月: 2024年2月

マウリツィオ・ポリーニ/1996年 ミラノ スカラ座

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1996

1996年2月5日、ミラノ スカラ座 マウリツィオ・ポリーニ 演奏会
MAURIZIO POLLINI – Beethoven Piano Sonata 05/02/96 Teatro alla Scala, Milano, Italia

ミラノ スカラ座
ここに来るのは前年の5月8日、アルゲリッチとラビノビッチのピアノデュオを見て以来。

この日の出演はマウリツィオ・ポリーニ

プログラムはベートーヴェンのピアノソナタop.31 n.1、op.31 n.2(テンペスタ)、op.31 n.3、op.53(ワルトシュタイン)という、私レベルの「なんとなくクラシック好き」にも分かる選曲。
というか、この曲が入っているポリーニのCDを持っていました。

この日のポリーニは、私でも気づくようなミスタッチが何度かありました。
そんな時、一瞬だけふと現実に戻るのだけど、またすぐポリーニの描き出す音の世界に引き込まれていきます。
劇場の歴史や空気感もあるのかも知れませんが、ポリーニの弾くピアノの音が宙を舞い、空間を支配する様にただただうっとりと聴き惚れるのみ。

小さなミスなど超越する充実した演奏だったように思います。
ポリーニ自身も演奏後に満足そうな笑顔を浮かべ万雷の拍手に答えていました。

この日聴いたポリーニの演奏は、すごく滑らかで、聴いていると魔法にかかったようにスーっと音楽に引き込まれてしまう、そんな魔力のようなものを持っていると感じました。前述のようにそれには劇場の持つ力も加担しているのかも知れません。

激しい部分でも滑らかに、流れるような指使いで、美しい音楽を奏でてくれました。
至福の時。

そして白状すると、実は私、この頃まで、ベートーヴェンの音楽が若干苦手でした。
対照的にモーツァルトは大好き。

これ例えると、私にとってモーツァルトがビートルズで、ベートーヴェンがストーンズという印象。
ストーンズも聴きはじめの頃は、ヒット曲以外はあまり面白くない感じがしていました。
展開的にも当たり前というか、驚きがないというか、若干退屈な印象だったのですが、聴いているうちにじわじわと好きになっていきました。

今では、ストーンズ大好き!(ビートルズは特別な存在)

同じように、この頃から、ベートーヴェンは「苦手」から、ちょっと「好き」に変わってきました。
それは、イタリアでの生活中に、素晴らしい生演奏でベートーヴェンの音楽を聴く機会が何度かあった事も大きく影響しているでしょう。

ここで、少しビートルズの話に戻ると、ビートルズ登場以前のロックン・ロールが、私は若干つまらないと思っている所があったのだけど、ジョン・レノンのアルバム『ロックン・ロール』で聴くロックン・ロールのカヴァー曲達は実にかっこいい。ジョンの『ロックン・ロール』を聴いた後の耳で、元の曲を聴くと、元の曲までもがこれまでとは違って聴こえてくる。かっこよく思えてくる。という経験を思い出しました。

ポリーニの弾くベートーヴェンを聴いて、それと似たような気持ちを感じたのです。

ベートーヴェンが「苦手」から「好き」に変わってゆく、決定的な分岐点になった夜でした。

PANTAさんと演歌の話

今は亡きPANTAさんと私がよく行動を共にしていたのは、2016年頃からコロナ前の2019年頃までの間。
短い期間ですが、その時期、かなり頻繁に会っていました。
その頃のある日の話。

突然PANTAさんから「どるたん、演歌書ける?」と聞かれました。
「書ける?」というのはたぶん、曲の事、場合によっては作詞作曲かも。

ほんの少し考えてから「書いた事ないけど、自分の曲がちょっと演歌っぽいと言われる事もあるので、書けそうな気がする。」と、そんな感じで答えました。
PANTAさんは「だよな。」とちょっと嬉しそう。

というのは、PANTAさんは長山洋子さん他、演歌系の方とも親交があり、レコード会社からもたまに、「演歌を書いて欲しい」との注文があるそうで。
「今度、演歌の注文があったら、どるたんに話振るようにするから。」と言ってくれました。

