月: 2024年6月

20151127 東京 千代田区 国立公文書館

2023 渋谷考」というブログ投稿をした時に思ったのですが、このブログには、音楽活動の事や、映画、音楽の事が主に書かれていて、どこかに出かけた話がほとんど書かれていない。
そこで、たまには過去に遡って写真フォルダを漁り、どこかに出かけた話も書いてみようかな、と思い立ちました。という事で

お出かけの記録


2015年11月27日 東京 千代田区 国立公文書館

2015年11月、ちょっとした調べごと、というか見たいものがあって国立公文書館へ

ものすごくよく晴れていて、11月後半とは思えない暖かさ。
気持ち良く北の丸公園周辺を散歩した後、国立公文書館へ

人混みの多い東京は苦手だけど、皇居周辺は大好き。
とても良い気を感じます。

目的などすっかり忘れて、スグにこういうものに夢中になる。
「貫匈国の住人」胸に穴の空いている人、持ち運ぶ時にとても便利!的な
公文書?みたいな

ここは基本的に写真撮影OKなので助かります。

こういう場所にくると時間を忘れますね。
どれだけ観ていても飽きない。

こういうものも、ちゃんと残してあるのですね。

1964東京オリンピック、1970大阪万博

さて、2020東京オリンピックと来年の大阪万博関連のものは、いずれ胸を張ってここに展示できるものなのでしょうか?

もっと写真撮りまくったのだけど、きりがないのでこの辺で

この日は、この周辺ほかにもまわったのでそのうちまたアップするかも、しないかも。


「お出かけの記録」

小室等『いま生きているということ』

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1976

小室等『いま生きているということ』(1976年発売)

歌「いま生きているということ」との出会い

1976年のある日、私、高校1年生の時。
夜遅い時間帯のTV番組に小室等さんが登場。(番組名などは失念)

その前年のフォーライフ・レコード(吉田拓郎、井上陽水、泉谷しげる、小室等の4人で設立したレコード会社)設立のニュースなどで、いや、その前から、存在は知っていたのだけど、小室さんの音楽をまだあまりしっかりと聴いた事はありませんでした。

そのTV番組で小室さんが歌ったのは「いま生きているということ」
とても長いその歌をフルコーラス歌われたと記憶しています。

淡々と歌いはじめた、その歌。言葉のひとつひとつが、心に残り、いつの間にか目も耳も心も完全にTVにくぎ付け状態。
歌は、徐々に激しく熱を帯び、そして最後は、優しく静かに幕を閉じました。

アルバム『いま生きているということ』購入

その静かな熱唱に激しく胸を打たれた私は、ほどなく、この歌がタイトルソングとなっているアルバム『いま生きているということ』を購入。
まだLPレコードを1枚買うのが、大変だった時代に、(買いたいと思っている数々のロック名盤を差し置いて)購入に踏み切ったのは、間違いなくこの時の「いま生きているということ」のインパクトがあまりにも大きかったから。

それだけでも、充分な理由なのだけど、もうひとつ購入の意志を決定づけた理由があって、それは、この頃放送されていたTVドラマ「高原へいらっしゃい」の主題歌「お早うの朝」が収録されていたこと。
このドラマそしてこの歌が大好きだったのです。

ただこの「お早うの朝」に関しては、(購入当時)ちょっとがっかりする事もあって、それは後述。
何はともあれ、『いま生きているということ』、初めて購入した小室等のレコードです。

まずは、「いま生きているということ」と「お早うの朝」2曲をお目当てに購入したわけですが、購入時~購入後に知るあれこれもありました。
このアルバムの歌詞は全曲、詩人の谷川俊太郎の作品であること、演奏にはムーンライダーズのメンバーが全面的に参加、矢野顕子も数曲でピアノを弾いていること、など。

ただ、当時、15歳、高校1年生の私は、(なんかスゲー!とは思っていたけど)その有難みを今ほどは実感できていなかったと思います。

さて、聴いてみての感想です。

2つの「お早うの朝」

まず、お目当ての1曲「お早うの朝」
これが思っていたのと違った!
私の頭の中にある「お早うの朝」それは、下に貼り付けたYouTube動画のヴァージョン
テンポも演奏も、そして歌も、どこか軽快な高原の気持ち良さを思わせるような曲。

