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「さようなら世界夫人よ」~「七月のムスターファ」

以前、ブログにPANTAさんから、「七月のムスターファ」をやってくれ、と言われた事を書きました。
『七月のムスターファ』のこと

その時は、軽くサラっと「君たちやってよ。」みたいに言われたので、あまり深く考えずに「無理っす」みたいな答えをしてしまって、それがちょっとした後悔になっている事などなど。

今でも「あれ、本気だったのかな?」と考えてしまう事があります。

で、最近「きっと本気だったんだろう。」と思い至りました。
というのは、「君たちやってよ」と言われたのは、2015年12月、小田原のライヴハウスRoute1での事。
その日のビデオを最近見返してみたのです。

この時、私は、ベースのルイス稲毛、チェロのしゃあみんとトリオで出演していました。
まあ、自分で言うのもなんですが、渾身の演奏で、最後の曲「悪魔を憐れむ歌」(日本語版)を終わった後は、とても多くの拍手、喝采をいただきました。
PANTAさんもその時客席で観てくれていたはず。

その後、最後に出演したのがPANTAさんのユニット。
からのアンコール・セッションで、PANTAさんと私たち3人で、頭脳警察の「さようなら世界夫人よ」を演奏しました。

その時、PANTAさんから「2番はどるたんが歌ってくれよ」と突然の無茶振り。
頭脳警察の曲は色々カヴァーしていたのだけど「さようなら世界夫人よ」をやったことはなくて、歌詞はうろ憶え、コードは知らない、という状況です。
まあ、なんとかあんちょこを見ながら、やりきったのですけど、ビデオを見ると、私が歌い出した時、PANTAさん、とても嬉しそうなんです。私の思い過ごしかも知れないけど。

という事で……
※秘蔵映像初公開、PANTA&どるたん withルイス稲毛、しゃあみん

(ルイスは完璧に画角の外だし、しゃあみんは真っ暗でごめん)

この後の打ち上げの席で、「君たちやってよ」発言が飛び出したわけで、これは本気で言ってくれたのかも知れない、と思ったのです。
私たちの演奏を観てくれて、さらに一緒に演奏した後に、出てきた言葉なのでね。

そう考えると、この後ぐらいから、PANTAさんと行動を共にする事が増えていくのだけど、色々なところで、音楽関係者などに私を紹介する時に「友達で、シンガーソングライターのどるたん。」と言って紹介してくれたのです。

正直、「友達」ってだけでも光栄なので、その後の「シンガーソングライター」って所をあまり深く考えていなかったのだけど、ちゃんと「音楽をやる人」として認識してくれて、しかも音楽関係者に繋げようとしてくれていたのだな。と、今更ながらにありがたみを感じています。

こちらは、PANTAさんと同じ土俵に立てているとは思っていないのだけど、PANTAさんは、「音楽をやる人」と、しっかり認識してくれていたという事で、そう考えると「七月のムスターファ」やほかの曲達を「やってよ」と言われた時に「無理無理」と断ってしまった事が今更ながらに悔やまれるのです。


もう少し自分の力量を信じてあげればよかったのだけど、冷静に見て、いまだに私、PANTAさんの足元にも及んでいないと思うのですよ。

とはいえ、この先の人生、PANTAさんの曲達としっかりと向き合って、演奏していこうと思っています。

まずはPANTAさんに繋げていただいた場所、Goodstock Tokyoで



勝手にあれこれ考えた(映画『いきもののきろく』を観て2)

さて、昨日のブログ「寄り添う力(映画『いきもののきろく』を観て)」では、おおよそ映画の感想とはかけ離れた内容、菊池琢己のギターの事だけを書いてしまった私ですが、映画を観ながら、そして観終えて、あれこれ考えた事があるので、うまくまとめる自信はまったくありませんが、つらつらと書き綴ってみます。

原案:永瀬正敏、脚本・監督:井上淳一、主題歌:PANTA
『いきもののきろく』

映画を観る前には、あまり予備知識を仕入れないタイプの私。
監督、主演、音楽、など基本情報は知っていましたが、どういう映画なのかは全く知らず、短編映画である事や、モノクローム映像である事すら知らずに観始めました。