それは願ってもない話!
私、自分自身で歌う曲を書くよりも、誰かのため、何かのため、とテーマがはっきりしている時の方が、スラスラと曲が書けるのです。
(ちなみに自分で歌う曲は突然ポンっと出来るのを待つしかない)

数十年前に書いたゲーム音楽も、けっこうスラっと出来たものが今でも評判よかったり、映画音楽の時の「架空の校歌を明日までに作詞作曲」という超無茶振りにもスラっと対応して3番までの歌詞つき校歌を書いたり。

その後、けっこう演歌の話がくるのを楽しみにしていて、NHK FMの「歌謡スクランブル」で演歌系がかかる時には、ちょっと真剣に聴いてみたり。若干研究してみたり。

しかし、その後、具体的な話はないまま、PANTAさんは昨年の夏に逝ってしまいました。


私は子供の頃から歌謡曲が大好きで、その中でも若干演歌テイストのある曲がかなり好きでした。
千昌夫「星影のワルツ」、黛ジュン「夕月」、渚ゆう子「京都慕情」あたりは特に大好き。

もし、これを読んでいる演歌系プロデューサーの方がいましたら、ぜひPANTAさん推薦のソングライターどるたんに演歌の注文をお願いします。
って、誰も読んでないと思うけど。

写真はイメージです
私が大好きな曲「あじさい橋」(城之内早苗)のシングル盤ジャケット

20230624 飯能市立博物館~観音寺周辺

2023 渋谷考」というブログ投稿をした時に思ったのですが、このブログには、音楽活動の事や、映画、音楽の事が主に書かれていて、どこかに出かけた話がほとんど書かれていない。
そこで、たまには過去に遡って写真フォルダを漁り、どこかに出かけた話も書いてみようかな、と思い立ちました。という事で

お出かけの記録


2023年6月24日 飯能市立博物館~観音寺周辺

飯能市立博物館は、以前一度取り上げましたが2023年の6月にも行っています。
この時の特別展は「牧野富太郎ゆかりの植物たち」でした。

展示自体、まあまあ楽しめましたが、牧野富太郎が飯能に何度も来ていたという点に興味をそそられました。

こじんまりとした展示だったので、あっという間に見終わり(常設展は何度も見ているので今回はパスして)その後は周辺を散歩する事に。

博物館のすぐ裏にあるのが、諏訪八幡神社。

境内を通り薄暗い山道のような遊歩道を少し歩くと、観音寺の裏に出る。

ぐるりと周って正面から観音寺の境内へ。
ここは子供の頃よく遊びに来た場所。
確か境内に幼稚園(?)の遊具があったような気がするのだけど、記憶違いかな・・・

今は、アニメ『ヤマノススメ』の聖地になっていて、特にこの白い象は有名。
子供の頃から、ここにありました。

水鉢に蓮。

心静まる素敵な庭で、しばし良き時間を過ごさせていただきました。



「お出かけの記録」

幸運な邂逅(Maddy Prior)

昨日のブログ投稿「MADDY PRIOR & THE CARNIVAL BAND LIVE」(2003年)に対して「来ていたの知らなかった」という反応が数人の方からありました。

実は、私も全く知らなかったのですが、偶然の巡りあわせで観る事が出来たのです。
今日は、そのことを。

(マディさんの音楽色々聴いてきたけど、これが一番の愛聴盤「Silly Sisters」)

2003年のある日、武蔵境駅にほど近い、ある分野では有名な会社へ、WEB制作案件の打ち合わせにバイクで出向いた私。
武蔵境に何かの用事で行くのは初めて、そして、その後、一度も行っていません。(付近を通過する事はある)

すると、その会社のエレベーターホール掲示板に、地元開催イベントのポスターが何枚か貼ってあり、見るともなしに見ていたら「マディ・プライア」の文字が目に飛び込んできました。

ほどなくエレベーターが来てしまったので、打ち合わせに向かったものの「マディ・プライア」が気になって仕方ありません。

打ち合わせ終了後に、じっくりとポスターを見ました。

東京の夏 音楽祭 2003
2003年7月28日(月)
武蔵野市民文化会館 小ホール 
マディ・プライア&カーニバル・バンド

と情報確認。
やはり「マディ・プライア」は見間違えではなかった!

