Tag Archive : 彰義隊

吉村昭『彰義隊』読了

以前、「東京 上野周辺散策」というブログ投稿で、彰義隊に心を寄せている事をほんの少しだけ書きました。
その彰義隊については、これまで明治維新関連の本などで読んだ多少の知識がある程度。
もっと知りたいという欲求がありました。
先日、なんとなく眺めていた地元の図書館の棚に、そのものズバリ『彰義隊』というタイトルの本を発見。
しかも吉村昭著。

吉村昭は、高校生の頃『高熱隧道』を読み、筆力に圧倒され、その描かれた世界に引き込まれるような感覚を味わった事が鮮明に思い出されます。
その後、何冊か読んできましたが、最近はご無沙汰。そして、この『彰義隊』は未読。
自分自身の興味の方向と、いいタイミングで合致し巡り合えました。

一応、小説ではあるものの、あまり物語的ではなく、どちらかと言えば史実を時系列に沿って忠実になぞった形。
とはいえ、そこは吉村昭の文章なので、ぐいぐいと読み進む事が出来ます。

しかしながら彰義隊の話は、本の前半でほぼ終わり。
上野で戦争勃発、彰義隊は散り散りになって敗走。
と知っている話しか出てきませんでした。

私の興味的には、彰義隊と袂を分かつ渋沢成一郎の事など、もっと知りたかった、というか読みたかった。
渋沢成一郎は、彰義隊と袂を分かった後、振武軍を結成し、飯能戦争。
さらに函館にわたり土方歳三らと共に五稜郭での戦闘に参加。
という道を歩むのだけど、まあ『彰義隊』の話なので、そこまで書いてくれとは言いませんが、せめて振武軍の名前ぐらいは出てきて欲しかった。

そして、この本の半分から後ろはほとんど全部、輪王寺宮を中心とした話。
いや、というか、この本の主人公は彰義隊ではなく輪王寺宮(のちにいう所の北白川宮能久親王)でした。

輪王寺宮は上野東叡山寛永寺の山主。
皇族でありながら、上野戦争で彰義隊側に加担するような形になり、朝廷の軍と敵対。
北へと逃れ、奥羽越列藩同盟の盟主として担がれる事に。

その北への逃避行が、本の半分あたりから後半延々と描かれています。
彰義隊という文字すらほぼほぼ出てこない。
ただその各地を転々とする話がとても興味深いので、それはそれでよしという気持ちで読んでいました。

そして、旧幕府側の敗戦後は京で謹慎。謹慎が解けたあとドイツへ6年間に及ぶ留学。帰国後海軍へ。そして日清戦争後の台湾での戦争中に病死するまでが描かれている。

本当にこれは『彰義隊』の話ではなくて、輪王寺宮の伝記だなと思いつつ読了したのだけど「あとがき」を読んで深く納得しました。
文句みたいなことばかり書いてごめんなさい。

曰く
台湾戦線への派遣を願う書面に、宮が上野の山で朝敵となった事を、その時に至っても深い心の傷として意識しているのを知り、ためらうことなく題を「彰義隊」とした。

との事。

なるほど、宮の運命を波乱へ導き心の中の傷としてありつづけた「彰義隊」の話。

新政府の良き軍人として生きようとした輪王寺宮の胸中を思うと複雑な気持ちではあるけれど、輪王寺宮の人生、これまでほぼ知らなかったので、とても興味深く読むことが出来ました。

20230902 東京 上野周辺散策

2023 渋谷考」というブログ投稿をした時に思ったのですが、このブログには、音楽活動の事や、映画、音楽の事が主に書かれていて、どこかに出かけた話がほとんど書かれていない。
そこで、たまには過去に遡って写真フォルダを漁り、どこかに出かけた話も書いてみようかな、と思い立ちました。という事で

お出かけの記録


2023年9月2日 東京都 上野周辺散策

この日のメインは、東京文化会館大ホールで開催された、陸上自衛隊東部方面音楽隊 第80回定期演奏会の鑑賞。

車で出かけたので、早めに出て、早めの現地着。
近場の駐車場になかなか空きがなく「だったら、まだ時間もあるし、根津か谷中の方に止めてのんびり歩こう」と決め、しばらく車で駐車場探し。

まあまあ、良き場所に車を止められたので、散策しつつ会場へ。
近くには徳川慶喜公の墓所などもあるのだけど、ちょっとお参りするほどの時間はなく、今日のところは墓参は諦め、人気のない路地を選び少しの遠回りはしても寄り道はなしで目的地へと向かう。