予告編も観なかったので、主題歌は映画の中ではじめて聴いた事になります。
それだけに衝撃も大きかった。


『生き物の記録』と『いきもののきろく』

いや、その前に、気にかかっていた事。
それは、黒澤明の映画『生き物の記録』と同じタイトルである事。
こちら『いきもののきろく』の綴りは平仮名だけど。

この意味は?
もちろん何かしらの関係はあるのだろうけれど。
『生き物の記録』は、はるか昔にレンタルビデオでVHS版を観た記憶。

『生き物の記録』をぼんやりと思い出しつつ『いきもののきろく』を観る。
観ているうちに、3.11東日本大震災で傷を負った者の再生の物語?という輪郭が見えてくる。
原発事故後の生き方を巡り、家族との間に考え方の溝が生まれる。

この辺りに『生き物の記録』との共通点を見つけようと思えば、見つけられるのだけれど、それは考え過ぎだろうか?
映画を観ながら走り書きした手元のメモには

「生き物の記録」と「いきもののきろく」
核による心の分断、生き方の分断

と書いてある。
ただ、そういう部分にあえて着目するよりも、もっと素直に、大震災後を生きた人間という「いきもののきろく」と捉えた方が良いのかも知れない。


映画を観終えて、答え合わせ的にチラシ画像を見ると「喪失と再生の物語」と大きく書いてあり、そこは見方として間違ってなかった、というか、それは、間違えようがないほど、はっきりと伝わる話。

しっかりと受け止めました。

膨らむ勝手なイメージ

あとは、勝手なイメージの話になるのだけど、この映画、セリフがない。
それだけに、イメージが膨らむ。
観る者の想像力によって、印象も変わってくるのではないだろうか?

私の中に生まれたいくつかのイメージの中で、ひとつドキっとした事があるので、それを書いてみます。

廃材、廃品を集めて作った筏を川に浮かべ、火をつけてから川に流すシーン。
(上のチラシの中にもそのシーンの画像があります)

火のついた筏がゆっくりと川を流れてゆくシーンを観ながら、私は、映画『田園に死す』の中で、雛人形の段飾りが川を流れてゆくシーンを思い浮かべていました。

片や色鮮やかな雛飾り、片やモノクロ映像の廃品で作った筏
周囲の風景も何もかも全く違う、ただ「ゆっくりと川を流れてゆく」ということ以外には、共通点は何もないのだけれど、私の脳裏にはこの映像が浮かび、と同時に「彼岸と此岸」という言葉が浮かびました。

その直後、スクリーン(TV画面だけど)に表示された言葉に軽く驚きドキっとしたのです。
私だけの勝手なイメージと、映画の中の言葉(文字)がシンクロした瞬間。
いや、勝手にシンクロしたと思っているだけかも知れないけど、言葉の意味としてね。

このイメージに関して、もうひとつ面白いと思ったのは、映画『田園に死す』は、寺山修司監督作品。

『いきもののきろく』主題歌の「時代はサーカスの象にのって」の歌詞もまた寺山修司(高取英 補作)という所にも軽く驚く。
これは偶然のシンクロなのか、それとも何かしらの必然?



そんな具合で、勝手なイメージや思索によって、この映画から、大きな楽しみを得たわけですが、観終えた後も偶然のシンクロを感じて思索を巡らす事になりました。

この映画を観たのは、昨日、2025年1月17日。
その日は、阪神淡路大震災からちょうど30年。

東日本大震災からの再生を描いた映画『いきもののきろく』を観た夜に、ニュース番組などで、阪神淡路大震災からの再生の(リアルな)物語を観る事になったのです。
そこでまた映画を思い、現実を思い、再生を思う私。


「再生」は、今年の私の一番大きなテーマでもあるのです。


映画『いきもののきろく』関連ブログ

寄り添う力(映画『いきもののきろく』を観て)