しかし、当時、音楽雑誌を毎月数冊は買っていたのに、来日情報を見た憶え全くなし。
武蔵野市のためだけのお忍び公演だったのか!?今でも謎です。

ポスターには、手書きで近くの公民館(的な場所)でチケットを取り扱っているという案内が別紙で貼り付けてあった(ような気がする)。
はじめて行く武蔵境で土地勘ゼロなんだけど、添えられていた簡易的な手描き地図を見ると、割と簡単に行けそうな場所。

すぐにバイクにまたがりチケット取り扱い場所へと向かう。

無事購入!
現金持ってた。

そして幸運にもマディ・プライア&カーニバル・バンドを(なんと2列目で)観る事が出来たのです。

それにしても私、こういう「偶々、あの時、あのタイミングで、あの場所にいなかったら巡り合えなかった」的な幸運に出会う事が、とても多い気がします。
同じぐらいアンラッキーな目にもあっているような気もしますが、そっちはまあ置いておいて、実感としては、すごく幸運な人生。

MADDY PRIOR & THE CARNIVAL BAND LIVE

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


2003

2003年7月28日 武蔵野市民文化会館 小ホール マディ・プライア&カーニバル・バンド

マディ・プライアといえば、スティーライ・スパンやシリー・シスターズで美しい声を聴かせてくれた女性ヴォーカリスト。
マイク・オールドフィールドの『INCANTATIONS』にも参加していると言えばピンとくる方も多いかと思います。

そのマディ・プライアが、80年代から活動を共にしているザ・カーニヴァル・バンドと共に2003年に来日。

このコンサートは『東京の夏音楽祭 2003』という催しの一環として行われたものです。

音楽祭のテーマが「儀式・自然・音楽」という事もあると思いますが、選曲は、教会音楽を中心とした様々な古楽曲。
かといって、堅苦しい曲というわけではなく、思わず踊りだしたくなるようなキャロルも演奏されました。

カーニヴァル・バンドの面々は、実に腕達者で様々な古楽器を自在に操り、包み込むような音空間を作り出してくれます。
その音にマディの澄んだ声が重なった時に生まれる空気を何と例えたらいいのでしょうか、何か自然の風の中にいるような澄んだ空気感、と同時に家族の団欒のような気の置けない温かさ、とにかくこの場にいられて良かった、という幸福感を胸いっぱいに味わう事が出来ました。

またカーニヴァル・バンドは、演奏だけではなく、声も素晴らしい。
アカペラの部分では、鳥肌が立つほど美しいハーモニーを聴かせてくれました。
(「鳥肌が立つ」の本来の使い方ではないのはわかっていますが本当にぞわっとしたので)

途中、子守唄を一曲披露してくれました。これが、えもいえぬ安らぎ感。
寝不足気味だったせいもあり、この子守唄を聴きながら実際に少しの間眠りに落ちてしまいました。
「もったいない。」という気持ちもありますが、なんとも幸せな時間でもありました。



グレン・グールド『モーツァルト:ピアノ・ソナタ集』

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1993

GLENN GOULD『MOZART』(SONY RECORDS 1965~70年録音)

グレン・グールドの弾くピアノを初めてしっかり意識して聴いたのが、このモーツァルトのピアノソナタ集。

この頃、モーツァルトのピアノ・ソナタ集は、すでに何種類か持っていて、特に、自分にとってのリファレンス的CDは、初めて買ったスヴャトスラフ・リヒテルのもの。それ以後に聴いたものはどうしても、リヒテルと比べて聴いてしまうような所があった。

グールドに関しては、テレビで見た特異な演奏スタイルと、バッハ弾きとして有名ということぐらいしかまだ知らなかった頃。

そんなグールドの弾くモーツァルトはいったいどんな音なのだろうと思い、買ったのがこのCD。

1曲目のK.310 第1楽章を聴いた時には、かなりの違和感を覚えた。
これまで聴いてきたK.310といえば、わりと誰もが、思い入れたっぷりに重々しく始める印象。
それをグールドは、かなりのスピードで軽やかにどんどんと弾き進んでいってしまう。

これだけではなく、他のどの曲も、今まで聴いてきたモーツァルトとはまったく違うもの。

「トルコ行進曲」ではK.310の印象とは逆。
この曲はかろやかに、はずむように弾く人が多いのだが、グールドはといえば、かなりのスローペースで本当に1音1音に何か思いを込めるように丁寧に弾いている、という風に感じる。