それがこのアルバムの「お早うの朝」は、テンポも遅く、歌も朗々とした歌い方、あまりの違いに愕然としました。どういう事!?と。

あの軽快な「お早うの朝」が心に残っていて、それが目当てで買ったという面もあるので、はじめのうちはちょっとがっかりしたわけです。

このアルバムヴァージョンも徐々に好きになりましたが、TV主題歌版シングルヴァージョンの「お早うの朝」がどうしても聴きたくて、後にシングル盤も購入しました。

そのがっかり感とも共通するのですが、このアルバム全体の音が、当時の私にはちょっと大人過ぎたような面があって、はじめのうちは、あまり馴染めなかった気がします。
退屈というほどではないのだけど、馴染むのに時間がかかった。

「いま生きているということ」を聴いて気づいたこと

そんな中、このアルバム購入の一番のお目当て「いま生きているということ」だけは、はじめからダイレクトに心に飛び込んできました。

そして何度か、この曲「いま生きているということ」を聴いているうちに気づいた事があります。

長い曲の中盤で「いまブランコが揺れていること」以後、何小節か。
「ブランコはぼくが作ったブランコ ブランコには娘がのっている」と歌われる、そこの部分が、何か、全体の文脈と違う気がしてきたのです。

歌詞カードを見ても、その部分の歌詞は記載されていない。
後に手にした谷川俊太郎の「生きる」という詩集に収載されたこの詩にも、その部分はない。
ただ歌詞カードには、全曲、作詞 谷川俊太郎としか記載されていない。

若干、疑問はあるものの、ジャケット写真のブランコこそが、その「ぼくが作ったブランコ」なのだろう、と思い至る。さらに裏ジャケットをよく見ると、ブランコ写真についての記載があり、思った通り、小室さんが娘のために作ったブランコだという事が記されていました。

という事は、あの部分は小室さんが付け加えたというか、アドリブ的に歌ってしまった歌詞なのだろう、と考えてほぼ間違いないでしょう。

この件については、その後数十年経った2017年5月に直接小室さんに確かめたところ、思った通りの答えが返ってきました。

その際、「『いま生きているということ』のアルバムに入っている「お早うの朝」が思ってたヴァージョンと違ったので、シングル盤も買いました。」という話をしたら、笑いながら「それはごめんなさい」と謝られてしまいました。いやいや、そんな~LPとシングル両方買って良かったと思っています。

2017年5月 和久井光司さん主催ボブ・ディラン・サミット2017にて(どるたん/小室さん/PANTAさん)

「いま生きているということ」と私の生き方

で、この「いま生きているということ」が、なぜこれほどまでに心に響いたのか、という事について触れたいのですが、それは「いま」「生きている」ということ自体が、子供の頃(具体的に言うと小学2年生時のある日)から、自分自身のテーマになっていたから。
「いま」「生きている」ということは、「いつか死ぬ」ということ、それはいつだか分からない、だから「いま」が大事なのだと、思い続けて生きてきたのです。
例えば「納得できない事はやらない」他、自分自身に課したいくつかの決まりごとがあって、それは死ぬ時に後悔したくないから。子供の頃から一貫してそうやって生きてきました。
そんな生き方をしてきたからこそ、この「いま生きているということ」が実感として心に響いたという事でしょう。

歌詞の中の

生きているということ
いま生きているということ

それはミニスカート
それはプラネタリウム

それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ

ここで、いつも泣きそうになります。
そうやって色々なものに出会ってきたから。
芸術や観光名所じゃなくても、風にそよぐ新緑、こもれび、夕焼けなどなど、日々美しいものに出会い、その出会いに感謝しています。

そして、この後つづく

そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

に深く納得し、これからも、そうやって生きていこうと思うのです。

後半の詩にも感動する部分はあるのだけど、いちばん私自身の心の琴線に触れるのはこの部分。

変わっていったアルバム全体の印象

はじめの方で書いたように、このアルバム全体の音に馴染むのに少し時間がかかったのですが、聴き込んでいくうちにかなり印象が変わっていきました。
全ての曲が、詞が、心に届くようになったのです。