11年前に作られた短編映画『いきもののきろく』が、3月7日からのテアトル新宿をはじめ全国で順次公開されるらしい。

原案:永瀬正敏、脚本・監督:井上淳一、主題歌:PANTA
『いきもののきろく』

この映画の音楽をPANTAが担当している事、この映画のために「時代はサーカスの象にのって」を、菊池琢己と2人で再録した事は、11年前に知っていた。

知っていたけれど、これまで映画を観る機会も、音楽を聴く機会もなかった。
それが全国公開前のこのタイミングで映画を観る機会をいただいた。
と言っても映画館ではなく、井上淳一監督の計らいで、インターネット経由(オンライン試写)で。

しかし、これはPCではなく、ある程度しっかりとしたサイズと音で観たいと思い、PCをそれなりに大きな画面サイズのTVとそれなりのオーディオ装置に繋ぎ、しっかりと鑑賞。これが大正解でした。

映画にはイメージを喚起され、思う事多々あったのだけれど、それはちょっと置いておいて、今日、今、書きたい事を書きます。

音楽の事を知っていたおかげで、それが流れる瞬間が来る事をどうしても期待している自分がいる。
期待というのとは、違うかも知れないけれど、この映画が終わるまでに、どこかでPANTAが歌う「時代はサーカスの象にのって」が流れる事を私は知っている。

その時が来た。

イントロのアコースティックギターの一音を聴いた瞬間に涙がこぼれた。

その音色と響きに一瞬で心を持っていかれてしまったのだ。
その後、エンドロールまで菊池琢己の弾くアコースティックギターに感動しつつも、その時は、割りと冷静に観終える事が出来た。

観終えてから、井上監督とメッセージのやりとりなどした後、少し時間をおいて、もう一度、音楽の流れる少し前から観直してみた所、やはりギターの一音で涙がこぼれ、今度は、曲が進むにつれて涙腺が崩壊しました。

申し訳ないのだけど、映画の意味であるとか、寺山修司の歌詞(高取英 補作)の意味であるとか、PANTAの歌の力であるとか、PANTAが既にこの世にいない事であるとか、そういうの一切抜きに、ただただ菊池琢己のアコースティックギターに感動して、演奏が終わるまで、心を揺さぶられ続け、ちょっと嗚咽に近い感じで泣き続けてしまった。
気持ち悪いですね。ごめんなさい。

もちろんそこには映像の力があり、PANTAの歌があり、寺山の言葉があり、それらが一体となって心に迫った事は間違いないのだけど、そのすべてに寄り添うような菊池琢己のアコースティックギターが本当に素晴らしすぎて、涙が止まらなかったのです。

これ、映像を観ながら演奏し、歌と同時に録音したという事を聞いていたので、さらにそのすごさに震えます。(簡単に言えば一発録り)
歌に寄り添い、映像に寄り添い、言葉に寄り添い、その音色にメロディーに思いを込めて弾いている。
その思いの深さまでもが伝わってくるような深い音色と響き。紡ぎ出されるフレーズの美しさ。
しかも小さなミスひとつなく完璧。
それでいて我を出し表に立つような事はなく、何度も書くけど、歌に、映像に、言葉に寄り添うように、しっかりと傍らに立ち、紡ぎ出される。

PANTAの歌はもちろんすごいのだけど、この映画を観る人には、ぜひとも菊池琢己のギターを、思いを聴いて欲しい。そしてその寄り添う力を感じて欲しい。

「どるたんがブログに書いていたから菊池琢己のギターを聴くためにこの映画を観た」という人がひとりでも出てきたら嬉しいのだけど、そんな人いるかしら?