とにかく、このCDを初めて聴いた時、違和感に包まれたのは事実。
しかし、このグールドの表現にただならぬものを感じて引き付けられていた事も、また事実。

それからしばらくの間、CDプレーヤーには、このCDがセットされたままになり、何度も何度も繰り返してのプレイ。
すると、その違和感がいつのまにか大きな魅力に変わり、聴く度にグールドの弾くモーツァルトに魅了されていった。

そのうちに、モーツァルトがこれらの曲を実際に演奏していた時には、実は、このように弾いていたのではないのかな?等と考えるようになった。いや、考えるというよりも、感じると言った方が正しいかも知れない。
なんの根拠もないのだけれど、そんな感じがしてくるのだ。

グールドの弾くモーツァルトは、とにかく全ての音が心に直接響いて来るように感じる。
モーツァルトもこのように演奏して多くの人の心を虜にしたのでは・・・
なんて突拍子もない事を感じていたのだ。

心に染み入る「トルコ行進曲」なんて、ちょっと他の人のピアノでは味わえない感覚。
グールドという人は、何か、特別なものを持っている。
そして、その「特別なもの」に惹かれていく私でした。



HOT KUMA フライヤーデザイン

LIVE情報解禁になっているようなので、こちらからもお知らせ。

友人の、Bookieこと森下寿一がヴォーカル&キーボードをつとめるバンド、HOT KUMA。
5月10日(金)青山「月見ル君想フ」にてワンマンライヴがあります。

その公演のフライヤーデザインを担当いたしました。

これは、フライヤーで使った画像の(ちょっと遊びで作ってみた)アウトテイク。
スマホの画面だと分かりづらいけど、PCの大きな画面で見ると、アウトテイクの意味がよく分かると思います。

元ネタは、分かる人はスグに分かる、超有名ユニットのライヴアルバム。
Bookieのアイディアで、愛とリスペクトをいっぱい込めたオマージュ(パロディ?)です。

実際のフライヤー画像はこちら

とても楽しいデザイン作業でした。


LIVEの詳細はこちらへMOONROMANTIC | 青山月見ル君想フ

1983年 新日本プロレス 前田日明凱旋帰国

私を形成しているもの

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※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1983

1983年 新日本プロレス 前田日明凱旋帰国

ジャンルをスポーツ観戦にしたけど、プロレス観戦の話です。
プロレスはスポーツなのか?と固い事は言わずに受け入れて下さい。
Sports Graphic Number誌上にも、プロレスは取り上げられていますので。

時は、1983年4月21日

私は、22歳、コンピュータ技術者としてそれなりの収入があった頃。

その頃、タイガーマスクの登場、藤波対長州の名勝負(後に名勝負数え歌と呼ばれる)で、人気に火がついた新日本プロレス。

初めて自分のお金でチケットを買って見に行ったプロレス興行がこの日です。

しかし、私の一番の目当ては、タイガーマスク対小林邦明でも、藤波対長州でも、猪木対マサ斉藤でもなく、この日、凱旋帰国試合となる前田日明。

前田の事は、なぜか新人時代から気になっていました。
試合は一度も見た事ないのに。

ある日、プロレス雑誌で、新日本プロレス寮が紹介された時に、痩せ型で(たしか)坊主頭の前田が、どういうわけか「誰がカバやねんロックンロールショー」のLPレコードを片手にファイティングポーズをとっている写真が掲載されました。(記憶に間違いがあったらごめんなさい)

その時から、気になる存在だったのです。

その後、前座でガチガチの凄い試合をするやつがいる(それが前田と平田淳二)という風の噂も聞き、さらに少しして、その若手、前田日明がヨーロッパ(イギリス)に武者修行に出た事を知ります。

イギリスでの活躍の様子なども、たまに雑誌に載る様になってきたある日、私は週刊ファイトに掲載された写真を目にします。

その写真を見た時に、私の前田への興味はマックス状態になり、帰国を心待ちにするようになりました。

それは、坂口征二がイギリスの前田の元に飛び、(当時ウェイン・ブリッジの家に下宿していた)前田と2人並んで撮った写真。

前田は上半身裸でファイティングポーズ。

痩せ型だった前田の上半身はナチュラルな筋肉で形良く膨れ上がり、(日本人の中では大型の)坂口征二と並んでも全く引けをとらない、むしろ上回っているとも感じられる姿になっていたのです。
この姿を見た時に、前田日明への期待値はMAXに。

そしてほどなく前田はヨーロッパヘビー級チャンピオンとして帰国、凱旋試合がこの日。
私は、前田の試合が発表されるとスグに(前田目当てで)チケットを購入。

肝心の試合ですが

前田のセコンドにはカール・ゴッチ!