はじめのうちは、なんという事のない情景を描いただけの詞だと思っていたものが、心の中で膨らんでいきました。

例えば「高原」という歌

野苺の花の上の露のひとしずく
まん中に草の生えてる道は
霧の中へ消えてゆく

この3行だけでも、美しいイメージ、情景が心に浮かぶのだけど、さらに

朝は峠をこえてやってきた
微風(そよかぜ)にほほをなぶらせ
いま ぼくは生きている

と続き、なんだかたまらない気持ちになります。

そして、ムーンライダーズのカントリー調の演奏がどこか大人びて聴こえて、15歳の私にはすぐには馴染めなかったのですが、とても心地の良い、心に沁みる音に変わっていきました。

また、年を経ると、15歳の頃、あまり有難みが分からなかった、谷川俊太郎、ムーンライダーズ、矢野顕子の存在も自分の中でどんどん大きくなっていき、それに伴い、さらにこのアルバムの存在も大きくなっていくのでした。

このアルバムを買ってから、約50年。ほぼ半世紀!?

その間、毎年必ず針を落とす特別なレコードであり続けています。

きっとこれからも。

松任谷由実『時のないホテル』

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1980

松任谷由実『時のないホテル』(1980年発売)

このアルバムが発売されたのは、1980年6月、ジャケットの雰囲気やタイトルに強く惹かれて発売後すぐに購入。当時、私は19歳。

中学3年の時、出たばかりの『コバルト・アワー』を買ったのが、初めてのユーミン。

正直言って『コバルト・アワー』には、それほど嵌らなくて、むしろ、後追いで聴いた『ひこうき雲』『ミスリム』に、より惹かれる物を感じていました。

その後も、ユーミンの音楽には、折々に心を寄せてきたのだけれど、中でも特別な思い入れがあるのが『時のないホテル』

1980年発売の、このアルバム、私にとって、あの時代の空気、あの頃の自分を象徴するような音楽。

今でも、聴くたびに、色々な物が琴線に触れて泣きそうになります(というか泣く)。

恋愛感受性低めの私が、なぜここまでユーミンにはまるのかと言うと、恋愛云々よりも「時の流れの無常」的な切なさに弱いからかも知れません。

特にこのアルバムには、そんな切なさが、(他のアルバムよりも若干多めに)つまっていると思うのです。

ユーミンの歌には、「時の流れの無常」が色々な形で描かれています。

「卒業写真」も「Good luck and Good bye」も「ハルジョオン・ヒメジョオン」も「Destiny」も「春よ、来い」も「Hello, my friend」も、あれもこれも・・・

例えば、このアルバムの、「Miss Lonely」は、戦争から帰って来ない恋人を待ち続ける老女の歌

♪ミス・ロンリー

50年前の日付のままカードを書く

ときには写真に向って白い髪を編んで見せる♪

と歌う。

このように、様々なモチーフを使い、情景を描き、多くの曲の中で、色々な立場からみた「時の流れの無常」を描いてきたユーミンが、このアルバムの最後に収められた「水の影」では

♪時は川 きのうは岸辺 

人はみなゴンドラに乗り

いつか離れて想い出に手をふるの♪

と、まさしく時の流れの本質、「時の流れの無常」そのものを言葉にしています。

こんな具合にこのアルバムには「時の流れの無常」その切なさが溢れています。

そこにたまらなく魅せられているのかも知れません。

とても個人的な話をひとつすると、このアルバムを聴きまくっていた頃に年上の女性と付き合っていました。
その頃、彼女は重い病気で入院中。

お見舞いに行った時に、このアルバムを録音したカセットテープを渡しました。

次にお見舞いに行った時に彼女が言いました。

>担当の先生に「 Myelogenous Leukemia(ミエロジェーナス・ロイケーミア)って何ですか?」って聞いたら「そんな事調べなくてもいい!」って怒られちゃった。

と。

このアルバムの中に「雨に消えたジョガー」という歌が入っています。その歌詞が

♪病気の名前はMyelogenous Leukemia(ミエロジェーナス・ロイケーミア)♪

彼女も同じ病気で、後に「雨に消えたジョガー」と同じ運命をたどるのでした。

映画『やわらかい手』

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


2009

『やわらかい手』(2007年公開)