(文中敬称略)


映画『いきもののきろく』関連ブログ

『七月のムスターファ』後遺症

9月6日(金)APIA40で、どるしゃあ+あっちゃん(島田篤さん)でPANTAさんの歌『七月のムスターファ』を演奏した事は、LIVE後に何度かブログにも書きました。
9/6 APIA40 報告(どるたん編)
『七月のムスターファ』のこと

あれから1週間近く経ったというのに、頭の中には『七月のムスターファ』が、かなりの時間流れ続けています。

意識して、全然関係ない音楽を聴いたりしても、ふとした瞬間にまた『七月のムスターファ』が流れてきます。

ライヴで演奏するために、歌詞の描く光景を思い、しっかり頭の中に焼き付けていたので、なかなか消えてくれない。

その歌詞は


叔父の死骸から銃を取り
頭のつぶれたボディガードの弾丸を奪い
血の海に横たわる父を楯に

というとんでもなく凄惨なもの。

これが四六時中頭の中に流れ続けるというのは、かなりしんどい状況。

それだけ力のある歌だという事なのでしょうが、とりあえず、一旦抜け出したい。

なんて事を考えてしまうのは、甘えですかね、今現在抜け出せない地獄のような戦地にいる多くの人の事を思うと、ただ頭の中に流れてくるだけの凄惨な歌から抜け出したいなんて。いやはや、大変なものを背負いこんでしまったのかも。と今更ながらに実感してみたり。

まあ、それも覚悟のうえで、やったこと。

しっかりと背負って乗り越えなきゃね。
がんばります。


どるしゃあ Next Step (APIA40を終えて)

9月6日、APIA40でのLIVEを終え、どるしゃあの活動は、しばしお休み状態。

APIA40でのLIVEは、50分弱と短い時間ではありましたが、どるしゃあの多面性をギュっと凝縮したような演奏が出来たと思っています。
ふだん、60分以下のセットリストだと、ある一面しか見せる事が出来ないような、そんなセットリストになりがちなのだけど、今回、うまくいったのは、ひとえにPANTAさんの曲『七月のムスターファ』をセットリストに組み込んだおかげ。

『七月のムスターファ』という宿題(『七月のムスターファ』のこと参照)を、どうにか良い形でクリア出来たような気がしています。
これをしっかり自分たちなりに背負って次のステップに進む所存。


そんなどるしゃあが、次に、一緒にステージに立つのは、丸っと2か月間があいて11月10日(日)

Goodstock Tokyoでのワンマン公演になります。
それ以前に、もし奇跡的にタイミングの良いオファーなどあれば、突発的にどこかに出演するなんて可能性もゼロではありません。

その間、しゃあみんは相変わらず精力的にLIVE活動を続けていくようですが、中でも私、どるたんが特に注目しているのが、今週の土曜日。
9月14日(土)原宿クロコダイルで開催される、三文役者のLIVE

三文役者といえば、PANTAさんとも深い関りを持つ、ベテランロックバンド。
そこにしゃあみんがベースで正式に参加、と、ここでもPANTAさんの影がちらついたりなんだり。
私たちの進む道を照らし続けてくれているかのような感覚。

なにやらものすごいライヴになりそうな予感!


一方、どるたんは相変わらずマイペースではありますが、すっかり定着した 青梅アトリエよぎ でのパブタイムVol.3が、9月29日(日)に開催されます。

APIA40やGoodstock Tokyoやクロコダイルみたいな、がっちりしっかりLIVEを見せるハコとは違い、お酒を飲んだり、食事をしたりしつつ、演者とお客様がものすごく近い距離で会話を交わしながら楽しむ、そんなLIVEになります。
↓こんな感じ。

気軽にぶらりと遊びに来て下さい。

どるたんのソロは、小回りが利くので、オファーいただければ、タイミングさえあえば駆けつけます。
よろしくお願いします!

そして、どるしゃあ、また一緒にプレイする時には、必ずや何か新しい段階へと進める事と思っています。

色々とお楽しみに!

『七月のムスターファ』のこと

昨日のブログ「9/6 APIA40 報告(どるたん編)」で、どるしゃあ+あっちゃん(島田篤さん)のセットリストに込めた思いなどを書きました。

最後にPANTAさんの曲『七月のムスターファ』をやった意味とかそんな話を。
ここでは、さらにその辺突っ込んだ話しを。

これ、以前にも書いたことがあるのですけど、PANTAさんから『七月のムスターファ』をやってくれと言われた事があって、その時の事をもう少し具体的に。

2015年の12月に、小田原Route1でのイベント「Friendly Live to Anyone」に出演した時の事。
私は、ベースのルイス稲毛、チェロのしゃあみん、と3人編成での出演。