試合は、3分程度のちょっと消化不良の試合で、前田の一方的勝利。

試合後、対戦相手のポール・オーンドーフがレフェリーに執拗に抗議していた事からも、この試合の不穏な空気は感じました。

後から色々な情報を知りましたが、まあ、それは良いとして(興味のある方は、ネット検索すれば色々出てくるはず)
消化不良とは書きましたが、逆に、個人的には、さらに前田への興味が高まった試合でした。

この日、きっと他の試合も良い試合ばかりだったと思うのですが、今、思い出すのは前田の事だけです。

ところで、このチケット画像を見ると前田の名前、前田日明の日の部分が消されているんですよね。

この後、新日プロでは前田明と表記するようになります。

日明と書いてあきらでは読みづらいから、テレビなどでの露出も多くなる事もあり、読みやすい明(あきら)一文字に変えられたのでしょうが、なんとなく、前田のアイデンティティを否定しているように感じて、少し嫌な気持ちになりました。


映画『シン・ゴジラ』

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


2016

『シン・ゴジラ』(2016年 日本)

この映画は、劇場で2回観て、ネット配信でも既に何度か観ています。

観るたびに発見がある、というか、観るたびに(自分なりの)理解が深まる、そんな映画。

あと、なんというか、業が深いとでも言ったら良いのか、色々とつらい気持ちが込み上げてくる映画。

もしかしたら、ラストシーンの事やネタバレ的な事を書くかも知れないので(今の所、無計画に書き始めています)、これから観てみようと思う人は、この先は読まずに映画を観てみましょう。話はそれからだ。

はじめは、怪獣映画を観に行ったつもりだったので、シン・ゴジラの形態に目を奪われたりもしたのですが、これは、なんというか非常に政治的な、国のあり方をも問うような映画。

今、シン・ゴジラならぬ、シン・コロナに対して次々と愚作を繰り出している政府、新型コロナウイルス感染症対策本部やら専門家会議やら、加藤厚労相、西村経済再生相、八割おじさん、尾身会長、色々と役者は出てくるけど、常に迷走している。

迷走の元凶は、総理大臣の意向。

何を提言したところで、そこでおかしな方向へ行ってしまうのだから、どうしようもない。

と余計な事書きましたが、そんな事にまで考えを巡らせてしまうような映画でもあります。

翻ってシン・ゴジラ。

政府が立ち上げた「巨大不明生物特設災害対策本部」(巨災対)にすべては任せられる。

総理は、弱腰ながら国民の事を考えているし、現場を信用している「総理大臣でございますから、森羅万象すべて担当しております」なんて頭のおかしな事は決して言わない。

巨災対の報告を聞いて、判断し、(迷いながらも)決断し、責任をとる。
それが総理のお仕事。

後の総理代理も国の事を考えて(弱腰ながら狡猾にしっかりと)外国との交渉をやりとげ、現場は巨災対に任せる。

そうじゃなければ、専門家を集める意味がない!

この国の政府は、原発再稼動時においても、さんざん専門家に「断層の上だ」って指摘されているのに、最終的に政治家の判断で「断層の上とは認められない」って言い出す。

なんのための専門家だって事ですよ!