2009年頃、DVDで鑑賞

既にこの「私を形成しているもの」で取り上げた映画『あの胸にもういちど』から、約40年経った2007年。
あのマリアンヌ・フェイスフルが主演の映画。

かっこいい皮ツナギのお姉さんが、40年の歳月を経て、さえない小太りのおばさんとして登場します。

でも、がっかり感みたいなものは、全くなくて、むしろ素敵(と私は感じました)。

さて、そのマリアンヌ。

この映画では、ふつうのおばさん(というかちょっと若いおばあちゃん)が、難病を患った孫の治療費を工面するために風俗の仕事をするようになるという役どころ。

その仕事の内容はというと、壁に開けられた穴から、男性がアレを何する、と、壁に隔てられた隣の部屋にいる女性(なんとマリアンヌ・フェイスフル!)が、手を使って気持ちよくさせるという物。

ふつうのおばちゃんだった、マリアンヌは、思いがけず素晴らしい手と技巧を持っていて、しっかりと稼ぐ事が出来るのですが・・・それを知ってしまった家族は・・・と話は展開していきます。

これが実に面白く、それぞれの立場で怒ったり悲しんだりしながらも、心温まる人間ドラマ。

マリアンヌ・フェイスフル、歌手としても大好きなのですが、役者としても素晴らしいな、と改めて感じ入った作品。


マリアンヌ・フェイスフル関連ブログ記事

アコースティック音楽嗜好 ‐86‐

お気に入りのアルバム 5

Lisa Knapp – Hidden Seam(2013年発売)

Lisa Knapp – Hidden Seam

日本では昨年公開されたイギリス映画『生きる LIVING』
(黒澤明『生きる』をイギリスを舞台にリメイクしたもの)

この映画のエンドロールで流れたブリティッシュフォーク、トラッド調の歌がとても気になり、調べたところ、Lisa Knappというシンガーソングライター(でフィドル他様々な楽器奏者)の曲だと知る。

これは、彼女の2ndアルバム

伝統的なブリティッシュ・フォーク調の雰囲気と、楽器編成はオーソドックスでありながらも、どこか独自の現代的な感覚を持った曲が、無理なく自然に同居した文句なく傑作と言えるアルバム。

曲によっては、ビョークを思わせるような歌唱と、不思議な空気を感じる。

また、歌いまわしのほんの少しの空気にケイト・ブッシュを感じたり。
ケイト・ブッシュに声が似ているとか、歌い方が似ているというわけでは全くないのだけど、同質の「何か」を感じるのだ。

2人の先人の名前を出してしまったけど、真似のようなものではなく、彼女の持っている空気、描き出す世界と、先人たちの描いてきた世界や持っている空気と重なる部分をこちらが勝手に感じているだけ。

Lisa Knapp、この人の描きだす(音やアートワークなどすべてを含めた)世界には、注目していきたいと思っている。



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空港が好き

お出かけの記録(番外編)


かねてから空港好きを公言、自認している私。
(空港に限らず、駅や高速道路のSAなども好き)

好きとは言ってもマニア的に各地の空港を周るとか、そういう能動的、行動的な好きではなく「そこへ行くと気持ちが高まる」という、いささかレベル低めの受動的好きです。

最近、このブログ内で「お出かけの記録」という形で色々な所へ行った記録的写真ブログコーナーを立ち上げ、過去の写真フォルダーから投稿していて、空港ものを2つ投稿しました。

まあ、成田と羽田なんですけど。

20160617 東京 大田区 羽田空港第1ターミナル
20180816 千葉 成田国際空港

どちらも写真少な目、しかも両方ともツアーに出るPANTAさんの送迎係として車で行って飛行機には乗らずにただ帰ってきただけ。

もう10年以上、飛行機で旅に出ていません。

では、「空港好き」の私は、一体どれだけの空港へ行った事があるのだろうか?
と考えました。ちゃんと飛行機を利用するために行った空港に限る。

「空港好き」と言うのはおこがましいほどに少ないのは分かっています。

国内は羽田と成田だけ。
と思っていたのだけど、大昔に八丈島空港へ行った事を思い出しました。

(追記)新千歳空港にも行ってました。

最近のお出かけの記録は、写真フォルダーを見ると大体分かるのだけど、一番あちこちに出かけていた20代~30代の頃の写真アルバムは、手元に置いていないので記憶に頼るしかありません。