その時の、トリがPANTAさん。もちろん『七月のムスターファ』もセットリストに入っていました。
そのイベントのアンコールとして、私たち3人とPANTAさんで『さようなら世界夫人よ』を演奏する機会があり、その時は、無茶振り的に私が2番を歌わされるという嬉しくもあり罰ゲーム的でもあるサプライズ。

そんなライヴ終了後の打ち上げの席で、ルイス稲毛がPANTAさんに話しかけました。
「『七月のムスターファ』すごかったです!」と。
するとPANTAさん、何を思ったか
「じゃあ、君たちもやってよ!」とおっしゃったのです。
その場でやりとりを聞いていた私は慌てて
「いや、無理無理、あんなすごい歌、歌えるのPANTAさんだけでしょ!」と反射的に言ってしまいました。

ただ、その時の事はずっと心にひっかかっていました。

実は、PANTAさんとは似たようなやりとりが他にも何度かあって、大体私が「無理無理!」と尻込みしているのですが、もしかして、PANTAさんが本気で言っていたのだとしたら、随分とガッカリさせるような事をしていたのでは・・・・・・と最近ものすごく反省しています。

話の流れの中でサラっと「どるたんやってよ」みたいに言われるので、こちらも軽く流してしまったんですよね。笑いながら「いや~無理っす」みたいに。
もしかしたら、しっかり受け止めなければいけないやつだったのかな?
その辺の真意は今となってはまったく分からなくなってしまったのですが。


まあ、そんな取り返しのつかない後悔を、私はひっそりと抱えて生きています。

その『七月のムスターファ』を、少し前(7月6日)のどるしゃあGoodstock Tokyoワンマン公演の時に、私、1人で弾き語りで初披露しました。
翌日がPANTAさんの一周忌だし、七月だし、と急に思い立ってしまい、しゃあみんには悪いけど、とりあえず一人でやってみようと、オープニングで。


それがあっての9月6日、APIA40
9/6 APIA40 報告(どるたん編)」に書いたように、しゃあみんからの申し出で『七月のムスターファ』をセットリストに組み込むわけですが、その時、私が少し逡巡したのは、7月6日、Goodstock Tokyoで披露した時には、前述のような意味(一周忌だし、七月だし)もあり、さらにGoodstock Tokyoは、元々PANTAさんが繋げてくれた場所なので、毎回、PANTAさんの曲を演奏していて、あの日、そこでやる意味は自分なりにすごく大きかったのだけど、9/6、APIA40でやる意味は?と一瞬考えてしまったから。

ただ、しゃあみんがやりたいと思っている気持ちも察する事が出来たので、スグに考えを変えて、セットリストもしっかりと思いを込めて考え直し、組み込んだ、というお話でした。



9/6 APIA40 報告(どるたん編)

昨夜、9月6日(金)APIA40『この世界は終わらない』
無事終了いたしました!

このご時世、50代~60代と年齢層高めのメンバー達が、前回(2022年)と全く同じ顔触れで、一人も欠けることなくステージに立てた事にまず感謝。
そして、天候の面でも、少し日程がズレていれば、首謀者の島田篤さんが京都から東京入りするのも難しい事態になっていた可能性もあったわけで、こうして無事に開催出来た事は、大きな意味がある事かも知れません。 

さて、私たち、どるしゃあ+あっちゃん(島田篤さん)は、前回同様1番手。
2番手のFire-Pass、トリの高井つよしクィンテットともに、ガチっとした爆音バンド編成なので、うちもたまにはバンド編成でやりたいかも、って気持ちもほんの少しだけあったけど、やってみて、やはりこのアコースティック編成は色々な意味で大正解だったと思いました。

今回、当初は全部オリジナル曲で割りと毒多めで重めのセットリストを考えていました。

そして、しゃあみんに意見を伺ったところ、(PANTAさんの)「七月のムスターファ」をやりたい、との提案があり、私は一瞬逡巡したのだけど、スグにパっと考えを変え、セットリストに組み込むことに。

