読んでいると、実際にその場面が見えてくるような感覚すら覚えました。
そうやって読み進むうちに、残りページ数が少なくなるにつれて、面白さとは裏腹に、心に引っかかる事がどんどん大きくなっていったのです。

それは、このまま終わってしまったら、ふつうに北斎の人生をなぞって脚色した興味深く面白いお話。で終わってしまうのでは?という考え。
もっと具体的に何が引っかかっていたのかというと、お栄が北斎の実子ではないという、この話ならではの設定は、あまり意味ないものになってしまう、という思いがチラチラと心に浮かぶのです。
と同時に「そんなはずはない!そこが話の胆なのだから。」という思いの方が大きいのではありますが、何せ残りページはどんどん少なくなっていく。もはやワクワク感はハラハラ感に変わっています。

しかし!

そんな浅はかな心の引っかかりなど吹き飛ばしてくれる見事な展開がございました。
正直、変な声が出ました。「ふはっ!」的な感じで。
変な声の後に、少ししてから涙も出ました。
やられた~・・・という清々しい敗北感(?)と同時にしばし放心。

さらに少ししてから「お見事!」という喝さいが心に浮かびます。
これはすごい話だな。
話を思いつくのもすごいし、読み手をこんな気持ちにさせる話の紡ぎ方、構成力にも脱帽。

良き読書体験でした。


と、ここまでが感想文。
ここからは、個人的な話。

昨日は、たまたま良い気候だったので、散歩がてら花見をしてきたのだけど、今日は雨。
この感想文を書くにあたって『気散じ北斎』の後半部分をパラパラと読み返していました。
(「晴耕雨読」ですな、全然耕してないけど)

北斎が晩年を過ごした小布施あたりは若干土地勘があり、岩松院の八方睨み鳳凰図も見た事があります。なので、そういった点でもとてもリアルな感覚として楽しめたのですが、初めに読んだ時にひとつ勘違いしていた所を見つけました。

それは物語の中で重要な場所になる仙ヶ滝の事。
「滝の奥の洞窟に入って裏見ができる」という描写から、私は、小布施にほど近い山田温泉の近くにある「雷滝」を思い出していました。何度か行った事があるのですが、その滝も同じように滝の裏側に入る事が出来るのです。その時は、読み進みたい気持ちが強かったのか、名前の違いに関して「違う呼称もあるのかな」程度に考えて、その滝の光景を思い浮かべていました。

しかし、今回、しっかり読んでみると「松井田宿から中山道を外れた先に」って書いてあるので、小布施近くどころか、まだ群馬。私の気持ちは一足先に小布施周辺にいってしまったようで、しっかり読めていなかった。
って事は「安中あたりに滝の裏側に行けるところあったな」と、そこもまた行った事がある場所でした。分かります、仙ヶ滝。
同じ裏見が出来る滝でも、随分と景色が違う。
今回はしっかりと(物語的に)本物の景色を思い浮かべて読み直す事が出来て、それはそれで面白い心の中の経験。

近いうちに、仙ヶ滝に立ち寄りつつ、小布施への小旅行をしてみたくなった。
『気散じ北斎』聖地巡礼。
美術館などで葛飾北斎、葛飾応為(お栄)の絵を観る時にも、これまでとは違った気持ちで観る事が出来そうだし、この先も、色々な形で楽しませてもらえそうです。


車浮代『気散じ北斎』

作家で江戸文化研究家の車浮代さんから、新刊『気散じ北斎』を贈っていただきました。
車さんとは、以前から縁があり、最近もちょっとした仕事を手伝っていたので、そのお礼にいただいたものです。

車浮代著『気散じ北斎』実業之日本社刊

昨夜から読み始めてまだ50ページほどしか読んでいないのですが、既に話に惹きこまれています。
と同時に色々な気持ちが溢れています。

まず驚くのは、北斎の娘、お栄が連れ子だったという設定。
TVの特集番組などで聞く逸話や、杉浦日向子のマンガ『百日紅』で知る、お栄は、北斎譲りの画才を持つ北斎の三女というもの。ふつうにそれを受け入れていたので、これには驚きました。

車先生が調べた文献などに、連れ子と考えられる何かがあったのか?それとも全くの創作なのか?その辺は分かりませんが、連れ子として北斎の元にやってきたお栄が、北斎に心を開いていくまでの描写がとても生々しく心に迫るもので、本当にこういう事があったのかも知れない、という気持ちになっています。

これって、もはや時代物を超越した伝奇SF的な話としても楽しめる話ですよね。
ちなみに私、伝奇物といわれるような話が大好きで、一時、かなり読みまくっていました。
高校生ぐらいの頃に読んだ半村良『石の血脈』『産霊山秘録』あたりから嵌り始めて、山田正紀や高橋克彦の諸作品、などなど。
小学生時代に読んで大好きだった萩尾望都のマンガ(原作は光瀬龍)『百億の昼と千億の夜』もこの分野だと知る。小説を読んだのは高校生の時。

そんな中、極めつけに好きなのは荒俣宏『帝都物語』。
首都東京を舞台に、実際にいた学者、建築家、政治家、作家、実業家たちが数多く実名で登場する。話自体は荒唐無稽な部分もあるのだけど、そこに登場する数多くの出来事は、実際の歴史に即した実際に起きた出来事や事件に基づいたもの。「これって本当にあった話なの?」という虚実の接点が大好きで、ものすごく長い小説なのに、3回ぐらいは通して読んでいるはず。

そんな大好きな分野とも、ある意味、通じるものがあると感じています。
わくわく感。

この本の帯には、車さんの著作『蔦重の教え』の主人公、蔦屋重三郎が登場する事や「蔦重や写楽、歌麿らとの交わりのなかで浮かび上がる、驚愕の真実とは?」なんて事も書いてある。
その重要キャラクターがまだ誰も登場していない、冒頭50ページの段階で、このわくわく感ですよ。

遠からぬ未来、車浮代ユニバースがさらに広がっていき、各小説の登場人物が交錯するような展開すら想像できます。
そうなったら、ある意味、私の大好きな『帝都物語』の江戸版ですね。と今思った。
魔人とか妖怪とか(たぶん)出てこないけど。

と同時に、荒俣宏『帝都物語』にしろ、車浮代『気散じ北斎』にしろ、その時代に対する憧憬と深い造詣、人物たちに対する思い入れがあり、しっかりと調べ上げ、そして自分なりに脚色し物語を紡ぐ。その行為にとても大きな「愛」が感じられるのです。

「愛」のない行為は、何につけてもダメだな。



と、話がそれそうなので今日の所は筆を置きます。
(キーボードから指を離します)