なんとなくせいぜい10空港ぐらいかと思っていたのだけど、思い出してみると、思っていた以上に色々な所にいっていて、ちょっと驚く。

トランジットも入ってるから、まあ、それなりに増えたって感じでもあります。

自分自身の記憶を記録化するためだけの行為なので、他人が見ても面白くないかも知れませんが、私が行った事のある空港一覧です。本当はいつ行ったのかも書き込みたい所なのですが、ほとんど憶えていません。


アメリカ
JFK – John F. Kennedy International Airport
ジョン・F・ケネディ国際空港

ANC – Ted Stevens Anchorage International Airport
テッドスティーブンス アンカレッジ国際空港

GUM – Antonio B. Won Pat International Airport
アントニオ・B・ウォン・パット国際空港

イタリア
MXP – Aeroporto di Milano-Malpensa
ミラノ・マルペンサ国際空港

LIN – Aeroporto di Milano-Linate(Aeroporto Enrico Forlanini)
ミラノ・リナーテ空港

オランダ
AMS – Amsterdam Airport Schiphol
アムステルダム・スキポール空港

スイス
GVA – Geneva Cointrin International Airport
ジュネーヴ・コアントラン国際空港

ZRH – Zurich Airport
チューリッヒ国際空港

ドイツ
FRA – Frankfurt Airport
フランクフルト国際空港

MUC – Munich Airport(Flughafen München Franz Josef Strauß)
ミュンヘン国際空港(フランツ・ヨーゼフ・シュトラウス空港)

フランス
CDG – Charles de Gaulle International Airport
シャルル・ド・ゴール国際空港

韓国
GMP – Gimpo International Airport
金浦国際空港

中国
SHA – Shanghai Hongqiao International Airport
上海虹橋国際空港

台湾
TPE – Taiwan Taoyuan International Airport
台北桃園国際空港

日本
HND – Tokyo International Airport
東京国際空港(羽田空港)

NRT – Narita International Airport
成田国際空港

HAC – Hachijojima Airport
八丈島空港

CTS -New Chitose Airport
新千歳空港


以上18空港でした。

海外の空港で一番数多く行っているのは、ミラノのマルペンサ空港。
次点はやはりミラノのリナーテ、あとは上海虹橋と金浦空港が同じくらい行っている感じ。
チューリッヒも3~4回利用した憶えがあります。

最近、おいそれと旅に出られる状況じゃないのだけど、またいずれ色々な所へ出かけられる日も来ることでしょう。その時には、一覧表を更新したいと思っています。

マルコ・バルツァーノ『この村にとどまる』読了

『この村にとどまる』Resto Qui

マルコ・バルツァーノ Marco Balzano
関口英子 訳

近所の図書館にて、イタリア文学の棚からふと手に取ったこの本。
美しい表紙とタイトルに惹かれて読んでみる事に。

今朝、読了。
感想以前に強く思ったのは、この本は手元に欲しい、という事。
この作者の本をもっと読みたいという事。
この訳者の本ももっと読みたいという事。

作者のマルコ・バルツァーノの事は、この本ではじめて知りました。他にも何冊かの著作があるようです。ただ、日本語に翻訳されている小説は、これだけ(かな?)。
マルコ・バルツァーノという名前はしっかりと心にとどめたので、いつか他の著作も読める事を願います。

訳者の関口英子さんは、以前、白崎容子先生との共著(編訳)『名作短編で学ぶイタリア語』は読んだことがあって、何よりイタリア文学コーナーで、その名前はよく目にしていたし、第1回須賀敦子翻訳賞の受賞者という事も知っていたのだけど、小説の翻訳本を読むのははじめて。すごく読みやすく伝わりやすい翻訳で、はじめから日本語で書かれた小説を読んでいるような感覚で読み進む事が出来ました。