となると、セットリストはガラッと変えて、毒多め重めの曲を全部排除し、ラストに「七月のムスターファ」を持ってくる事にしました。
『七月のムスターファ』のこと参照)

  1. Emiliani
  2. 湖の街
  3. 月影のダンス
  4. 紫陽花アナベル
  5. Caffè Florian
  6. Brescia
  7. 七月のムスターファ(PANTAカヴァー)

音楽への憧憬、儚い美しさ、遠い日の情景、美しい景色からのイマジネーション、失われた過去の世界への郷愁、そんな楽曲たちを並べてみました。

イタリアの古い街、クレモナ。そこで生まれたヴァイオリンEmilianiの音色。
山間のダムで美しい月明かりの下に見た幻のような風景。
ガルダ湖畔の街、サロに咲く、紫陽花とアナベル。
世界最古のカフェと言われ、ゲーテやワーグナーをはじめ多くの作家、芸術家たちがひと時を過ごしたCaffè Florianで感じた時を超越したような不思議な感覚。

そういう曲達を、一音一音心を込めて、3人で紡ぎ出しました。

しかし、この宝石のように愛おしい曲達(←自分で言うなですね)のラストに「七月のムスターファ」をやる事で何が起きるか。
ライヴの印象的にはすべてこの曲に持っていかれるでしょう。
それは、インパクト面だけではなく、歌詞の世界が全くちがうものが最後にガツンと登場するわけで、それまで丁寧に紡ぎあげてきた詞に描かれた世界。美しい風景、愛しい音楽、幻想的な時間、郷愁、そういう物たちがすべて、血塗られた戦場、そこに響く銃声によってかき消され壊されていく、後には何も残らない、そういう表現になっています。

撮影:アベヒロシ

実際に、今の社会状況を考えると、いつ、だれの身にそういう事が起きるかも知れない、そんな気持ちになります。
戦争が起きると、それまで大切にしていたものも、命さえも、すべてが消えてしまう事にもなりかねません。

このセットリストの意図は、そういう所にあったのですが、それを誰に伝えるでもなく、当日。
私たち3人は同じ気持ちを持って演奏していたように感じていました。

その感覚は、今日、しゃあみんが書いてくれたブログ「9/6 APIA40 報告(しゃあみん編)」にも書かれていました。

そんな表現を終えた私は抜け殻状態なのに、Fire-Passと高井つよしクィンテットのライヴは、ほわんとした気持ちになることを許してくれず、最後までキッチリと音楽と言葉と向き合う時間を過ごしました。

そして、3組すべての演奏が終わった後に、アンコールとして演者全員参加で演奏された、島田篤さんのソロ曲「塵の記憶」
このライヴの締めくくりにふさわしい言葉、ふさわしい音楽、だったと思います。

この世界は終わらない。


撮影: 内田剛史






9/6 APIA40 報告(しゃあみん編)

9月6日(金)碑文谷APIA40「この世界は終わらない」はピアノの島田篤さんを向かえて、どるたん+しゃあみん、Fire-Pass、高井つよしクインテットの3組が演奏するライヴ。

私はどるたん+しゃあみんで久しぶりのアピア出演になりました。

  1. Emiliani
  2. 湖の街
  3. 月影のダンス
  4. 紫陽花アナベル
  5. Caffe Florian
  6. Brescia
  7. 七月のムスターファ

とても違和感のある曲順。

憧れを歌うEmilianiから始まり、遠い日の記憶を懐かしんだり。
良い流れだと思いました。

そして最後七月のムスターファ。
甘酸っぱい記憶も何もかも、壊してしまう。

でも、それが戦争と言うもの。
つい、さっき迄の日常も思い出も消え去ってしまう、突然に。

これがリアルだと思いました。
この違和感こそが、怖いのです。
戦ってるごっこではない、戦争。

次がFire-Passの演奏だから出来た、曲順です。
お疲れ様でした、ありがとう。






7月7日のこと

昨日は7月7日。

七夕であると同時に、私の音楽活動において重要な意味を持つ2人のアーティストの命日。
7月7日というとてもおぼえやすい日に逝ってしまった。
人は死ぬと星になるという話もあるけど、まさに星になったと感じてしまう7月7日。