往路は、道中、あまり写真を撮らなかったのだけど、素敵な門扉を見つけて思わず写真を一枚。

東照宮の参道から上野公園~東京文化会館を目指す

この日も良い天気で、9月とはいえとても暑い一日でした。

現地到着後、開場まで若干時間があったので、東京文化会館の向い、国立西洋美術館の前庭でしばしの休憩。
なんかちょっと雰囲気変わってた気がする。

国立西洋美術館前庭から、今日の目的地、東京文化会館を望む。

頃合いをみて東京文化会館大ホールへと入場。
陸上自衛隊東部方面音楽隊 第80回定期演奏会を楽しみました。
演奏会の事は、過去ブログ「マーチが好き過ぎる」に少しだけ書いてあります。

終演後は、上野公園を散策。
この辺は、江戸好きの人間にとっては色々と思いを巡らせたくなるようなポイントが数多くあります。

上野東照宮、寛永寺、彰義隊士の墓、彰義隊戦死者碑などなど、というかこの上野という場所自体が重い歴史のある場所なので。(詳しくは各自調べてください)


「目指す未来は四百年前にありました」

寛永寺清水堂前から、つきの松を通して不忍池弁天堂を望む。
見事に見通せました。

西郷隆盛像の向こうに小さく東京スカイツリー。
実はスカイツリーあまり好きじゃないのです。なにやら悪い電波で東京の人を操っているような気がして。最上階にはナゾーの部屋がありそうな・・・妄想ですけどね。

薩摩藩士の西郷さんの銅像が上野の森のシンボル、守り神みたいになっているのは、なかなかの皮肉。ですが、この方も結局、明治政府と戦っているので、靖国神社(元々は新政府軍側戦死者を祀る招魂社)に祀られていないという、なんとも。
もちろん彰義隊も新選組も会津藩士も祀られていない。
そういう靖国神社のアレコレを知るずっと前、子供の頃から、靖国神社は漠然と苦手な場所でした。

まあ、そんな余談はさておき、上野公園をあとにしての帰り道。


上野精養軒の裏に、キッチンカー「パンダカフェ」が止まっていました。
これは、写真に撮るでしょ。

そして、少し歩くと谷中。
この辺は、ものすごくたくさんのお寺があります。
コンビニの数よりも郵便局の数よりもお寺が多い(たぶん)。
生きている人の数よりお墓の数の方が多いのではないか?という程のお寺密集地域。
お寺の前を通るたびに写真を撮っていたので、すごくたくさんお寺の写真があるのですが、その中から少しだけ。

良い具合に陽も落ちて来たので車に戻り、帰路へ。
音楽を楽しみ、風景を楽しみ、思索を巡らせる、とても楽しく充実した一日でした。



「お出かけの記録」

20231207 飯能市 能仁寺

2023 渋谷考」というブログ投稿をした時に思ったのですが、このブログには、音楽活動の事や、映画、音楽の事が主に書かれていて、どこかに出かけた話がほとんど書かれていない。
そこで、たまには過去に遡って写真フォルダを漁り、どこかに出かけた話も書いてみようかな、と思い立ちました。という事で

お出かけの記録


2023年12月7日 飯能市 能仁寺

昨日書いた飯能市立博物館と同じ日に、能仁寺も散歩してきました。
博物館からは目と鼻の先ですが、写真を多めに載せたいと思い、分けて投稿。

能仁寺は子供の頃からとても馴染みのある場所で、何度となく訪れています。
というのも、小学生時代の3年間、ここから歩いて数分の所にある小学校に通っていて、能仁寺周辺のエリア(天覧山、グラウンド(現中央公園)、観音寺、飯能河原など)は遊び場のひとつだったから。

その後も、ほど近い場所に住んでいたので、能仁寺は、ちょっとした空き時間に良い空気を味わいに行く場所であり続けています。

灯篭の並ぶ参道

そしてこの能仁寺は、飯能戦争で渋沢成一郎ら振武軍が本陣を構えた場所。

なぜか、この振武軍の辿って来た場所には(近くに住んだ事があったり、何気なく行っていたり、不思議な巡り合いをしたり)何かと縁があります。
飯能戦争に至る前に、上野戦争があったのですが上野にある彰義隊の碑にも子供の頃から心惹かれ、何度となくお参りしています。子供の頃は「ここで戦争があったのかぁ」というレベルの興味でしたが、徐々に色々な事が分かり、繋がり、不思議な縁を感じています。

飯能戦争に敗れた渋沢成一郎らが向かった伊香保にも縁があるけど、渋沢平九郎が辿った道~最期を遂げた場所には、特に不思議な縁を感じています。そのことについては、そのうち何か書くかも知れません。

※この辺の歴史、気になる方は、ぜひ「上野戦争」「飯能戦争」「振武軍」など調べてみてください。

さて、そういう話はとりあえず置いておいて、この日のお散歩写真を何枚か上げていきます。

12月なので、さすがに枯れている場所も多かったけど、ところどころ見事に色づいた紅葉が見られました。

竹林の中の一本の紅葉

まあ、こんな感じで、ほんの一時(いっとき)ではありますが、冬の一日、心休まる良き時間を過ごしました。

大好きな場所です。
またいつか。



「お出かけの記録」