この本を読んで一番強く感じたのは、当たり前の事ながら歴史の中のひとつひとつの出来事には物語があるという事。

これは、これまでに色々な場所で感じ続けてきた事。
色々な場所で、そこで起きた出来事に思いを馳せてきた。

身近な場所で言えば、能仁寺であったり、花魁淵であったり、小河内ダムであったり。
また旅先の様々な場所で。そこで起きた事に関わる一人一人に物語がある事は感じていた。

この本で語られているのは、歴史に翻弄され蹂躙され続けた国境近くの村に住む、一人の女性トリーナの物語。

北イタリアにあるドイツ語圏の村(クロン村)、そこにある日突然ムッソリーニに送り込まれたファシストがやってくる。ドイツ語は禁止されイタリア語を強要される。イタリア語の教師や役人が送り込まれ強制的にイタリア化されていく。

ウクライナやジョージアで起きた事、起きている事が、こういうストーリーなのだと、生々しく考えさせられる。他国に限った事ではなく、日本も台湾や韓国他多くの国々、沖縄や北海道で同じように、言葉を奪い、同化政策を行ってきた。
事実として知ってはいるのだけど、その行為がどういう事なのか、それがどういう感情を持って受け止められたのか、トリーナの(そしてこの村の人々の)身に起きた出来事を通して深く実感させられた。
しかし、未だにこのような侵略行為が行われている事に愕然とし、絶望に近い気持ちになる。

戦争がはじまると、イタリアのファシスト、ドイツのナチスそれぞれの政策によって村は分断される。
村どころかトリーナの家族すら分断される、村の将来に悲観的な娘は、半ば失踪するように親戚と共に姿を消し、息子はナチスの志願兵に、夫エーリヒはイタリアに徴兵され一度は戦地に出るも負傷して帰宅、傷が癒えた後、軍に復帰せず、トリーナと共に山奥へと逃亡を図る。

そこで起きた出来事の生々しさ、戦争中に徴兵逃れをする事、脱走兵になる事とは、こういう事なのだ。これもまた、日本軍の徴兵逃れをして山中に潜んだ人の話、脱走兵の話などと重ね合わせて、ぞっとするような感覚を味わった。そして今、戦争が起きたら私はどう行動するのだろうか(もしくは戦争が起きないようにどう行動するのか)という事まで考えてしまった。決して絵空事ではない。

戦後、どうにか生き残って村に戻ったトリーナと夫エーリヒに今度は、ダム建設の問題がのしかかる。
村はダム湖の中に沈むかも知れない。そんな事などおかまいなしに工事は進む。
ダム建設反対に立ち上がるエーリヒ。そこで無関心な村人たちとの心の分断を経験する。

そして、これも、日本でも各地にあるダムに沈んだ街や、原発建設や諫早湾干拓によって起きた住民の分断などに心を馳せる。一人一人に物語があるのだ。

そうやって様々な事に思いを馳せながら読み進んだこの本。
それは、この本で語られている出来事の生々しさが、そうさせるのだろう。
とはいえ、そこで起きた出来事が生々しいのであって、語られる話の筆致が生々しいわけではない。
むしろすっと心に入ってくるような語り口なのだ。

この物語はフィクションなのだけど、とても深く取材した上で紡ぎ出された物語。
トリーナという人物が実際に体験したかのように書かれたものすごくリアルな話なのだが、そうではないのだ。
きっと色々な人の口から語られた体験を寄りあわせ、そこから取り出された話の糸を、それこそ紡ぐようにして、丁寧に誠実に創られた話なのだろう。そしてその根底には愛がある。

表紙の幻想的な写真、湖に沈む教会。
私は知らなかったのだけど、実際にあるそうです。

下の写真は、この村に起きた出来事を知ってか知らずか氷上で楽しむ人々。(Googleマップより)
もしこの先、私がここへ行くことがあったのならば、教会の前でしばし涙するかも知れない。