先日のGoodstock Tokyoでのどるしゃあワンマン公演で、その2人の曲を演奏し、既に報告ブログ(7/6 Goodstock Tokyo 報告(どるたん編))も書いたので、公演を観た方、ブログを読んだ方は、ご存じの事。


ひとりは、シド・バレット(Syd Barrett)。
シド・バレットが私にとって、どのように大事な存在、特別な存在であったのかは、このブログ内の『私を形成しているもの』PINK FLOYD そして Syd Barrettで取り上げているので、よろしければ一読お願いします。

シド・バレットが作った曲は、今まで、色々な形で取り上げて演奏してきました。

彼は、70年代前半には精神に異常をきたし、音楽の世界から遠ざかっていて、なかばこの世から消えてしまったような存在だったので、その訃報を聞いた時に、あまり大きな衝撃は受けず「逝ってしまったんだな」という漠然とした寂しさと共に受け止める事が出来た。
少ししてから、しっかりと受け入れ、悲しみ、涙を流す事も出来た。

昨日は、シド・バレットの音源は聴かずに、ピンク・フロイド(Pink Floyd)が彼の事を思い、作ったアルバム『Wish You Were Here』を聴いて、彼の事を偲んだ。


もうひとりはPANTA
昨年の7月7日に逝ってしまったので、昨日は一周忌。

PANTAの事も『私を形成しているもの』頭脳警察『頭脳警察3』で取り上げているし、このブログ内でPANTAと検索すると、ものすごくたくさんヒットする。

本当に特別な存在です。

7月6日のどるしゃあワンマン公演でも、しっかりとPANTAさんに届くように、約束の曲を取り上げたりもしたのだけど、PANTAさんの死を未だに実感できていません。

David Bowieの時と似ているかも。

正直なところBowieの死も、未だに受け止め切れていないのです。
もう8年も経つのに。

これは、Bowieの死を知って数日後に書いたブログ(悲しみを拗らせ中)ですが、未だにこの時と同じような感覚で生きています。

もしかしたら、PANTAは、その時以上か。
1年経つのに、まだ全然実感できてない。
なんとなく追悼イベント的な場所に行っていないのは、実感したくないからかも。

一周忌の昨日も、特にPANTA関連の音楽を聴くこともなく、なんなら偲んでもいないぐらい。(ひどいね)

自分でライヴをやる時には、PANTA曲を多めに取り上げたりしてるけど、別に追悼云々じゃなくても、ふだんから感謝の気持ちでやっていた事が若干ヴォリュームアップしているぐらいの感覚。

PANTAの死と、いつかしっかりと向き合って、受け入れる事が出来るのでしょうか?

いや、しっかりと向き合わなければいけないんだろうな。
なんだかよくわからないけど、わからないなりに、がんばります。
まずは、生きて音楽を続けていく事だな、そこは、しっかりとがんばります。


7/6 Goodstock Tokyo 報告(しゃあみん編)

7月6日(土)大岡山GoodstockTokyoへ、どるたん+しゃあみんのワンマンライヴ。

何時ものように数曲やってバランス、と言っても二人なので(笑)ちょぅと合わせる。

本番はどるたんのソロから。
シド・バレットとPANTAさんの曲。
七月のムスターファ、遂にやったかぁ。。。
生前、どるたんに「やってよ」と、PANTAさんに言われてた曲。
この曲をやられたら、その後出づらいこと。
でも、頑張りました。

ライヴは二部、2時間ほど行い、終了。

私はその後、下高井戸でのリハーサルへ。
豪雨の隙間を抜い、大岡山~二子玉川~三軒茶屋~下高井戸と言う旅も楽しかったです。

リハはまだまだつまずきながらですが、皆さんに助けられて何とか。
こちらもまた、命日前にPANTAさんが繋げてくれた様な気がします。
本番は9月になりますが、良いライヴが出来ますよう頑張りますね。

みなさま、お疲れ様でした。
ありがとうございました!