ああ、ごめんなさい、いちいち話がそれてしまいます。

この国が、全てにおいておかしな国になってしまったものですから。

この「巨災対」が、また色々な分野で、はみ出し者的な研究者だったりするわけですが、そういう人間だからこそ緊急時に誰にも忖度せずに冷静な思考と判断が出来るのだと思います。

以前「大脱走」を取り上げた時に「昔から烏合の衆的な群れは(反吐が出るほど)嫌いなのですが、(ひとりひとりは一匹狼的な)個性豊かなスペシャリスト達が力を合わせて何かを成し遂げる話は大好き」と書いたのですが、この巨災対もまた、そういう集団でした。

さて、そんな政治的な面での面白さ、はみ出し者の群像劇的な面白さに加えて、業の深い部分、ここを考え始めると軽く戦慄すら覚えます。

元々初代ゴジラは、水爆実験が元で生み出されたわけですが、シン・ゴジラの出自はともかく、この映画がフクシマ後に作られた事に(政治面を描く上においても)大きな意味があるような気がします。

そして、映画冒頭で、船の上に靴をそろえて(自殺を思わせるように)消えた博士の存在。

どこへ消えたのか?なぜ消えたのか?

(博士の持っていたものに込められたメッセージなど色々考えさせられる)

シン・ゴジラの細胞は人のDNA情報も持っているという話。

ラストにズームアップして映し出されるシン・ゴジラの尻尾(そこには人間のような造型が)。

そんなところを考え合わせて、導き出されていくもの・・・いやはや怖い・・・デビルマン的怖さ(ジンメンのトラウマよ)。

もちろん政治的な話や、怖い話というだけではなく、わくわくポイントも多々あります。

自衛隊や米軍の最新兵器、無人新幹線爆弾、無人在来線爆弾などの作戦、民間の特殊車両を動員しての作戦などなど。

そして各場面で流れる音楽!
特に、ヤシオリ作戦決行!無人新幹線爆弾発車と同時に流れる「あの音楽」は、何度観ても涙が出るほど心が高まります。

この映画は怪獣映画という枠には全くおさまらない、パニック災害映画、ポリティカルフィクション、ミステリー、人間ドラマ、様々な角度から何度でも観たくなる映画。

きっと子供の頃に観たとしても、(難しかったり、怖かったりするけど)子供なりに楽しめて、大人になって見直した時にまた色々な気づきを与えてくれる、そんな映画かと思います。

映画『あの胸にもういちど』

私を形成しているもの

今の自分を形成する一部になっていると言えるほど印象に残る様々なものを「私を形成しているもの」としてとりあげていきます。他のSNSなどに投稿したものを加筆修正して再掲載しているものもあります。
※この下に書かれた年号は作品の発表年ではなく私がその作品に初めて触れた(と思われる)年。またはそのイベント、出来事を経験した年。
※ただの思い出話です。


1973

『あの胸にもういちど』(1968年 イギリス・フランス合作)

これを観たのは、まだマリアンヌ・フェイスフルが何者なのかも知らない頃。

だから、小6か中1か、大体その頃。(という事で、とりあえず体験した年は1973にしておきました)

渋谷東急名画座で一人で観たはず。
確か300円。

観た理由は、その日、やっていた映画がこれだったから。

あとは、アラン・ドロン!
テレビで「太陽がいっぱい」を観て以来、ずーっと好き。

この映画は、簡単に言っちゃうと、かっこいいお姉ちゃんが皮ツナギを着てバイクに跨り、恋人に会いに行く話(簡単すぎ?)

というかね、正直に言ってしまうと、バイクかっこいい!皮ツナギのお姉ちゃん、かっこいい!そしてエロい!
以外の記憶が全然無いんです。

今でも、恋愛感受性に欠ける部分のある私が、12歳ぐらいの時に観たわけですから、この映画に描かれた(であろう)恋愛の機微なんて、全く理解出来ていません。(キッパリ)

でも、なんだかすごく魅かれる映画だったのは、確か。
多少の恋愛なども経験してから読んだ原作小説『オートバイ』は、それなりに楽しめたし。

後にマリアンヌ・フェイスフルの事を色々と知り、特に歌手としてのマリアンヌ・フェイスフルは大好きになって、かなりの音源を聴いてきたので、改めて「この映画をもういちど」観たい!と思いつつも、観ないまま今日に至る。

いつかちゃんと観なければ。
(今、Amazon Prime Videoで観られるみたいだけど・・・)


この映画が描いている男と女の世界は、まだまだ理解出来ないお年頃に観てしまった映画だけど、それなりに心に残り、今の自分を形成する一部になった事は確かです。


マリアンヌ・フェイスフル関連ブログ記事