余談ですが、この話の中で、トリーナの母が戦禍を逃れるために(というか誰も世話してくれる人がいなくなるので)親戚の住む村へと避難する。
その村の名前はソンドリオ。

私、その村へは何度も行っています。
30年ほど前、30歳ぐらいの頃、イタリアのスキー場で派手に骨折して、スイスとの国境の街ティラノにある病院に入院していた事があって、その時、同室だったおじさん(アルトゥーロ)がソンドリオの人。アルトゥーロの一家と仲良くなって、何度か家に泊めてもらったり。
また入院中に仲良くなったドットーレ(お医者さん)もソンドリオの人で、ドットーレの家にも何度か遊びに行っています。

(2012年1月、ソンドリオにて朝のお散歩中、半分寝てます)

ほんの小さなエピソードだけど、馴染みのある村の名前が出てきて、高まり、さらに物語に没入出来ました、というお話でした。

「この村にとどまる」
2024年6月20日、読了

20200721 東京 新宿区 新宿K’s Cinema

2023 渋谷考」というブログ投稿をした時に思ったのですが、このブログには、音楽活動の事や、映画、音楽の事が主に書かれていて、どこかに出かけた話がほとんど書かれていない。
そこで、たまには過去に遡って写真フォルダを漁り、どこかに出かけた話も書いてみようかな、と思い立ちました。という事で

お出かけの記録


2020年7月21日 東京 新宿区 新宿K’s Cinema

コロナが猛威を奮っていた2020年
ほぼしっかりとステイホームを続けていた私ですが、この時ばかりは、と映画館へ出かけました。

場所は新宿K’s Cinema、映画は『zk/頭脳警察50 未来への鼓動』

この日は、末永 賢監督と、(PANTAさんと関係の深い)井上淳一さんの舞台挨拶もありました。
井上さんが司会的な感じの対談形式で、なかなか面白い話が聞けたような気がします。
「ような気がします」と曖昧な表現をしたのは、面白かったのは憶えているのですが、内容をほとんど憶えていないので。

末永さんは、クリミアにも同行しているので、クリミア珍道中の話を聞いたような気もするけど、それは別の時に聞いたのかも知れない……

ロビーにはしっかりと新聞記事の切り抜きなどが掲示されていて、力の入れ具合が伝わってきます。

何人か知っている方も来ていてロビーで挨拶を交わしたりなんだり。

終演後は、井上さん、末永さんとロビーで少し話をしたような気がするけど、どこかに寄るとかはなく(お誘いを断ったのか?)サクっと帰ったような気がします。

「気がする」ばっかりなのはちゃんと憶えていないから。

車で行ったので、どこかへ寄ったとしても、お酒を飲まなかった事だけは確実。


「お出かけの記録」

2024年4月期に観ていたTVドラマ

なんと今期観ていたTVドラマは1本だけ。
この10年ぐらいでは、最少。

観ていたのは、TBS日曜劇場「アンチヒーロー」
先日、最終回を迎えたので、ちょっと早いけど「4月期に観ていたTVドラマ」を投稿します。

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20160617 東京 大田区 羽田空港第1ターミナル

2023 渋谷考」というブログ投稿をした時に思ったのですが、このブログには、音楽活動の事や、映画、音楽の事が主に書かれていて、どこかに出かけた話がほとんど書かれていない。
そこで、たまには過去に遡って写真フォルダを漁り、どこかに出かけた話も書いてみようかな、と思い立ちました。という事で

お出かけの記録


2016年6月17日 東京 大田区 羽田空港第1ターミナル

ちょうど8年前の今日、北海道ツアーに向かうPANTAさんを送って羽田空港へ

早めに空港着。コーヒーなど飲みつつ2人しばし談笑した後は、PANTAさんの乗る出発便を見送る。
その後は1人で飛行機見物。

写真は、当時使っていた古いiPhone5で撮ったものなので、ズームアップした画像はすごく荒れていてちょっと悲しい。

ルフトハンザのボーイング747

私がよく海外へ行っていた90年代には、羽田でまたルフトハンザを見られる日がくるとは思わなかった。
しかも、世界中からどんどん姿を消しているボーイング747(ジャンボジェット)、これには高まりました。
頭の中に流れていた音楽は、もちろんPANTAの「TKO NIGHT LIGHT」

♪朝もやの中のルフトハンザから~♪


「お出かけの記録」